第21話
「そんなことがあったなんて」
僕はにわかに信じられないでいた。当たり前だ。
まだ、雪乃が自分のために整形手術を施して飯生さんに似せたという方がよっぽど現実的だ。僕は中学の卒業式の後、飯生さんとは会っていないので、それでも騙せた可能性がある。
「もちろん、信じられないのはわかる。ただ、これが事実だから他には何も言えない」
僕も雪乃のいう事を信じるしかない。
「ごめんね。優くん。騙すつもりは無かったなんて言えない。私は、若菜の姿をして、若菜の口ぶりを真似て、若菜の仕草を真似て一年間も優くんを騙してきたから……」
そこから先、彼女が話したことは全て僕と過ごした時間の事だった。
おそらく、僕が純粋に楽しんでいる最中にも、彼女は罪悪間にさいなまれていたのだと思うと、気づいてあげられなかったことを申し訳なくなる。
正直、僕は雪乃のしたことに対してマイナスな感情は一切なかった。
「別に、気にしないでいいよ。雪乃も辛かっただろうし」
「ううん。どんな状況でも、人の恋心を踏みにじった事が許されていいわけがない」
彼女の目元から、涙が溢れ出す。必死に、会話だけは成立させようとしていたのだが、ついにこらえきれなくなったようだ。
「……いや、踏みにじるなんて言わないでくれ。僕は、この一年間がとても幸せだった」
僕は雪乃の背中に手を添えて、ゆっくりと撫でた。
「そっか、それは良かった。嘘だとしても、少しだけ気持ちが楽になった気がする」
そう言った彼女は、笑っていた。口を真一文字に閉じて、顔は強張っていたけれど、目だけは必死に笑おうとしていた。ただ、涙を隠すには月明かりが眩しすぎる。
二人を静寂が包み、気持ちがだいぶ落ち着いてきたころに、僕はある一つの疑問が浮かんできた。それは、
「雪乃が飯生さんと僕の仲を取り持った方が良かったんじゃないか?」
人魚に縋るよりは、よっぽど常識的な判断である。雪乃がこのアイデアを思いつかなかったなんてことは考えられないだろう。
「まあ、そうなんだけど。それはね……」
雪乃は僕の言葉に答えるのをためらっているようだった。
「言いたくなければ、無理に聞かないよ」
「言ってもいいの?」
言ってもいいって、どういう意味だろう。別に、いいんだけど。
「じゃあ、言うね。こんな風に言い訳っぽくしたくは無かったんだけど……好きです」
「え?」
今日は予想外の事ばかり起こる。
「ごめん、こんな状況で返事はいいからさ。そんなに気にしないで」
雪乃は手をぶんぶんと振って、弁明する。そう言われても何か返事しないといけないが、同返事をすればいいのかわからなかった。
「ただ、好きな人に恋愛相談をされて、その人との仲を取り持つのはさすがにできなかったの」
「それは、そうだと思う」
「だからっていい事をしたとは思えない。ごめんね、私は帰る」
雪乃がちょうど帰ろうとした時、まるで頭に直接響いてくるように声が聞こえた。
「おい、小娘。そこの小僧がお前の言っていた相手か?」
そして、海面に映る月が割れ、一人の女性が姿を表す。雪乃の夢で見た光景、その話を聞いた僕がした想像上の光景、それと寸分の狂いも無い状況が再現されていた。
「お前が、雪乃の姿を変えた人魚か?」
「お前とは口の利き方を考えろ。だが、いかにも私がそこにいる小娘に魔法をかけて姿を変えてやったのだ」
僕はまだ状況が呑み込めずに、言葉を返すので精一杯だ。
「どうして、どうしてこんなことを」
まるでなにかのパフォーマンスのように、人魚は首を傾げる。
「どうしてとはどういうことだ。そこの小娘が望んだことであり、お前が望んだ事だろう。好きな女にもう会えないから、もう一度逢いたいと願ったのだろう」
「違う、そうじゃない。間違ってはいないけど違う」
こんな風に望みをかなえてもらうつもりじゃなかった。あの時の僕は、ただ単純に飯生さんに会いたかっただけだ。もちろん、流れ星の伝説を信じてはいない。あくまで気休めだっただけなのに、まさかこんなことになるなんて。
「何が違う、好きな女の恰好をして好きな女のように振舞ってくれるのだぞ。これ以上の事はあるのか。いつまでも叶わない思いを抱き続けるよりはよっぽど幸せだろう」
その時に、僕はふと気づいた。人魚はまるで、僕と飯生さんが愛し合うどころか、二度と会えないと確信しているように話している。
現時点で、僕と飯生さんが交際に発展する可能性は著しく低いだろう。ただ、会うくらいなら来年にでも成人式があるし、同窓会も開催されるだろう。
人魚の話し方には何か違和感があった。
「雪乃、まだ僕に何か話していない事はある?」
雪乃は驚いて、体を震わせた。間違いない、小さい頃からよく見てきた何かがばれたときの雪乃の仕草だ。
「ははは、小娘や。まさか、この期に及んでまだ小僧に隠し事を続けるとは愉快なものだ。将来、おぬしはきっと」
「うるさい!静かにしていろ」
僕は無意識に人魚を怒鳴りつけた。こんなに大きな声をだして怒りを表現したのは生れて始めてだ。
「雪乃……お願いだから全部話してくれ。覚悟はできてる」
雪乃が人魚伝説に縋るなんて馬鹿な考えに至ったこと、人魚の話し方、その他にもいろいろな要素を含めて考えれば、ある程度の悪い想像はできた。
その言葉を聞いた雪乃は、鼻水をすすり、吐き出すように言葉を放つ。
「若菜には……若菜にはもう……会えないの」
「うん」
「もう……若菜はこの世にはいないから……」
そう言って雪乃は泣き崩れた。その声は耳に響いたが、全く不快にはならなかった。ただ、僕の予想が現実になってしまったことが辛かった。
「そっか……」
ただ、今は悲しんでいるだけの時間じゃないことくらいはわかる。悲しむよりも先にやるべきことも。
雪乃が声を発するまで、僕はただ目を見つめた。
辛いと思う、苦しいと思う。だけど、後は僕に任せてくれたらいいから、飯生さんの事だけを説明して欲しかった。そうすれば、僕の中でけじめをつけられるだろうから。
「……若菜は、高校二年生の夏に……喘息で……」
彼女が途切れ途切れに話した言葉をつなぎ合わせると、深咲若菜は高校二年生の夏に喘息の発作で亡くなったらしい。その原因となったのは、歪んだ愛情によってもたらされた、ストーカー行為だった。
飯生さんは高校一年生の頃に、クラスの中で仲の良い三人組で大学生と合コンを行ったらしい。
彼女は友達付き合いと、大学生への純粋な興味で参加したらしいが、その中で気に入られた先輩とそれからもメッセージのやりとりや逢瀬を続けて、その年の冬頃から付き合い始めたらしい。
ただ、高校生と大学生という都合上どうしても時間が合わず、だんだんとすれ違いが増え続けた。
ただ、彼女は一途に想い続けたものの彼の方がそれに耐えきれず、他の女性と関係を持った所を同じ合コンに参加した飯生さんの友達に見つかってしまったのだ。
飯生さんは迷ったすえに、大学生の彼と別れることにした。
しかし、彼の方は自分が犯した過ちがきっかけで別れることになったのにも関わらず、諦めきれずにストーキング行為を始めたのだ。
最初は電話やメッセージを送ってくるだけだったが、それに反応が無いと見るや学校や家の周囲に張り込んで、彼女の行動を調べてそれを追求し始めた。
他の男と話していればそれに関して問い詰めるような連絡があり、何か買い物をすればそれについて根掘り葉掘り聞かれる。それでも彼女は断固として返事をしなかったのだ。
それは本来ならば正しい行動だったのだが、それが彼を逆上させて、ついに悲劇としか言いようのない事が起こった。
その日、彼女は友達と買い物に出かけて遅くなった所を狙われた。
街頭もろくにない住宅街で、突如暗闇から現れたゴツゴツした手は、かなりの恐怖だっただろう。もしもそこで飯生さんが声をあげられていれば助かったのかもしれない。ただ、結果としてそうはならなかった。
そこで何があったのかは当人同士でしかわからない。
ストーカーになっていた元恋人の証言では、
「飯生さんに逃げられたので全力で追いかけてしまった。それがあんなことになるなんて思ってもいなかった」だなんてふざけたことを話していたらしい。
しかし、彼の話通り、その時間帯に周囲のコンビニエンスストアが設置していた監視カメラに、走って逃げる彼女と、それを必死に追いかける彼の姿があった。
そして、彼が追いついた頃にはすでに彼女の息はあがっていたそうだ。
当然だろう、喘息のせいでこれまでまともに運動も出来なかった女の子が、大学生の男に追いかけられて必死で逃げていたのだ。
そして、喘息の発作が起こり飯生さんは倒れてしまった。
もしもそこで、彼が病院に連絡するなりしっかりとした対応をしていれば、なんとか助かったかもしれないが過ぎたことだ。怖くなった彼は飯生さんをおいてその場から逃げ出し、朝まで路上で放置された彼女は、翌日にゴミ収集車の運転手に見つかって、すぐさま警察と救急に通報された。
通報によって警察の捜査が始まり、コンビニエンスストアの店長が監視カメラをお確認した所、彼の存在が発覚し逮捕された。
彼も素直に容疑を認めて、すぐに裁かれたが、裁判の結果は殺人罪では無く、ストーカー規制法違反としての処分である。
その言葉を聞いた途端、言葉にし尽くせない怒りが僕を襲った。
もしも隣にいるのが雪乃では無くその男で、ボクの手にナイフが握られていたなら間違いなく、僕も同じ過ちを犯していただろう。
ただ、神様の理不尽が産んだ悲劇はそれだけでは無かった。
地域で殺人事件が起こるようならば、こんな街なら間違いなくニュースで大々的に取り上げられただろう。少なくとも、あまり話題にするべき事ではなくてもみみに入ってくる。
しかし、あくまで彼女は喘息の発作によって死亡し、彼が行ったことはあくまでストーカー行為だった。さらには、喘息持ちであることを知らなかったことから、殺意がなかったとして殺人未遂にすらもならなかったのだ。
彼女の肉親があまり大々的に報道されることを望まなかったため、テレビやラジオなどにはほとんど報道はされなかったらしい。新聞も大手は端に少し情報が載っているくらいで、地方新聞を見ていない限り、新聞から情報を得るのは無理だったぐらいだ。
昨今、若者のニュース離れが叫ばれる中で僕もそれに漏れることなく、見てもスポーツニュースや芸能ニュースくらいのものだ。飯生さんが亡くなったことを僕が自ら知るのは、限りなくゼロに近い確率だった。
そして、彼女の葬儀も小規模なものになった。その際に中学時代の友人に連絡を任せられたのは、雪乃だったらしい。
その時に、雪乃は僕に連絡するかとても迷ったらしい。
思い人が亡くなった事を告げるのが正しい事なのか、どうか。彼女はずっと悩んだ結果、それをしなかった。その判断が正しいのか間違っているのかを決める権利は僕にはない。いや、そんな事ができる人は、この世にはもう一人もいないだろう。
その結果、僕は飯生若菜の葬儀に参加することなく、いや彼女が亡くなった事すら知らず、なんてことも無いように学校へ行き、何事もなかったかのようにご飯を食べ、何事もなかったかのようにダラダラと過ごしていたのだと思うと、その時の僕を殴ってやりたくなる。
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