第15話
「もう七月も中盤か……」
そして、与国祭りの当日。僕は父親の古臭い浴衣を借りて、家を出た。
どうして僕が柄にもなく浴衣を着ているのかって言うと、
「私だけが浴衣を着るんじゃなくて、二人とも浴衣を着た方が見栄えが良くない?」
まあ、その通りなのでその言葉に従う事にした。お金は無いので、父親の物を借りるしかないのは残念だけれど。
ただ、僕の衣装なんて街ですれ違っただけの人くらいにはどうでもいい。
彼女は女性では背が高く、スラっとしているのでどんな服でもよく似合う。何度か服の買い物に付き合ったことはあるけど、服の相談をしている店員さんがまるで着せ替え人形で遊んでいるかのように楽しそうにしている。
僕はあまりに楽しみにしすぎたのかもしれない。部屋で待ち合わせ時間までじっとしていることもできず、待ち合わせ時間よりも三時間も早く外に出てきてしまった。
当然ながら待ち合わせの場所には誰もおらず、僕は海沿いをフラフラすることにした。
家で何もせずにじっとしているよりかは、よっぽど気が散って、なおかつ健康的だ。
辺りには祭りのチラシがいたるところに貼られていて、さすがは与国町が一年で一番盛り上がる日だと言える。
毎年やっていることは同じなので書くこともそうないはずだが、文字のデザインや写真の配置などで、毎年新しくしているのは凄いと思う。こういうのは市役所の人がやっているのだろうか?
簡単な縁日や、婦人会の人たちによる盆踊り。そしてメインイベントである花火大会と、与国高校の演劇部による『与国人魚伝説』の上演だ。
毎年上演しているけど、与国祭りに来ることも中学校の頃以来なので、もしも見れば丸三年ぶりである。
高校三年間は学校が遠いので、友人がわざわざ与国に来ることは無かった。家族と一緒に祭りに行くような柄でもない。
そのため、最後に上演を見たのは中学三年のことになる。
ほんの三年前の話ではあるけど、与国祭りには人も集まるし、椅子に腰を落ち着けて見られる状態ではないから、話自体はほとんど頭に残っていない。
そして、ちょうど僕の眼前に、『与国人魚伝説』を簡単に記した石碑がある。
「魚に優しい漁師が、人魚に母親の病気を治してもらうって話か」
改めて読んでみると、やはりよく作りこまれている。これがもしも実話なのだとしたら、アンデルセンがこの話を下にして作ったと言われても信じられるレベルだ。
よくある教訓としては、人に優しくすればいつか自分に帰ってくるというところだろう。
ただ、海の生き物を大量に捕り過ぎては翌年以降の漁に影響を及ぼすのも事実なので、漁師の間にある不文律を明確にしておくという意味も含まれているのかもしれない。
「それって、人魚伝説?」
「ああ、そうだけど」
「ちょっと……驚かないの?」
「さすがに、もう声は憶えたよ」
僕の肩越しに石碑を覗き込むのは、僕が待ち合わせていた相手で間違いない。
「とりあえず、浴衣の感想をインタビューしても良いですか~」
彼女が僕の視線を石碑から彼女自身に固定した。
「おお~」
黄色をベースにした明るい色に、金魚のような赤色が映える。しかも、その金魚がリアルに描かれているタイプではなくて、あくまでデフォルメされているのもまた可愛らしい。
ただ……
「なんだか、南京町を思い出すね」
「あ~、それだ。なんだか、どこかで見た事あるなって思ってたんだ~」
そう言って彼女が笑う。僕もつられて笑った。
「で、人魚伝説の石碑をじっと見てたけど……」
「まあね。人魚伝説を若菜は覚えてるの?」
「もちろん!朗読のテストで一人だけ満点だったから、あの時は嬉しかったなあ」
この話を国語の授業で扱ったのは、確か小学三年生の話だったから、まだ僕が若菜を知る前だ。ただ、三年生の頃の若菜がイキイキとした表情と声で朗読するのを想像するのは難しくはない。
「へぇ。それはぜひ聞いてみたかったなあ」
素直に褒められたことが嬉しかったのか、彼女は嬉しそうな表情を隠しきれないでいる。
「じゃあ、聞かせてあげようか?」
「今でも憶えているの?」
小学生時代なんてもう十年近くも前の事だけれど……
「もちろん、私はけっこうこの話が好きなんだ~」
「そうだね。じゃあお願いしようかな」
彼女はゆっくりと、言葉を紡ぎ始めた。
むかしむかし、ある所に一人の若い漁師がおったそうな。
それは大変、真面目な漁師で、どれだけ網にかかろうとも、自分と母親が食べる以上の量が捕れた時には、海に放してやっていたそうな。
そのため、漁師の暮らしは一向によくならなかったが、母親と二人で幸せに暮らしておった。
しかし、ある日の朝に漁師が海に出ようと起きたところ、母親が胸を押さえて苦しそうにしているではありませんか。どうやらそれは近頃、都で流行っている病だそうで、時の帝ですらも治らないほどだそうです。
「おっかぁ、死ぬでねえ。ほら、話せるか?おらだぞ?」
漁師の問いかけにも、母親は力なく答えるばかりです。
「いや、わしはもうお迎えが来るようじゃ。爺さんに会いに行ける」
「縁起でもねえことを言うんでねぇ。そうじゃ、こういう時にゃ、飯をたくさん食うに限る」
そう思い立った漁師は、急いで漁に出る準備をします。
「おっかぁ、絶対に安静にしてろ」
そう言い残した漁師は、無謀にも荒れた海に漕ぎだしていきました。
「くそっ、どうしてだぁ」
漁師は血眼になって魚を探しますが、こんな日に限ってまったく魚が捕れません。
「くそっ、わしがもっと魚を捕っておれば……」
もしも漁師が普段からもっと魚を捕って稼いでいれば、他の漁師仲間から魚を売ってもらえたり、医者を呼べたりできたかも知れない、と後悔しました。
そんなとき、
「おっ、かかった。そ~れっ」
今日初めて、網に獲物がかかりました。漁師が思い切り網を引き揚げると、
「ん?なんだぁ?ヒトかぁ?」
網にかかっていた物は、漁師が初めて見る生き物でした。上半身は美しい女ですが、下半身がまるで魚のようなうろこに包まれています。
「あれ?けったいなものやのう。ただ、食べれんもんをとってもしゃあない。ほら、帰れ」
漁師が海に帰そうとすると、その女がしゃべりだしました。
「待ってください。私は、人魚と申すものです」
「すまんな。わしは今、急いどるんじゃ」
漁師は今、珍しい生き物を気にかけている場合ではありません。しかし、人魚は続けます。
「普段のあなたが、育ち切っていない魚を放してくれているのをよく知っています。恩返しをさせてください」
「恩返し?」
漁師は何が何だかわかりませんでしたが、頼むことは一つです。
「な、なら、おっ母の病気を治してやってくれ。家で寝込んでいるんだ」
「わかりました。これを」
人魚が漁師の手に握らせたのは、漁師が見たこともない一匹の魚でした。
「この魚を食べると、どんな病気でも治ります。どうか、早く食べさせてあげてください」
漁師は一目散に家へ駆け戻りました。苦しそうにしている母親の口に、無理矢理もらった魚をくわえさせます。
「おっ母、この魚を食べると病気が治るんだ。さぁ、食べろっ」
漁師の母親は無理矢理に詰め込まれた魚を咳き込みながらも全て食べ終えました。
すると、
「ん?あれっ、何かわからんが、まったく胸が苦しくない。治った、のか?」
先ほどまでは苦しくて立ち上がれなかったはずなのに、母親は以前にも増して元気になっています。
「お、おっ母。良かったなあ」
この出来事があってからは、漁師は自分が捕らえて余った魚だけでなく、他の漁師仲間にも育ち切っていない魚を逃がすように勧めました。それにより、一層海は豊かになり。村の人間も、海の生き物たちも幸せに暮らせたそうな。めでたし、めでたし。
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