第9話

 穂楽の正門まえで降り立つと、織風は杼把を異空間へと帰した。

 大通りに人がわらわらと集っている。みな、心配そうな顔で永盛城のほうを見上げていた。空に向かって佇立するムカデが見えたのだ。城でなにか異変があったことが、すでに町の人々に知られている。

「鷲星! 天人さま!」

 鷲星と前後に連なり、さりげなく人の群れを早足で抜けて李食堂を通り過ぎようとしたとき、通りに出て空を見上げていた李夫妻と行き合った。

「永盛城に大ムカデが出現したって、本当なのかい? まさかとは思うけど、妖魔の類いじゃないんだろうねえ。あたしは心配で」

 李夫人は顔を不安でいっぱいにしながら、鷲星に問いかける。

「町のみんなも不安がっちまってさ。こんな日に店に来るお客さんもいなくて、商売上がったりだ。とにかく穂楽を離れようってんで、いま関所が大渋滞してるって聞いたよ」

 主人も晦冥の空を見上げ、不安を吐露する。

「あー、ええと。珠翡天人がなにか実験をしてるんじゃないか? ほらあの人、妖魔対策の筆頭だろう?」

 鷲星は苦し紛れの嘘をついてごまかした。織風はなにも言わない代わりに軽くほほえんで、鷲星の嘘を後押しする。

「そ、そうかい? ならいいんだけど……」

 やや納得しきらないところを残しつつも、李夫人はほっとして丸い頬を押さえた。

 織風は袖に隠した手をぎゅっと握りしめた。織風の緊張が李夫妻に伝染してはならないと、決して態度には出さないように気をつけた。

 町の人たちを逃がしたほうがいいのだろうか。けれど関所が混雑しているいま、穂楽から逃げるよう煽動するようなことを言えば、人が殺到して大混乱につながる。密集した人で押し合いへし合いが発生して危ない。安易に逃げてくださいとも言えない状況だ。

「大丈夫だよ、おじさん、おばさん。俺たちはこれから永盛城に戻るんだ。そこでなにか変わったことがあったのか、聞いてくるよ」

 織風が迷っていたところで、鷲星があくまで気楽な調子で言った。

「だからもう店を閉めて、ちゃんと戸締まりしてから寝ててくれ。なにも心配することはないさ。それに、おじさんとおばさんが穂楽を出たら、明日から俺はどこで朝飯と昼飯と晩飯を食えばいいんだ?」

「まあ鷲星がそう言うんなら、ねえ」

 李夫人は夫のほうに顔を向ける。見つめられた主人はやや不安を残しつつも拍子抜けした顔で、頬を掻いた。

 鷲星は去り際に、周囲の人に聞こえないほどの小さな声で夫人に告げた。

「いざというときに町を出られるように、最小限の荷物だけまとめてから今夜は寝てくれ。そんな事態にはならないと思うけど、念のため」

 やはりなにかとんでもない事態が起こっているのか。けれど信頼している鷲星が大丈夫だと言うのなら、その言葉を信じたいと思ってくれたのか。夫人はそれ以上なにも訊くことはなく、ただ神妙な顔でうなずいた。

 李食堂を離れてから、鷲星がつぶやく。

「おじさん、おばさんに嘘ついちまった。いやなもんだな。人の命をあずかるってのは」

 そう言って、やれやれと首を振る。

「いや、鷲星は立派だ。私はとっさに、本当のことを話したほうがいいのか迷ってしまった。朝までになにもなければ、嘘をついたことにはならないよ」

「そうだな」

 大鷲団の店の明かりは、まだ点いていた。

 店内には泰明がおり、もう店を閉めようと商品の陳列を下げているところだった。

「鷲星! 天人さま!」

 しばらく店を空けていた雇い主が意外なときに戻ってきたとおどろいたのか、泰明が額を引き上げ目を大きく瞠ったせいで、鼻先にずり、と黒眼鏡がずり下がっている。

「泰明! ちょっくら戻ってきた。またすぐに出発する」

 鷲星は階段を上りつつ、片手をあげてあいさつをよこす。

「なあっ、外がすごい騒ぎになってるみたいだけど。なんか知ってる?」

「みなが心配するようなことはなにもないよ。永盛城からは、なんの発表もないだろう?」

 鷲星を見習い、織風も嘘をついた。

「あ、ああそうなの? ま、天人さまがおっしゃるなら大丈夫かあ。単に噂が噂を呼んだのかな」

 織風の言葉に安心した様子の泰明は、閉店準備の続きに入る。

 これで泰明は、町から逃げない。泰明の命は、織風の胸の内にあずかった。

「……たしかに、いやなものだな」

 階段を上がる鷲星の背中に向かい、つぶやいたひと言は聞こえていなかったのか。鷲星が振り返り、言葉を返すことはなかった。

 三階にある鷲星の部屋は、換気のために窓が開け放たれていた。露台につながる窓から差し込む月明かりと星明かりが、部屋をうっすらと照らしている。鷲星が机上の行灯に火を点すと、部屋全体がほのかな橙に照らされた。

「まさか、こいつを人前にさらす日が来るとはな」

 机のうえに木箱が乗っている。両手で抱えられるくらいの大きさだ。どうやら細工がほどこされているらしく、蓋に見える部分はそのまま持ち上げただけでは開かない仕組みだ。開け方を熟知している鷲星は手際よく、木箱の側面を何度かずらしてから、接地面との間にわずかに隙間ができた蓋を持ち上げた。

 箱のなかには、現金がいくらかと、鍵が入っていた。鷲星は鍵を机の一番上の抽斗に差し込んだ。

 鷲星が引っ張り出した抽斗のなかには、また箱が入っていた。今度のものは細長く、片手で持てるほど小さい。鷲星が蓋を開くと、なかには一本のかんざしが入っていた。意匠の華やかさから庶民が身につけるものではない高級さが感じられる。

「俺の母が西宮妃から賜ったものだ。ちなみに、俺の母は西宮妃の三番目の子」

「え……。すこし、待ってくれないか」

 織風の頭のなかに、頻羽が空中に描いた家系図が展開する。鷲星が語った系譜はまさに、極北王のものと重なるではないか。

「鷲星、どういうことだろう……。西宮妃の三女の子とは、極北王のことではないのだろうか」

「あいつは偽物。俺が本物って言ったら信じるか?」

 織風が戸惑う様子を楽しんでいるのか、鷲星がにやりと笑う。

「親父が既婚者だったことを知らなかった母さんはほんの出来心で一時付き合い、子ども――俺をもうけた。愛鸞帝は後宮を廃し、直系の子どもが二人しかいないだろう? 庶子とはいえ、後継者候補として血筋をたどって来た王家の者に俺をよこせと言われる可能性もある。母は俺が宮廷の権力争いに巻き込まれることをいやがって、王家から距離を置こうと家を飛び出したんだ。俺の婆ちゃんは娘を心配して、自分につながるせめてもの証としてこのかんざしを持っていれば、いざというとき王家を頼れるからと母にあずけたんだ。母は実家と完全に手を切ったつもりでいたけれど、まあ金に困ったら売ろうと思って、受け取ることにしたみたいだぜ」

 鷲星は西宮妃の孫に当たることになる。そして堯天帝を介して、愛鸞帝とも血のつながりがある。高貴さとは無縁の鷲星が王族に連なるものだったという事実に、織風はただおどろいていた。

「だから極北王と初対面のとき、『あ、こいつ。偽りを騙ってまんまと王朝に入り込みやがったな』ってすぐに気がついた。母が意図的に戸籍の更新を怠ったおかげで、俺たちの足跡は追えないようになっていたから。あいつ自身か、それとも裏で糸を引いているやつか。だれの思いつきかはわからんが、首謀者はうまいこと家系図上の空白を見つけ出して、身分詐称に利用しようと思ったんだろう」

 鷲星はそこで一度言葉を止め、どうしていままでだまっていたのかの理由を添えた。

「母さんは実家と手を切ってまで王家とのつながりを絶ち、俺が自由に生きられるようにしてくれた。だから俺もあえて名乗り出たくはなかったし、宮廷のことは宮廷の人たちで解決すればいいと思っていた。でもまさか、あいつが謀反を企んでいるなんて思わなかった。こんなことになるならもっと早くに名乗り出ていればよかったと、ちょっとだけ罪悪感だな」

 鷲星は蓋を閉めて、箱を短上着の帯の間に差し込んだ。

「これから城に戻って、極北王は偽物だと糾弾する。正当な後継者候補ならともかく、どこの馬の骨ともわからない輩が王朝に入り込んでいたのだと知れたら、あいつは即刻捕らえられて、刑に処されるだろう」

「それで一騎討ちだと言っていたのか……」

 鷲星の真意を知り、その言葉には多くの含みが持たせられていることを織風は実感する。

「きみは不思議だな、鷲星。きみが口にしたことで、妙な引っかかりを覚えたことがいくつかあるのだ。でも自然と聞き流すこともできるような内容だから、問い質したことはなかったけれど。ひょっとして、ほかにもなにか隠しているのか?」

「たとえば?」

「たとえば……」

 一番引っかかっていたことがある。ちょうど場所が同じということも手伝って、織風の頭に浮かんだのは、乞縁節のことだった。

「二人で、ここで天燈を作って飛ばした晩があっただろう? そのときに教えてくれた嵐鷲王と絹雲の物語。あの話を語るときのきみは……。なんだか、まるで昨日のことを語っているような妙な調子だったのだ。あの話は、きみが生まれるはるか昔にあった出来事が元になっていて、史実かどうかもあやふやなのに」

「そりゃそうさ。だって、実際に見てきたからな」

 なんでもないことのように鷲星は言う。鷲星には過去にさかのぼれる異能でもあるのだろうか、と織風は不可思議そうな顔をした。

「王と忠臣の悲劇の物語は、まあおおむね正しく後世に伝わっているが、一部伝わっていなかったことがある。絹雲は天人だった。そんで自害して死ぬ寸前、天人の術を使って自分の魂魄を割って、魄を俺に渡したんだ。だからおまえさんには、魄がないんだよ」

「え……?」

 前世の話と現世の話。その二つを隔てる境界が溶けて消えた。織風は当惑して、鷲星の顔を見つめ返すことしかできなかった。

「前世の俺は嵐鷲王で、織風は絹雲だった」

 もたらされたひと言に仰天して、織風は息を飲んだ。なにか言わなければと思うのに、胃の奥でせき止められたかのようにまるで言葉が出てこない。

「なんだ、やっぱり気づいてなかったか。自力で思い出してほしくて、いろいろと匂わせていたつもりだったんだけどなあ」

 どこから問うべきかと惑い、織風の口がはくはくと開閉した。織風が言葉をつむげないうちに、鷲星は絡まった疑問の糸束をすこしずつ解きほぐす。

「嵐鷲王が治めていたのは地方の小国とはいえ、一応は王だったからな。そのころから、王と天人が対の契約を結ぶことを翠藍は禁じていた。だから二人は永久の愛を誓っていても、契約を交わすことはかなわなかった。そんで、絹雲は死んだ。俺の名誉を守るために、自分の命を差し出して」

 また鷲星のなかで、現世と前世が交錯している。七百年も昔の人の話が、自分の話に取って代わる。

「来世ではきっと一緒になろう。今度こそ天人と式鬼の契約を交わして、永遠にともにいよう。生まれ変わって姿形が変わっても、自分の魂の片割れを頼りにきっとあなたを見つけ出す。そう言って絹雲は魄を嵐鷲王に渡した。おまえさんの魄は、俺が持ってる。転生するときに、ちゃんと俺の魂魄に混ざってた」

 魂魄の在り処を意識するように。鷲星は拳で胸の当たりを軽く叩く。

「俺は人として生まれ変わったけど、ちゃんと前世の記憶があった。理由はよくわからんが、絶対に絹雲を見つけだすっていう嵐鷲王の執念かな。それか、おまえさんの魄を持っているっていう特殊な状態だからか」

 天人に前世の記憶があるのは、魄の中身が見える異能があるから。それと同じ異能を持っていることで、人でありながら前世のことを思い出せる人間もいる。以前、頻羽が言っていたことを織風はおぼろげながら思い出した。鷲星にそうした異能が備わったのにはひょっとすると、魂魄が混ざりという特異な状態も寄与したのかもしれない。

「今日、俺がどうして織風の居場所を突き止められたのか、不思議じゃなかったか?」

「……金貸しの勘ではないのか」

 問われて織風は、ほのかなため息とともにようやく言葉を吐き出す。

「俺のなかには織風の魄があるから。魂と引き合って、俺にはおまえさんの居場所がわかるんだ。いつ、どこにいても。さすがに蓮花天にいる間は、わからなかったけどな。でも、はじめて地上に降りてきたときにすぐわかった」

 初対面のとき、鷲星は連れ去られそうになる織風のまえに姿をあらわし、人さらいから救出してくれた。そのあとも織風が穂楽に降りるたびに、毎回のように鷲星と偶然出会えた。――偶然ではなかったのだ。織風の魂を検知した鷲星が、偶然を装って会いに来てくれていた。

 鷲星は、織風の魄をもらい受けたことや、二人が前世で深く結ばれていたことを、いろいろと匂わせたのだと言った。振り返ると、ひょっとしてこれも含みを持たせた言動だったのでは、と思い当たる節がいくつかある。

 李食堂の客人を不安に陥れた術士に対して織風が憤ったとき、鷲星は「おまえさんはあいかわらずだな」と言ったのだ。織風は自分のことでは怒らない。織風が怒るのは、いつも他人のためなのだと。

 いつ時点と比べて「あいかわらず」なのか。織風はてっきり、穂楽にはじめて降り立ち、鷲星と出会ったとき以来だと思っていた。人さらいに遭っても、織風は自分のことでは怒らず、むしろほかの人たちがさらわれたことに怒りを燃やし、当事者の自覚がないことで鷲星になかばあきれられた。

 だがいまになりわかった。鷲星と織風では、「あいかわらず」の指す時点が違っていたのだ。自分の前世についてまるで記憶がないけれど、鷲星は織風が絹雲だったころから「まるで変わっていない」と含みを持たせていたらしい。

「鷲星は……」

 くらりとめまいがしそうになり、思わず織風は机に片手を突き、体を支えた。

「ずっと……知っていたのか……。私が前世で魄をなくしたことを。私が、絹雲の生まれ変わりだということを」

 鷲星は静かにうなずく。なぜ天人なのに織風に記憶がないのか。鷲星は知っていた。知っていながらだまってそばにいた。

 鷲星を式鬼にしてしまったことを織風が申し訳なさそうに告げても、鷲星の反応は落ち着いていた。それどころか、どうでもいいとさえ思っていそうな雰囲気がただよっていた。

 式鬼とはどういう存在なのか、前世で絹雲から聞いて知っていたのだろう。同じく、天人と式鬼の対を解除する宝珠があることも聞きおよんでいた。だから、天人から殺してもらわない限り死ねない体になったなどと言われて普通の人ならあわてふためくところを、普段と変わらず飄々とした態度だったのだ。

「鷲星は……私が……」

 数ある鷲星の不思議な言動のなかで、もっとも腑に落ちたことがある。

「絹雲だと知っていたから。絹雲は鷲星の名誉を守るために、呉寿王に下ってその果てに自害してしまったと覚えていたから。だから……私が自分を犠牲にするのがいやだったのだね。お役目のためになんて生きなくてもいい。自分のために生きてほしいと言ってくれたのだね……」

 絹雲は、主人を守るために死んだ。絹雲を愛していた嵐鷲王であり鷲星は、そのことを深く嘆き悲しんだ。自分を守るために、絹雲に命を投げ出してほしくはなかった。かつて失われた愛の重さが、現世の鷲星を鷲星たらしめたのだ。

「あんな思いをするのは、二度とごめんだからな。自分のために、俺の愛した人が死ぬなんて」

 鷲星がぎゅっと拳を握りしめる。

「でも、現世のおまえさんときたらあいかわらずだった。自分のことよりも他人のことだ。前世のおまえさんも普段はぼけているのに、俺をいいように扱う呉寿王に怒りを燃やして、俺を守ろうとした」

 鷲星がどうして自分を守ろうと必死だったのか、ようやくわかった。

 そして自分がどうしてお役目のために必死だったのか、よくわかった。

 織風はずっと、前世で鷲星とともに幸せになれなかったことをくやんでいたのだ。

 魂は人格を、魄は経験をつかさどる。織風は鷲星の名誉を守ろうとしたのに、結果的にはおのれの死で迎えた結末に納得ができず、鷲星を守れなかったという後悔の念が、深く魂に刻まれた。

 だれかを救わなければ。そのためにはおのれの身を差し出すことなどいとわない。なにかを成し遂げないうちは、だれかを救えなかった無力感と、早くなにかを成し遂げて過去の過ちを正したいという焦燥がずっとついてまわる。前世で絹雲が経験したことが、現世の織風の人格形成に影響をもたらした。

「私はずっと、他人のために役立つ自分でありたいのに、いまのところなにも成せていないのが不満だった。自分のためだけに生きていいのだときみに言われて気が楽になったけれど、いまのきみの話を聞いたら、どうして私が早く手柄を立てたいとあせるのか、とても腑に落ちた。きみを責めたいのではないよ。でも、もっと早くにこの話を聞いていたら、悩まずにすんだのかもしれないとも思うのだ」

「よほど言いたかったさ。でも、言えなかった」

 鷲星はふっとため息を吐く。

「だって、『おまえさんと俺は、乞縁節の由来となった二人の生まれ変わりだ』と突然言われたところで、疑いしか持たないだろう。織風は俺のことをまるで覚えちゃいなかった。魄がないから記憶もないんだって因果関係がわかってからは、本当のことを言おうかちょっと迷ったけどな。でも、なんとか自力で記憶を取り戻してほしかったから、やっぱりだまっていることにした。俺たちは前世で恋人同士だったと告げたら、いやでも俺を意識するようになるだろう? 織風が俺を好きになるように誘導するのは不本意だと思ったし、それに、前世でおまえさんが言ってくれたことを信じたかったんだ。姿形が変わっても、必ず俺を見つけ出すって」

 あっ、と織風の脳裏によぎったことがある。またひとつ鷲星が口にしたことの、違和感が氷解した。

「そうか……。これもまた不思議だったのだ。きみに思いを伝えたあとで、きみは『見つけてくれてありがとう』と言ったな。私はそれを『出会ってくれてありがとう』という意味に受け取ったのだ。むしろ人さらいに連れていかれそうになるのを見つけてもらったのは私のほうだから、言葉の使い方がすこしおかしいなと思いながら」

「ああ。感極まって思わずな」

 鷲星は照れくさそうにうなずく。

 見つけてくれてありがとう。姿形が変わり、さらに織風は記憶をなくし、それでも前世で約束したとおり、織風は鷲星と出会い、そしてもう一度好きになった。前世で絹雲が嵐鷲王を愛したように。織風は鷲星を愛する気持ちを見つけ出したのだ。

 物理的に出会うことのみを指したのではない。織風が鷲星を愛する気持ちを見出すことをもって、絹雲と嵐鷲王は現世で再会を果たしたのだ。

 おまえは俺を愛していない。

 いつか鷲星が、もの寂しそうにつぶやいた言葉だ。怒りと憂愁の入り交じった感情が、鷲星の瞳のなかで揺らめいていて、織風はその揺らぎがどこに起因するものなのかわからず、ひたすら困惑していた。

 鷲星は織風のなかに、ずっと絹雲の影を見ていたのだ。かつて愛し、自分を愛してくれた人がそこにいる。愛した人の魂を持った織風は鷲星がかつて愛した人だとは気づかず、自分に対して向ける切ない気持ちに気づかない。なかなか戻らない記憶に、いっそのこと真相を告げてしまいたい苦しさと、かつて愛した人が自分を愛してくれないことのつらさとで葛藤し、愛と苦渋が渾然一体となった気持ちをぶつけるさきがなく、ひたすら苦しかったのだろう。

「俺は織風のことを好きになった。織風と出会って、やっぱりおまえさんは変わっていないなと思って、それでもう一度好きになったんだ。織風も俺を好きになってくれた。嵐鷲王への気持ちは関係なく、ここで出会った俺のことを、好きになってくれた。ちゃんと俺を見つけてくれた。だからもう、心置きなく前世のことを話せると思ったんだ」

 鷲星は照れくさそうに、鼻の下をこする。

「鷲星はずっと私を探していたのか。私が蓮花天からはじめて地上に降り立つと、すぐに会いにきてくれた」

「ああ。ガキのころからずっとな。母と死に別れて一人になって、あちこちの町を転々とした。けどどこにも、織風はいなかった。一番大きな都に行けば人も多いし、おまえさんと行き合えるかもしれない。よしんば穂楽にいなかったとしても、なにか手がかりはつかめるかもしれない。そう思ってここで店をはじめた。生まれ変わったら今度こそ永遠の愛を誓おうと約束していたとはいえ、まさかまた天人に転生していたとはな。蓮花天と地上は場所が離れすぎてるんだろうな。あ、それか空間自体がこの世と違うところにあるからか? 詳しくはわからんが、おまえさんの魂は検知できなかった」

 鷲星が織風を探しはじめて十年余が経過したころ、織風はようやく翠藍のお許しを得て地上に降りることができ、鷲星とめぐり会えたのだ。それほど長い間、鷲星はたった一人で織風を探し続けてくれていた。ずっと織風を愛していたから。現世で再会することを誓ったから。必ず鷲星を見つけ出すと、織風が約束してくれたから。

「鷲星」

 織風はそっと身を寄せて、鷲星の体を抱いた。

「ずっと一人にして、すまなかった。前世のことをだれにも話せず、一人で放浪するのはさぞ寂しかっただろう。探してくれてありがとう。私を見つけてくれて、ありがとう」

 見つけてくれて、もう一度好きになってくれて、ありがとう。万感の思いが全身からこみ上げる。高ぶる思いの熱を分け与えるかのように、織風は鷲星の体をきつく抱きしめた。

 鷲星は織風の頬を両手で挟むと、そっと口づけをした。軽く触れるだけの優しいものだったが、織風は触れあったところからぱちりと火花がはじけて、魂ごと震わせるような心地を覚えた。

「極北王を止めなければ」

 織風は決意を込めて永盛城のほうをにらむ。

「行くか、織風」

 織風はうなずくと露台へと進み出て、杼把を呼び出した。空中にふよんと浮かぶ杼把に露台に近づいてもらい、その背中へと乗り込む。

「杼把、永盛城まで飛んでもらえるか? 可能な限り最高速度で、急いでほしい」

 織風がささやくと、杼把はひれを大きく上下させ、いまなお火炎柱が何本も立ち上がっている永盛城へと向けて飛翔しはじめた。

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