第16話
僕は彼女の朗読を、拍手で称えた。彼女なら、仮に劇でナレーションを担当しても、誰も文句は無いだろう。
「えへへ、やっぱり照れるなあ」
そう言った彼女は、浴衣の裾で赤くなった顔を隠す。
「よく覚えてるね、こんなに長い文章」
昔話の類なので暗唱するのは簡単な方ではあると思うけど、登場人物のセリフにまで完璧に時代を反映しているのは、凄い以外に感想が出てこない。
「私は、この人魚伝説が好きかなあ。結局、アンデルセンの人魚も八尾比丘尼も不幸になってるでしょ。でも、この話は少なくとも不幸になった人はいないよ」
「確かに、その通りだね」
世界中にたくさんの人魚伝説はあるけれど、大抵が特定の女性が不幸になったり、海難事故の原因として恐れられたりと扱いは散々だろう。
アンデルセンの『人魚姫』では、王子を嵐から助けたのは人魚のはずなのに、他国のお姫様にその功績を奪われ、最終的に王子様と結ばれることはできなかった。
それだけではなく、魔女との契約によって足を得た条件が、王子様と結婚する事だったため、その条件を果たすことが出来なかった人魚は海の泡となって消えてしまう。
初めて聞いた時には、多数の人があんまりだと思っただろう。
一方で、『八尾比丘尼伝説』は、父親の漁師がとってきた人魚の肉を娘が食べてしまい。それによって娘は不老不死の体を得た。最初のうちは良かったが、どんどんと家族や友達が年老いてなくなっていく中、娘は死ぬ事すらも出来ず村を追い出される。
結局、一定の期間が経つと村から再び追い出されるなどを繰り返し、娘は日本のどこかに隠れてしまった。その娘を八尾比丘尼と呼ぶようになったという話だ。
これらの話は、本人はまったく何も悪い事をしていないのに不幸になっていることが、悲劇として有名な話になった。
「五歳の誕生日に買ってもらった誕生日プレゼントが、『白雪姫』とか『シンデレラ』みたいな女の子を対象にした絵本セットだったの」
おおよそどんな話が収録されていたのかは予想がついた。大抵は、その国の王子様と結ばれてハッピーエンドで終わる話だろう。
五歳の女の子にはとてもいいプレゼントだ。
「その中で唯一、人魚だけが不幸だったから、子供心に興味を持ったのは憶えてる」
確かに、内容を推測すると幸せになれないのはそれだけだ。
「それで、いろいろな話を調べてみたんだけど、人魚が幸せになる話はほとんどが最近になって創作されたり、童話を脚色したりしたものだったの」
最近は、多種多様な物語があるから、単純なハッピーエンドの話も存在するのだろう。
「つまるところ、人魚とそれに関わった人は不幸になるのが、御伽草子や童話の定石だってこと」
彼女の意見はとても興味深いものだった。
文学部の学生が、童話について研究発表をしているようである。
「そんな時に、先生が授業で教えてくれたここの人魚伝説は衝撃的だったなあ。うちのお母さんは私が生まれるのに合わせてお父さんの実家があるこの町に引っ越してきたから、与国の人魚伝説を知らなかったんだって」
「そうか。そう考えると、与国の人魚伝説が最も良い結末かもしれないね」
ただ、この時の僕はこれ以上の思考をやめていた。確かに、『与国人魚伝説』は筋も通っているし、ハッピーエンドとして終わっている。
「世界中の童話が、全部ハッピーエンドなら良いのにね」
「そうだね」
ただ、『与国人魚伝説』で語られたのは、あくまで漁師と母親がどうなったかである。
本来はメインとなる人魚がどうなったのか、それを考えていなかった。
僕たちが祭り会場に着くころには、周りの道路にも浴衣を着た人がちらほらといるようになってきた。十中八九、僕たちと目的地は同じだろう。
「やっぱり、人が多いね」
与国祭りの会場には、この町のどこからかき集めてきたのかっていうくらいの人が集まっていた。
「花火見るために、他の街からも来ているらしいからね」
確かに、花火はなかなか珍しいけど、
僕らは毎年のように見ているので、特別な感じはしない。海辺なので、花火を打ち上げやすいのだろう。
「まあ、たまにある楽しみだから、いいんじゃない?」
実際にこういうイベントがあると、いろいろな人の縁をつなぐきっかけになるだろうから、良い事だろう。
このイベントをきっかけに、交際を始めたカップルは珍しくない。
なにもカップルでなくとも、男女間の距離を縮めるきっかけになるだろうし、相手を誘う口実にもなる。もちろん、同性の友達をくるのも悪くはない。
「いいよね。花火を背景に告白なんて映画みたい」
そう話す彼女は、まるで少女漫画の主人公みたいだった。
「やっぱり、女の子はそういうのに憧れるの?」
僕も流れ星に願いを唱えてしまうくらいにはロマンチストだけど、やっぱり女の子の想像力には敵わない。
「ま、まあね」
恥ずかしがる必要はないけれど、可愛いから何でもいいや。
「そんなことを聞いて、しないなんて許さないよ」
僕は笑いをこらえるのが難しくて、浴衣の裾で顔を隠した。
「りんご飴って、すごく万能じゃない?」
「万能?」
「そうそう。子供が持っていたら愛らしく見えるし、大人の女性が持っていれば色っぽく見えるし、こんな食べ物他にはないよ」
なるほど、そんな考え方もあるのか。やっぱり、彼女は面白い物の見方をする。
「とゆーわけで、私に悩殺されているのはわかってるから大丈夫だよ」
僕は彼女が美味しそうにりんご飴を舐めるのをみて、とても愛らしい気持ちになった。
「綿あめと焼きそばも買いに行こうよ。お腹空いてるでしょ?」
「次はスーパーボールにしよ、金魚は飼えないってお父さんに言われちゃったから」
「ねえねえ、射的って得意?わたし、あのぬいぐるみ欲しいなあ」
いつにもましてはしゃぐ彼女に、少しだけ辟易していたことを隠すことはしない。彼女も、自分が明らかにはしゃいでいるのを自覚しているようだったが、お互いにそこまで気をつかわなくてもいいくらいの関係性は築かれていた。
「食べすぎじゃない?」
「お祭りだからいいんだよ。今日だけは太らない魔法がかかってるから」
世の中には僕の知らないところで魔法が存在していたらしい。
「そんなに心配なら、優斗が食べて」
なんだかんだ言いながら、すぐに僕に食べさせようとしてくる。
「強がりながらも照れてる優斗が可愛いんだよ」
そう言う理由で気に入っているらしい。僕はなんだか彼女のペットとして餌付けされているような気分だ。
「午後七時から、与国高校演劇部による劇が行われます。ぜひ、会場中心部にある観覧スペースにお集まりください」
アナウンスが周囲のスピーカーから流れてくる。それに合わせて、人の波が流れの向きを変えた。
「せっかくだから見に行く?」
「そうしよっか」
僕ら二人は流れに身を任せて、観覧スペースへと向かった。祭りが始まってから約一時間半も経っているので、そろそろ出店を回りつくして時間を持て余す頃だ。
しかし、このタイミングで帰る人もいるので、劇を見るために観覧スペースへ向かう人の波と、祭り会場の出口へ向かう波がぶつかれば、身動きが取れない。
「若菜、しっかり捕まって離れないでね」
周りの人に押されながら、抱き合うくらいに密着して一歩ずつ前に進む。こういった時に彼女が可愛いと、痴漢の心配が付きまとうのが幸せな悩みだ。
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