姫芝春菜は妹がカワイイ

 アサリの部屋の前で二回声をかけたが、一度も返事は無かった。さらにもう一度声をかけ、やはり返事が無いのを確認してから、春菜はドアを開けた。

自分もそうだが、妹の部屋にも鍵は付いていない。弟の部屋には父親が作ってくれたが、力を込めると壊れると言っていたので、部屋にはあまり入らないようにしている。

 母親は、男の子と女の子は色々違うからあまり入らない方がいい、そう言っていた。それが原因というわけでは無いが、アサリの部屋にもあまり入らないようにしている。

 弟や妹が大人になった、そういう事か。

 春菜はそんな事を考えながら、アサリの部屋に入った。部屋には机が無い。親からは買おうかと言われた事は有ったが、勉強はテーブルでやるからと断っていた。

 教科書やノートはテーブルに置いてあり、学校用具以外で部屋に置いてあるのは衣類の他に、誕生日やクリスマスなどに買ってあげたヌイグルミが数点あるぐらいなものだ。

 スマホがあればテレビもパソコンもいらないと言い、漫画や小説は図書室で借りるか、姉と兄が買ったものを読んでいる。

 その事は春菜も知っていたが、ここまで何もないとは思わなかった。

 中学生になった時に、部屋に物が少ないから何か買おうかと母親が言ったのを聞いている。アサリの返事は、友達をたくさん呼ぶから物は少ない方がいい、だった。それと、殆ど部屋に居ないから、とも言っていた。

 確かにアサリはいつも自分の部屋には居ない。朝に部屋を出ると、制服を着替える時と寝る時以外は部屋以外にずっといる。母親の手伝いか、父親と遊んでやるか。春菜も拓南もリビングでゲームをする事も有るが、考えてみれば家の中で一人になった事を見た事が無い。

「アサリちゃん、話が途中で終わったから続きをしよう」

 部屋に物が殆どないのに、アサリの姿も見えない。

 人の姿が見えない代わりに、ベッドの上に一人分ぐらいの大きさで布団が膨らんでいる。

(アサリちゃん、かわいいなぁ)

 探さなくてもアサリがどこにいるかははっきりとしている。

 本当に隠れようとしているのか、それともすねている事を伝えたいのか。こんな事しているのだから、無視しているわけではないだろう。

 わざと音をたてるように歩き、ゆっくりとベッドの横に座った。頭がどこかは分からないので、とりあえず布団の真ん中に右手を置いて、撫でるようにゆっくりと動かした。

 少し撫でていると拒否するような動きで全体が動き、中からくぐもったアサリの声が聞こえてきた。

「私はお姉ちゃんが考えた事をしたんです。だから明日になったら篤飛露と実行するんです。だから放っておいてください」

 姉が部屋まで来てくれたが、アサリはどうしても謝ることができなかった。

 謝って、春菜の考えた通りだと言えば全て丸く収まるだろう。そう思っているのだが、アサリはどうしても家族に対して嘘をつきたくなかった。

 どうして布団の中に入って隠れているのかを考えているうちに、アサリは自分がそう思っている事に気が付いた。

 今日は本当の事を言っても信じてくれないが、嘘をついて春菜が考えた事を肯定はできない。だから姉には会わないようにして、明日になったら春菜が考えた事を実行する。そうすれば、全てが嘘では無くなるし、姉と会っても問題は無くなる。

 だから本当の事にするまでは、姉に会うわけにはいかない。そう思い、アサリは布団を押さえる力をさらに強くした。

「アサリちゃん、さっき言った事は本当の事で間違いないのね?」

 妹の返事は滅茶苦茶だった、言葉の辻褄があっていない。多分自分ではその事に気が付いていないのだろう。そう考えながら春菜は優しく問いかている。

「……あんなこと、信じられるわけないじゃないですか」

 アサリは言いながら、布団を内側から引っ張っる力をさらに強くした。言葉にはしてないが、今更何を言っているんだ、そう言っているようにも聞こえる。

「でも、本当の事なんでしょ」

 無理やりにでも布団を剝がす事もできそうだが、それでは余計に意地になってしまうだろう。ちゃんと話をするために、態度が柔らかくなるまでこのまま続けるしかない。

「お姉ちゃんね、さっき拓君と話してるうちに、アサリちゃんが正しいって思い直したの」

 そう言うと、布団を引き込む力が少しゆるんだ気がした。体を動かしている動きも少し小さくなっている気がする。気がするだけかもしれないが、少し機嫌が直ったのと思いたい。布団を撫でながらそんな事を考える。

「……おへそを曲げた妹の機嫌を直すために、とりあえず頷けばいいって言ってるんですよね、お兄ちゃんが」

 どうやらアサリの機嫌はよっぽど斜めになっているようだ。

 しかし考えてみればアサリがこんな態度を取るのは、初めてかもしれない。家族にも我がままを言わないアサリが、こんな事を言うなんて。

 アサリには見えるはずも無いが、春菜の瞳に喜びの涙がこぼれそうになる。

「違うよ。お姉ちゃん思い出したの、アサリちゃんは家族に嘘をつかないって」

 布団をかかえるようにしてアサリを抱きしめる。どこを抱きしめたのかは分からなかったが、定期的に動いていた動きが止まり、頭があるであろう場所が動いて布団ごと春菜に向かった。

「……じゃあ、信じるんですか、口裂けテケテケ女を。……口裂けテケテケ女なんですよ、私が初めて嘘をついたのかもしれないじゃないですか」

「そうなら嘘をつけるようになったんだと思って、少し安心かな。拓君が言ったら絶対信じないけどね」

 その答えを聞いたアサリは暫く抱きしめられたままにしていたが、無言のままで体を大きく揺さぶって春菜の腕を振りほどき、勢いよく布団ごと立ち上がる。

 何かを言うのかと春菜は思ったが、立ち上がったアサリは何も言わずにベッドの座った。その代わり顔だけだが布団から出し。

「本当なんですよ、あの化け物に襲われたのも、篤飛露が化け物を倒して助けてくれたのも。本当の事なんですよ?」

「アサリちゃんが本当の事って言うなら、お姉ちゃんは信じるよ。ごめんね、さっきはお姉ちゃんが信じなくて」

 そう言いながら迎えるように春菜は腕を広げる。

「怖かったんですよ、本当に怖かったんですよ!」

 広げられた腕にアサリは飛び込んできた。そして春菜はそれを受け止めながら、泣きそうなアサリちゃんも可愛いな、そう思っていた。

「うんうん、怖かったね。お化けに襲われて、また襲われるかもしれなもんね」

 心の中は分からないようにしながら優しく声をかける。しかしアサリは顔を胸に埋めたまま顔を横に振った。

「ちがいます、化け物は篤飛露が倒してくれたからもう大丈夫です。もしまた来たら篤飛露に倒してもらいます」

 あの男の子をよっぽど信頼しているようだが、やはり彼氏なのだろうか。少なくとも友達以上恋人未満は違いないだろう。

 その件については真相を聞きたかったが、多分今は言わない方が良いだろう。そう思い春菜は別の事を言う。。

「お化けが怖くないなら、何が怖かったの?」

「……お姉ちゃんに嫌われたらどうしようって、思ってたんです」

(この子超かわいい!)

 思わずそう叫ぶところだったが、心の中だけにして必死で我慢する。

 叫ぶ事を我慢するために、アサリの頭を力いっぱい抱きしめた。

「お姉ちゃんはアサリちゃんの事を嫌いになんて絶対ならないよ。何でお姉ちゃんがアサリちゃんの事を嫌いになるなんておもうの」

「だって私、捨ててもいいって言ったじゃないですか。両親が捨てる訳ないって言うのは知ってますけど、そんな面倒な人は無視するかもしれないって」

「かわいいアサリちゃんを無視するなんて、お姉ちゃんはどうやったらできるのか分からないよ!」

 アサリの頭を抱きしめたまま転がり、二人して横になる。春菜の心の中が少し漏れていたが、二人とも気が付いてはいなかった。

 泣きそうになっている妹。めったに見れない姿を存分に堪能した後、さっきは言えなかったもう一つの事を春菜は口にした。

「それはそうと、家に帰るのが遅かったのは別の話だよね?」

 アサリの動きが止まった。そして離れようとするが、春菜の腕は頭をがっちりと固めて離さない。

「……それは、その。口裂けテケテケ女がですね」

 何とかごまかそうとするが、姉にはまったく通じない。

「うん、その前の話。今から帰るって連絡があったけど、多分門限は間に合わなかったよね?」

 確かに、勉強をしていたとはいえ何も言わずに帰りが遅かったのは間違いない。

 姉と離れるのをあきらめたのか、アサリは逆に抱きしめる。

「お姉ちゃん大好きです!」

 そう叫ぶように言ったが、頭を抱きしめている腕は一向に緩められなかった。

「さすがに、それではごまかせないかな。で、門限を破った罰だけど……」

 そこまで言うと、じっくりと楽しむかのように言葉を止めた。

 妹に一体何をさせられるつもりなのだろうか。アサリは今まで門限を破った事は一度も無いので何をされるかは分からない。

 姉の性格を考えて妹に暴力のような事は無いだろう。兄に対しては背中を叩いた事はあったが、叩かれた兄が言うには、姉はカンフーが足りないなんだそうな。

 痛くないなら、叩かれても大丈夫かもしてない。くすぐられるとか延々と説教されるぐらいなら、そっちの方がましかもしれない。

 痛くないなら。

「覚悟を決めました。罰を言ってください」

 アサリは覚悟を決めた。しかし姉が考えていた罰はアサリの予想をはるかに超えていた。

「アサリちゃんの罰は、お母さんとお父さんが帰って来るま日で、私と一緒に寝る事です」

「私もう中学二年生ですよ!」

 腕の力が弱くなりようやく抜け出せそうなので振りほどき、春菜の顔を見ながら言う。

 中学二年生にもなって、姉に限らず家族と一緒に寝るのは恥ずかしい。

 しかしそれが春菜の目的であった。

「罰だから、嫌がる事をしないとね。……それにしてもアサリちゃんがこんなに嫌がるなんて、いつの間にかお姉ちゃんは嫌われていたんだね」

 そう言いながら春菜は顔を見えなくしている。しかしどんな顔をしているか、アサリにははっきりと分かっていた。

「そんな傷ついたような言い方をしても信じませんからね。お姉ちゃん、すごく楽しそうでしょう」

「それを見破るとはさすがは私の妹。しかし罰は絶対だから、おとなしくお姉ちゃんと今年いっぱいは一緒に寝るように」

「今年いっぱいって何ですか。……本当に、今日だけで許してください。今日だけなら我慢……、我慢できますから」

「そんなに嫌なの」

「お姉ちゃん、寝ようとすると抱きつくじゃないですか。その上撫でようとするし、動物と勘違いされてそうです」

「アサリちゃんは人間でしょ?」

「だったら中学二年生になった妹にふさわしい扱いをしてください!」

「でもアサリちゃんは妹で、お姉ちゃんはお姉ちゃんだから」

 会話をしているが、話が通じていない。ひょっとしたら姉が使っているのは日本語によく似た別の言葉だろうか、アサリはそう思ってしまう。

「とにかく、一緒に眠るのは今日だけです。明日以降も一緒に眠ろうとするなら、帰ったらお母さんに言いつけますからね」

 その言葉を聞くと春菜は満足そうな顔をし、腕を放して立ち上がった。

「じゃあ、明日の学校の支度が終わったら、私の部屋で寝ましょう、宿題は勉強会の時に終わってるって書いてあったもんね。あと、冬服がずぶ濡れで汚れてるし、明日は夏服を着ないと」

 実は今までのは全部演技で一緒に寝るのを承諾させるためだったのか。アサリはそう思ってしまった。

「最近はもう暑いので、夏服を着れる準備は一応終わってます。あとは教科書をつめかえるだけですので、終わってからお姉ちゃんの部屋に行きます」

 アサリの通う中学には夏服準備期間が有り、その間は冬服と夏服どっちを使ってもいい事になっている。ここ何年かは気温の上下が激しいので、今年からはゴールデンウィークが終わった次の日から六月半ばまでが準備期間となっている。

「待ってるから。もう遅くなったし、早く寝ないとね」

 そう言って移動しながら春菜が小さく腕を振るり、アサリも小さく腕を振って返した。

 そうして姉が姿を消すのを見送ると時間割を調べながら教科書を入れ替える。

 姉の部屋は隣なので、すぐにドアが開く音がする。しかしドアが締まる音は一向に聞こえず、それどころか足音が近づいてきて、自分の部屋に帰ったはずの姉が首をぬっと出した。

「それはそうと説教も帰ってからやるから、明日は学校が終わったら真っすぐ帰るように」

「……はーい」

 姉の声に文句を言えるはずも無く、力なく頷く。それを確認して春菜は首を引っ込めた。

 明日を考えると憂鬱になりながら再び支度をしようとすると、またも姉が首を出してきた。

「それとね」

「何なんですか一体、いっぺんに言ってください。って言うかどうせお姉ちゃんの部屋に行くんですから、その時でもいいじゃないですか」

 要件を言われる前に、アサリは思わず言ってしまった。何度もこんな事をされては当然かも知れないが。

「ごめんごめん。今思いついたんだけど、今日の事は親にも言わないといけないでしょ。それで紋常時君にも話を聞くかもしれないから、明日会ったららそう伝えてそうほしいの。今言っておかないと忘れそうだったから」

 そう言われてアサリが何かを言おうとしたが、その前に姉は姿を消した。

 暫く誰もいなくなった廊下を見ていたが、ドアは何も触らずに勝手に閉じた。

 確かに、今日あった事は親にも知らせなければならないだろう。そうなれば篤飛露の事は話すだろうし、本人に話を聞くかもしれない。

 しかし、アサリには重大な問題があった。

(篤飛露を、両親と会わせるかも知れませんって事ですよね)

 男の子を両親に会わせる。これはひょっとして人生初めての事ではないだろうか。

 当たり前だが篤飛露とは別に付き合っているわけでは無い。友人に付き合ってるのかとからかわれた事は有るが、つまりそれは友人からも付き合ってるとは思われていないという事だ。

 しかし親と会わせたら、付き合っていると思うんじゃないだろうか。

 自分は別に篤飛露が大好きだとは思っていない、そう心の中で確認する。

 だって自分が好きな人は意地悪をしない、優しい人が好きだから。

 確かに、篤飛露は化け物から助けてくれたし、帰る間は意地悪をしなかった。しかし今まで教室では意地悪だったし、去年は誰でも優しかったそうだが、アサリは今まで優しくされてはない、多分。

 篤飛露は大好きではない、つまり付き合っていない、だから両親と遭わせても問題はないはず。

 そう思っていると、アサリは唐突に逃げている時の事を思い出した。

『いないなら誰でもいいから助けて下さいそしたらぎゅって抱きつきますから男の人なら好きになるかもしれませんから!』

 篤飛露は助けてくれた。ぎゅっと抱きついたのもやった気がする、状況はともかく。

 じゃあ次は、好きになる?

 そう考えてしまったら、アサリの顔が一気に顔が赤くなってしまい、今いるのは自分一人と分かってはいても、顔を隠さずにはいられなかった。

 明日どんな顔で会えばいいのか。そう考えてしまい、他の事は何もできなくなってしまう。

 その後、アサリがいつまでたっても入ってこないので迎えに行った春菜は、顔を隠して全く動かなくなった妹を見つける事になる。

 何でそんな恰好をしているのか、妹の心の内は姉に分かるはずも無く、何を言うべきか分からない春菜は、早く寝るよとしか言いようがなかった。

 木曜日、篤飛露と会ったら一体何を言えばいいのかと動揺しながら登校したアサリだったが、結果で言えば杞憂に終わった。

 篤飛露は木曜日も金曜日も休んでしまい、アサリと篤飛露が次に会うのは週明けの、月曜日の事になるからだ。

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