41.数奇
「グレイスと私は、魔術の共同研究をしていたの。彼女が家庭を持ったのを機に、中断していたのだけどね」
グレイス・ウィッチ・ラヴェリエスタ。
ミェルさんの母親と、この村の村長が……旧知の仲。
単なる偶然で片付けて良いものなんだろうか。
「……そうか」
困惑というべきか、驚きというべきか。
複雑な表情でミェルさんは沈黙した。……彼女の過去を知っているからこそ分かる。
彼女自身は過去を受け入れ、割り切っている。けれどその人生の中で、母が与えた影響は計り知れない。
押し殺していた感情が、何かのきっかけで溢れることだってある。
「ヴァンクロードさん。母は――。……いや、すまない。私は質問される側だった」
「いいのよ。……知りたいかしら、グレイスのこと」
その一言を受けて、ミェルさんは思案するように目を伏せる。
逡巡の後、彼女は私の方に視線を流した。私に気を遣っているのだろう。
きっと聞きたいはずだ、お母さんについて。
「私も知りたいです、ミェルさんのお母さん」
個人的にも気になっていたことだ。
それに、このロゼミナさんについても話の途中で分かるはず。
「教えてほしい、ヴァンクロードさん」
「ええ、もちろん」
目を細めて過去を丁寧に辿るように、ロゼミナさんは口を開いた。
「ミェール、あなたが生まれる数十年前から私とグレイスは友人で、共に魔術の研究をしていたの。人を救う魔術の研究をね」
「穏やかで争いを好まない人だったと記憶しているが、研究内容まで穏健とはね」
ミェルさんも根は優しい人だから、しっかりと遺伝したんだろう。不気味な言動と怪しさは多分自前だろうけど。
「具体的には……病を治す魔術、怪我を治す魔術。彼女は聡明で次々に魔術を生み出していったわ」
懐かしむように微笑んで、ハーブティーで喉を潤すロゼミナさん。
つられて私も一口飲むと、優しい香りと暖かさが広がって、一気に疲れが引いていくようだった。
「そんなある日。彼女が人と結ばれて家庭を持って。しばらくは家族のことに専念したいからと研究を中断して、それからは遠方から手紙でやりとりしていたのよ」
「私が生まれたのもそれくらいか。じゃあ、そのすぐ後だな。亡くなったのは」
少しトーンを落とした彼女の声に、どうしても心が締め付けられてしまう。
「そうなるわね……グレイスね、あなたが生まれてからずっとあなたのことばかり手紙に書いていたのよ?」
ロゼミナさんが指で机をなぞるような動作をすると、引き出しが空いて中から綺麗な便箋がいくつも舞って、ミェルさんと私の前に開かれる。
「これ、は……母の……」
それは、グレイスさんがロゼミナさんと交わしてきた手紙たち。
――しかし、ミェルさんはその目を手紙には向けなかった。
「申し訳ないが私には不要なものだよ。私はもう割り切ったんだ、母の経緯や人となりは知りたいが、その思いに囚われることは、もう……」
「……見るべきだと、思います」
不意に、そんな言葉が私の口から溢れ出た。
衝動的に口をついたその言葉の意味を、自分自身で一瞬遅れて理解する。……だって、それじゃあまりにも。
「寂しい、じゃないですか。家族の記憶を自分の中に背負い込んで、割り切ったって一言で済ませて、それで片付けてしまうのは」
らしくないことだって分かっている。余計なお世話だってことも。
それでもミェルさんは知らなくちゃいけない。グレイスさんの思いを受け止めなけらばならない。
きっと彼女が育った時に聞かせようと考えていて叶わなかった、娘への愛情を。
「君には関係ないよ」
「あります。あなたの過去を聞いたから。知ったから、思うんです」
多分、初めて明確に、ミェルさんは私を突き放した。……それでも。読んで欲しかった。
「……分かった」
数秒の空白があった後、ポツリと漏らすように彼女は答えた。
私たちは並んだ手紙たちに目を落とす。
そこには優しく丁寧な丸い字で、日々の小さな幸せが綴ってあった。
『今日はミェルが初めて喋ったの!凄いわ!』
『私の研究を熱心に見て、あの子なりに楽しんでるみたい。将来が楽しみね』
『目元が私に似てきたの。あなたにも直接見せたいわ』
遺された一つ一つの言葉が、ミェルさんに対する深い愛で紡がれていた。
ミェルさんがどんな顔で読んでいるかは、こちらからだと眼帯に阻まれて分からない。しかし手紙を持つ手は、微かに小刻みに震えていて。
「随分遅くなってしまったけど……こうして直接会えて嬉しいのよ、ミェール。あなたが生きていてくれて……グレイスの手紙を見せることができて、本当に良かった」
「……ありがとう」
ロゼミナさんの一言にミェルさんは多くは返さなかった。
ただ、その言葉は真っすぐに感謝を含んでいた。
――それから少しして、ミェルさんは手紙をすべて畳んだ。
ロゼミナさんはミェルさんに手紙をすべて渡そうとしたが、「母はあなたに向けて送ったから」と言って、受け取ることはしなかった。
「月音ちゃん、突き放すようなことを言って悪かった。説得もありがとう。きっと私一人なら読めなかったから。ヴァンクロードさんも、重ね重ね本当にありがとう」
一切の含みのない、純粋な感謝を告げて彼女は頭を下げる。
「いえ……良かったです、お母さんについて知れて」
優しくて家族思いな、穏やかな女性。文面だけで十分想像ができる。
「ふふ、どういたしまして。何かほかに気になることはあるかしら?」
「あれ、なんか立場が逆になってませんか?」
「細かいことはいいじゃないの。私はグレイスのことについて聞けたし、話せもした。だから質問は十分。あなたたちに悪意がないことは分かってるしね」
……なんというか、この人もこの人でやっぱり『魔女』らしいなと思った。
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