君だけの魔法使いを探して

灰色セム

君だけの魔法使いを探して

「おかえり」

 ドアの閉まる音がして「ただいま」と由紀恵の声が返ってきた。ビニール袋が硬いものとこすれる音をたてている。

「残業お疲れさま。ご飯できてるよ」

 振り返った僕の視界に巨大なニワトリがいた。正確には精巧なニワトリのマスクを被った彼女だった。無言でよろよろと歩いてくる。ちょっと怖い。

「どうしよう、シゲちゃん」

「マスクが取れなくなったの?」

「違うの」

 震える声で僕にすがりついてくる。

 獣臭が彼女の香水と混じり合って、なんとも言えない香りがした。

「融合魔法に失敗して、ニワトリ人間になっちゃった」

 魔法は便利だ。だからこそ、リスクも大きい。

 口の中が乾いていく。どう取り繕っても彼女を傷つけることくらい、想像できる。

「ねぇ、ねぇ、どうしよう。どうしよう、シゲちゃん」

「専門医に診てもらおう」

「でも、だって、化け物だって。おちこぼれ魔法使いだって笑われちゃう。それに――」

 高い声が耳に響く。矢継ぎ早に悲観的な意見を羅列し始めた。ヒステリーを起こしている。彼女のストレスは計り知れない。僕が支えなければ。激しく痛む胃を無視して、彼女の頭をなでる。

「大丈夫。大丈夫だよ。僕がいる」

 胸に硬いくちばしが当たる。子供のように泣きじゃくり始めた小柄な体を抱きしめる。僕たちは夫婦なのだから、支え合わなければ。彼女が落ち着いたころには、夕飯はすっかり冷めきっていた。温め直して、食べて、ふたりでベッドルームに向かう。

「戻れるかなぁ」

「大丈夫だよ」

「怖い。怖いよぉ、シゲちゃん」

「大丈夫。大丈夫だから。ね?」

 ぐずり始めた声を子守唄に、僕は緩やかに意識を手放す。これが夢なら、早く覚めてほしかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 大きな鳴き声で起こされた。時計を見る。まだ朝の5時だ。枕にくちばしが突き立てられる。穴から綿が引きずり出された。

「おはよう、由紀恵」

「コケーーッ、コッコッコッ、コケコッコーー!!」

「……鳴き真似がうまくなったね」

 寝起きの心臓が早鐘を打った。カーテンを開ける。空の端を緩く彩る春の陽光に照らされたのは、僕と大きなニワトリだった。人間大のニワトリ。床には由紀恵の着ていた部屋着が布切れになって散らばっていた。

 嫌な汗が背中を伝う。

「由紀恵」

「コココココ、コケーーッ」

「由紀恵」

 ああ。

 もう、彼女は『成った』のだろう。

「…………専門医を探さないとね」

 彼女がいつか戻ると信じてやれるのは、僕だけだ。

「トリあえず、朝ごはんにしようか。トリだけに」

 なんちゃって、と続ける僕の足を、彼女のくちばしが柔らかく突いた。

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君だけの魔法使いを探して 灰色セム @haiiro_semu

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