姫芝アサリは分かっていない

「……自分が何を言ってるのか、本気で分かってるのか?」

 後ろを見ずに言った篤飛露にアサリは頷いて肯定したが、見えていないのに意志が通じているとは思っていない。

 これは自分が覚悟を決めた事を確認するための動きだ。

 自分の行動がどんな意味を持っているのか、それぐらいはアサリにもわかっている。身長は平均よりも多少は大きくないが、ある部分では教師も含めて学校でもトップクラスだと思っている。

 その事を好きだと思った事は一回も無いが、これはきっとこの日の為にこうなったのだ。そう思い、篤飛露を掴んだ両手に力を入れて返事の代わりにした。

 何かを言って返事をすべきなのだろうが、何も言えなくなっている。最初に篤飛露に言った事で勇気は全て使い果たした。もう篤飛露に掴まる事しかできない。

 もし拒絶されて離されてしまったら、きっと倒れてしまい何もできなくなってしまうだろう。

 そう思っているが、篤飛露は何もしない。拒絶はしないが、受け入れる事もしない。

 前を向いたまま、アサリに背中から抱きつかれたまま、一向に何もしようとしない。

 篤飛露が何をするのか、アサリはじっと待つ、待たされる。

 一向に何もしないので篤飛露に対いてアサリはちょっと怒りが湧いてきたが、それは仕方が無いだろう。

 女の子にここまで勇気を出させておいて、篤飛露はなぜ何もしようとしないのか。こっちが勇気を出したんだからそっちも何かする事が有るのではないのだろうか。

 そう言いそうになろうとしたが、まだ勇気がたりず何も言えない。言えないのでせめてもと体をさらに押し付けると、少しだけ勇気がわいた。

「分かっていないなら、こんな事はできません」

 小さい声だが、それだけは何とか言えた。

 まだ中学生かも知れないが、もう中学生でもあるのだ。分からなければこんな事ができるはずがない。

「家に住むだけの為にこんな事する何てな。分かっている奴は普通はしないんだよ、こんな事」

 それは、拒絶なのだろうか。しかし口調から聞こえたのは否定ではなく、アサリを気遣っているような優しい声に聞こえる。

 アサリは今更引くつもりは無かった、もう覚悟を決めた事なのだ。

 一つの会話をしただけで篤飛露に言葉が言えるようになっている。しかし言ってしまったら、その代わり覚悟が揺れそうになるかもしれない。

 だからアサリは、できるだけ誘惑できるように話しかける。

「いいじゃないですか。篤飛露が私を受け入れたら、私も篤飛露の全部を受け入れるんですよ。篤飛露のどんなマニアックな趣味も頑張って受け入れるんですよ。……だから、私を抱きしめてくださいよ……、私をここに住ませて下さいよ……。中学と高校を卒業するまででいいんですから、その間だけでも私を受け入れて下さいよ……」

 言わなくていいような事を言った気もしたが、アサリは気がついていない。すがるような声であったが、だからこそ篤飛露は今は全てを受け入れられなかった。

「全部を受け入れる、ね」

 そう口に出してしまうと、小さくため息をついている音も出してしまった。

 その音が聞こえたアサリは呆れられたのかと思っていると、篤飛露はアサリの腕をほどき、体ごと振り向いた。

 抱きしめられなかった、拒絶された。

 そう思いアサリは篤飛露の顔を見る事は出来ず、抵抗もできなかった。

 今からでも追い出してしまうのか。そんな事を考えていると突然体が持ち上げられた。反射的に両手で体を隠そうとしてしまい、気がついたらアサリはお姫様抱っこで抱えられていた。

 篤飛露の顔を見るとできるだけ前を向いて、アサリを見ないようにしているようだ。

 これは、どうゆう事なのだろうか。

 体を隠そうとしたままにしていると篤飛露は何も言わず移動を始め、ベッドのある部屋へと向かう。

 これは、こうゆう事なのだろうか。何かを言っていた気もしたが、篤飛露はそうゆう気になったのだろうか。

 いざそういう事になるんだと感じると急に不安になって、何をすればいいのか分からなくなり、分からないのでとりあえず目を閉じてしまう。

 何しろアサリは経験は無い、だからすべてを篤飛露に任せてしまおう。そう思ったが次の瞬間には篤飛露には経験はあるのだろうかと考えてしまう。

 そんな事を考えてる間にも篤飛露は当然だが移動しており、このアパートも別に特別広い家でもないため、目を閉じているので確信はないが、ベッドにゆっくりと下ろされた。

「……これは、どうした?」

 篤飛露が少し怒ったような声で、そう言った。

 アサリがベッドに下ろされた所で目をつむったまま待っていたが、篤飛露は一向に何もしない。

 やはり篤飛露も一緒なのだろうか。外見からはそう見えないがアサリと同い年なのだから、アサリと同類だとしても不思議はない。

 そう思っているとそう言われ、目を開くと篤飛露はアサリのお腹を見ていた。

 正確に言うとアサリのお腹の、火傷の跡を。

「……タバコの跡ですよ。あの人と出会ってから母さんもタバコを始めて、二人で私に押し付けたんです。小学校に入った頃に先生から見つかったんですけど、母さんは私の不注意と言ってごまかしました。それ以降はされていませんね」

 あの時の担任があれ以降何も言わなかったのは、下手に口出しすると何をするか分からずアサリが大けがをすると思ったのだろうか。それとも大事になって責任を追及されるのを恐れたのだろうか。

「整形外科とかで消せなかったのか?」

「お母さんはそう言ったんですけど私が断りました、頑張って自分で働いてお金を貯めて消します、って。多分ですけど整形外科って高そうですしね」

 今まで無意識のうちに視界に入らないようにしていた。プールの授業では着替えの時には気を付けているにで誰からも知られていないはずだ。

 へそ出しで街に出すことはできないが、元々アサリにする気はない。つまり、アサリにとってこれはは消さなくても問題はない物なのだ。

 アサリがそう言っている間、篤飛露はじっと見つめたままだった。

 今までも恥ずかしくはあったのだが、お腹だけを見られては別の意味でも恥ずかしくなる。さっきオムレツを食べてしまったが、ひょっとしてお腹がポッコリ膨れてしまっていないだろうか。

 そんな事を一回でも考えてしまうと、アサリは急に自分の体全体が不安になってきた。

 お腹のあたりは普段から気にしているが、アサリは腕も足も頬っぺたもぷにぷになのだ。篤飛露はマニアックな趣味の持ち主だから、どこを気に入られるのか予想がつかない。

 どこから触られるのだろうか。そう思っていると篤飛露は立ち上がり、部屋から出た。

 何をするのだろうか。そう思って待っていると、さっきまで座っていた場所からタオルケットを放り投げられた。

「……え?」

 何をされたのか理解できなかった。何故タオルケットを投げられたのだろうか。

 反応できずにいるとタオルケットがベッドへと落ちる。しかしすぐに今度はバスタオルが投げられ、次いで毛布が、そして布団が、さらに布団が、もう一つ布団が、最後に毛布が放り投げられた。

「まだ夜は何も着なかったら寒いからな、それをかぶって転がってろ。俺はキッチンにいるから、落ち着いたら服を取りに行って準備をしておけ」

 そう言われようやくアサリは理解した。

 自分は拒絶されたのだ、と。

「どう言う事ですか。……どう言う事なんですか!」

 今まで自分は勘違いしていた。アサリはそれをたった今知った。

 アサリはさっきまで自分の事を、拒絶されたら倒れてしまい何もできなくなる、そう思っていた。

 しかし意外な事に今のアサリにあるのは、怒りだけだった。

 覚悟を決めたのに、頑張ったのに、篤飛露がこんな反応をするとは。

 こんな反応をされてしまったからには篤飛露がに対してもそういう反応をしてやるしかなかった。

「どう言う事って、一回落ち着けって言ってるんだけどな」

「何でここで落ち着かなければならないんですか、篤飛露も思春期ですよね。だったらこう落ち着いたりしないで、もっと大事な他にする事があるんじゃないですか!」

 アサリはそんな、思春期の女の子は心では考えても口にはしてはいけない事を言っている。

 呆れてしまい口を開けたままにしてしまったが、篤飛露はすぐに正気を取り戻すと一度上を見上げて、そしてアサリに諭すように言う。

「言っただろ、何を言ってるのか分かっているのか、って。お前は分かっているつもりかもしれないが、全然分かっていないんだよ。だから落ち着けって言ってるんだ」

「分かってますよ、分かってますし覚悟も決めたんです。これから何が起こったとしても篤飛露に文句を言いませんし迷惑はかけません!」

 宣言するようにアサリがそう言ったが言われた篤飛露がそれで納得するはずもなく、それどころか頑なになっているアサリに対して少し怒りがわいてきた。

「じゃあアサリ、俺がアサリとああゆう事をしてその結果こうゆう事になったら、アサリはどうするつもりなんだ」

「それは当然こうゆう事になったからには、これをこうでこうですよ。そして私一人で立派に大きく育てますよ。篤飛露に頼らなくても、親思いの優しい子に育てますよ」

 篤飛露の言いながらのジェスチャーに、アサリも言いながらのジェスチャーで答える。

 ジェスチャーでのやり取りが終わった後、篤飛露はやっぱりなと呟いて大きくため息をついた後に叱るような口調になる。

「そうそう言うほどうまくいくわけないだろ。中学生が一人で子供を産もうとしたら大変な思いをするし、育てるのにしても苦労で済むはずがない。そもそも俺に迷惑をかけないと言ったけどな、俺に知らんふりをしろって言ってるのか!」

「大丈夫なように頑張りますよ、超頑張りますよ。篤飛露はただここに私を置いてくれるだけでいいんですから、早く済ませてくださいよ!」

「そもそも何でここに居座る気なんだ。今日は色々あったから連れてきたけど、明日には家に帰すからな!」

「今日色々あったからですよ、あんな事があって帰れるわけないじゃないですか! 私は所詮もらわれっ子なんですよ。それなのに、あの人たちはあんなに優しくしてくれたのに、私のせいであんな事をされてたんですよ。もう帰れるわけないじゃないですか!」

「いや帰れよ、家族が優しく迎えてくれるよ、そうゆう家族だろ。……と言うかアサリ、家には帰れなくても俺の家ならいいのか?」

「篤飛露はいいんです、私は何をしてもいいんです。私がアサリで篤飛露は篤飛露なんですから、私は篤飛露に何をしてもいいんです、そして篤飛露も私に何してもいいんです!」

 そう断言されてしまい篤飛露は返す言葉を失ってしまう。考える事もできなくなってしまい、もらわれっ子と言う言葉は使わない方がいいよな、と思うだけしかできなかった。

「……本当に、自分が何を言っているのか分かってないだろ。……しょうがないな、アサリは」

 右手で顔を抑え口元が見えないようにして、呟くように言った。

 それが聞こえなかったアサリはある事に気がついて、急に笑い出し、そして収まると今度は頭を下げた。

「明日帰りますから、今日はここに泊めてください。朝ごはんも下さいとは言いませんから」

 態度も急に変え、しおらしげにそう言う。家に帰るのは喜ぶべき事だが、急な変貌にはやはりとまどってしう。

「……さすがに朝飯ぐらいは出るだろうし、あんな事があったんだから家まで送るつもりだけどな。急にどうしたんだ、その態度は?」

「すいません、さっきようやく気がついたんです。……こんなキズモノには何かをする気は起きませんし、こんな体の人がいたら何を言われるかわかりませんからね。……そばに居るだけでも嫌ですよね」

 そう言いながらアサリは、自分の傷を少し見てからさする。これがあるから篤飛露は気が変わったのだ。アサリはそう思ってしまっていた。

 篤飛露は背が高いし運動も勉強もできるし顔も悪くない。しかも何があっても頼れるし、強い。

 自分よりもっといい女の子を、傷一つないきれいな女の子で背が高くてスタイルがいい、そんな人を選ぶに決まっているではないか。

 こんな火傷の跡が何で自分にあるのか。生まれて初めてそう思ってしまった。

 これが無ければ今頃きっと、そうゆう事になっていたのだろう。ここに住むのはさすがに無理だろうが、ひょっとしたら今頃は幸せを知っているのかもしれない。

「アサリ、俺がそれがあるからアサリが嫌いになったとでも思っているのか」

 その思いは篤飛露にも伝わったのだろう、アサリの声を聞いた篤飛露から唸るような声が聞こえた。

 さっき親達に言っていたような、怒りを抑えきれないような声だ。

「いいですよ、ごまかさなくても。当然の事なんですから、明日から私に話しかけなくなっても、私が悪いって皆には言っておきますから」

「そんなわけないだろ!」

 怒鳴りつけるような声でそう言ったが、アサリには全く響いていなかった。

 今のアサリは何を言っても弁解にすら思えないだろう。

「じゃあできますか、こんな体の人とできますか?」

「だからそもそもそこからが間違ってるんだよ。最初からその気は無かったし、ベッドの上に置いたのは少し休んで落ち着かせ為にだ」

「そんな見え見えの嘘を言わないでください。火傷の跡がある、キズモノの女の子は嫌いですって、正直に言った方が相手の為になる場合もあるんです。その方が私もあきらめがつきますから!」

 お腹に小さな火傷の跡があるせいで篤飛露に嫌われてしまった。アサリはそう思い込んでしまい、今は何を言っても無駄だろう。

 このままでも時間がたてば解決できるかもしれないが、アサリの心に少なからずの傷を与えてしまう。

 ならばこれしかないだろう。本当は見せるつもりは無かったが、篤飛露は心を決めた。

「その程度でキズモノなら俺は、言ってみればコワレモノだな。これを見てまだ自分をそう言えるなら、何でも言う通りにしてやるよ」

 そう言って篤飛露は服を脱ぎ捨てて、アサリの目の前で上半身を見せつける。

「…………!」

 アサリはそれを見て、何も言えなかった。そして何も言わなかった自分を褒めようとすら思った。

 篤飛露の上半身には、傷跡しかなかった。

 左脇にはえぐれたような跡があり、右肩から斜めに刀で切ったような跡がある。さらに右胸には貫通したような跡もあり、無数の大きな傷跡と、さらに無数のそれらよりは小さい傷跡。

 傷跡ではない部分はほぼ無い。戦争に行ったと人でもきっとここまでの傷跡は無いだろう。

「こんな俺が、アサリにそんな事を言うわけないだろう?」

 打って変わって優しくそう言われたが、アサリには今は何も聞こえない。篤飛露の体を見て大きな衝撃を受け、そして同時に大きな後悔をしていた。

「……地球を五回守って、こうなったんですか……?」

 こんな体を見せてもらって何を言うべきなのか。考えた末にそんな事を言ってしまった。

 こんな事ではなく最初に謝るべきだった。そう思っていたが篤飛露は優しく答える。

「最初は怪我はして無かったんだけどな。その後の、地球とは関係無い所で怪我をして、色々あって四回目からはもう怪我をしなくなったな。地球を救う以外の方がずっと数が多い」

 急にアサリが思い出すのはあの時の、勉強会をした時に話した内容だ。

 篤飛露がプールに入った事は誰も見た事がない、小学校でも水着姿を誰も見た事がない。

 きっと泳げないからプールに入らないんだ。そうみんなで冗談で言っていたが、考えてみればそんな理由で授業に参加しないでいいわけがない。それが許されるのにはそれなりの理由があるはずだ。

 こんな体ならきっと、誰にも見られたくないと言っても許してくれるだろう。

 それなのにアサリが篤飛露の言う事を信じないから、アサリのせいで、誰にも見せたくないのに、アサリに見せる事になった?

「け、怪我は、……大丈夫、なんですか……?」

 謝ろうとして、謝れない。それどころかまたこんな事を言ってごまかしてしまう。

 しかし篤飛露はまた優しい声で、昔の傷だとだけ言った。

 篤飛露にもアサリが謝ろうとしている事は分かっていた。しかし篤飛露に言わせれば自分で勝手にやった事だ、アサリに謝らせる理由がない。

 だから篤飛露は話を変えて、もっと大事な事を話すことにした。

「……俺の母親は大学受験の少し前に妊娠が発覚してな、父親も同級生だったから最終的には両親どちらも受験は止めて、高校を卒業してすぐに結婚してから俺達を産んだらしい」

 突然に篤飛露はあぐらをかいて座り、親の話を始めた。急に言われてアサリは返事をする事ができなかったが、きっと大事な話なのだろう。そう思い篤飛露の目を見つめる。

「母親はさすがに卒業したころにはもう働ける状態じゃないから、父親が子供まで支えられるように働き始めたらしいだけどな」

「……二人で暮らしていたんですか?」

 関係無いかもしれないが、アサリは気になってつい聞いてしまった。篤飛露は首を横に振り話を続ける。

「補助金やらなにやらはあったらしいんだけど、二人ともさっきまでは高校生で貯金もあんまりなかったんだそうだ。生まれてしばらくは母親と実家で暮らしていたんだけど、結局は結婚してるからって父親の実家で暮らす事になったらしい。二世帯家族っていうのかな」

「今は違うんですよね」

「ああ、今でも別居してると思う。……祖母が母親を気に入らなかったらしい。なんでも母親のせいで父親は大学を諦める事になったとか言って、相当いびったらしいな」

「……いわゆる嫁姑問題問題ですか、私も気を付けないといけませんね。……お父さんは助けてくれなかったんですか?」

 嫁姑問題はまだ早いんじゃないか、それともする当てでもあるのか。そう思ったが特に考えてるわけでもないのだろうと考えなおし、口にするほどでもないだろうと思い聞かなかった事にして話を続ける。

「そっちも急な就職でいっぱいいっぱいだったらしい。しかも急なコネで就職したから周りの扱いもひどかったらしくてな。自分だけで精一杯だったそうだ」

「酷いですね」

「全くだ、我が血縁ながら酷いんだよ。結局俺が三歳ぐらいの時にようやく発覚したんだが、もうほぼノイローゼ状態になってたらしい。まあ祖母がいびらなくても、赤ん坊を育てるだけで大変だったらしいけどな。……とにかく母親と祖母を離そうって話になって、子供のためにある程度の貯金はできてたらしいからそれを使って慌てて引っ越ししたらしい。だけどもう母親は心に深刻なダメージを受けていてな、何年も通院していたそうだ」

 だから篤飛露はここに一人暮らしをしているのだろうか。今まで過去形で話していたが、今も続けているのかもしれない。

 それにしても、そもそも篤飛露は何故こんな話をするんだろう。そう考えてしまう。

 ひょっとしてアサリの家の事に巻き込んだから、篤飛露の家の事も教えておいて、その内アサリを巻き込むつもりなのだろうか。

 そんな事を考えているアサリを見て、言いたい事は伝わってない事を篤飛露は理解した。

 確かに回りくどかったかもしれない。そう思った篤飛露ははっきりと伝える事にする。

 下を向いて上を向き、言葉を決めると前を向き、アサリの目を見てはっきりと告げる。

「だからな、俺の両親は高校生を卒業しててもこれだけ苦労したんだ。俺たちは中学生だぞ、それも二年生になってまだ二か月ぐらいだぞ。そんな事になったらもっと苦労するに決まってる。俺は親みたいに相手に苦労させるような事は絶対にしたくないんだ。……お前は自分が何を言ってるのか本気で分かってるのか、そう聞いたよな。もう一度聞くぞ、お前は本当に何を言ったのか、本当に分かっているのか?」

 そう言われてアサリは何も言えなくなってしまう。

 最初から篤飛露はそういう気は全く無かった。アサリの独り相撲だった。それは完全に理解できた。

 正直に言うと、赤ん坊が居たらかわいいから大丈夫、それも少し思っていた。篤飛露から今言われるまで楽しい事ばかり考えていたかもしれない。

 だけどそれはしょうがないじゃないか、だって母さんはあんなに楽そうにしていたのに。母さんよりもきっと上手くできるのに、それを証明できるのに。

 もちろんそんな事は言えるはずがない。そうやって黙っていると篤飛露は立ち上がり、アサリに背を向ける。

「分かったら俺はキッチンに居るから、先に服を取りに行って早く着てくれ。そろそろ迎えが来る頃だから」

 そう言うと返事を聞かずキッチンへと閉じこもった。

 何を言っているのか分からずしばらく呆然としていたが、突然チャイムが鳴った。

 まさか誰かが迎えに来たのか。しかし誰が、まさか母さんが?

 突然の事なのでありえない事でもありえると思ってしまう。反射的に布団や毛布に包まると、音がして扉が開く音がした。

 まさか篤飛露がグルになっているのか。そう思ったがすぐに否定される。閉じたドアの向こうから篤飛露の声で、まだ入らないでください、と聞こえた。

 今日のやり取りを考えたら、篤飛露がグルならああいう声は出さないだろう。

 ベッドの上で包まったままじっとしていると今度はドアのすぐそばから、こっちにいるの、開けるよー、と声が聞こえる。

 おそらく篤飛露がキッチンのドアを開ける音とこの部屋のドアが開く音がほぼ同時にして、キッチンから飛び出す篤飛露と、もう一人見知らぬ女性の姿がアサリには見えた。

「……裸!」

 この女性がまず見えたのは布団と毛布に包まれたアサリだった、ところどころ素肌が見える。そう言うのは当然かも知れない。

「今説明しますから、とりあえずそこは閉めてください、おかあさん」

 アサリが見た人は母親は母親でも第三者の母親、篤飛露の母だった。

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