第21話 キス現場、晒される。
担任の女教師と校内でキスをするという禁断の行為は、想像以上に甘く、俺の……いや、俺たちの脳から焼き付いて離れない。
キスのせいで時間感覚を忘れてしまっていたが、掛け時計を見ると、教室を出てから既に十五分が経過している。
さすがに八女先生の元に戻らないとマズい。
マズいのだが、俺たち二人は、間に流れている雰囲気をなかなか最初のものに戻せないでいた。
自分でも赤くなってるだろうな、と思えるほどに俺は顔が熱いし、瑠衣姉も耳まで赤くさせ、顔を朱に染め上げている。
言葉だって気軽に掛けられなかった。
無言のまま、ただその使命感に駆られて、トボトボと空き教室までの道のりを歩く。
ただ、道のりと言っても距離は無い。
空き教室はすぐそこだし、俺たちは結局元の状態に自分を戻せないまま、目的地へ着いてしまった。
祈るしかない。
キスしてたなんてことがバレないことを。
「も、戻りました……八女せ――」
「おかえりなさい。お二人とも」
……え?
言葉をさえぎるように誰かから声を掛けられた。
俺はうつむかせていた顔を上げ、すぐにその先を見やる。
それは瑠衣姉も同じだ。
ハッとして、目の前の状況を確認していた。
「あ……!」
「え……! さ、
動揺しつつ、『何でこの人がこんな場所に?』なんて反応を思わずしてしまう俺と瑠衣姉。
ただ、それもそのはずだった。
空き教室にいたのは、八女先生と、まさかの
彼女は、俺と同じ菱山高校の二年生であり、品行方正、文武両道、すべてを兼ね備えた学年内最高峰の高嶺の花なのだ。
男子の間では、在学中に一度でいいからお近付きになりたい、といつも言われている。
それほどに高貴な存在であり、至高の存在。
茶褐色の綺麗な髪の毛に包まれた人形のようなお顔と、宝石のようにぱっちりとした黒色の瞳。健康的な色の灯る素肌。そして、それから成るナイスなバディ。
さすがはあの麦丘と大丸でさえも易々と下品な妄想を繰り広げられないほどのお方である。
こうして近くで見ると、凄まじい美貌だ。後光が差してるんじゃないかと錯覚するレベルだぞ。本当に。
「ど、どうしてここに早苗川さんが……? あなたは確か……美術部に所属していましたよね……? 部活動は……?」
赤くなっていた顔はどこへやら。
一転して、冷や汗を浮かべつつ、瑠衣姉が問うた。
俺も動揺し、顔の熱をすっかり忘れてしまっていた。頭の中は疑問符で埋め尽くされる。何でここに彼女が、と。
「部活動は今日お休み頂きました。大切で重大な用事ができましたので、そちらを優先させようと思いまして」
「そ、そうなの……? え、ええっと……じゃ、じゃあ、その大切で重大な用事があるはずなのにここにいるのは……?」
「うふふっ。ヤダ。青山先生。なんだかまるで私がここにいると都合が悪いような言い方をなさいますね」
「えっ!?」
ニコニコ笑う早苗川さんから鋭い言葉を返されて、若干体をビクつかせる瑠衣姉。
いったいどちらが教師なのかわからない。見た目に反して本当に威厳がない。俺の想い人は。
「大丈夫ですよ。大切で重大な用事は先ほど終わりました。終わったので、帰ろうとしたら、八女先生がこの空き教室で一人いらっしゃったので、私もお邪魔させて頂いた次第です」
「あはは……。どうやらそういうことみたい瑠衣ちゃん。まったく、僕は忙しいっていうのに琴美ちゃんは……」
「ことみ……ちゃん……?」
つい俺は疑問符を浮かべてしまう。
八女先生のその呼び方は妙に馴れ馴れしく感じる。
他の生徒を呼ぶのとは少し訳が違うような、そんな呼び方だった。
八女先生は俺の方を見て、苦笑しながら頷く。
「実はね、琴美ちゃんのおうち、僕の実家のすぐ真横にあるんだ。それで昔からつながりがあってね」
「え……!?」
じゃあ、それって俺と瑠衣姉の境遇に似てるってこと……!?
「はい。そういうことです。ハル様は昔から私と深いつながりがありました。それはもう、結ばれることが決められていた運命のように深いつながりが」
「ちょ、ちょっと何言ってるのかな、琴美ちゃん!?」
頬を両手で抑えながら言う早苗川さんと、動揺してツッコむ八女先生。
これは……よくわからないけど、ただならぬ関係性を感じてしまう。呼び方もすさまじい。ハル様って……。
「かっこよくて優しくて、いつだって私の王子様で……」
「お、王子様って男だよね!? 僕、女性なんだけど!?」
「私は、そんなハル様に相応しいお姫様になろう、と常々思い続けていたのです。幼い時からずっと」
「だ、だから僕は女性だからね!? る、瑠衣ちゃん! 瑠衣ちゃんからも何とか言ってあげてよぉ!」
涙目で助けを乞うてくる八女先生だが、こんな時に瑠衣姉が頼りになるわけがない。
アワアワして、俺の方をチラチラ見てくる。
いや、俺とかもっと頼りにならないからね。こういう場面。どっちかというと、俺だって早苗川さんと同じ穴のムジナ感あるし。
……とは思うものの、こう頼られてしまっては何もしないわけにはいかない。
俺はため息をつき、一度も話したことのない高嶺の花へ声を掛けた。早苗川さん、と。
「二人の関係は薄っすらながらわかったんだけど、八女先生の今の願望や悩み事、早苗川さんは知ってる?」
「ええ。知っていますよ。三代君」
自信を持って笑顔で言われた。
知ってるのか。
というか、さっきから思ってたけど、俺は早苗川さんに名前を認知されていたんだな。意外だ。
「可愛らしい女性になる、ですよね? 男性であるような雰囲気ばかり出ていて悩んでいたので、それは捨て、女性としての経験を積みたい、と」
「う、うん。正解」
女性としての経験を積みたい、っていうのは一歩間違えたら卑猥な表現のような気もした。
いや、もちろんツッコまないんだけどね?
「なら、それを受けての質問なんだけど」
「はい。何でしょう?」
「早苗川さんは、その八女先生の願望についてどう思ってるの? やっぱり反対なわけ?」
「いいえ」
「「え」」
俺と八女先生の声が重なる。
嘘。てっきり頷かれると思ってた。
賛成なのか。王子様っぽいのがいいみたいに言ってたのに。
「ハル様がそう望むなら、私はそれを尊重し、寄り添うだけです」
「そ、そうなの……?」
「ええ。ハル様の本当の意思ならば、ですが」
なんか今、ニコニコ笑顔が若干曇った気がしたぞ。気のせいか?
「とにかく、私は何があってもハル様の意思を尊重します。女性らしくなりたいのであれば、それを全力でお手伝いするだけですよ」
「で、でも、ハルちゃん……? さっき瑠衣ちゃんと三代君がここへ戻って来るまでは――」
「み・か・た。ですよ。ハル君。私はあなたの味方です。どんなことがあっても」
八女先生の方へ顔を近付けて言う早苗川さん。
それはどことなく圧が感じられた。
八女先生も軽く「ひっ」と声を上げてる。
「なので、三代君?」
「あ……はい。何でございましょう?」
「ハル君の願望を聞き入れるお手伝い、私も参加させて頂けませんか?」
「え」
「ダメなら無理に、とは言いません。ただ、私はハル君のことを誰よりも知っています。どうして男性らしい立ち居振る舞いをしてしまうのか、細かい観点から意見し、願望達成に大きく貢献できると思います。……あなたより」
待って。今、最後この人ボソッと何て言った? ちょっと背筋に悪寒が走ったよ?
「どうでしょう? 私をあなたたちの仲間に入れてはくださいませんか?」
「え、えと……」
答えを出す前に、チラッと瑠衣姉の方を見る。
瑠衣姉はしぼんだ花のような顔を一人でしていた。
もう俺に任せます、のスタイル。
だったらば仕方ないか。
八女先生も苦笑してるばっかだ。拒否するとか、そういうことでもなさそう。
「……じゃあ、まあ……」
「よろしいでしょうか?」
「……うん……。お手伝い、お願いいたします」
俺がそう言った瞬間、早苗川さんは嬉しそうに笑顔のまま頭を下げた。
ありがとうございます、と。
なんかその感謝の言葉にも怖さが見え隠れしてたけど、その恐怖の正体に俺は目を背け続けた。
まあ……悪いことだけは起こらないはずだよね。二人も俺と瑠衣姉みたいな関係なわけだし。
●〇●〇●〇●
――翌日。
俺は眠い目を擦りながら、いつも通り、いつもの時間帯に家を出た。
学校までは歩いて行く。
歩いていると、途中で瑠衣姉と出会った。
偶然だね、なんて言ってたけど、顔から察するにそれは嘘。
俺がその時間帯、その場所を歩くのを知ってるから、それに合わせて来てるだけ。
でもまあ一々ツッコむのも面倒だし、適当に挨拶をする。おはよう、と。
今日も瑠衣姉は綺麗だ。いったん三十秒ほど眺めていたいほどに。
ただ、それをすると、俺がガチ惚れなのがバレバレになるので控えておく。
あくまで何でもない風を装っていた。心臓はドクドクと強く跳ねていたが。
てな感じで、俺たちは二人並んで学校へ行く。
学校が近くなってくると、距離を空けて離れるわけだ。
周囲に怪しまれちゃマズい。それだけは念頭に置いておく。
そうして、一人になって昇降口に入り、下駄箱でローファーから上履きに履き替える。
しかし、この日は、どうもなぜか周りの視線が気になった。
コソコソと二、三人で話しては俺の方をチラチラ見て、クスクス笑う。
それどころか、俺の傍を「ひゅーひゅー!」なんて言いながら駆け抜けていく輩だっていた。
何だ? 訳がわからない。もしかして俺、いじめの標的にでもされたか?
落ち着かない感覚で廊下を歩いていると、掲示板の近くに人だかりができている。
男子が「ちくしょー!」と叫び、女子はキャーキャー騒いでいた。
で、そんな連中も俺を見るや否や一斉にこちらへ寄ってくる。
いったい何なんだ。
そう声を出し掛けた時だ。
教えられるよりも前に、俺は掲示板に貼り付けてある何枚かの写真に視線がいった。
「……へ……?」
唖然とするしかない。
一気に顔が青ざめていく。
そこに貼り付けてあったもの。
それは――
「る……瑠衣姉と……俺……?」
俺と瑠衣姉の、昨日のキスの現場だったのだ。
【作者コメ】
投稿空いてしまって申し訳ないです!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます