第10話 ふたりは初めてだから

「お姉ちゃんと……初めて……してくれる?」


 俺の体に馬乗りになった状態。


 とろけたような瞳でこちらを見つめる瑠衣姉。


 そんな彼女が、たった今とんでもないことを口走ってきた。


 聞き返そう。


 そう思うものの、頭が真っ白になり、ちゃんとした言葉として口から出て行かない。


 瞳孔を小さくさせ、俺はただ疑問符を浮かべるしかなかった。


 食べられる直前の草食動物みたいに。


「ねぇ……? どうかな……? りん君……? お姉ちゃんと初めて……シよ? りん君も初めて……だよね?」


「え……ふぁ……? うぇ……?」


 魂が抜けたみたいに、仰向けになった状態で首を傾げる俺。


 するとまあ、瑠衣姉の顔が一気に青ざめていく。


「……へ? も……もしかして……初めてじゃないの? お姉ちゃんは初めてだけど、りん君は初めてじゃない……!? ふぇぇ……!?」


「ちょ、ちょっ、ちょっと待った! 待って、瑠衣姉! 何が!? 初めてじゃないって言っても色々あるよね!? 俺の何が初めてじゃないって!?」


「誰とシたの!? あんなに好き好き言ってたし、プロポーズだって何度もしてきたのに、いったい誰と!? 同い年の若い女の子!? 私と仮恋人になるより以前に、もうそういう子がいたの!? りん君!」


「だ、だから、いったい何のこと!? い、いや、もうしらばっくれる必要も無いか! シてないから! そんな相手、俺には今までできたことないし!」


「嘘ぉ! 絶対絶対いたもん! さっきの反応、お姉ちゃんの陰に隠れてヤることヤってた顔だったぁ!」


「どんな顔!? それ、いったいどんな顔だよ!?」


「うぅぅぅ……。お姉ちゃんは……お姉ちゃんは……いつもいつも一人で寂しく過ごしてたのに……りん君は……りん君は……もう大人の階段を……ぐすっ!」


「な、泣かないでよ! 俺、シたことないからね、瑠衣姉!? 何で突然そんな俺が経験済みみたいな話の方向になったんだよ!? どこからどう見ても童●だから! 俺は!」


「ひっく……えぐっ……。じゃあ……証明して……?」


「は、はい……?」


 証明……?


 またしても疑問符を浮かべる俺。


「経験がないこと……私に証明してよ……」


 涙の浮かんだ上目遣い。


 瑠衣姉は、俺の胸元に縋るように体を預けてきてる。


 証明しろと言われても、すぐにパッと思い浮かぶのは一つの行動だけだった。


 他には、何も思い浮かばない。


 いいだろう。どうせここには、今俺と瑠衣姉の二人きりだ。


 だったらやってやる。


 何も知らないけど、やってやる。


 ビデオでの知識しかないけど、やってやるよ!


「――ひゃっ!?」


 静かに強く決意した俺は、何も言わずに馬乗りになってる瑠衣姉を抱きながら、上体だけを強引に起こす。


 互いに絡み合いながら座り、けれども背に手を回し、顔だけは近いという状態。


 きっと、ちゃんとしたカップルでも、ここまで恥ずかしいことにはならないだろう。


 顔と顔が近いぶん、吐息が重なり、混ざり合う。


 俺も瑠衣姉も、ゆでだこのように顔を赤くさせ、瞳孔を小さくさせて見つめ合っていた。


 キスくらいなら簡単にできそうな距離感。


 それでも、俺たちはお互いに何もかもが初めてだから、それ以上の接近はしない。いや、できなかった。


「……瑠衣姉……!」


「……り……りん……君……?」


 ここに来て、瑠衣姉は一転して弱々しい子猫みたいな声で俺の名前を呼ぶ。


 それがまた可愛くて、ズグッ、と胸が跳ねた。


 無意識だ。


 恥ずかしいし、蒸発しそうなくらい顔は赤い。


 けれど、本能みたいに、俺は瑠衣姉の顔へ自分の顔を近付けた。


 そして――


「……っ……」


 彼女の唇に、自分の唇をくっつける。


 ちゃんと確認はできなかったけど、肩の震え具合でわかった。


 瑠衣姉は俺の唇が触れた瞬間、体を強くビクつかせる。


 舌なんて入れられるわけがない。そもそも入れ方だって知らないんだから。


 でも、物事を知らないのは瑠衣姉もだ。


 初めてのことに戸惑う幼子のように、ただジッとして、俺の動きを待ってる。


 もちろん、待ってるだけじゃ事は進んで行かない。


 俺もわからないから、俺たちは至近距離にいながら、ただもじもじして沈黙に苦しんでいた。


 ――ここから先、どうすればいいんだ!?


 その文字列だけが頭の中を支配する。


 本当に何もわからなかった。


 事前知識は備えていたはずなのに。


「……瑠衣姉……俺……」


「……りん君……?」


「……?」


 何だろう。


 瑠衣姉が一点を見つめて固まったまま、俺の名前を呼んだ。


「私……やっぱりダメダメだった……」


「え……?」


「どうしたらいいか……わからなかった」


「……何のこと?」


「…………初めて…………」


 初めて……?


「私……初めてだから……どうしていいのかわからなかった。りん君のこと……押し倒したのに……」


「っ……!」


「教えて……? りん君……。私……君を押し倒した後……どうすればよかったのかな?」


「……そ、そんなの……!」


「ふ……服は……脱いだ……。りん君にも……覆い被さった……。キスも……君がしてくれた……」


「…………っ」


「その後は……?」


「る、瑠衣姉……俺……」


「その後は……どうしたらりん君と初めてをシたことになるの……? も、もう……下の方を触ればいいのかな……?」


 顔を真っ赤にし、涙目で問うてくる瑠衣姉。呼吸も荒い。


 俺はそんな彼女を見て、激しくバクついてる自分の心臓を必死に押さえつけながら、カッコつけてため息。


「瑠衣姉……聞いて……?」


「う……うん……」


「そんなの、俺にもわからない」


「ふぇ……?」


「だって、瑠衣姉と同じで初めてなんだから」


 力強く言うと、彼女は目を見開き、やがて納得したかのように顔をうつむかせた。


「そ……そっか。りん君……本当に初めてだったんだ……」


 ようやく信じてくれた。


 ここまでしなきゃいけないなんて、瑠衣姉は本当に瑠衣姉だ。


「そうやってさっきから言ってるよ。まったく。瑠衣姉にそんな嘘つくわけないじゃん」


「りん君……」


「仮恋人として、俺は瑠衣姉のこと好きなんだから。好きな人が悲しむようなこと、言うわけない」


「っ……!」


「これから、一つ一つ知っていこう? 初めて同士、一緒に」


 だって、俺たちは仮恋人同士なんだから。


「……うん。わかった。不束者ですが、よろしくお願いしましゅ」


「はは。何でそこで噛むの?」


「……うぅ……だって……なんか嬉しくて……」


「嬉しいって」


 だからって噛むか?


 思わず苦笑してしまう。


「りん君がさっそくどこかへ行っちゃうかと思ったから……。私……不安で……」


「大丈夫。そんなこと絶対ないよ」


 あなたが、俺に同い年の好きな子が見つかるまで、と、そう言ったとしても。


「俺には…………その……瑠衣姉しかいないから」


 瑠衣姉の顔を見ることができず、目線を逸らしながら言う俺。


 けれど、そんな俺が彼女からすればたまらなかったのか、あふれた想いを掬い取るかのようにハグしてきた。


 仮恋人の俺たちは始まったばかり。


 恥ずかしいことも、嬉しいことも、悲しいことや辛いことだって、全部知り尽くしたい。


 だからね、瑠衣姉?


「あのクローゼットの中身、後で見せてね?」


 言うと、ハグしている瑠衣姉の体が跳ねた。


 これは、どう見ても後ろめたさからくるものだ。


 俺は呆れ、そしてまた笑うのだった。






●〇●〇●〇●






「でも、りん君?」


「ん? 何?」


「私、早いうちに『初めて』はしたい。すぐに調べるから。やり方とか」


「………………まあ、そうだね」


「何、その間? だって、私二十八歳だもん。ゆっくりしてられないよ。赤ちゃん作るリミットだってもう少しだし」


「ブホッ!(飲んでたお茶を吹き出す図)」


「りん君も、ちょっとくらい乱暴でもいいよ? 私への指導」


「ゴホッゴホッ! し、指導って……」


「情けない先生に、りん君のことたくさん教えてください。どんなことでも、りん君なら私、受け入れるから」


「はい、アウト」


「へ……?」


「アウトです(瑠衣姉へおもちゃの手錠ガチャリ)」


「あ、あれ……!? こ、これ、おもちゃとはいえ、手錠じゃ……!? じ、自由に手動かせないんだけど……!?」


「ちょっと反省して。俺たちは仮恋人であって、夫婦でも何でもないんだから」


「え、えぇぇ! りん君! 外して! これ外してよ!」


「ダメ」


「いやぁ! これじゃトイレも何もいけないよ! お風呂だって、着替えるのだって何もできないじゃん!」


「我慢するしかないね(にっこり)」


「ひゃぅっ……! そ、そんなっ……!」


「なんてね。いいよ。トイレに行きたくなったら手錠は外してあげる。その代わり、ちゃんと反省すること。俺たちはあくまでも仮恋人なんだから」


「……」


「付き合えるんなら、もうとっくの昔に正式に付き合ってるんだけどさ……」


「………………」


「……? 瑠衣姉……?」


「わかりました……」


「……え……?」


「りん君の言いつけ、ちゃんと守ります。我慢しろって言われたら、トイレもお風呂も、何もかも我慢します」


「んあ……!?」


「だから……お姉ちゃんにもっと命令して……? さっきみたいに、意地悪な笑顔でお姉ちゃんに言いながら……!」


 色々な意味でこの人はどうにかしないと。


 まずはどうするのが先決か。


 俺は真剣に頭を悩ませるのだった。

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