異世界酒事情――ペールエールとレプライーターの鶏合え酢

枝之トナナ

"とりあえず"、一杯。

どこまでも滑らかでシルキーなのどごし。

常温故に引き立つ香りは実家の庭を思い出させる。

家庭菜園で育てていたキュウリと、いつ植えたかもわからないのに生い茂るレモングラス。

そこだけ切り取れば青臭さと爽やかさが同居する夏の風なのに、見た目は穏やかな秋の夕暮れで、味は土に隠れる春の山菜のよう。

ほろ苦さの奥にほのかな甘みがあり、しかし全体として主張は弱く、決して目立とうとしない。

あくまでも香りを楽しむか、あるいはあくまでも飲み物として料理に対する奥ゆかしさを求めるならば良い酒なのだろう、と思えた。


「どうだい? うちのトリアエズは。そこらの店より数百倍美味いだろ?」

「ええ、とても美味しいです。これは……ドアシーズ産ですかね?」

「惜しいなあ、そこの隣のクルラス産だ。ちょうどそこ出身のレプラビットが馴染みにいるんで、仕入れてもらってるのさ」


なるほど、と頷きながら記憶を手繰る。

レプラビットといえばネズミと兎を掛け合わせたような獣人種族だったはずだ。

ドアシーズのドワーフが酒造りの名手であることは知っていたが、獣人も酒を造るのか。


「酒が美味いレプラビットの国ですか、ちょっと興味ありますねえ。僕みたいな冒険者でも入れてくれますかね?」

「一人じゃ無理だな、獣人らしくあそこも他種族を歓迎しないって話だから。

 あ、でも年の初めになるとレプライーターって鳥の魔物が大発生するから、その時期は討伐やら護衛やらで人間を雇って中に入れるようにするらしい」


年始か……だいぶ先だな。


「ちなみにレプライーターの塩漬け肉を使った料理もあるんだが……

 兄さん、話のタネに食べてみるかい? 一皿300レンでいいよ」


普通の焼き鳥が200レンであることを考えると特別高いわけでもない。

僕が「お願いします」と頭を下げると、店主は上機嫌でキッチンへと向かった。

何やら刻む音や混ぜる音、焼く音が響き――しばらくして出てきたのは、棒棒鶏バンバンジーを思わせる小皿だ。

焼いてほぐした鶏肉とキュウリのような野菜に、とろりとしたタレが合えてある。

間違いのないビジュアルに僕は安心してフォークを伸ばし、まずは一口。


「!」


美味い。

塩漬けになることで旨味が凝縮された肉は、しかし嫌な臭みもなく歯ごたえもプリップリ。

そのうえ一噛みするごとにさらりとした脂がじゅわぁーと広がる。

だがしつこさを感じるより前にタレが仕事をする。

このタレ、棒棒鶏とは全く違って日本の三杯酢と同じ味わいなのだ。

酸味と甘みと角のない塩味。

これが主張の強い肉に合う。そして暫定キュウリにもよく合う。

そもそもキュウリと三杯酢は王道中の王道の組み合わせだ。

こんなものまずいわけがない。

むしろこちらが"トリあえず"鶏合え酢を名乗るべきだとさえ思う。


……だが、それを店主に伝えたら『ビールが不味かった』と勘違いされそうだ。

この世界では――あるいはこの世界においても、酒場で"とりあえず"という言葉は麦酒の注文を指す。

それ自体に文句があるわけではない。

ただ、僕が勝手に納得しきれていないだけなのだ。


僕が欲しい"とりあえず"は、キンキンに冷えた黄金色のラガーだ。

日本の蒸し暑い夏の真っ盛りに飲むアレだ。

常温のペールエールじゃない。乳酸発酵したサワーエールでもない。甘いシロップの入ったフルーツエールでもない。ましてやバーレイワインでもランビックでもない。

冷たくてドライで弾けるような炭酸でどこまでもキリッとしたピルスナーだ。

この"鶏合え酢"トリあえずだって――無論このエールも合ってはいるが――あの"とりあえず"スーパーでドライなアレでキュウっとやりながらつまむ方が絶対に美味しい。


なのにない。

この世界にはピルスナーがない。

冷たいビールがない。

炭酸が強いビールがない。

白い泡の先にある爽やかでさっぱりしたキレのいいのど越しと苦みがウリの、あのビールがない。


ブラック社畜の中年リーマンが異世界転移で冒険者セカンドライフ。

あるある展開であるあるな日々を過ごしているけれど、こうして酒場に来るたびに『日本帰りてえ~~~!!』と叫びたくなる。

"とりあえず"とりあえず生でが通用するのに。

この三杯酢に使われてる、醤油もあるのに。

何なら米も味噌も納豆も刺身もトンカツもオムライスもハヤシライスもエビチリも、日本人が食べたくなるような食品は九割九分存在するのに。

僕の飲みたいビールだけが、ない。


もちろん理由はわかる。

まず、僕みたいな年齢の人間がこの世界に来ることは非常に稀らしい、ということ。

どうやらこの世界に転移させられる人間はほぼほぼ日本人高校生――つまりは未成年者であり、当然酒を嗜む奴も少ない(いないとは言わない。20才まで留年した超高校級生徒がいるかもしれないし)。

次に、ピルスナー造りそのものの難易度。

僕もあまり詳しくはないが、ピルスナーとエールの違いは発酵温度だったはずだ。

エールは少しぐらい温度が高くても常温のまま作れるが、ピルスナーはある程度冷たい状態をキープして発酵させる必要がある。

で、この世界、人間はほぼほぼ暖かい――いい感じに常春とか常夏の地域に住んでいる。

というか追いやられている。

氷竜アイスドラゴンだの雪人イタクァだの、狼人ライカンだの熊人ベアードだの、寒い所が好きな種族が多すぎて今更人間が立ち入れる場所がない(ついでに言えば寒冷地に住んでる連中は度数の高い蒸留酒しか飲みたがらないし作らない)。


それに何より、この世界には既にビールがある。

ペールエールがありサワーエールがありフルーツエールがありバーレイワインがありランビックがある。

納豆だの味噌だの醤油だの、どこにもないがどうしても食べたい食品なら作れないか試す若者もいるだろうが――

どう見たって既にあるものをわざわざ作ろうとするはずがない。

さらに言えば、大人になってから『とりあえずビール』を頼んだとして、出てきたものがピルスナー日本のビールでないと理解したとして……ピルスナー飲んだことないはずの酒じゃないと嫌だ、なんて思わないだろう。


結局、これは僕一人の問題であり感傷でありワガママだ。

瓶でも缶でもジョッキでもグラスでもいい、願わくはもう一度だけあのキレを。

ああ、懐かしきは"とりあえず"スーパーでドライなヤツ。この異世界鶏肉にも絶対合う。

なのに会えない、なんたる無情。

鶏合え酢、酒鶏会えずサケ、トリあえず――致し方なし。

とりあえず、"とりあえず"さっきのペールエールもう一杯頼んでおくとするか。

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異世界酒事情――ペールエールとレプライーターの鶏合え酢 枝之トナナ @tonana1077

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