第8話 転入生の六君子さん

すっかり静かになったその場所には、辛夷とあと一人だけが取り残された。


「君、大丈夫か?」


辛夷は声をかける。


「ええ、大丈夫です。助けてくださって、ありがとうございます」


「いや、構わないよ……」


その人物は辛夷に丁寧なお辞儀をした。


黒色の髪に黒色の目。どこの制服かはわからないが、きっちりと着こなされた制服。


おそらく、いや確実にこの人物こそが例の転入生だ。


丸眼鏡をかけ、全体的に清楚な感じがする見た目をしている。大人しそうで、真面目そうだ。


転入生は辛夷を、黒くてつぶらな瞳でじっと見つめている。


「なんでそんなに見つめるのかな?」


「?」


転入生はよくわかっていないような、ぽかんとした顔をした。辛夷は少し照れたように顔をそむける。


その間もその人物は上目遣いで辛夷の顔を見つめたままだ。


そこで辛夷はふと思い出した。そういえばソウジュツが転入生を案内すると言っていなかっただろうか。


それならばなぜこの転入生は、こんなところにいるのだろう。


「君は、もしかしなくても転入生だよね?」


もしかしなくてもそうなのだろうが万が一違っていた時のために、確認しておく。


「ええ。そうです。転入生の六君子と申します」


「六君子くん、ね。そうか。わかった」


「ところでこちらもお尋ねしますが、もしかしてあなたが案内をしてくださる方ですか?」


案内をしてくださる方、というのはおそらくソウジュツのことだろう。けれどソウジュツはどうやら近くにはいないようだ。


もしかして、違う場所を探しているのだろうか。


「待ち合わせ場所は、この近くのはずなのですが……」


「この近く?」


「この近くの門のはずです。そこで待っていたら、ここに連れてこられたのです」


六君子が言う、近くの門というのはおそらく西門のことだ。


けれどわからない。西門は人気が少なく、危険な魔獣の住む森に面している。


手練れの上級生が待ち合わせに使うならいざ知らず、転入生と待ち合わせするにはあまりにも不向きではないだろうか。


どうしてこの場所が選ばれたのだろう。


「待ち合わせは、本当にここで合っているのか?」


「ええ、確か東門で合っているはずです」


「東門だって?!」


東門といえば、言うまでもないが西門の逆側にある門だ。


「この近くにあるのは西側の門だ。東側はこの対角にある」


「でもあそこに東門と書いてありますよ」


六君子が指さす先には、看板がある。そこには確かに東門と書いてはいた。


「あれは案内標識だ。隣に矢印が書いてあるだろう、その方向に向かえば東門があるという意味だ」


「ええっ……?!」


西門の近くに東門と書かれた標識があるのは確かに紛らわしくはあるが、その下に正門と北門の表示があることから察してほしいものでもある。


辛夷はうろたえる六君子を見た。


もしかしたら六君子は少しうっかりしたところがあるのかもしれない。


辛夷はこれからどうしようか考えはじめた。


今までの話から、ソウジュツいまもきっと向かいの門の前で待っているのだろうことがわかる。


この学園は広い。歩けば一時間はかかるうえ、今から向かいの門に歩いたとて出会えるかもわからない。


「待ち合わせの時間は過ぎているのか?」


「すみません。もう二時間は押してます」


空を見上げるとほんのわずかに夕焼けの空に変わっている気がする。


「二時には校長室に到着するように言われていたのですけど……」


「なんだって?!」


当たり前だが二時なんて、時計を見ずとも過ぎていることは明らかだ。こうなったら、ソウジュツと合流している暇もない。


「俺は案内担当じゃないけど、連れて行くよ」


こうなったら他にどうしようもないだろう。


ソウジュツに連絡しようとしたが、電話を本部会議室に忘れてきたことに辛夷は気が付いた。


買い物に出かけただけなのに、こんなことになるなんて思ってもいなかったからだ。


このままではソウジュツと連絡を取ることができない。


向こうは今どこで何をしているかはわからないが、転入生がここにいることを知らないソウジュツはおそらく今もどこかを探しているのだろう。


「すまない、一度電話を取りに帰らないといけない。付いてきてくれるか?」


辛夷たちは、一度本部会議室に戻ることにした。


「……。ちょっと、何してたんですか、……全然出ないし、こっちが何回電話したと思ってるんですか」


電話の向こうからソウジュツの声が聞こえる。


「そんなに電話してたのか」


「そうですよ。もう数えきれないほどかけてます」


辛夷は本部会議室に六君子と戻ってきたところだが、カイカは相変わらずぐっすり眠ったまま。


これでは誰にも電話が繋がるはずもないだろう。


「すまないな、今本部会議室に戻ったところだ」


「……?」


しばらく何も聞こえない時間が続く。


今辛夷が使っている電話は、本部会議室の本物の壁掛け電話とは違って電話を模して作られた電話のような魔法道具だ。


使い方がほとんど同じなため一般的には電話も、魔法道具の電話も一括して電話と呼ばれることが多い。


なのでまぎらわしいことだが、その本質は大きく違うものだ。


魔法道具の電話は本物の電話が電気信号を使うのに対し、その分を小さな妖精たちの伝言ゲームでまかなっている。


もちろん魔法電話には魔法電話にしか得られないメリットというのもたくさんあるが、その代わりにこのようにして突然音声が途切れたりするのは珍しいことではない。


酷いときは声が変わったり、会話の内容が改ざんされていたりすることもあるくらいだ。


「……えっと、すみません。どこか行ってたんですか?」


「ああ、ちょっと買い物に出かけてて。それで西門の近くで転入生と会ったんだけど」


「ええ、転入生?」


どことなく戸惑うような声。それもそうだろう。


東門での約束のはずなのに、なぜ正反対の西門にいるのか。そんなもの想像がつくはずもない。


「あとの案内は俺がするから、ゆっくり帰ってきていいぞ」


辛夷がそう言うと、少しの間の後ソウジュツの声。


「……そうですか。わかりました」


それきり電話は切れた。


隣からすぅすぅとカイカの寝息が聞こえる。


この男はあれからずっと寝ているのだろうか。


しばらく寝顔を見て、そういえば六君子を廊下に持たせていることを思い出す。


(そうだ、六君子を案内するのだった)


辛夷は廊下で待たせている六君子のもとへ、急いで戻ることにする。

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