第3話 行き遅れの独身はヤなの

「聞いてくれる……? お姉ちゃんの話……」


 頷く。


 頷くけれど、俺は信じられない気持ちに頭の中を支配され、この状況が夢か現実か、ハッキリと区別できていなかった。


 だってそうだ。


 キスされたから。


 あの瑠衣姉から。


 いつも優しくて、笑顔でいてくれて、余裕のある、絶対に手が届かない存在から。


 唇に、そっと。


「ありがとう、りん君。大好き。やっぱり私にはりん君しかいないよ」


「っ~……!」


 なんという罪作りな発言。


 こっちは必死に瑠衣姉のことを諦めようとしてたのに、そんなことを言われたら感情がぐちゃぐちゃになってしまう。主に嬉しすぎる方向で。


「……い、いいよ、別に。話……聞く。聞くけど……」


「うん」


「瑠衣姉……やっぱり変わった。大人になった。昔はこんな簡単にキスとかしなかったし……もちろん、変わったのは見た目もだけど」


「み、見た目!? それっておばさんになったってこと!?」


 涙目のまま、瑠衣姉は俺に顔を近寄せて問い詰めてくる。


 非常に良くなかった。


 慌てて俺は顔を別の方へ逸らし、


「ち、違うよ! そういうことじゃなくて、その――」


「あへへ……知ってる。知ってるもん……私……おばさんだから……数字が証明しちゃってるから……二十八って……二十八って……」


「だ、だから違うんだってば!」


 否定しても、瑠衣姉は目から光を消失させた状態で力なく笑うだけ。


 そこだけは否定しておかないと。


 俺は、勇気を出して瑠衣姉の手を握り締める。そして――


「瑠衣姉はおばさんなんかじゃない! すっごく綺麗だし、二十八歳は全然若いよ! 俺からすれば、憧れでしかないし!」


「……りん君……」


「そ、そ、そ、それに! それに! お、おお、俺は!」


 ヤバい。


 もう言ってしまいそうだ。


 言ってしまいそうだったけど、浮かんでくるのは、さっきの松崎先生たちの言葉。


 犯罪。


 教師が生徒に手を出すのは犯罪。


 これだった。


 一気に想いが声として出て行かなくなる。


 瑠衣姉に迷惑をかけるのだけは絶対にダメ。


 苦し紛れに、俺はとっさに思い付いた言葉でセリフを繋いだ。


「……瑠衣姉が……女の人の中で……い、一番綺麗だと思ってるから……」


「ふぇ……!?」


 言いながらも、瑠衣姉の顔なんて絶対に見ることができない。


 心臓が爆発しそうだ。


 好きだという言葉に代わるセリフとして選んだけど、これもこれでほとんど告白みたいなものだった。


 穴があるなら入りたい。


 絶対にドン引きされた。カッコつけすぎだ。何を言ってるんだよ、俺は……。


「……そっか。私のこと……そういう風に思ってくれてたんだね」


「っ……。そ、その……」


「でも、一つ間違い」


「……?」


 間違い……?


「私ね、りん君が考えてるほど大人じゃない。全然、大人じゃないの」


「え……?」


「実は私……今まで恋人ができたことがないんだ」


「――!?」


 え……!? う、嘘……!?


 思わず顔を上げ、瑠衣姉の方を見やる。


 瑠衣姉は、ほんのり赤くなった顔でこちらを見つめ返してくれていた。


「もう二十八歳で、来年二十九歳になるのに笑えちゃうよね? 周りの友達はSNSで結婚報告とか出産報告まで次々してる。だけど、私は未だに恋人ができたことがなくて、キスだってさっきりん君としたのが初めてだもん。遅れ過ぎだよ」


「そ、それは何で!? る、瑠衣姉は俺からしたらすごい美人で、きっと他の男の人も同じ風に思ってるはずだよ!? 魅力がないとか……絶対にあり得ないし……」


「告白は何度かされたことあるの。高校生の時と、大学生の時」


「あ、あんまりタイプじゃなかった、とか……? 告白してきた人全員……」


「ううん。タイプじゃないってより、苦手なんだと思う。自然体で男の人と接して、恋するの」


「苦手……」


「仕事とか、先生でいる時は、頑張って男の人とコミュニケーションを取るんだけど、プライベートになると一気に緊張してダメで……。自分で何言っちゃってるのかわからなくなるし、すっごくキョドっちゃうしで、告白してくれた男の人たちも、『好きです』の次に『やっぱりなかったことにしてください』の連続なんだ……」


「そういう……。あ、だからか。告白はされるけど、『好きです』の瑠衣姉の対応が挙動不審過ぎて、男の人たちも次々に逃げ去って行く、と」


「そういうことです……」


 ガクッと肩を落とし、泣きそうな顔で頷く瑠衣姉。


 しかし、そんな一瞬で募っていた想いを霧散させるなんて、瑠衣姉に告白した男の人たちも大したことないなぁ。


 もっと俺を見習うべきだ。叶わない恋だってのに、ずっとそれへ蓋をするだけで、未だに想い続けてるんだぞ。


「でも、瑠衣姉。俺は大丈夫なの? 一応、男なんだけど」


 自分で言ってハッとする。


 その答えは聞くよりも早く察せた。


 そうか。


 俺はそもそも、恋愛対象となりうる男になれていない。


 悲しすぎる現実。


 目の前に瑠衣姉がいなかったら、次の瞬間に自害してたかも。それくらい切ない。泣ける。


「うん。りん君は大丈夫。りん君以外の男の人には、どうしたってキョドっちゃうんだけど」


「……そ、そっか……」


 声を捻り出しはするが、明らかに震えていた。涙は……出てないよね?(泣)


「でね、私気付いたの。最初からこうしておけばよかったんだって」


「……へ……?」


 言って、瑠衣姉は何やら書類のようなものを胸ポケットから出す。


 それを広げ、俺に見せつけながら続けた。


「りん君を恋人にすればよかったんだって」


「……………………え?」


 目を疑った。


 その書類には、なんと【婚姻届】と書いてある。


 状況の整理が追い付かない。


 追い付かないところで、瑠衣姉は有無を言わせずに顔を近寄せてきた。


 相変わらず綺麗な顔だったが、瞳には妖しい光が浮かび上がっており、呼吸も何だかさっきより荒い。


 そして力も強く、俺は成す術なく壁に追いやられ、壁ドン状態。


 何が何なのか、考えれば考えるほど混乱してしまう。


「あ、あの……瑠衣姉……!? 今、なんとおっしゃいました……!? それに……その書類は……!?」


「婚姻届。りん君以外の男の人が無理なら、りん君を恋人にしちゃえばいいんだよ。うふふふっ。こんな簡単なことにどうして気付けなかったんだろうね、私」


「ふぁっ!?」


 ビッグバン級の衝撃。


 欲しかったものが突然過剰な量で天から降って来る感覚。


 ちょっと待て、この人突然何言ってるの!? 本当にさっきからこれは現実か!?


「ちょっ、る、瑠衣姉!? 目! 目が怖い! 怖いよ!? どうしたの、本当に!?」


「ごめんねぇ、りん君……! 私ね、もう二十八歳で後がないの……! このまま他の男の人と普通に会話できる気がしないし、そしたら三十……三十五……四十って悲しく独り身で歳を重ねていくだけだから……!」


「う、うえぇぇぇ!?」


「そもそもりん君、小さい頃いつも私に言ってくれてたよね……!? 『お姉ちゃん、ぼくと結婚して』って……! あれ、覚えてるんだから……! 嘘とか、そういうのは無しだよ……!? 私にはもうりん君しかいない……! お願い……! 受け入れてくれる……!? りんきゅん……!!!」


 ハァハァと息を荒らげる瑠衣姉。


 目は完全に飢えた獣そのもので、絶対にこの獲物だけは逃さないという執念をひしひしと感じさせてくれる。


 俺の告白を覚えていてくれたのは嬉しい。


 だけど……だけど……! 


 俺はそんな獣から逃れるために体をよじり、


「だ、ダメだよ、瑠衣姉! そ、そんな、俺たち教師と生徒って関係なのに! 本気で付き合うとか、それだけは絶対無理!」


「ふぇぇぇぇ!? ちょ、直球拒否!? 何でぇ!?」


 幼子みたいに涙目になる瑠衣お姉さん(28)。


 その姿が痛ましくて仕方ない。


 足かせも歳の差も、身分の違いだって何も無ければ、俺だってすぐにお付き合いしたい。


 でも、血の涙を拭いてそれを拒否するのは、やっぱり瑠衣姉の立場を考えてのことだ。


 今はダメ。


 絶対に、今付き合うのだけはダメなんだ。


「何でって言われても……む、無理なものは無理なの! 冷静になって考えてみてよ!」


「あぁぁぁ! 待っでぇ! 待っでよぉ、りんぎゅぅん! お姉ちゃんのごど独りにじないでぇぇぇ! 独身の行き遅れはもうやぁぁぁぁ!」


 瑠衣姉の手を振り払い、逃げようとしたのだが、なりふり構わず泣き叫び、俺の後を追いかけて来る彼女の姿は、もう本当に本当に惨めで仕方なかった。


 幸い廊下には誰もいなかったからよかったけど、これ誰かに見つかってたらどうなってたんだろう……。


 考え出すと頭痛がし始めたので、俺はもう何も考えないことにした。


 ちなみに、瑠衣姉から逃げた俺だけど、その後は何だかんだ涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔の彼女の元へ戻り、手を繋いで職員室近くまで連れて行ってあげました。


 怒涛と波乱と衝撃的な一日でした、と。









【作者コメ】会社の研修がある故、明日と明後日の小説更新ができそうにありません。申し訳ありませぬ……。終わったらすぐにまた再開させます!

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