第12話

 一瞬のうちに織風の意識は飛ばされて、どこかわからない場所に浮遊していた。見事な毛織物の敷布が敷かれた木の床から、巨大な柱がいくつも高い天井に向かって伸びている。色合いは質素だが、厳かさは朝堂殿に見劣りしない、立派な空間だった。

「王よ!」

 凜と張りのある声がしたほうに振り返ると、一人の人が早足に、広大な空間に進み入ってくるところだった。天井近くに浮遊する織風には、その人の頭頂部しか見えない。くるぶしまで届く豊かな黒髪が右に左に揺れ、着物の裾が床を這っていた。

 だれだろう、と思ったところで体がぐいと床に向かって引っ張られ、織風の目線はその人物の頭の高さくらいまで降りてきた。

 足早に歩く横顔をはじめて目にしたとき、あっとおどろいた。織風はその人を知らない。でもなぜか、だれなのかわかる。

 ――絹雲。

 織風は心でその人の名を呼んだ。前世の自分。黒々として弓形の品のいい眉毛と、黒目がちな大きな瞳。顔の造作に派手さはないが、じっとながめていると徐々に心に染み渡るような、上品なうつくしさがある。織風と顔立ちが似通ったところがあるが、完全には一致しない。

 着物の裾同士が触れあいそうな至近距離まで近寄っても、絹雲は織風に見向きもしない。どうやら相手の側からは、織風は見えていないのだった。

 絹雲の歩むさきに、こちらに背を向けて一人の男が立っていた。背が高く肩幅が広い。光沢のある衣のうえに、右肩と胸だけを覆う簡易的な甲冑を身につけていた。

「嵐鷲王!」

 もう一度、絹雲が呼びかけると嵐鷲王がこちらを振り返る。くせ毛の混じった長い前髪や太く黒々とした眉毛、彫りの深い漆黒の目元の美丈夫ぶりが、鷲星に似ていた。

「どういうことです。鉄山をゆずる、などと呉寿王にお答えになるなんて」

 ぷんぷんと怒りをあらわに詰め寄ってくる絹雲に、嵐鷲王は苦笑した。

「言ったとおりだ。あの王はあまりにもしつこい。こちらがあきらめるまで食い下がってくるだろう。これ以上相手をするのがわずらわしかったのさ」

「……あなたさまが譲歩せずとも、きさまなどにくれてやるものかときっぱり拒絶すればよかったのです。それで戦になったとて、臣下は本望でしょう」

「絹雲は自分のことならいざしらず、余のことになると怒るのだな」

「あたりまえです!」

 絹雲は肩をいからせる。

「製鉄業は我が国が拓いた大切な一大産業です。それをうまうまと、成り上がりの隣国の王になど渡してなるものか。呉寿王はあなたさまを馬鹿にしているも同然です。もっとお怒りになるべきですよ」

「そうは言ってもな」

 嵐鷲王は困り果てたように、薄く笑って頭を掻いた。

「余には国に伝わる財産よりも、王の矜持よりも、よほど大切なものがある。その大切なものが守れるのなら、栄誉などいらない」

 円かな口調に勢いをそがれた絹雲は、体をわずかにまえのめりにさせたまま、きょとんとする。

「大切なものというのは、おまえだ。絹雲」

 嵐鷲王は絹雲に近づき、その肩をそっと抱く。

「鉄山を差し出せばおまえのことをあきらめると呉寿王は言った。だから山はくれてやろう。でも、おまえはやれない」

「王よ……」

 絹雲は顔を真っ赤にほてらせ、しどろもどろになっている。

「余計に……なりません。私のために、国の至宝を差し出すなど……」

「そこは価値観の違いだな」

 嵐鷲王はぽん、と軽快に絹雲の肩を叩く。

「余にとってはそなたとともにいられることのほうが、よほど価値があるのだ。たとえ王でなくなったとしても、荒野で野垂れ死ぬことになったとしても、隣にそなたがいてくれるのなら、そのほうがいい」

 嵐鷲王の顔は晴れやかだった。

「でも、王よ」

 嵐鷲王からなによりも大切な存在なのだと口にされ、絹雲の表情はよろこびにゆるみつつも、不満が抜けきることはなかった。

「天人と人の王が対となるのは、翠藍さまから禁じられています。ですから心は永遠にあなたとありたくとも、それはかなわない」

 対の禁則事項について、すでに絹雲から聞き及んでいたのだろう。嵐鷲王は瞳をやや悲しげにゆがませながらうなずく。

「だからせめて、あなたが存命のうちはおそばに寄り添い、ともにこの国を守りたいのです。あなたが亡きあとも未来永劫、この国が栄華を極め、安寧の世となることが疑いなくなるように」

「栄枯盛衰だ。なにごともな」

 嵐鷲王はさっぱりとした諦念をまとわせて首を振る。

「形あるものも、ないものも、いずれは滅びる。いまいる民のために、この国は守ろう。だが余の亡きあとも存続する保障はできない。そういう意味では愛も、いつか失われてしまうものなのかもしれないな。けれどひとときでも愛し、愛された記憶は、ずっと心に残り続ける。そのあたたかさに頼り、心は満たされる」

 嵐鷲王は組んでいた肩を離すと、真正面から絹雲の両手を取った。

「永遠は望まない。今生でそなたと出会えたことに感謝する」

「嵐鷲王」

 絹雲は背中を折り曲げて、愛おしそうに嵐鷲王の手に額をくっつけた。

 しかし嵐鷲王の思いは届かず、絹雲はこのあと鉄山を取り戻す交渉のため、呉寿王の元に下ることになる。

 このとき絹雲がなにを思い、のちに呉寿王の元に赴いたのか。織風にはわかる気がした。

 天人と人の、生の長さは異なる。

 嵐鷲王にとっては一生の長さに匹敵する出来事も、絹雲にとっては長い人生のほんの一部でしかない。天人に比べれば短い生を生きる嵐鷲王が満たされていることが、対の契約を結べないことへのせめてもの埋め合わせであると絹雲は思っていたのだろう。嵐鷲王の国を盛り立て、次の世代へ手渡す手はずを整え、王がのちの世の行く末を憂うことなく、安心して逝けるように。

 手をつないだ嵐鷲王と絹雲が見つめ合うなか、周囲がまばゆい光に飲まれてゆく。

 また一瞬ののちに、織風の意識は元いた朝堂殿に戻っていた。

「織風……織風!」

 しばらく意識が飛んでいたようで、かたわらで鷲星が織風の名を呼びかけるのに、ようやく気づいた。

「鷲星……。立ったまま気絶していたようだ」

 織風が軽くほほえみかけると、鷲星はほっと息を吐いた。

「体はなんともないか? しばらく目を開けたまま、なにも聞こえなくなっちまったみたいだったから。目ん玉が乾くまえに意識が戻ってよかったぜ」

「体は大丈夫。記憶が戻ったせいか、意識が過去に飛んでいた。嵐鷲王と絹雲が目のまえで会話するのを見ていた」

 なぜか織風は絹雲だったころの記憶を思い出すのではなく、第三者として外部から二人のやりとりをながめていた。自分の記憶を第三者の目を通して見つめるのは不思議な体験だったが、きっと過去は過去のこととして、おのれのなかに戻ってきた絹雲の記憶を、客観的にとらえることのできた証拠のような気がした。

「二人はなんて?」

「……ちょうど絹雲が、呉寿王の元に下る直前の出来事だったようだ。二人がお互いを思いやっていて……」

 織風の瞳から、ひと筋の涙がこぼれた。

「お互いを思いやるからこそ、最後の最後で思いがすれ違ってしまったのだ……。単に悲しいというだけでは、言い表しようがないよ」

 織風のなかに絹雲の気持ちが湧き上がる。

 嵐鷲王への思い、愛おしさ。絹雲がどれほど、王を思っていたかがわかる。ただその思いは織風が鷲星を思う気持ちと混ざり合うことはなく、平行した二本の独立した線として、織風のなかに収められていた。

「記憶が戻っても問題なかった。私が鷲星を思う気持ちは、なにも変わらない」

 記憶が戻ったことで、嵐鷲王もどれほど絹雲を思っていたのか知った。そのことで、たった一人で魄を背負い、転生した織風を探し出そうとしてくれたことへの愛おしさは増した。

「そうか。なんだ、俺のことが愛おしすぎてまわりが見えなくなるくらいになってくれりゃあよかったものを」

「どうしてだ?」

「閨に誘い込むのに、熱烈に口説かずにすむだろう?」

 鷲星が口元をにやつかせて人の悪い笑みを浮かべる。詔帝も同席している場で睦言めいたことを堂々と口にされて、織風はひたすら恥ずかしく、顔を赤くした。

「はいはい。わたくしがいかに人の恋路のお手伝いが好きとはいえ、そういうのは二人きりになったときにやってちょうだい」

 愛鸞帝がぱんぱんと手を叩いて、熱を帯びた視線で織風を見つめる鷲星と、視線の熱さにひたすら恥じ入る織風との、見ているほうが思わず目を逸らしたくなるようなむずがゆいやりとりに割って入った。

「もう子の刻ね」

 愛鸞帝は朝堂殿内に置かれた香時計で時刻を確認する。日暮れどきにはじまった妖魔との攻防は、なんとか日をまたぐことなく決したのだ。

「鷲星、あなたはもうお帰りなさい。必要があったときには、また永盛城に上がってもらうようにお願いするわ」

「御意」

 ようやく解放されるよろこびをかみしめるように、鷲星はわざとらしく慇懃に返事をすると、大げさにうなずいてみせた。

「織風は鷲星とともに行くのかしら?」

「はい、陛下」

 鷲星とともに穂楽の町に戻るとは言い出しづらいところがあったのを、愛鸞帝が気を利かせてくれた格好になった。

 がれきが散乱して、ときに足の踏み場に苦慮するほどの永盛城を通り抜けて、織風と鷲星は穂楽に戻ってきた。


 まだ大通りには人がちらほらといて、今宵、城でなにがあったのかの噂話に花を咲かせているようだった。そこに永盛城から遣わされた兵士が訪れて、帰宅をうながす。

「おーい、もう子の二刻を超えたぞ。みんなそろそろ家に帰って寝たほうがいい」

 鷲星も大手を振って、通りに立つ人たちに声をかける。

「明日になれば愛鸞帝からなにかしらの発表があるさ。大丈夫。今夜はもう、みんなが心配するようなことは起こらない」

 人々は半分安堵しつつ、もう半分は「なぜおまえは確認に満ちているのだ」と、鷲星に対して疑いの目を向ける。

「このとおり、町の混乱を聞きつけて陛下が兵士たちを派遣なさったのだ。今宵はなにも起こらないことを、天人が保障しよう」

 織風も鷲星に追従する。天人さまが言うのなら大丈夫かと、今度こそ通りの人たちは肩の力を抜いて、おのおのの家に戻っていった。

「兵士たちだけでは手が足りぬところもあるだろうから、私たちも手伝おうか」

 織風がそう提案すると、鷲星は目を剥いている。

「なんだか急に、天人の自覚が芽生えたみたいだな」

 からかいつつも織風につきあってくれる気でいるらしい。

「それなら、さきに関所のほうにまわろう。一番人が殺到して、ものすごいことになってそうだからな」

 関所は案の定、こんな夜更けだというのにまだ大渋滞が続いていた。関所の門が見えないくらいの長さまで列が伸びている。織風と鷲星は杼把に乗り、並ぶ人たちの頭上を飛んで関所を目指した。

 列の先頭付近に到達してわかったのだが、商家と思しき一部の人たちが牛車に荷物をわんさか積み込んで、それが列の間のあちこちに挟まっている。大量の積み荷の点検に時間を要するので進みが悪く、その間に列がどんどん伸びて、いつまでも途切れないという悪循環になっているのだった。

 地上に降りられる隙間がない。織風は杼把に乗ったまま上空から、穂楽脱出が急がれる事態はなにも起こっていないので、並んでいる人たちを解散させるように関所の役人に指示を下す。天人がそう言うならばと役人たちはすぐに納得して、列をばらしにかかった。あとからがちゃがちゃと甲冑を鳴らして、龍尾軍の集団がやってくる。場の状況を把握すると、解散した人が一気に町になだれ込まないよう、統制を利かせはじめた。

 穂楽の混乱を収め、ようやく大鷲団に帰り着く。子の刻も終わりかけのことだった。

 店内は暗く、しんとしていた。

「泰明はおとなしく言うことを聞いて、部屋に引っ込んでいるらしいな」

 鷲星は手近にあった明かりに火を点す。店のなかがうすぼんやりと明るくなった。明かりを手に持ち、二階に上がる。途中、二階にある従業員の部屋から、泰明のものと思しきぐうぐうと大きないびきが聞こえてきた。

 三階の仕事場兼寝室に入り、鷲星は机上や棚のうえに置いてある行燈に火を移すと、

「ああ、疲れたなあ」

 とさっそく布団にひっくり返った。

「長い一日になったな。私もくたびれた気がする」

 織風は披帛をするりと肩から落とし、軽く折りたたんで長椅子に置いた。

「んあ」

 布団に仰臥して目をつぶっていた鷲星が、間抜けな声とともに目を開けた。

「今日というか、正確には昨日が五日目だったのか。どうりで尋常じゃなく疲れるわけだ。血が足りないせいだな」

「ああっ……」

 織風はあせり、思わず両手で額を押さえる。

「いろいろあったせいですっかり失念していた……。鷲星、早く血を」

 帯の隙間から小刀を取り出す間も、軽く目を閉じて横たわる鷲星が弱りはじめていないかとどきどきする。

「冗談だ、冗談。六日を超えてすぐに死ぬわけじゃない。いまはただ単にくたびれてるだけだと思うぜ?」

「とはいえ、補血を怠ったのは私の落ち度だ。鷲星、早く」

 うっすらと笑みを浮かべた鷲星の口元に、織風は切りつけた手の甲を差し出す。鷲星は顔をわずかに斜めにかたむけて、式鬼にとって最上の甘露を口にした。

「粗忽なおまえさんがうっかり忘れないように、五日ごとに補血を知らせる時計みたいなのがありゃいいかもな。質でいいのが入ってきたらまわしてやるよ」

 最後に口の端に残った血を、鷲星は舌を伸ばして舐め取った。手を引っ込めて、織風は問う。

「それで、きみはこれからどうするつもりなのだ?」

「どうって、なにが?」

「凌雲王朝の正当な血縁だとわかったのだ。愛鸞帝の跡継ぎ候補として城に……」

 織風がみなまで言うまえに、鷲星は面倒くさそうに手を振る。

「ないない。俺はいままでとなにも変わらないよ。大鷲団の店主で、店子のつかない大家さんだ」

 鷲星は寝転がりながら髪を縛っていた紐を解き、枕元に置いた。襟足の髪が枕に広がる。

「母は俺に、帝位争いとは無縁でいてほしいと望んだ。俺だって、規律規則でがんじがらめになる城での生活よりも、こっちで気ままに暮らすほうが性に合ってる。母さんのくれた自由を、せいぜい謳歌するさ」

 極北王のような王子の衣装に身を包んだ鷲星は、上背も手伝いさぞ見栄えがするだろう……。その姿を拝めないことだけが、すこしだけ残念に感じられた。

「鷲星の決意は変わらないのだな。私はどちらでも、きみの気持ちを尊重するよ」

 今夜は店子不在の空き部屋に宿を借りるかと織風が立ち上がりかけたところで、鷲星に手をつかまれた。

「おまえさんの話はそれだけか? そんじゃ、俺はまだ腹ぺこなんだ。もっと食べるものをくれ」

「とはいっても、この時間だ。李さんの店も……」

 鷲星の意図を汲みかねていたところで隙を突かれて、あっという間に腕のなかに抱き込まれていた。

「鷲星……?」

 わずかに体を起こすと、巣から飛翔する鳥のすばやさで、軽やかに体の位置を入れ替えられてしまった。

「俺を見つけてくれてありがとう」

 ふと、鷲星の声の調子が変化した。口にまろやかな茶が豊かに香るように、深く、やわらかさを帯びる。軽妙な感じが消えて、むせるような甘やかさをまとっている。

「乞縁節に願いをかけて、ずっと探していた人にめぐり会えたんだ。俺はもう、あとはなにも望まない」

 鷲星の顔が近くまで迫り、織風は自然に目を閉じた。

 鷲星がこれから、なにをするつもりなのかがわかる。

 かつて嵐鷲王が絹雲にしていたこと。

 記憶の泥濘のなかから一本の蓮がきりりと流麗に立ち上がり、織風に示唆を与える。それはかつて嵐鷲王と絹雲の間で、連座のごとく花開いたきらきらしい愛の、うつくしい記憶だった。

 唇同士が合わさる。重なり合い、離れてはまた重なった。そうしていると鷲星と唇が癒着してしまうのではないかという錯覚におそわれる。

 ――おまえさんは俺を愛していない。

 以前、鷲星が苦しそうにそうつぶやいた理由が、いまならよくわかる。前世で別れた思い人が、再び自分を愛してくれるのか。出口の見えない惑いのなかにいながら、それでも織風を愛し、そばにいたいとかたわらに居続けるのは、たまらないほど切なく、苦しかっただろう。

 ぬるりと鷲星の舌が口内に入り込み、舌を探して絡みつく。まるで織風を味わい尽くすように、舌は丹念に押しつけられる。舌は、頬の内側のやわらかい部分をくすぐりさえした。

「おまえさんの口は甘いんだな」

 うっとりと陶酔した声で鷲星が言う。

「そう錯覚しているだけだ」

 織風は困ったように笑い、掘りの深い目元にかぶさっていた鷲星の髪を人差し指ですくい、耳の横の毛に混ぜながら軽く梳いた。

「そうかな? 本当に舌に甘く感じられるんだ。これほど好きだと、味覚も変わるものなのかな」

 大きな手が帯を解き、織風の着物のまえをくつろげる。敷布に広げると、蝶の翅のようだった。

 鷲星も短衣の結び目を解き、裸の上半身をさらした。

「織風」

「……!」

 切ない声で呼ばれ、喉に噛みつかれた。ごく弱い力だったが、肌に歯が刺さったのでおどろいた。鷲星の歯が、皮膚の薄いところを軽く甘噛みする。まだ腹が減っていると口にした鷲星は文字どおり、織風を食らうようにして味わう。

「鷲星……。きみは動物のようだな」

 織風はおのれを食らう鷲星の頭を抱き、いとおしそうに髪をなでた。

 肌と肌の密着したところが熱い。どちらのものともわからない熱で、皮膚が浸食される。

「あ……!」

 鷲星の唇が織風の胸の尖りに触れたとき、疼痛が生じた。疼痛は織風の全身に、かつてないほどの甘やかなしびれをもたらした。

「あ……、鷲星、そこ……」

 胸の尖りを舐められてよろこびを感じている。そのことを織風は恥ずかしく感じた。

「いいみたいだな、ここ。よかった。色恋とは無縁のはずの天人さんも、ちゃんと感じるみたいでさ」

 脊髄に近いところで起こった疼きに、織風自身が戸惑っている。

「あ、鷲星、あ、あ……!」

 織風の薄い胸で赤く色づいた、頼りないほどやわらかな果実に吸い付かれる。吸われるほどに実はきゅうと硬くなり、じんじんと切ない痛みを伴うようになった。

「鷲星、なにか、変なのだ……」

 織風が訴えるのと同時に、屹立した果実のさきからとろりと透明な蜜がしみ出してきた。左右どちらからもどんどんとあふれ、滴となって胸のまわりに垂れる。

「天人ってのは、胸から蜜が出る生き物なのか?」

 鷲星はためらうことなく、胸に散った蜜を舐め取り、その源泉となったふくらみに口をつける。

「あ……っ、ああ――」

 織風の背中がのけぞった。蜜が滲出したところを直接吸われると、途方もない歓喜の熱が、そこから全身にじんわりと伝播していき、体が甘やかさにとろけそうになる。特に体の中心にあるものには、しびれるような、切ないような刺激が直接伝わる。反応を示して兆すので、織風を戸惑わせた。

「蜜も甘いな」

 鷲星がうっとりとした声で感想を漏らす。

「おまえさんの血と同じくらい、甘く感じられる。おまえさんの体はどこもかしこも甘いんだな。きっと式鬼にとっては、天人の全身が餌なんだ」

「きみにはだまっていたのだが、調べたらどうもそういうことらしいとわかった」

 織風が照れ臭そうに天人の秘密を暴露すると、「へえ、じゃあこれからは血じゃなくて、こっちの蜜をもらおうか」と鷲星は人の悪い笑みを浮かべた。

 胸の尖りからぷつぷつと、あとからあとから蜜がにじんで、玉となりこぼれる。

「こっちもすごいことになってるな」

「え、あ――!」

 鷲星の手が根本から立ち上がった織風の屹立をひとなでする。いつのまにか屹立の先端からも蜜がにじんで、ふくらみに沿って垂れ、いまや濡れていない箇所を探すほうが大変という有様だった。

「鷲星、私はどうなってしまったのだろうか」

 こんな自分は知らない。

 嵐鷲王に愛された絹雲も、よろこびに腰をくねらせ、体の中心にあるものから蜜をこぼし、全身を震わせていた。だからこの行為が愛をつむぐものなのだということは知っている。だが鷲星に熱を与えられ、なにかを期待するようにおのれの体が、こんなにも意地汚く変化することに織風は戸惑い、恥じらった。

 鷲星と出会うまで、織風は恋を知らなかった。恋した人に触れられて、色恋とは無縁な天人だったはずのおのれの体が変化する。

「触られたらそうなる。普通のことだろ?」

 はじめて生じた体の変化に戸惑い、掛布で体を隠すようにしてしまった織風に、鷲星は困ったようにほほえんでみせる。

「そうか、天人さんはこの世にはこんなに気持ちのいいことがあるってことも知らずに生きてんのか」

「ひ……ぁ……!」

 鷲星は布の間に手を差し入れて、蜜をこぼし続ける雄の印を軽くしごき上げた。

「あっ、あっ、あああ……っ」

 織風の唇からあえかなあえぎ声が漏れる。おのれの口からこれほど甲高い、悲鳴のような声が出るのが信じられなかったが、止めようがない。

「鷲星、ああ、あああ――」

 体の奥でなにかが爆ぜる、と思った。鷲星は屹立を口に含み、とろりとあふれた大量の蜜を口内で受け止めた。

「ひ、あ、鷲星……! 口から出して……」

 真っ赤になって手近な手巾を探す織風を意に介さず、鷲星は軽く喉を鳴らして液体を嚥下する。

「うーん、こっちまで甘いとは」

 鷲星の触れたところすべてが熱く、とろけそうに変化する。本当に腹を空かせた鷲星への供物になってしまったかのようだ。

「天人は一般的には性愛とは無縁だと思われてるけど……。本当か、織風?」

 鷲星の手が、織風の尻のあわいをなでる。ぬるりと濡れた感触がした。

「なにもしていないのに、こんなに濡れてる」

 鷲星の指が、透明な蜜をにじませているすぼまりをきゅうっと押す。ひだの折り重なったつぼみは信じられないほどやわらかくほどけていて、あっけなく指先を飲み込んだ。

「あっ、あああっ……!」

 鷲星の指が探り当てた場所をなでこすられると、そこから途方もない愉悦が下半身からじわりと体を冒していく。織風の全身がびくびくと震えた。

 絹雲の記憶が重なる。秘所のなかにひそんでいる、男の体が女のようになってしまう場所。

 これからなにをされるのかわかる。また、してほしいとも望んでいる。いま鷲星の指が入り、いっそうやわらかくなるように指で優しく開かれている場所に、鷲星の熱の塊を差し入れられるのだ。記憶のなかの絹雲の体が期待に打ち震え、そのときを待ち望んでいる。

「鷲星、もう……」

 織風は腰を揺らめかせてねだった。

「もう入れてほしい。きみが欲しいのだ、鷲星」

 鷲星は意外そうな顔をして、片眉をつり上げる。

「おねだりか? いまのはかわいかった」

 鷲星は腰紐をくつろげて褲をわずかに下げる。布の内側からあらわれた大きな塊がずくん、と織風のやわらかいところを貫いた。

「あああ――」

 織風の体はするすると、熱の塊を受け入れていく。その質量を感じるだけで、またさきほどのように体の奥から蜜を吹き上げてしまいそうだった。

「織風っ……」

 鷲星は愉悦がもたらす苦悶に顔をゆがめ、腰をゆらしはじめた。規則正しい律動が織風の体をゆらす。鷲星はじっくりと攪拌する動きも織り交ぜて、織風を翻弄した。胸の蜜を吸われながら体のなかをかきまわされると、織風はもう狂ってしまいそうになる。

「あああっ、鷲星、ああ――!」

 胸からいっそう多くの蜜が滲出して、噴水のようにまき散らされたのが恥ずかしかった。体がよろこんでいる。鷲星のことを好きなよろこびが全身からあふれて、相手に伝わってしまう。

「鷲星、だめだ、また――」

 体の奥に渦巻く熱が解放口を求めて暴れている。織風はぎゅっと両足で鷲星の腰を挟み、限界を訴えた。

「いきそうか?」

「い、いく……?」

 聞き慣れない言葉に、織風は首をかしげる。おや、と鷲星の目が虚空をさまよった。

「どう説明すりゃいいんだ? まあ一番、気持ちよくなって、一回おしまいになることとでも言えばいいか」

 ゆるやかな律動が再開される。

 二階で泰明も寝ているし、涼風を取り込むための窓も開いたままだ。いまさらながら声を抑える必要性に気がつき、織風は身を固くした。

「鷲星、口を」

 そうねだると、鷲星の口が織風の口をふさぎ、舌が熱く織風の舌に絡まってきた。

「んん――ん……」

 織風を責め立てるように疼く体の熱がこらえきれなくなり、くぐもった声とともに、織風の熱が放出された。一回おしまいになる、と鷲星は言っていたのに。熱が放出されている間も鷲星の屹立が体の内側をこすり上げると、寂しくなるような余韻がいつまでも後を引き、織風に快楽の残滓を植え付け続けた。

「織風」

 熱で上ずった声で鷲星がささやき、織風の体の奥でふくらみきったものが爆ぜた。とろとろと体内に大量の精が吐き出され、その熱は快楽の残滓と混ざり、織風を切ないほど幸福な気持ちにさせたのだった。

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