19.月水晶

「な、ない……」


 思わず落胆した声が微かに漏れてしまう。私が帰るために必要な月水晶。頼りの綱はあっさり断たれてしまった。


「そうか……すまない、無茶を言ったな」


 慌てる私と対照的に、ダメ元だと語っていただけあってミェルさんは冷静だった。

 下げていた頭を戻し、顎に手を当て思案する彼女に、少し頼もしさを感じた。


「こちらこそごめんなさいね……五年前に研究で使ったの……また、手に入る算段ではあったのだけれど」


 ふぅ……と一息ついて、物憂げにプレジールさんが続けた。


「トラブルが生じた……あのリスルディアとかいう宗教のせいでね……あいつら、ただでさえ入手が困難な月水晶を探し回って、魔女の手に渡る前に回収してるみたいなの」


「初耳だな。私が研究に没頭してる間にますます厄介になってるじゃないか」


「そこまで躍起になってるんですね……あの、そもそも月水晶ってどうやって手に入れるんです?」


「ミェル、そこまでは教えてなかったのね……?分かったわ……」


 私の言葉を受けて、立ち上がったプレジールさんがリビング横の白い扉へと進み手招きする。


「おいで……月音。月水晶について教えてあげる」




 *



「そこへ掛けて……」


 カーテンで陽の光が遮られた、本棚とフラスコが所狭しと並んだ部屋で、促されるまま私は椅子に腰掛けた。

 先ほどの花の香りが心地よかったリビングと違い、こちらは本と薬品の混ざった独特な匂いが鼻をついてくる。


「これが……月水晶のレプリカよ」


「……!」


 ガラスのケースから取り出されたそのレプリカは、それが偽物だとは信じ難いほど美しく、妖しく光を放っていた。

 プレジールさんの小さな手のひらに乗るほどの大きさで、黄金色に淡く輝き、並の宝石では太刀打ちできそうにないほどの雰囲気を纏っている。


「月水晶はね……名前の通り、月から落ちてくるの。月に宿る膨大な魔力を凝縮した、月の欠片……これを贄とすれば、あらゆる大魔術も行使できるでしょうね」


 コト……と私の前の机にレプリカを置く彼女は、一息つくと話を続けた。


「落ちてくる場所はわからない……だから、魔力を感じ取ることが得意な魔女が……率先して探しに行って手に入れたり、他の魔女へと取引して渡したりしてきたの……」


「なるほど……じゃあプレジールさんって、魔力感知が」


 そこまで私が言うと、彼女がにんまりと口角を上げて初めて見る表情を見せる。


「私は得意……それなりに、だけどね。ミェルは繊細な感知が苦手だから……前に探すのを手伝ったこともあったわ……」


 手品のようにその手に一輪の花を出現させると、ふぅ……と花びらに息を優しく吹きかける。

 控えめな吐息に揺れた花弁が、少しして独りでにどこか一方方向へと引っ張られるように傾いていく。


「花占い、とは少し違うけど……花を通して特定の魔力を探れる魔術を開発できたの……」


「すごい!じゃあ今お花が向いてる方向に月水晶があるってこと――あ」


 気持ちが浮き立ってつい口走ってしまったが、その直後に思い出す。彼女の言っていたトラブルのことを。


「そう……なんとなく、花を通して……月水晶の場所は分かるの……だけど、この花が指している先は……」


「宗教国家リスルディア、その中心地だな」


 部屋の扉近くの壁にいつの間にか寄りかかっていたミェルさんが答える。


「いつの間に……私のセリフ取らないでちょうだい……」


「誰が言っても結論は変わらんだろう」


 むくれるプレジールさんを横目に机の月水晶レプリカをひょいと手に取ったミェルさんは、やや目を細めてレプリカを睨む。


「プレジール、君の言っていたトラブルはつまり……『リスルディアの連中が現存する月水晶を回収し、所有してしまっている』ということかね」


「ええ……そうよ」


 一呼吸の後、静かにミェルさんが口を開く。


「リスルディアに乗り込んで奪ってしまえば、それで問題ないワケだな」


「ミェル……あなた、何言ってるかわかってる……?」


 百も承知、と言った具合の態度のミェルさんに一瞬コトの重大さが飲み込めず、ワンテンポ置いてようやく彼女の無謀な提案に危機感が湧き上がる。


「ち、ちょっと待って……!敵の本拠地に乗り込むってことですよね!?他にも方法はあるんじゃ?」


「もし私だけが転移魔術を使うのであれば、またいくらでも月水晶が落ちてくるのを待てばいい。……でも、それでは他でもない君が途方もない時間を無駄にすることになる」


「それは……そう、だけど……」


 何も言い返せなかった。一刻も早く帰りたい私にとっては、もうその選択肢以外はない。どれだけ危険であっても、いつ落ちてくるかも不確定な月水晶を待ち続けるより遥かに確実で迅速な方法である。……と、頭で理解していた。


「……待ってミェル」


 決意したミェルさんを引き留めるようにか細い声が割り入る。他でもない、プレジールさんがミェルさんの前に立っていた。



「少しだけ……私の話を聞いて」

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