第2話 瑠衣お姉ちゃんの悩み事
「りん君……?」
名前を呼ばれ、振り返った先には、瑠衣姉が立っていた。
俺も一人だったけど、瑠衣姉も一人。
放課後。窓の外、グラウンドの方からは運動部の掛け声が小さく聴こえてくる。
夕陽に照らされている彼女は、今日一日の中で最も綺麗に見えた。
いや、夕陽のせいだけじゃないかもしれない。
こうして一対一で視線を合わせながら、存在を認識し合って名前を呼ぶ。
その嬉しい事実が、より一層瑠衣姉の美しさを引き立ててる気がする。
これは……ヤバい。
俺は……せっかく自分の想いへ蓋をしてたっていうのに……。
「……りん君……」
また名前を呼ばれた。
気恥ずかしくて、視線を瑠衣姉から逸らしてしまう。
けど、彼女は俺の方へ歩み寄って来た。
その足取りは徐々に早いものとなり……、
「りん君……! りん君りん君りん君……!」
「……へ?」
「りん君っ!」
気付けば、俺は瑠衣姉にハグされていた。
脳にバチバチと電流が走る。
一瞬、自分が何をされているのかわからなかった。
感じられるのは、十年ぶりくらいの瑠衣姉の体温と息遣いと、いい香り。
完全に体は硬直し、俺は情けなく顔を熱くさせ、困惑の声を漏らす。
それくらいしかできない。
まともな応答なんて不可能だ。
「うぅぅ~っ……! りん君、久しぶり! 大きくなったねぇ! お姉ちゃんだよ、覚えてる? 瑠衣お姉ちゃん!」
「あ……お……え……は……はひ……」
「昼間はごめんね! 気付いてないふりしてて! この学校に赴任するってなって、担当クラスの生徒名簿見た時からりん君がいるのは知ってたんだけど、皆の前だし、個人的に声なんて掛けられなくて……」
そりゃそうだ。
新しく赴任してきた美人教師が一人の男子生徒に対して親し気に声掛けするなんて、周りは絶対何かあると疑う。
俺たちの関係を周囲に語るのもどう考えたって違った。というか、知られたくないし。俺も。
「は……話……」
「ん? 何々? どうかした?」
「あ、い、いや、その、話……。この学校に赴任してくるってこと……おばさんとかには言ってるのか……気になって」
「おばさん? うちのお母さんのこと?」
「う……うん……」
あり得ないくらい心臓をバクバクさせながら、俺は瑠衣姉の方を一切見ずに頷く。
ここまでの至近距離だ。目を合わせられる方がおかしい。絶対無理。
「お母さんには言ってあるよ。お父さんにも」
「そ……そうなんだ……。う、うちの母さんは……瑠衣姉が先生としてこの学校に来ること……一切言ってなかったから……まだおばさんやおじさんも知らないのかな……と」
「知ってる知ってる。あ、でも、言ったのつい昨日とかのことだからね。ほんと直前だった」
「あ……へ……へぇ……」
「色々赴任業務とかに追われてて、忙しかったから。悪いなぁ、とは思ってたんだけど」
口元に手をやって苦笑する瑠衣姉。
彼女はそのまま続けた。
「一応、実家に戻って来るのか、とかも聞かれたよ? だけど、それは断ったんだ。別のところでお部屋借りて、そこから出勤するつもり。ちょくちょく顔出しはしようと思ってるんだけどね、実家の方」
「な……なるほど……」
「そのうち、りん君のお父さんとお母さんのとこにも挨拶しに行くね。久しぶりにまたこの街で腰据えて暮らすことになりましたって」
「う……うん……」
「年齢も二十八になったし、昔と見た目はちょっと変わってるかもしれないけど」
二十八。
俺と比べると、その差は十一。
身分は教師と生徒。
たとえそこに想いがあったとしても、やっぱり――
「そう……私……二十八になったんだよね……」
「……え?」
……?
なんか……抱き締めてくれる力が強くなった……?
会話していたがために少しだけ離れていた顔と顔も、またさらに近くなる。
俺たちは、教師と生徒の身分でありながら、廊下で二人抱き合っていた。
その事実がようやく俺を冷静な考えへ至らせてくれる。
――もしかしてこの状況、誰かに見られたらヤバい……?
「……っ!」
男子生徒に手を出した女教師として、瑠衣姉は赴任早々学校を辞めさせられるかもしれないし、最悪教職資格を失ったりとか……!?
だったらそれは……マズい!
「る、瑠衣ね、お、俺――」
言いかけたところだ。
背後。
廊下の向こうから女の人の会話する声が聞こえてきた。
一瞬にして額に汗が浮かぶ。
それは瑠衣姉も同じだったようで、すぐさまハグを解き、俺の手を引いてそこにあった空き教室へ入り込んだ。
そして、さっきとは違う抱き寄せ方で、俺の身を包んでくれた。
隠しているんだと思う。俺のこと。
身長はほとんど同じだから、俺は若干かがむような姿勢になったし、そのせいで彼女の胸に顔を埋めることになったけれど。
「る……瑠衣姉……」
「しー。少しだけ静かにね。りん君」
懐かしい思いがよみがえってくる。
そういえば昔、こんな感じで瑠衣姉と一緒にクローゼットの中に隠れたことがあったっけ。
あの時、俺はまだかなり小さくて、瑠衣姉のお腹に顔をくっつけていた。
身長は高くなったのかな。
瑠衣姉が抱き寄せてくれるこの力加減も何もかも、他は何も変わってないけれど。
「~ですよね。……がこうで……はい!」
「そうそう! あれがねぇ……うん! そうなのよぉ!」
そうして二人で身を隠し、ジッとしていると、女の人二人の声が先ほどよりも大きく聞こえ始めた。
どうも、すぐ傍を通ってるらしい。
声の主は、恐らく保健医の松崎先生と、俺たち二年生の日本史を教えてくれてる空井先生だ。
二人が仲良しなのは知ってる。廊下を歩いてると、よく会話してるのを目にするから。
「でも、やっぱりあのドラマは私的に現実感ないなーって思うんですよ。だって、教師と生徒ですよ? それが恋愛関係に発展するとかあり得ない!」
「その非現実感がいいんじゃなーい。男の人も若い女がいいって言うけど、私たち女だって若い男がいいわよ」
「だけど、自分の生徒ですよ? しかも、高校生の! あり得なくないですか? 考え方とか幼いし、そもそも犯罪だし!」
「まあねー。犯罪は犯罪だ。けど、妄想しちゃうよ私。イケメンの男子生徒に保健室で押し倒されたり、とか」
「何言ってるんですか松崎先生! 私は絶対あり得ないです! 現実的じゃないですから、そんなの!」
「それはね。さすがに私も妄想だって。現実でそんなことあり得ない。若いって言っても、高校生はさすがにだわ。せめて大学生くらいじゃないと」
「私は大学生でも渋りますけど。やっぱりハンサムなおじさまが一番ですよ。時代はイケオジです」
「結局それ、あんたが歳上好きなだけじゃない……」
「いいじゃないですか、別に!」
誰も聞いていないというのを前提に、二人はわちゃわちゃと会話しながら廊下を歩き去って行く。
好き勝手な話をしていた。
していたが……やっぱり……。
「……マズいんだろうな……そういう関係って……」
ボソッと呟いてしまう。
瑠衣姉にも聞こえてたかも。
でも、何のことかまではわからないはず。
曇ったままの表情ではあったものの、俺は顔を上げ、かがんでいた体勢も元に戻した。
その刹那だった。
「……瑠衣姉、もう――」
「っ……!」
唇。
俺の唇に柔らかい感触。
それから、ゼロ距離になった瑠衣姉の綺麗な顔。
これは……。
「え…………ふぇ…………???」
「っ~……!」
キス。
キスだ。
キスされていた。
唇と唇。
瑠衣姉から。
「る……い……ね……???」
短くも、永遠に感じられた、唇と唇が当たるだけの、舌を入れていないキス。
それが終わり、わずかに離れた瑠衣姉の顔は真っ赤になってる。
何かを訴えるような、切実な思いに満ちた表情だった。その瞳は潤み、端には若干涙が浮かんでる。
俺は……。
俺は……!
「――っっっ……!?!? る、瑠衣姉!? えっ、あっ、ちょっ、な、なな、何が……!? kq03dぱlw-!?!?」
訳のわからない声が口から洩れ、頭の中はオーバーヒート。
過去最高に顔は赤くなってるはずだ。頭上からは湯気が出てるかも。
でも、そんな俺の顔を見つめ、瑠衣姉は切なそうな表情のまま、こちらの手を握ってくる。
「り、りん君……私……私ね……その……ちょっと悩みごとがあって……!」
「な……なやっ……悩み……ごと……?」
「……うん。聞いてくれる……? お姉ちゃんの話……」
上目遣いで言われ、俺は頭を縦に振るしかなかった。
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