第5話 記憶

部屋に白衣を着た眼鏡をかけた男性が現れた。

「初めまして。」

と俺が言うと

「実は君とは何度も会っているんだよ。」

と言われた。


「君は混乱してるよね。家族からお話聞いたよ。」

家族?

「君、自分の名前言える?」

坂田翔さかたかけるです。」

「そう。君は最初の診察でもそう言っていたね。」

診察?そんなのした覚えない。

「君の名前は坂田翔さかたしょう君。かけるじゃなくてしょうなんだよ。」

「いや、かけるです。それに家族って何ですか。俺には家族なんていません。」

「君は記憶に混乱があるようだね。ご家族から話を聞いて、君がとても辛い体験をしたことがわかったよ。強いストレスが君の精神に異常を来したんだね。幻覚とか幻聴が聞こえるのもそのせいだよ。」

「幻覚と幻聴って死神のことですか?」

「君に何が見えたのかわからないけれどその死神とやらは君のストレスが生んだ存在だね。」

「少し前に死神が現れたんです。一ヶ月後に死ぬって。えっと、今日って何日ですか。」

「どうか落ち着いて。その死神の言っていたことは幻聴だから大丈夫だよ。安心して。」

「わかりました。でも今日が何月何日なのか知りたいです。時間の感覚がよくわからなくて。」

「今日は3月18日だよ。」

「そうですか…もうそんなに…。」

死神に余命宣告されてから三週間は経ったと思う。

しょう君の記憶は辛いから記憶から消えた。辛い記憶は無理に思い出す必要はないと僕は思うけれど、君のことを大切に思う家族のことを思い出してもいいと思えたら君のお母さんと妹と会うことは出来るかな?無理にとは言わないよ。」


俺はーーー。


「俺は、かけるは、辛い記憶はなくなったけど、だからといって幸福だったわけではありません。何のためにがむしゃらに働いていたのかわからなくて生きる意味もよくわからなかったんです。だから死神に余命宣告されても別にいいやって思ったんです。でも大切な人がいるなら、俺は、生きたいです。俺のことを、帰りを待っている人がいるなら俺は生きなくちゃいけない。だから俺は家族に会いたいです。辛いことを思い出しても。」

先生は優しく微笑んだ。

「君は強くて優しい子だね。君が仕事を頑張っていたのは妹さんのためだったんだよ。だからかける君は生きる意味がなかったんじゃなくて、忘れていただけなんだ。だからかける君の人生も否定しないであげてね。」

かけるの人生は無意味で無価値なものではなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る