第11話
さて、僕は駅の前にある時計台の麓で特に何をするでもなく立ち尽くしている。
水族館でのデート以降、僕たちは毎週末のどちらかにデートをするのが通例となった。
どちらが誘うわけでも無く、自然と金曜日ごろには
『今週末はどこに行く?」
なんて言葉が出るくらいには、彼女といる事が馴染んできた。
もちろん、毎回のデートには緊張するし、デートプランやエスコートなどにも不安を感じている。だが、そんなことを気にしても仕方が無いし、彼女ならしっかりと注文を付けてくれるだろう。
『今週末はボウリングに行きたい!』
『近くのカラオケってどこにあるんだろう?』
『図書館で勉強するデートって憧れるなあ』
こんな風に彼女は希望がハッキリしているから、僕でもデートプランを組むことはそこまで難しくない。むしろ、下手に考えさせられるよりもよっぽどいい。
そして、ちょうど昨日に行われたメッセージのやりとりで、土曜日の昼から出かけることが確定したのだ。僕には特に用事もないので、基本的には彼女に合わせる形だ。
ただ、用事がないことイコール友達がいないでは無い。同じ学部で頻繁に顔を合わせる人とは仲良くなったし、授業終わりにはバイトのシフトがかぶっていないメンバーでご飯に行くくらいには馴染んできている。
授業でもとりあえず困ることは無いし、順風満帆な大学生活と言えるだろう。
あまりちらちらと時計を見ていると、彼女が見た時に待たせてしまったと思わせてしまうかもしれない。それは避けたかった。
なぜならば、仮に彼女が今から三十分後に到着したとしても、それで怒るのは、五分前行動を推奨する口うるさい教師くらいのものだからである。
時刻は十二時半。ちなみに、彼女から届いた現時点で最新のメッセージには、
『じゃあ、一時に駅前の時計台ね!楽しみにしてる』
そういうわけである。僕たちは共に日本で生活しているので、僕が早く来ただけの話だ。僕と彼女のいる場所の経度が十五ほどずれているわけでは無い。
彼女が待ち合わせ場所として指定したのは、ここらではかなり有名な国立公園とショッピングモールの最寄り駅前、待ち合わせ場所として有名な時計台だった。
かなりの人がいったり来たりしているので、上手く待ち合わせができるのか不安ではあるが、僕の服装はメッセージで伝えてあるので、彼女ならすぐに見つけてくれるだろう。
賑わっているので、目の及ぶ範囲だけでも様々な種類の人がいる。
大学生らしき男たちがナンパしていたり、居酒屋の勧誘をされていたり、いかにも怪しげな宗教の勧誘チラシを配る人たちがいたり、騒々しいという言葉を説明するにはこれほど適切な場所もなかなかないだろう。
こんな場所で一人でいたら、誰かに声をかけられるのは必然かもしれない。
「すいませ~ん、ちょっとお兄さんインタビューしても良いですか?」
背後から聞こえた女性の声。どんなインタビューかはわからないけど、壺とか絵とかを買わされそうにならない限りは、話を聞いてもいいだろう。何もせずにただ人混みを眺めているよりはよっぽど有意義だ。
「いいですよ」
そう言って振り返った先には、眼鏡のつるにペンをかけた、いつの時代の記者だとツッコミたくなるような格好をした、彼女がいた。
彼女はニヤニヤとしながら、メモ帳を取り出し、
「じゃあ、彼女さんのどこが好きとか聞いてもいいですか?」
デート開始早々辱められた僕の事を、誰か憐れんでいてくれ。
どうやら、彼女も楽しみすぎて三十分前に来てしまったらしい。
「あはははは、声で私って気づかなかったの?」
彼女は腹を抱えて、まるで杖をついたおばあさんのような姿勢で歩いている。もしもこれで彼女が倒れていれば、僕は抱腹絶倒の実演を生で見た珍しい人間になれたかもしれない。
「しかし、声で彼女を認識できないのは彼氏としてダメダメだね~」
それを言われると、僕は何も言えない。彼女が三十分も前に来るのは完全に予想外だったからという言い訳くらいしか思い浮かばないのだ。
「というわけで、これからは私がトレーニングしてあげましょう」
「トレーニング?」
「毎日、電話につきあってもらいます。異論は認めません」
「いや、毎日電話しているじゃん」
水族館でのデート以降、僕らは毎晩のように電話している。
話したいことはたくさんあるのだが、お互いがその日にあった面白かったことを共有したいという気持ちがいっぱいで、日記の読み聞かせのようになっている。
「で、今日はどこに行くの?」
今回は、彼女にデートプランを一任している。彼女は大学の友達と遊びに行ったところに、僕を連れていきたいらしく、デートする場所が尽きないのは交際経験の浅い僕からすればかなりありがたい事だ。
「まずはご飯を食べよ!ちゃんとお腹を空かせてきたよね?」
「まあ、あんなに注意されていればね」
一週間も前から、毎日言われていれば、さすがに誰でも覚えられるだろう。
昨日なんて、電話の締めがおやすみなさいではなく、
『明日のお昼は、少し小腹が減っても我慢しておいてね』
だったくらいだ。僕はそれを忠実に守り、朝ご飯以降はガムの一粒も口にしていない。
「じゃ~ん」
彼女が背中の後ろから取り出したのは、小さな手提げかばんだった。どうやら、財布や携帯電話とは別に、もう一つ荷物があったらしい。
ただ、いくら女性経験が無くても、ここまで言動と状況、彼女の笑顔を見れば何が入っているのかなんて一目瞭然だ。
「ごめんね。こういう時、男の子は麦わら帽子に白いワンピースで、ピクニック用のバスケットを持ってきてくれるのが好きなんだと思うけど」
残念ながら、今日は比較的冷え込むので、周りを歩いている人たちは皆、上に一枚羽織っているくらいだ。
そんな状態で麦わら帽子とノンスリーブのワンピースを着ている女の子は、見ているこちらが寒くなる。クラスに一人はいた、年中半袖半ズボンの男子を見てもそんなことを感じないのは、どういった違いがあるのだろうか。
「まあ、ノンスリーブワンピースは夏のお楽しみに取っておいてね」
「はは、わかったよ」
この夜、ワンピースを着た彼女と砂浜を散歩する夢を見たのは、誰も知らなくていい話だ。
彼女の手作り弁当は、控えめに言ってもとても美味しかった。
確か、中学時代の家庭科でも先生に一番褒められていた気がする。
ブロッコリーやトマト、かぼちゃなどを使って色とりどりである事に加えて、とりあえず誰でも好きだと思うハンバーグが入っている。見た目も味も文句がない。
彼女は照れながら、お母さんに手伝ってもらいながらだよ、と笑っていた。
それでも、僕が一口食べるごとに、リアクションを確認しているのは不安だったのだろう。僕が、美味しい、と口に出すだけで彼女が笑顔になるのなら、そんなことはお安い御用だ。
「いや~手作りのお弁当を食べてもらうなんて、ベタだけど憧れてたんだよね~」
「へぇ、奇遇だね。僕もベタだけどお弁当を手作りしてもらうのに憧れてたんだ」
そう言って僕らは眼を合わせ、口の中にある食べ物がこぼれないくらいに笑った。
デザートには、ウサギの形を模したリンゴと、缶詰のみかんが入っていた。このリンゴを剥くのも、彼女がナイフで一つずつ丁寧に行ったらしい。
「上手だね。いいお嫁さんになりそうだ」
「そう?じゃあ、逃がしちゃダメだよ」
どうやら僕たちは相当浮かれていたらしい。
周りから見れば、痛いカップル認定は間違いないだろう。ただ、その時の僕らは周りを気にできるほど外に意識が向いていなかった。
「じゃあ、もう一つだけ、憧れていたことを言ってもいい?」
「何?」
「それくらいは察してくれても良いんじゃない?ほら、男女が二人でご飯を食べてるんだから」
そう言った彼女の手にはフォークが握られていて、そこにはリンゴが刺さっていた。
僕はゆっくりと目を閉じて、口を開いて獲物を待ち構えた。
そもそも、普段からそういった事ばかりを考えて生きている……というとまるでバカみたいなので言いすぎだと訂正するが、こんなシチュエーションを妄想したことがないわけではない。
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