姫芝アサリはホームルームになっても篤飛露にしがみつく

「病気じゃないですか病気じゃないですよね病気なんですか?」

 明けた月曜日、篤飛露が教室に入ろうとした所、身構えるよりも早くアサリが襲ういかかってきたのだ。

「……アサリ、朝の挨拶は、おはよう、だ。そして朝一で自分の席に行こうとしてる人間を邪魔してはいけない。まず道を開けて、それからはい、お、は、よ、う」

 突然の襲撃に、篤飛露は朝のマナーを教える事しかできなかった。

 しかし中学二年生の女子と言う物はマナーを毛ほども思わないのか、篤飛露への追撃を止めない。

「そんな事はどうでもいいんです。病気は治ったんですよね怪我は無いんですよね伝染病とか無いんですよね祖先から代々伝わる呪いとか無いんですよね?」

 一向に止まらないアサリ。出入り口を塞いでしまってはクラスメートから邪魔と思われてしまう。しょうがないのでアサリを軽く持ち上げると横に置き、篤飛露は自分の席までスタスタと歩き出した。

「……紋常時君、それはひどい思う。アサリが動かないし」

 席に着いたところで友美が声をかける。

 友美は先ほどまでアサリと喋っていたのに、篤飛露の姿が教室から見えた瞬間アサリの姿は消えていて、いつの間にか扉の所へ移動していた。

 友美は後に語る、アサリはおそらく、マッハを超えていた。と。

「ここまで来たら普通に話すんだけど。何で動かないんだろうな」

「そりゃぁショックだったんでしょ。こんなに心配していたのに、こんなにぞんざいに扱われるなんて、って」

「ぞんざいに扱った覚えは無いんだけどな。さっきも怪我とかしないように気を付けて横に置いたし」

「ちがう、そうじゃない。あと置くとか言うな」

 二人とも会話をしながらアサリを見るが、いまだに動かない。

 扉を通るクラスメートたちは、脇に立って動かないアサリを不思議そうに見ながら歩いている。アサリは背の順に並んだら先頭に立つので、あまり邪魔にはなってないかもしれない。しかしやはり、用事も無いのにあそこで立ち続けるのは、やはりどうかと篤飛露は思った。

「……やっぱりこっちに持ってきた方が良いな」

「……紋常時君、あんまり遊んだ覚えはないけど、そういう性格なんだ」

「人間、相手によって多少は反応が変わるよ。性格も」

 そう言いながら立とうとすると、再起動したのかアサリがこちらを向き、ズカズカと音を立てるように歩いてきた。

「酷いじゃないですか酷いんですよね酷いんですよ! 確かに篤飛露を心配してのは私の勝手かもしれませんが、脇を抱えて横に置くとか私は犬ですか猫ですかフェレットですか!」

 篤飛露に食ってかかるように問い詰めるアサリ。それを見て友美は、関係ないが思った事を呟いた。

「かわいいよね、フェレット」

「何年か前に飼うのが流行ったらしいよな、フェレット」

 からかっているのか、あえてアサリを無視して会話を続ける二人。

 無視されたアサリは怒った顔をしていたが、何故か一度深呼吸をして、顔を下に向ける。

 泣き出してしまったかも知れない、そう思い篤飛露が謝ろうと近づこうとするが、その前にアサリが全身で篤飛露へと飛び込んできた。

 体重の差があり篤飛露は微動だにせず受け止める。アサリはそのまま頭ごと篤飛露の胸に埋めると、顔は誰からも見えなくなっていた。

 二人のやり取りを視界に入れていたクラスメートの何人かは、抱きついたアサリを見て思わず声を上げている。中には「朝っぱらから何やってんだか」と言う人もいた。

「ご、ごめんアサリ、からかいすぎた」

 予想しない行動に友美は慌てて謝った。アサリの顔は見えないが、きっと泣き出してると思っている。

「友美さんは悪くありません。悪いのは篤飛露です」

 篤飛露の胸に顔を埋めて振り向かないまま、友美にそう言った。友美の予想と違い、泣きそうな様子は無い。

「からかいすぎたな。ごめんな、アサリ」

 そう言われて篤飛露も謝ったが、アサリはまだ離れようとしない。

「ダメです、この程度で許すわけないじゃないですか。篤飛露にはもっと恥ずかしいと思ってもらいます」

 しかしアサリは一向に許す態度を見せず、篤飛露の体で顔を隠したまま両手で篤飛露の背中を砕こうと抱きしめている。

 もしアサリがクマならば篤飛露は何らかの対応を迫られていたが、アサリは中学二年生の平均腕力よりかなり少ない。

 はたから見れば、アサリが抱きついているだけにしか見えない。

「今は抱きつかれただけに見えるけど、もっと恥ずかしいって何をさせる気なんだ。俺からも抱きつけばいいのか?」

 そう言ったが、アサリはそれを否定して不敵な笑い声を浮かべる。

 篤飛露からは顔は見えないが、少し楽しそうにも見えた気がした。

「それも恥ずかしいですけど、もっとすごい事です。教室全員から私がずっと抱き着いている姿を見られたら、篤飛露はすっごく恥ずかしいに決まっています。だけどどんなに恥ずかしくて逃げたくなっても私が抱きついていたら逃げられません。それが篤飛露への罰です!」

 アサリの言葉に、篤飛露お友美も何も言えなくなった。

 そこへ夏志が教室に入ってきた。たった今登校して来た夏志が見たものは、久しぶりに登校している篤飛露と、それにしがみついてるアサリ。

 このクラスメートに一体何が起こっているのかと、夏志は尋ねずにはいられなかった。

「……姫芝は何をやってるんだよ。心配していた篤飛露がようやく登校してきたから、嬉しくて抱きついてるのか?」

 夏志にはそうとしか見えなかったので、そばに居る友美に尋ねた。何しろ友美はアサリと友達で篤飛露とも多少の付き合いはある。夢田紗月がまだ登校していない今、この教室でもっともふさわしいのは新田友美その人であることに間違いない。

「あー……、うん、そう。アサリが恥ずかしいのをごまかしながら抱きついてるの」

 少し考えた後、友美は面倒くさそうに夏志の言葉を肯定したので、やっぱりそうか、そう言いながら頷く。

 何しろアサリは先週ずっと、休んでいる篤飛露を心配していたのは見るだけでわかっていたのだから。

「友美さんは嘘を教えないでください!」

 しかしアサリは大声を上げて友美の説明を否定する。

 言われた友美は顔が見えない友人に、片手で手を振りながら正直な感想を伝える。

「いやいや、そうとしか見えないから。先週に紋常時君が休んでからずっと心配してたでしょ。金曜日も来なかったからお見舞いに行こうとして、誰に聞いても紋常時君の家を知らないから、先生にまで聞きに行ったじゃん」

 そう言われてアサリは言葉に詰まった。全く否定できない、全てがその通りなのだから。

「……それは、そうなんですけど。結局先生は個人情報がどうこうとかで教えてくれませんでしたからノーカンです。それに私だって人間ですから、それに私のせいで風邪をひかれたら気分が悪いじゃないですか」

 そう言ったアサリが言い訳をしようとしているが、それを聞いて篤飛露は家族から言われた事を思い出した。

「そう言えば保護者から聞いてたな、神社でクラスメートに会ったって。あれはアサリで、俺の家を探してたのか。でも濡れた事は関係ないって保護者が言ってなかったか?」

「聞きましたけど、大人には社交辞令と言うものがあるんです。子供だから関係があっても関係ないと言うかもしれません。中学生にもなって大人の言う事を鵜呑みにしてたら、ひどい目に遭いますよ」

「社交辞令とは何かが違う気もするけど。アサリのために言ってるんだから、素直に信じればいいのに」

「聞いたら土曜日もずっと寝込んでて、まだ布団の中にいるから会えないって言われたんですよ。そんな事を聞いたらあの事で風邪をひいてまだ治ってないと思って、心配していなかった人でも心配するに決まってます」

 それを聞いて篤飛露は首を傾げる。何か考えがあったのか、すこし考えてからアサリに尋ねた。

「ずっと寝てた、そう聞いたのか?」

「土曜日の朝に会った篤飛露のお父さんに聞いたら、多分今日は夕方まで寝てるって聞きました」

「確かに寝てたけど……」

 珍しく困った様子を見せる篤飛露。

 そこへいつの間にか現れた国江が、素朴な疑問を口にした。

「……何で姫芝さんのせいで、篤飛露君が風邪をひいたの?」

 何気ない一言に、周辺の人たちはざわつき始める。

「紋常時君が風邪をひいて休んだ日の前の日って、確か勉強会をやった日だったっけ。アサリが誘っても先に帰ったって怒ってたよね」

「じゃあ、あの後で会ってたって事になるよな」

「という事はいつもケンカしてるのは実はブラフで、アサリちゃんと紋常時君は勉強会が終わってから秘密の逢瀬を行う間柄で、その日はそこで何かがあった、という事になるのでは……?」

 気がついたら登校していた紗月まで参加して、さらに噂は加速していく。

「逢瀬って、そこはデートで良いんじゃないかな。で、その後で何かがあって風邪をひいたと」

「風邪をひくという事は風邪になるような格好をしていたという事で。……ま、まさか、男子が触れてはいけない女子の部分に、服を脱がないといけない部分に、触れるような事をしていた、という事になるのでは!?」

「……アサリが急に衣替えをしたけど、まさか、女子が触れてはいけない男子の部分に、脱がないと触れない部分に触れていた、という事になるのでは!?」

 そう女子達が盛り上がり、最高潮に達した時、二人は一つの結論にたどり着いた。

「……つまり、まさか、多分、おそらく、きっと」「……アサリちゃんは、私たちで一番の」

『大人』

 二人が揃ってそう言うと、女子を中心にした集団が一気に爆発した。

 実は篤飛露はどうにかして話をずらそうとしていたのだが、失敗してしまったようだ。

 いつの間にか現れた国江と紗月のせいでできた騒動は、教室全体を巻き込んでどんどん暴走している。

「……もうどうしようもできないな、これは」

 篤飛露はクラス全体を眺めながら、諦めた顔をして声を浮かべる。それはまるで、他人事のような呟きだった。

 アサリは何も言わないが、しがみつく力をより一層強くした。

「……」

「ところで、ホームルームが始まったら離れなきゃいけないんだけど、それについては考えてなかったよな」

「……」

 何を言っても、もうアサリは一向に喋らなくなっていた。

 結局、担任が教室に入って来るまで騒ぎは続いた。

 そして、女子しか触られないので、友美と紗月が二人がかりで引きはがすまで、顔を見せられないアサリは必死で篤飛露にしがみついていた。

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