どうかこのまま

藤泉都理

どうかこのまま




 土砂降りの雨のち、細雨の狐の嫁入り。

 太陽の光を一身に浴びる子どもが水溜りに大きく飛び込んで、雨水が広範囲に飛び散った。


 まるで、地からも雨が生まれたようだった。

 陰鬱にさせるものではなかった。

 晴れやかにさせるものであった。

 祝福を与えるようなものであった。


 子どもは笑った。

 くしゃっとした可愛すぎる笑顔だった。

 子どもは私に傘を貸してくれた。

 今の時代の、ましてや、子どもには似つかわしくない、大きな紅の蛇の目傘だった。


 未だ細雨なれど、雨は降っている。

 子どもが持っているべきだ。

 そう思ったのに、気が付けば受け取っていた。

 ありがとう。

 深々と頭を下げて礼を述べていた。


 よくよく見れば、子どもは雨合羽を身に着けていた。

 よかったあれならば風邪をひく事もないだろう。

 幾度も幾度も振り返っては、大きく手を振る子どもに、私は小さく手を振り返した。


 あれから二十年が経った。

 幾度か会いに来てくれた子どもの前に姿を見せられず、大きな紅の蛇の目傘は返せずじまいだった。

 年を重ねていても、くしゃっとした可愛すぎる笑顔は変わらなかった。

 それとも、心が止まったからだろうか。

 あれからどれだけの月日が過ぎ去ろうが、くしゃっとした可愛すぎる笑顔は変わらずじまいだった。









 違う。

 いや、違わない。

 子どものくしゃっとした笑顔は変わらずじまいだった。

 私が変わりつつあるのだ。

 変わりたくない。

 心が止まった。

 心が自律して止まったのだ。

 それでいい。

 それでよかった。

 そのまま止まっていてくれ。

 変わってしまえば、私は。




 大きな紅の蛇の目傘は返せずじまい。

 子どものくしゃっとした笑顔は変わらずじまい。

 心が止まったまま。

 これでいい。

 これがいい。

 どうか。




「なあ。どうしてずっと、逃げたままでいるわけ?」




 どうかこのまま。

 何も変えないでくれ。


 君を、君の世界から奪わせないでくれ。




「俺は、あんたに。初めて会った時からずっと、」




 私に、くしゃっとした可愛すぎる笑顔を奪わせないでくれ。






 馬鹿野郎逃げるな。

 子どもの悲鳴を背中と翼で受け流す。


 これでいい。

 これで。

 いつか君はきっと後悔するから。

 烏天狗の私なんぞに連れ添った事を後悔するから。

 くしゃっとした可愛すぎる笑顔を消してしまうから。


 だから私は。




「馬鹿野郎逃げるな卑怯者!!!」




 だから私はずっと、











(2024.3.18)



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どうかこのまま 藤泉都理 @fujitori

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ