第17話
「あついね、はいうちわ」
彼女が帯の後ろに差し込んでいたうちわを取り出して、僕に手渡してくれる。人が溢れているので、出店にかき氷やアイスを買いに行くこともできない。
「まあ、すぐに始まるだろうからもうちょっと我慢すれば……」
人が詰めかけているので、気温だけじゃなくて人の発する熱が僕らを包んでいる。人の発する熱は、なんだか蒸し暑い。
しかも、席なんてものが当然のようにあるわけもなく、立ち見である。
僕らは二人とも平均よりは背が高いから、遠くからでも演劇が見えるが、小学生や中学生はいったいどのようにしているのだろう。
婦人会による盆踊りが終わり、いよいよ劇の準備が始まった。
そこから五分もしないうちに、
「与国祭りにお越しのお客様、お待たせいたしました。これより、上演を始めさせていただきます」
ナレーターを務めている女の子が、ハキハキとした声で挨拶して、それに呼応して拍手があちらこちらから起こった。僕も、うちわを手に当てて音を鳴らした。
「では、スタートです」
女の子はぺこりとお辞儀をして、舞台裏に戻っていった。
そこから先は、聞いたばかりの物と同じ……では無かった。
「え?」
その結末は、僕の想像した終わりとは程遠く、また悲しいものだった。
実は、与国の人魚伝説には続きがあったのだ。
漁師の母親は無事に流行りの病から回復し、そのまま仲良く二人でいつまでも暮らしたのではなかった。
その母親こそが人魚だったのだ。
漁師の前にあらわれた人魚は魔法を使えました。ただ、それは人を不老不死にする魔法ではありません。人に変身することしかできませんでした。
なんとかして漁師の力になりたいとは思っていましたが、どうしたものかと考えていると、
「おっ、かかった。そ~れっ」
漁師の中にかかってしまった。網を引く力に逆らえず、船にあげられる。
「ん?なんだぁ?ヒトかぁ?」
漁師は人魚を訝しむような目で見る。当然だ、今までに見たこともないものが網にかかっているのだから。
「あれ?けったいなものやのう。ただ、食べれんもんをとってもしゃあない。ほら、帰れ」
漁師が海に帰そうとすると、人魚は網から抜け出して、
「待ってください。私は、人魚と申すものです」
――説明をしようとしますが、漁師は聞く耳を持ちません。
「すまんな。わしは今、急いどるんじゃ」
このままだと漁師の力になれないと思った人魚は、とりあえず話を繋げるために思考を振り絞りました。
「普段のあなたが、育ち切っていない魚を放してくれているのをよく知っています。恩返しをさせてください」
「恩返し?」
漁師は何が何だかわかりません。ですが、願いは一つしか思いつかないはず。
「な、なら、おっ母の病気を治してやってくれ。家で寝込んでいるんだ」
漁師は、人魚が想像したとおりの言葉を口にした。しかし、それは人魚にとってどうにかできる者ではない。あくまで、漁師の気を引くための話題だ。
「おい、どうした?」
漁師が戸惑う人魚の顔を覗き込む。人魚は考えた末に、嘘をつくことを思いついた。
「わかりました。これを」
人魚が漁師の手に握らせたのは、漁師が見たこともない一匹の魚でした。
「この魚を食べると、どんな病気でも治ります。どうか、早く食べさせてあげてください」
もちろん、そんな効果は魚に無い。せめてもの気休めになればと思って漁師に渡した。
「そうか、ありがとう」
漁師は急いで船を漕ぎ、陸へ戻った。人魚は船から脱出し、海に戻る。
自分は嘘をついてしまった。もちろん、魚の栄養で母親の病気がよくなる可能性もあるが、年齢から考えても衛生的にも長くはもたない。
その時を迎えた漁師の心情をおもんばかれば、人魚は急遽、罪悪感にさいなまれた。今からでも、漁師を追いかけて本当の事を話そうと考えたが……
「待って!」
人魚はいいアイデアを思い付いた。それを実行にうつすため陸へ向かった。
人魚は力を使って、漁師の母親に擬態した。そして、漁師に先回りして家に戻る。
漁師の母親に何とか事情を説明して協力してもらい、彼女と入れ替わって漁師を支えるつもりでいた。
「失礼します……」
しかし、家に入った人魚は声を失った。彼女が見たものは、既に冷たくなって動かなくなった漁師の母親だった。
「どうしよう……」
人魚は迷った。母親が亡くなっている以上、さきほどまで人魚が考えていた漁師の母親に協力をあおぐことは不可能になった。
しかし、これは人魚がこのまま母親と入れ替われば、何も問題が無い。
ただ、それは同時に母親の死を漁師に対して隠すことになり、漁師自らが埋葬し母親を弔う機会を奪う事になるのだ。
ただ、急いでいる状況で、人魚はそんなことをまで頭が回らなかった。
母親の死体を家の裏に隠し、あたかも先ほどまで病気で寝込んでいたかのように振舞った。
ナレーション役の透き通った声に合わせて、人魚役の子が舞台の上を動き回る。この距離では表情がハッキリと見えないが、人魚役の女の子が戸惑っている演技をしている事が伝わってきた。
「若菜、こんな話だった?」
僕は、先ほど彼女に聞いた話とはあまりにも違っている。彼女がわざわざ僕に嘘をつく理由が無いし、かといって演劇部が間違っているとも思えない。
「確かに、小学校の時に聞いた話とは違うね」
小学生には、本当の話は難しかったのだろうか。ただ、僕は中学性の頃に訪れた祭りでも、集中はしていなかったが演劇を見ていた。
さすがに、ここまで話が違っていたら憶えているはずだ。
「まあ、こっちはこっちで面白そうじゃない?」
僕らは再び、劇に集中する。
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