第10話
永盛城は悪夢の有様だった。
妖魔との攻防のためか、あちこちの外壁が崩れており、隣接した区画とぶち抜きになっている。建物はさすがに頑丈に造られており、だいたいのものは屋根の瓦が崩れるだけでこらえていたが、なかには骨組みが剥き出し、半分倒壊しかけているものも混ざっていた。
ムカデの妖魔はだれかれかまわず攻撃するように指令を受けているらしい。織風たちが飛んでくると、数匹がいっせいに向きを変えて体をうねらせ、挑んできた。あわわわ、と全身から見えない汗を飛び散らせて杼把は左右に飛び、迫りくる妖魔の柱を次々と避ける。
ムカデは城の壁沿いの小道をしゅろしゅろと巧みに進む。外壁を登り、即座に隣の通路へと入り込む。壁と小道が入り組み、多重構造になった永盛城を攻めるのにうってつけな姿だ。極北王とその仲間たちがこの日のために研究を重ねて、選び抜いた妖魔なのだろう。
「織風!」
上空を横切る杼把に気づくと、天馬にまたがり地上付近で応戦していた頻羽が上空へと駆け上がって来た。
「無事に鷲星と会えたか」
「はい。頻羽さまもご無事でなによりです」
「剛毅の働きで、なんとかな」
頻羽は苦しげに眉根を寄せながらも、かろうじてほほえみを浮かべる。眼下では剛毅が、屋根から屋根へと驚異の跳躍力で飛び移りながら、魔の手を伸ばす妖魔を次々と切り刻んでいる。
「城はすっかり妖魔に巣くわれてしまった。ここは危険だから、二人は城外に出ていたほうがいい。一体倒してもまた一体と出現してきりがないのだ。いまのところは城内で食い止めているが、いつ穂楽に入り込まれるとも限らない」
「頻羽さま。城のどこかに妖魔を操る術士がいるようなのです。それと、いまは城内のみでとどまっておりますが、明朝になると穂楽に放たれると。止めるなら今宵が勝負です」
「きみはどこでその情報を?」
頻羽は意外そうに目を見開く。
「この件の首謀者から聞きました」
具体的な名前はぼかしたが、いまのいままで織風が一緒にいたのは極北王だと知れている。聡い頻羽はそのひと言だけで、こんなことを仕掛けた犯人がだれなのか当たりがついたようで、「王よ……」とつぶやき苦い顔をした。
「愛鸞帝はどこだ? 伝えたいことがあるんだ」
織風の背後からひょいと身を乗り出した鷲星が頻羽に問いかける。
「朝堂殿で指揮を執られている」
朝堂殿へと向かう石畳のうえにも、左右に伸びた脇道にも、妖魔はどこにでもおり、行く手を阻んでいる。
「よし。妖魔に襲われぬよう、私がきみたちを誘導しよう」
頻羽が下を見下ろし、極力妖魔を避けて朝堂殿にたどり着く道順を計算しはじめたところで、数体の妖魔が徒党を組んで織風たちに向かってきた。すこしの猶予も許してはくれないようだった。
ムカデの妖魔は飛翔能力を持たない代わりに、一体が別の一体の上に折り重なって連なり、まるではしごのような役割を果たして、織風たちの浮遊する位置まで到達してくる。ムカデの連結はうねる蛇の胴体のように永盛城の城壁を軽々と超えて伸びる。連なった妖魔の全長は、永盛城と町を隔てる外壁を高々と超えている。極北王のあじとから織風が見た火柱はどうやら、折り重なって中空まで伸びたムカデの群れらしい。首の付け根が寒くなるおぞましさだった。
「降下するぞ、織風!」
頻羽は「ついて来い」と手を振り上げて織風に合図を送り、建物の間の小道へと降下した。
「あのように妖魔が登ってくるので、あまり高く飛翔していられないのだ。穂楽から丸見えになってしまう」
妖魔から逃げながら、先頭の頻羽が声を張り上げる。織風もすかさず杼把の高度を下げて、頻羽のあとを追いかける。
「すでに町の人たちに見られておりました」
「そうか。うまい言い逃れを考えなければな」
夜目が利くよう、あちこちでたいまつが焚かれている。剛毅の処理が追いつかないところでは、妖魔一体につき龍尾軍の兵士が複数名で応戦していた。
頻羽の背中を追いかけながら、織風が背後を振り仰ぐ。
織風たちが飛び去ると、天に伸びていた妖魔は端からばらばらと崩れて地面に落ちる。着地するとすぐさま向きを変え、ずざざざと這いながら織風たちを追いかけてきた。
「剛毅!」
正面をふさいでいた数匹を撃破した剛毅は、頻羽の呼びかけに心得たというようにうなずく。屋根から飛んで壁を渡り、妖魔の群れへと直進した。
霊獣の背に乗った三人が背後を振り返ると、ちょうど妖魔の群れの中央へと、果敢にも剛毅が飛び込むところだった。剛毅の着地点で竜巻が起こり、ずばんと周囲に血と肉片が飛び散る。団子状に徒党を組んだムカデのなかで剛毅の大刀が目にも止まらぬ速さで回転し、肉を切り裂いているのだ。仲間の死骸に阻まれて、あとから続々と進軍してくるムカデの勢いが失速すると、剛毅はすかさず高く跳躍し、頭上から一気に刀を振り下ろして、渋滞により折り重なったムカデ体を真っ二つにたたき切っていく。また地表に降り立つと頭上に向かって大刀を振り上げて、妖魔の胴体をかっさばいていく。
鬼だ。鬼神の戦いだ。あれこそが天人により力を与えられ、使役され、人間ではありえない力を発揮できる式鬼の戦い方なのだ。
「いまのうちだ! 朝堂殿に飛び込むぞ!」
頻羽の天馬が朝堂殿めがけて飛ぶ。
「杼把、頻羽さまのあとへ!」
天馬よりも機動力が劣る杼把は、ぬおお、と気合いで天馬の尻を追いかけた。
朝堂殿の周辺は、龍尾軍の兵士に取り囲まれていた。まだこの大本営まで妖魔は近づけていない。だがいつなんどき、どの方角から襲われてもいいように、みながびりびりと警戒をみなぎらせていた。
「頻羽さま、ありがとう!」
なんとか全員無傷で、殿の入り口までたどり着いた。
「陛下はなかだ。私は剛毅の支援に戻るぞ!」
頻羽はそう言い置いて天馬を駆り、大刀を振るい続ける剛毅の元に戻っていった。
「愛鸞帝!」
杼把に礼を言って異空間へと戻らせた織風は、段をすっ飛ばすようにして階段を上がり、朝堂殿へと走り込む。
愛鸞帝は朝堂殿の奥にしつらえた玉座ではなく、外階段へとつながる門のまえに立ち、片時も目を逸らすことなく、城内の攻防を見つめていた。
「陛下、もうすぐ」
一気に階段を駆け上がって息が切れた織風は、膝に手をついて呼吸を整えてから続きを口にする。
「もうすぐこちらに、人がやって来ます」
「それを知らせに来てくれたのね?」
愛鸞帝がゆっくりと織風に顔を向ける。招かれざる客の到来を、あらかじめ予期していたかのように泰然としていた。
「そうです。そいつこそが、永盛城に妖魔を放った黒幕だ。これからみんなでやつを説得して、蛮行を止めようぜってお伝えしにきたんです」
「その者とは、だれなの?」
愛鸞帝は片眉をつり上げて尋ねた。自分の庭をめちゃくちゃにされた怒りに燃えているのか。顔はいつにもまして真っ白で、わずかに笑んだような無表情は冷たく、凄絶なうつくしさすらたたえていた。
「それは」
織風が答えられないでいる間に、穂楽につながる正門のほうから騎馬団があらわれた。
朝堂殿に近づいてくるにつれ、先頭で馬に乗っているのは極北王だとわかった。王の背後には武装した騎馬集団が続いている。
武装集団が城内を進む。うじゃうじゃとあちこちの道にあふれた妖魔は、まるで透明な遮蔽物でさえぎられているかのように、見事に極北王の率いる隊列を避けて、龍尾軍の兵士だけを襲う。織風の告げた待ち人がだれなのか、瞬時に愛鸞帝にも伝わったはずだ。
「ほう。裏切り者が、極北王とはね」
愛鸞帝は興が湧いたように感想を述べた。口調は普段どおり穏健そのものだが、その目の奥に、静かな怒りの火が燃えている。
隊列が近づいてくると、朝堂殿を取り囲む兵士は抜刀し、槍をたずさえ、戦闘開始のかまえに入った。
「陛下」
織風は心配そうに、愛鸞帝の顔を見つめた。年齢相応に輪郭がゆるんだ円かな顔は王者の矜持をたたえ、ひるむことなく賊子の集団に向けられていた。
「心配ないわ」
愛鸞帝は織風を見つめ、いつものほがらかさでほほえんでみせた。
「即位して後宮を廃すると決めたとき、大臣たちから猛烈な反対に遭い、わたくしは孤立無援でした。味方してくれたのは頻羽と、一部の軍師たちだけ。そのときに比べたら、この状況はいくらかましよ。だってわたくしに味方してくれる人が、こんなにもいるのだから」
そう言って帝は頼もしそうに、朝堂殿を固める兵士達を指し示した。
騎馬隊は朝堂殿のまえに整列した。武器をたずさえた凌雲の兵士と、一触即発の雰囲気になっている。
「武器を向けずともよい」
愛鸞帝の声に、兵士たちは訝りつつも、一旦は武器を収めた。
「おばうえ」
龍尾軍の警戒が解けたところで極北王は悠々と馬から降りて、朝堂殿への階段へと近づいてくる。
「お話がしたく参りました。なかに入れていただけますね?」
極北王の背後を見やると、朝堂殿から離れたところで、直立したムカデが体をうねらせ、暴れ躍っている。言うことをきかねば一網打尽にしてやると脅しをかけているかのようだった。
「ついて来なさい」
殿の入り口から極北王を見下ろしていた愛鸞帝はくるりときびすを返して、長い着物の裾を引きずりながら殿の内部へと歩み出した。織風に鷲星もあとに続く。織風の背後から、兵士数名を引き連れた極北王がたん、たんと靴音を響かせて、階段を上がってくる音が聞こえた。
朝堂殿内をしずしずと進み、愛鸞帝は悠然と玉座に腰かける。自分の居場所は何者にも奪わせないと、牽制をかけているかのように。
「妖魔の駆除で無駄に兵士達を疲弊させるのも気が引けるゆえ、率直に申します。おばうえよ、私に詔帝の座をお譲りください」
場違いとも思えるほどのうやうやしさで、極北王が頭を垂れる。愛鸞帝は怒るふうでもなく、軽く首をかしげた。
「なぜ、今日でなくてはならぬのかしら。あなたも次期詔帝候補の一人と考えて、日々研鑽を積んでもらっているところよ。まだまだ、学ぶべきことがたくさんある。あせる必要はないわ」
「そうおっしゃるおばうえこそ、私と同じ年に即位されたではないですか。気長に待っていては、あっという間に中年です」
「わたくしの場合は、愛姫のために父が身を持ち崩してしまったゆえ、仕方のない決断だったわ。自分でも、時期尚早だった感は否めない。それと、若さばかりが詔帝の魅力ではないわ」
「いえいえ」
極北王は挑戦的に笑んで、大げさに首を振る。
「そう言っておばうえは、いつまでも帝位の座に居座るおつもりでしょう? 口では後継者を育成しているのだと言いながら、結果としておばうえの思うがままになってしまう。凌雲王朝のますますの発展のためには、宮廷の新陳代謝をよくしなければ」
おたがいにうすら笑いを浮かべた二人が、視線で激しい火花を散らす。場はしばし無言となり、沈黙を破ったのは極北王だった。
「私に詔帝の座を譲ると即座に発表なさってください。さもなくば、あの妖魔たちを穂楽に放ちます。待つのは、明朝までです」
「ほう」
愛鸞帝は余裕の表情だ。手に汗を握りつつやりとりを見守っている自分のほうが、よほどはらはらしているのではないかと織風には思えたほどだ。
「民を人質にわたくしを脅すというのか」
「どう受け取っていただいてもかまいませんが。治めるべき民がいない王というのも滑稽です。仮に穂楽に放ったとしても、皆殺しにはいたしませんよ」
軽い調子で放った極北王のひと言に、これまで平静を保っていた愛鸞帝が、とうとう怒りを爆発させた。
「きさまは人の命をなんだと思っている!」
愛鸞帝は立ち上がり、怒りにまかせて着物の裾を振りさばきながら、玉座への階段を降り、極北王へと詰め寄った。厳しくもありつつも、どこか自分に甘いところのあった愛鸞帝の激高ぶりを目の当たりにして、さすがに心臓が縮み上がったのか。極北王はあきらかに狼狽し、身がすくんでいた。
「王とは民を守るべき者。きさまに詔帝となる資格などない!」
極北王を喝破した帝は、全身に王の威厳をみなぎらせて場を睥睨した。極北王に付き従い朝堂殿入りした逆賊の兵士たちも、迫力に気圧されて思わずその身をすくませている。
医療の充実を図り、交易を盛んにして穂楽の経済を潤すことで、民に報いてきた王の気概、誇りが、愛鸞帝をその場にいるだれよりも大きな存在に見せていた。
「帝位をゆずれって言うけどな」
場の緊張を打ち破ったのは、鷲星だ。
「さすがの陛下も、どこの馬の骨ともわからんやつに、いきなり詔帝の座はくれてやれないよな?」
「なにが言いたい」
にやにやと人の悪い笑みを浮かべた鷲星に話しかけられると、どうも調子が乱れるらしい。極北王は顔に張り付かせていた挑発的な笑みを消して、自分の希望に取り合ってもらえないときに子どもがするような小難しい顔つきになった。
「陛下」
鷲星は懐からかんざしの入った箱を取り出し、中身をあらためてくれと愛鸞帝に差し出した。
「これは?」
愛鸞帝は訝りつつ箱を開ける。
「堯天帝の側室だった西宮妃のものです。俺の母が、西宮妃からもらい受けました」
愛鸞帝はそっとかんざしを持ち上げる。表に裏にと何度もひっくり返し、透かし彫りに宝石の埋め込まれた凝った意匠を存分にたしかめる。
「……たしかに西宮妃のもので間違いないわ」
「私は鷲星を信じておりますが、陛下はどうして、間違いなく西宮妃のものだとわかるのですか?」
かつて永盛城で使われていた装飾品にふさわしい豪奢な造りではあるけれど、大鷲団で手に持ちあらためたかんざしには、特に記名などされていなかった。間違いなく西宮妃が使っていたものなのか、確認しようがないと思われたのだ。
「これをご覧なさい」
愛鸞帝は、うなじのあたりからすっと一本のかんざしを引き抜いた。その形を見てはっとした。鷲星の持ってきたものと形が似ている。
「これは昔、わたくしが西宮妃から賜ったかんざしよ。鷲星の持ってきたものと対になっているの。まったく同じ造りで、ただ形が左右反転している。だから重ねると、ほら」
細かな透かし彫りをほどこされた持ち手部分を重ね合わせる。半月の輪郭に海月の胴体のようなうねりが加えられた部分がぴたりと一致し、ひとつの丸い円形となった。
「これほどの意匠をほどこせる職人はそう多くはない。当時の宮廷が抱えていた職人に造らせて、西宮妃に献上した二本のうちの一本で間違いないわ――するとそなたは」
愛鸞帝は頭にかんざしを刺しなおすと、不思議そうに鷲星を見つめた。箱ごとかんざしを返却された鷲星はどう説明したらと迷っているのか、髪の毛に手を差し入れて、頭をがしがしとかきまわす。
まさか鷲星が、極北王は偽物だと糾弾する鍵を握っていたとは夢にも思わなかったのだろう。さきほどまで好戦的に愛鸞帝に交渉を持ちかけていた極北王は、まずい展開になっているぞと内心のあわてふためきが表に出て、顔が引きつりはじめていた。
ふっと息を吐いて鷲星は、簡潔におのれの身の上を語った。
「俺の母は、西宮妃の三女です。極北王の騙った出自と同じ。俺と母だけ家から出たので、戸籍は抜けていますが。戸籍の空白を、うまいこと極北王に利用されたんでしょう」
鷲星はあごをしゃくり、極北王を示す。
家系図上で、鷲星こそが極北王の位置に該当する人物だ。同時に極北王が身分を詐称して、永盛城に入り込んだ偽物だということもこれではっきりとした。
愛鸞帝は覚悟を決めるかのように一度目を閉じ、ゆっくりと開くと言った。
「わたくしは、極北王が身分を偽っていることを知っていました」
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