第13話

「おぉ~海の香りを感じるねえ!」

「いや、普段から感じてるでしょ」

 さて、僕たちがいるのは兵庫県神戸市。ハーバーランドや南京町で有名な場所だ。

 なぜここに来ているのかというと、それは少し前に時間を巻き戻す必要があるだろう。


 僕たちが付き合ってから約二か月。この頃には週に一回のデートが完全に習慣と化していた。

 どちらかが何かを言わなくても、待ち合わせ場所である最寄り駅に集まっている。

もちろん地元で遊ぶなら最寄り駅よりも現地集合にした方が便利な場合もあるけれど、約束をせずとも待ち合わせられることは、彼女との小さな繋がりを感じさせていた。

彼女もおそらく僕と同じで、それを二人して喜べるくらいには仲睦まじい関係だった。

「ねえねえ、夏休みは何する?」

 大学は六月から夏休みが始まって九月から始まるので、かなりの期間を自由に使うことができる。この期間を生かしてより自身の研究を進める人もいるが、多くの人は旅行やアルバイト、ひと夏のアバンチュールを求めて大学の外に繰り出す。

「とりあえず、私は見たい映画があるんだけどどうかな?」

 彼女がスマートフォンに表示していたのは、ある恋愛映画だった。友達と別の映画を見に来た時に、映画前に放送される予告編を見て気になっていたらしい。

 映画館のチラシ置き場では少しだけ目立たない場所にあるくらいの知名度の映画で、そこそこ話題になっているらしい。

 特に異論もなかったので、僕はその映画を見ることに同意した。


映画の内容は、面白いというよりは美しい話だった。この作品が小説ならば、本屋大賞よりも直木賞が似合うような雰囲気を纏っている。

その中で主人公が思い人と共に、週末に電車を乗り継いで神戸を訪れる描写があったのだ。

神戸という街がこの作品の雰囲気に合っているのか、神戸という街が演出する雰囲気がこの作品を美しく見せているのかはわからない。ただ、僕たちが神戸という街に惹かれたのは確かな事だった。

映画デートの定番として、見終えた後に食事やコーヒーブレイクを挟んで映画の感想を語りあう際に、彼女が一言目に発したのは、

「神戸行きたいなぁ~」だった。

 決して映画が面白くなかったわけでは無いが、彼女もやはり神戸という街に惹かれたようだ。

「そうだね、一度で良いから行ってみたいなあ」

 僕がそう言ってコーヒーに口を付けた途端、彼女の眼はまるで「待ってました!」と言わんばかりに輝いた。そして、おもむろにスケジュール帳を取り出して

「来週末、三連休で行ってみない?」と僕に問いかけた。

 僕がそのタイミングで首を縦に振らない理由を見つけ出す事は、おそらく宇宙が始まった原理を解き明かすよりも難しい事だろうと思う。僕は素直に頷いた。


 そんなわけで僕たちは朝から新幹線に乗り、遠路はるばる神戸を目指すことになった。

「ねえねえ、富士山が見えるよ!」

「ちょっと、雪乃。そっちの駅弁はあきらめないと間に合わないから急いで!」

 まるで定番のイベントであるような、富士山や駅弁の話はこんどじっくりすることにしよう。

 

 僕たちは新神戸駅から、メリケンパークの方へ向かう事にした。

 一応、事前準備として調べておいたことの中で興味深かったことは、僕がイメージしていたハーバーランドという場所は、どちらかと言えばメリケンパークというらしいのだ。ハーバーランドはショッピングモールの事らしい。

 勝手な神戸のイメージで、BEKOBEのモニュメントや神戸ポートタワーがある場所が有名なハーバーランドだと思っていた。これは神戸を訪れた事が無い人からすればあるあるだと信じたい。まあ、どちらでも通じるらしいので特に問題は無いのだが。


 メリケンパークに向かうまでの道のりも、上品な雰囲気があった。

 江戸時代に日米修好通商条約によって開かれた神戸港を有して発展した来たこの町は、上手く海外の建築を取り入れている。南京町が有名ではあるけど、山の方に向かえば異人館と呼ばれる観光名所もある。

「おぉ~これは良いですね~ほらほら優くん、笑って!」

「あ、ああ」

 テンションが高い彼女が構えるスマホのカメラに向かって、僕はぎこちない笑顔で写る。彼女のおかげでかなり写真に撮られることは慣れてきたと思ったが、やはりまだまだ緊張するみたいだ。


 メリケンパーク周辺には、休日という事もあって親子連れやカップルの姿が見えた。おそらく、親子連れはアンパンマンミュージアムの帰りなのだろう。左手を父親と、右手を母親と繋いだ子供が、アンパンマンのリュックを背負って駅の方へと向かっているのを見た彼女は、

「いいなあ。優くんは、子供って欲しい?」

「ぐふっ、げほ」

 僕は健全な男子よろしく、子供と聞いて不埒な妄想が頭をよぎったせいで、南京町近くの飲み物屋さんで購入したタピオカミルクティーを喉に詰まらせてしまう。

 女性に慣れている人なら、こういう時にも動じないのだろうか。

「だ、大丈夫?別にそんな深い意味はないんだけど、好きか嫌いかくらいで……」

 彼女は彼女で、何かを心配して焦っているのが伝わってくる。まあ、お互いに異性に慣れていないのだから、ちょうどいいと言えばちょうどいいのだ。

「そうだね。僕は一人っ子だから兄弟への憧れがあるなあ。だから、できれば子供はたくさん欲しいかな」

「たくさん!わ、わかった。頑張るね」

 平然とそういうことを話すカップルよりも、こうやっていちいち慌てる方が、初々しくていいんじゃないか、と僕は自分で肯定するしかなかった。


 アーケード街を抜けて、景色がだんだんと開けてきた。都市部だからか、道の幅が大きく作られているので、僕たちは並んで手を繋ぐことをためらう必要は無かった。

「ここから見える海も、結局は私たちがいつものように見ている海につながってるんだねえ」

 僕は静かに、それに頷いた。彼女の発したその一言には、茶化して冗談にするべきでは無いようなオーラがあった。ただ、言葉を返す代わりに僕は右手に少しだけ力を込めた。

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