第22話

「説明は終わったか?」

 人魚が雪乃に問いかけるが、それにこたえられる状態じゃない。僕もその言葉を無視することに決めた。

「小僧、お前のためを思ってそこの小娘は姿を変えたのだぞ。何か思うところはないのか」

「いや、そんな優くんは気にしないでいいよ。逆にこっちがごめん、勝手なことをして、優くんに迷惑をかけて」

「迷惑なんて思わなくてもいいよ」

 人魚は僕と雪乃のやりとりをきいて、顔をしかめた。

「どうして、そう人間は回りくどい。ああ、なら直接聞いてやろう。小僧、お前がこの三ヵ月と少しの間に愛したのは、どこが好きだから愛したのだ」

「どこ?」

 学生時代の僕にとって、飯生若菜の容姿は恋をする要因の大部分を占めたのは間違いない。

 ただ、今となってはよくわかる。

やはり、僕にとっては美人である事よりも、女性に慣れていない不器用な僕を受け入れて、一緒にいて過ごしやすいと思わせてくれる人が好きだ。

この三ヵ月もの間、一緒に過ごしたことで、彼女の良いところはたくさん見つかった。

僕は彼女の明るさが好きだ。何事も楽しもうとするその姿勢が好きだ。

僕は彼女のどこか子供っぽいところが好きだ。なのに、大人ぶって背伸びをするところもまた可愛らしい。

僕は彼女の優しさが好きだ。そばにいて、包み込んでくれるような優しさが、僕が努力をする原動力にもなる。

 人魚は薄く笑い、少しだけ口角を吊り上げる。

――もういいだろう?

 そんな風に言おうとするような表情だ。

「では、少年。私から一つ聞こう。お前の気持ちはどうだ?」

 ……僕の、気持ちか。

「そうだ?お前の好きな人は誰だ?」

 僕は、その問いへの答えがすぐに思い浮かんだ。やっぱり僕は、中学校時代の飯生若菜を好きだった。それは容姿も、学力もあったが何よりも性別の隔たりなく僕に優しくしてくれるところだった。

 そして、僕はそれ以上の恋心を抱いている。それは、誰かなんてわざわざ聞かれるまでも無い。今、僕の隣にいる飯生若菜……つまりは、雪乃の事だ。

「人間が外見に惹かれるのはよくわかる。しかし、過ごしていくうちにやはり本質が大事なのだ。その本質が優れていない者が、本人の代わりとなれるわけがないだろう」

 そうつぶやいた人魚は、どこか悲しそうに見えた。

「ではな」

 そう言って、人魚は再び海の中へ消えていった。


『与国の人魚伝説』では語られなかったが、漁師に追い出された人魚はその後も度々陸地に姿を表したが、結局は漁師に謝るどころか、話しかける事すらも出来なかった。

 そして、そのまま月日は流れ、とうとう漁師は亡くなってしまった。

 人魚は、その事を深く悲しみ、自分を殺すために短剣で自信の胸をついて、漁師の後を追う決意を固めたが、人魚は死ねなかった。

 そう、人魚は不死身だったのである。

「どうして、お願い。私を、殺して」

 何度も、何度も短剣を胸に突き立てたが、人魚の体は血が流れるどころかかすり傷一つも出来なかった。そして、彼女は何度目の自殺かを考えられなくなる頃には諦めて、ひっそりと海の中で暮らしていた。

 死を隠した漁師の母親と、漁師に対して懺悔しながら。


 あるとき、人魚は再び陸地を見てみたくなった。それは、陸地の人間が急に海を見たくなるかのようなもので、理由なんて何もない、ただの衝動だった。

 何日、何か月、何年が経ったのかはわからない。ただ、陸地ではある男を想い、その男の叶わない願いを叶えてやりたいと願う少女がいた。

 人魚はおそらく、無意識にその少女に自信を重ね合わせていたのだろう。

 気が付いた時には、自身の魔法を使って少女の姿を変えていた。

「どうか、どうか私と同じ過ちはおかさないでくれ」

 何年もの間、海の中で考え続けた結論は、あの時に出た気持ちが、漁師や漁師の母親に対する申し訳なさよりも、漁師に許してもらい、結ばれたいと思う気持ちが人魚の中で勝っていたのだ。

 それは悪い事では無かったが、そんな気持ちが見え隠れしている相手を許す気にならないのも、また必然である。

 人魚は自分の力を使って、少女が苦しむのをわかっていたが、どうか自分とは違った結末を迎えて欲しいと願っていたのだ。


 そして、その少女は先ほど、人魚の目の前で愛する人と結ばれた。

「ああ、自分の行いは間違っていなかったのだな」

 人魚は自らを肯定し、何百年ぶりに安らかな気持ちを取り戻した。

 そして、あの二人の幸せを見守ってからなら、やっと漁師の後を追えると確信した。


 人魚がいなくなった後に、再び静寂が訪れた。その静寂を切り裂いたのは、雪乃だった。

「ごめん。何度謝っても足りないと思うけど、許されようなんて思っていないから、もう二度と会わないようにするから、だから、ごめんなさい」

 僕にとって、許すとか許さないとか、謝るとか謝らないとかはどうでもよかった。

皮肉にも、人魚に教えられたことで気づけたのは、もう二度と雪乃に会えないことは、嫌だという事だ。

「待って!」

 僕は慌てて雪乃に向かって駆け出し、手を掴んで引き止める。既に泣き疲れて体力を使い果たしているのか、雪乃は一切の抵抗をしなかった。

 しかし、雪乃がこちらを見つめる瞳には力がこもっていた。彼女のなりの抵抗だろう。

「離して……」

 ぼそりと呟いた声は、小さいがすごみがあった。しかし、ここで引き下がることはできない。

「嫌だ」

 僕も力を込めて、彼女を見つめる。こんな時に思うべきじゃないのかもしれないけれど、雪乃の泣き顔は綺麗だった。

 飯生さんの姿をしているはずなのに、まるで雪乃の泣き顔のように見える。

「どうして……どうしていつも、私が言って欲しい言葉をくれるの?」

「それは、」

 僕の言葉を遮るように、声量が小さくても力強い声で話し続ける。

「やっと、やっとだよ。私が小学校から人生の半分以上続けてきた片思いを、やっと諦める事が出来るのに、どうしてそれをできなくさせるの……」

 彼女の気持ちが、痛みが、少しだけわかる。僕も、叶わない恋をする辛さはわかる。

 ただ、雪乃みたいに、好きな人に恋愛相談をされるのはどういう気持ちだろう。やはり僕は、気が付かないし、気が利かない。ただ、それでも自分の気持ちくらいはわかる。

「何度も言ったけど、僕はこの三ヵ月でたくさんの幸せな思い出を作ることが出来た。それは、雪乃が自分のことを犠牲にして僕のためにつらい思いをしてくれたからだと思う」

 雪乃は何も言わない。素直にどうしたしましてとは言えないのだろう。

「もちろん、小学校から中学校時代。いや、高校時代もずっと飯生さんを思い続けていたことは間違いない。だけど、だけど僕は、この三ヵ月を共にした飯生さんが好きだ」

 周りくどい言い方になったから、やはり雪乃はわからない。この精神状態ではそうなるだろう。ハッキリしろ、この一年間で何度も伝えたじゃないか。

「雪乃。僕は君が好きだ」

 雪乃は驚きの表情を浮かべる。ただ、まだそれを言葉通りには受け取っていないようだ。

「もちろん、雪乃が飯生さんの仕草や特徴を真似していたのもわかっている。だけど、時々だけど雪乃にしかできないようなこともあった。僕はそこに強く惹かれたんだ」

 普段から演技をしているわけでも無いような雪乃が、一年間も別の人を完璧に演じ続けるのは無理がある。僕はそこを、飯生さんが三年間で変わったところかと思ったせいで気が付かなかったが、それは確かに雪乃の良いところだった。

「そんな、私はずっと優くんに嘘をついてたんだよ。そんなことが許されるわけ……」

 雪乃は俯きながら首を振る。その仕草はなんだか雪乃らしかった。

「許すか許さないか決めるのは僕だ。そして、僕は怒る気持ちよりも、雪乃がそこまでの事をしてくれた喜びの方が大きい。だから、頼むから自分を責めないでくれ。僕まで辛い」

 雪乃の瞳から、再び涙が溢れ出す。それを僕は胸元で受け止めて、そっと拭った。

「雪乃、好きだ。雪乃は?」

「わ、私も好き。優くんが好き……です」

 雪乃が体を僕から引き離し、視線がぶつかる。どちらが合わせることもなく、笑い合う。

 

 その時、水面に花が咲いた。忘れていたけれど、ちょうど花火が打ち上げられる時間だ。

「タイミングばっちりだね」

「人魚なんだから、これくらいのサプライズは用意してくれたんじゃない?」

 その時に雪乃が浮かべた笑みは、この三ヵ月の間に見たどの笑顔よりも綺麗で、僕は自分の中に眠る衝動に従って、雪乃を抱き寄せて、そっと唇を重ねた。

 僕は例え、雪乃が飯生さんの姿をしていようとも雪乃として愛そうとしたし、雪乃も飯生若菜としてでは無く、深咲雪乃として愛し合おうとしただろう。

 しかし、童話の定石といえば、真実の愛とキス。

 その瞬間に雪乃の体が光りだし、僕がその眩しさに目がくらむ。再び目を開いたそこには元の姿に戻った雪乃がいた。

「久しぶり、優くん」

「お帰り、雪乃」

 誰もいない夜の海辺。僕たちは、まるで中学生のカップルみたいに、愛を確かめ合った。

 海辺に誰もいないことも、人魚からのサービスだろう。

 次々と打ちあがる花火と、波の音だけが僕らを祝福していた。

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