鶴に会えなかった恩返し

月這山中

 

 ある貧しい老夫婦の家に、若い娘が宿を借りたいと言ってきた。

 娘は宿の礼にと見事な反物を織り上げて、老夫婦の暮らしは豊かになった。


「私が機織りをしている間、けして中を覗いてはなりませんよ」


 若い娘はそう言うと、障子を閉じた。


 老人は思った。


(鶴……助けてないんだけどな……)


 鶴に会えなかった老人は、恩返されるいわれがない。

 だったら今、この障子の向こうにいる娘はなんなのか。

 宿を借りた恩義で高い反物を織り上げてくるこれはなんなのか。


 老人は不安になってきた。


 とりあえず、少しばかり覗いてもいいだろうか。鳥だけに。

 いや、鳥ではないかもしれない。

 妖怪の類であるのは確かだが、害意がないのもわかっているが、異様な力を持ったなにかが家にいるのはそら恐ろしい。

 しかし、そんな理由で追い出すのもかわいそうだ。妖怪変化だろうがこの雪の中は冷たいだろう。老人は人情深かった。そして迷いに迷った。


 老人は囲炉裏の前で、腕を組んで考え込む。


「おじいさん、お茶が冷めますよ」

「なあ、助けてないんだが」

「なにをですか?」


 妻に聴いても埒が明かない。そもそも助けてないのだから。


 このまま見ないでおいたほうが安全だろうか。いやしかし、いつ本性を現すともわからない。

 そもそも絶対覗くなというのはフリではないのか。老人は笑いに少々うるさかった。

 フリだろ。フリに違いない。フリだということにしてしまおう。

 ついに決心した。


 老人は障子をすこし開けて中を覗いた。

 そこに居たのは大きなねずみだった。


 ねずみはこちらに気が付くと、機織りをやめてお辞儀をした。


「あの時助けていただいたヌートリアです」

「助けてませんが」


 老人には初耳の名前だ。


「見てしまわれたのなら、私はここにはいられません、さようなら」


 そう言うとヌートリアは土壁を掘って出て行った。


「助けてないんだけどな……」


 土壁に開いた穴から冷気が流れ込む。

 老人はくしゃみをひとつした。

 雪の降りしきる夜であった。

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