第11話 朝からふたりは
波乱の日曜日が終わった。
月曜日の朝。
俺はベッドから起き、顔を洗い、歯を磨いて朝食を摂る。そして、身支度もすべて終わらせた。今から家を出るところだ。
けれど……。
その間、何度も昨日のことが頭をよぎっていた。
瑠衣姉の住んでるマンションの一室で二人きり。
『仮恋人』という関係性をいいことに、あんなことやこんなことをしてしまった。
一歩間違えれば、恋愛における男女の最終段階行為までしていたような勢いでもあった。
本当に。本当に。本当に。
本当によろしくない。絶対によろしくない。
『りん君が同じ歳くらいの女の子を好きになるまででいいから、私と恋人でいて?』
瑠衣姉のその言葉を受けて、俺たちは仮恋人の契約を交わしたというのに。
どうしてその契約直後に行き着くところまで行こうとしてるのか。
子どもを作れるタイムリミットがあと少し、なんて言ってたけど、いくら何でも必死過ぎる。
瑠衣姉も安心していいのに。
俺が他の女の子を好きになることなんてあり得ないし、高校を卒業したら…………いくらでもご要望は聞いてあげる予定だから。
「ぐっ……!」
とは言ったものの、色々と想像すれば恥ずかしさで死にかけてしまう。
玄関で悶え、一人頭を抱えていると、後ろから母さんに心配された。
何でもない。
そう強がって、誤魔化すように玄関の扉を勢いよく開ける俺だったが――
「あ……。お、おはよう、りん君」
すぐ目の前には、まさかのナマ瑠衣姉。
サッと下ろされた手は、きっと今からインターフォンを鳴らそうとしていたのだと簡単に推測できる。
「る、瑠衣姉……なんでここに……?」
「あらぁ、瑠衣ちゃんじゃない! おはよう~! 今日も美人さんねぇ~!」
俺の動揺など意に介さず、母さんは瑠衣姉に声を掛ける。
が、朝からハイテンションなおばさんに絡まれて面倒だろうに、瑠衣姉は、
「おはようございます。りん君のお母さんこそ、朝からお綺麗です。私、朝から目の保養になったくらいで」
見事母さんのテンションに合わせながら、にこやかに返答。
さすがは社会人の女教師。
六年目の貫禄は伊達じゃない。どうしてこれが男性相手にもできないんだろう。いや、仕事では割り切って何とかやれてるのか。じゃあ、どうしてプライベートでも男性相手にこれができないんだろう。挙動不審で引かれるほどって。
「いやねぇ~、瑠衣ちゃんったらお世辞が上手なんだから~。ほら、林太。瑠衣ちゃんがわざわざお迎えに来てくれたんだから、あんたも独り言言ってないで学校行きな!」
いや、この対応の差よ……。
瑠衣姉と俺に対する接し方、あまりにも違い過ぎる。
べた褒めしてるけど、このお姉様の本性とんでもないですからね、お母様?
「わかってるよ。行ってきますとも、学校。行けばいいでしょ、学校」
「まったく。ほんと朝からブツブツ独り言呟いて。お母さん心配になるわよ、あんたの将来。過激思想から犯罪者になってニュース放映とかやめてよね?」
「親ならもっと息子の将来に希望持っててくれませんかね……? 何だよ、その過激思想から犯罪者になってって。あいにくその予定は無いから安心していいよ。ったく」
「わからないじゃない。ねぇ、瑠衣ちゃん? 知ってる? この子、昔から瑠衣ちゃんのこと――」
「あぁぁぁ! もう行くよ、行く! ほら、瑠衣姉も!」
「へ……!? う、うん……!」
何かとんでもない暴露をされそうだったので、急いで瑠衣姉の手を握って歩き出す。
外はよく晴れていて、冬から切り替わった春の暖かさに包まれている。
咲いている桜の花は、既にところどころ緑色の葉が見えたりしていた。時間の経過は早い。
「まったく、母さんときたら……。朝からテンション高過ぎだろ。変なことも口走ろうとするし」
「……あ、あの……りん君……?」
「瑠衣姉も無理して合わせようとしてくれなくていいからね? 気分良くなったらまたさらに余計なこと言い始めるし」
「り、りん君、その……!」
「……? どうかした、瑠衣姉?」
グッと握っていた手に力を込められ、俺はその場で足を止める。
いったいどうしたって言うんだ。
振り返り、彼女の方を見やった。
「りん君……きょ、今日は……なんだか大胆なんだね……」
「……え……?」
大胆……?
そう言う彼女の顔をほんのりと赤く、視線も俺と合わない。
右、左、と挙動不審に瞳が動き、やがてそーっと上目遣いするように目を合わせてくれる。
「大胆ってどういうこと……?」
「え、えっと……手……」
「手……?」
言われ、自分の手を見る。
すぐに察した。瑠衣姉の言いたいこと。
「っ……!」
俺は絡み合っていた瑠衣姉の手から自分の手を速攻で離した。
そして、周りをキョロキョロと見回す。
「あ、危ない……! 誰にも見られてないよな……!?」
「……っ~……」
「ご、ごめん瑠衣姉……! 俺、まったく無意識に瑠衣姉の手握って……!」
「……よかったのに……」
「え……!?」
ついつい声が大きくなってしまう。
動揺のせいだ。
「手……握っててもよかったのに……学校まで……」
「いや、ダメだよ! 何言ってるの!? ダメ過ぎるよ! 皆に見られるんだから!」
「……それもまた……一興……じゃない?」
「何が!? 何が一興なの!? 一興どころかマイナス興なんだが!?」
「だって……先生と生徒で禁断の恋してるって匂わせできるし……」
「匂わせなくていいから! し、しかも禁断の恋って……!」
別に本当に付き合ってるわけじゃない。
そうやって言い切ろうとしたんだけど、またしても昨日のことが頭をよぎってしまう。
仮恋人とはいえ、あそこまでのことをして、あそこまでの会話をすれば、『付き合ってない』なんて強く言えない。
俺たちは、『仮』ながらも付き合ってる。
『仮』ながら、教師と生徒で。十一歳も歳が離れてるのに。
「と、とにかく、瑠衣姉? 匂わせなんてするのやめて。わかってる? 匂わせて関係性がバレたら、瑠衣姉は教師クビになるんだからね?」
「……わかってるよ。わかってるけど……」
「……けど?」
「りん君に私っていう彼女がいるって認知されたら……若い女の子があんまりりん君にまとわりつかなくなるかな……とか思ったりして……」
「……っ」
「そ、そしたら! そしたらね……私とりん君は……ずっと恋人でいられる。仮でも……ずっと……」
……くそ……。
大人っぽい薄化粧とスーツ。それらに身を包んで、俺なんかじゃ手の届かないお姉さんの見た目をした瑠衣姉。
きっとこの人のことを何も知らなかったら、俺はただ憧れてるだけで、綺麗だなと思うだけで、遠くから見てただけのはずだ。
でも、彼女は俺が幼い時から知ってる青山瑠衣で。
手が届かないほど綺麗で、大人っぽくても、俺のことを確かに好いてくれているお姉ちゃんで。
事情が許すなら、今すぐにでも本当の恋人にしたいと思えるくらい好きな女の人だ。
「……瑠衣姉……」
もう一度、ゆっくりと周りを見回し、誰もいないことを確認。
そして、彼女との距離をさらに縮め、そっと背に手を回した。
「ふぇ……!? り、りん君……!?」
抱擁。
朝から、瑠衣姉のことを抱き締めてしまった。
我慢できなかったから、使った。
『仮恋人』という、ズルい関係性を。
「瑠衣姉……今日の夜……また瑠衣姉の部屋に行ってもいい?」
「え……きょ、今日の夜……?」
「うん……。ちょっと……お願いしたいことがあって……」
「お願いしたい……こと……」
オーケーしてもらえると、どこか心の底で思っていた。
けれど、瑠衣姉は「うぅ」と小さく悶え声を漏らし、
「ごめん……りん君……ごめん……!」
「……え……」
「今日の夜は、先生同士で飲み会があって」
……マジですか……。
「新任の先生たちの歓迎会らしいの。私、この学校に来たばかりだから、ほとんど参加が強制されてて……」
じゃあ仕方ないか……。
「わ、わかった。それなら仕方ない。ごめん、忘れて? 今のお誘い」
「あ、謝らないで。りん君が謝ることないよ。悪いのは、予定入れてた私だし」
それも違う気がする。瑠衣姉だって悪くない。
「けど、お願いって何かな? それだけでも聞きたいな……とか」
遠慮がちに言ってくる瑠衣姉。
俺は彼女から抱擁を解いて言った。
「あの……クローゼットに入れてあった俺の写真について聞きたいことがあって……」
「聞きたいこと……?」
「撮ってた時……どんな思いで撮ってたのか、とか……詳しく」
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