第5話 見張りが目印になる珍しい事例

本部会議室は静けさに満ちている。


窓の外の雨はいつの間にかやみ、雨音さえも静かだ。曇り空には、光が差し込む。ソファーの上でカイカは寝てしまったようだ。


(ソウジュツはまだ帰ってこないのか……)


転入生の案内というものは、そんなに時間がかかるものなのだろうか。辛夷は不思議に思った。


本を閉じて、辛夷は自分の鞄にそれをしまう。羽ペンのインクも残りが少ない。


(どこかに替えのインクはあっただろうか)


辛夷は部屋を見渡すも、どこにもなさそうに思える。


(そういえば茶葉が少ないとか言ってたな)


少し前、ソウジュツは紅茶の茶葉が少なくなっていると言っていた。


(これも、ついでに買っておくことにしよう)


棚の上に置いていた自分の財布と、ソファーの背にかけられたローブを拾い上げ、辛夷は部屋を出る。


ソファーですやすや寝ているカイカはそれに気づかない。


廊下の窓からは、すっかり晴れた空に虹が出ている。


辛夷はその窓から下に見える、中庭を見た。


噴水のそばの椅子に腰かけるもの、花壇のそばの通路をただ通り抜けてゆくもの。


生徒の姿はそれなりに見られるものの、肝心のソウジュツが見つからない。


明るさを検知して点灯する、妖精のガラスランプは既に明かりが消えている。


辛夷は少し薄暗くなっている階段を下った。


そして、昇降口から先ほど窓から見えていた中庭に出る。


向かう先は学園の端にある、主に杖や箒などを売っている雑貨店だ。


「見て、辛夷様だ。珍しいねぇ」


「こんなところでお見かけするなんて、ラッキーかもね」


「ちょっと声かけてみたいな。挨拶くらいなら……」


周囲で噂している生徒たちを横目に、辛夷はただ歩いてゆく。


(俺はそんなにレア生物なのだろうか……)


辛夷は別に生徒たちから隠れているつもりはない。


別に穴倉に隠れて一人でサバイバルをしようってものでもないのだから当然のことだ。


それなのになぜそんなことを言われるのだろう。辛夷は疑問に思っていた。


そしてその原因が自身の歩く速度にあるということは、辛夷は夢にも思っていない。


そうして考えている間にも辛夷は、とんでもない速さで歩いてゆく。


「あれ?辛夷様さっきまでここにいたよね」


先ほど辛夷について噂していた生徒たちも、既に辛夷を見失っている。


あっという間に中庭を過ぎ、校舎を抜け。


人通りの少ない裏通りにまでやってきていた。雑貨店は、もうずぐそこだ。


雑貨店へ行く道への最後の曲がり角へ、辛夷はたどり着く。


(……?)


そこで辛夷は妙な行動をしている生徒を見つけた。ローブのデザインから判断するに、下級生だろう。


その下級生は、何もない場所にただ立ち尽くしてそわそわしている。


「何をしているんだ?」


辛夷はその下級生に声をかける。


「なっ、何ですか急に?!」


話しかけられた下級生は、さらに挙動不審に視線をさまよわせるだけだ。


「迷子にでもなったのか?私が案内しようか?」


辛夷は目を見てゆっくり話しかけてみる。


しかし、下級生はその問いかけにも答えず背中を向けてどこかに電話をかけている。


「すみません……ボス、来ました」


辛夷に聞かれないようにか、その下級生は小声で話す。


その会話内容は背後に立つ辛夷が持ち前の地獄耳で、最初から最後まで完璧に欠かすことなく盗み聞きしていた。


「どこへ行くんだ?」


逃げても逃げても、辛夷は付いてくる。


その下級生はもはや涙目になってしまっていた。


「なんでついてくるんですか」


「なぜだろうな」


息を切らしてしまった下級生に対し、辛夷は未だに余裕そうにしている。


そうして同じところをぐるぐると回ったり、段差を飛び越えたりしながら二人は人気のない場所へ進んでゆく。


そうして最後にたどり着いたのは、少し開けた場所だった。


舗装されていない、水はけの悪い地面にはたくさんの水たまりが残る。


その場所は、道具倉庫の前の空き地だ。


道具倉庫前は風紀委員会が以前から要注意スポットとして目をつけられている箇所でもある。


そこで何かが起こるのは辛夷にとってはある意味予想通りのこと。


なんせ年に一回ほどしか使われないイベント道具が入っている倉庫なのだから人通りがほとんどない。


悪いことをするにはもってこいというわけだ。


「すみません、付いてこられちゃいました」


そこには既に複数の生徒がたむろしていた。


制服のデザインを見る限り、学年は様々。


そこにいるほとんどの生徒は制服を着崩したり、そもそも着ていなかったりする。


いわゆる柄の悪い連中というやつだ。


(直接追わずに風紀委員長に相談するべきだっただろうか……)


こうなってしまった以上、後悔なんてしても意味のないことだが辛夷は少しだけ考えていた。


それでも、できることをやるしかない状況に変わりはない。


冷静に観察しながら、辛夷は辺りの様子を一通りを確認した。


相手の様子を探るように、なおかつそれを気づかれないように慎重に視線を動かす。


じり、と焼けつくような緊張感。


そうしていると、奥の方に一人だけ明らかに様子が違う生徒が紛れているのが確認できた。


明らかにこの場に似つかわしくない。真面目そうな見た目。


制服は遠くから見てもこの学校のデザインでないことが判別できる。


あれはどこの学校の制服だっただろうか。


そうして辛夷が考えていると、その中の一人が辛夷に近づいてきた。


「お坊ちゃんが一人でこんなとこ来ちゃダメなんじゃないの。ねぇ」


辛夷はそれを無視する。


「おい、無視ってのはないんじゃないの?」


それが気に食わなかったのか、その生徒は辛夷の目の前に立って睨みつけてきた。


辛夷はその生徒を睨み返す。


「お前たちは、こんなところで何をしているのか」


「なんだっていいだろう?」


そう言って辛夷の腕を掴んだ。


周りの生徒はその様子を囲んで見守る。そしてその大半が意地の悪い笑みを浮かべている。


「これは何のつもりだ」


圧を込めた声で辛夷は威圧する。それでも一人対多人数の安心感からか相手がひるむことはなかった。


捕まれた腕を辛夷は払いのける。


「たった一人で俺たちに叶うとでも思ってるのか?」


辛夷のそばにはじりじりと生徒たちが集まりつつある。囲まれている。


それは辛夷自身わかっていることだ。


これからどうするのが得策だろう。少し考えてみるも、話だけではどうにもならなそうだ。


この状況は果たして暴力もやむなしの状況なのだろうか。


辛夷は己の立場がもたらす責任と、正当防衛であるという権利。無意識のうちにその二つを天秤にかけている。

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