第10話


僕らがゆっくり回って、ちょうど半分くらいのコーナーを見終わったところで、館内放送が響き渡る。

「もうすぐ、イルカショーの時間です。南館のステージにお集まりください!」

「はいは~い!」

 若菜はまるで子供のように、はしゃいでいる。

頭も良くて、礼儀も正しいが、喜んでいるときはそれを全身で表現する。

それを見ていると幸せになれるし、その部分に惹かれたのは確かだ。


中学時代も、みんなが良く言えばクールに、悪く言えば斜に構えた態度をとることが大勝田学校行事や特別な授業を、率先して楽しんでいたのは彼女だった。

文化祭では真っ先に展示内容を提案していたし、修学旅行のしおりを作る委員会にも参加していた。外国人の先生を招いた英語の特別授業では、誰よりも先生とよく話していたし、家庭科の調理実習でも最後まで料理に対してこだわっていた。

そんな姿が、子供らしく庇護欲を掻き立てられたし、ある意味では大人っぽくも見えた。みんなが平静を装っている中で、堂々とそれを無視して喜怒哀楽を表現することは、少なくとも当時の僕には出来ない事だった。


 そんな彼女は、その頃の良さは一切変えず、イルカショーを存分に楽しんでいる。

「うわ~賢い。言ってることがわかるのかな!」

イルカが潜む水面が輝いているのは、日の光だけじゃなく、見ているお客さんたちの笑顔も少しくらいは影響しているんじゃないかと思わせるほどに。

「ジャンプ~」

 その声に合わせて、四頭ものイルカが空中に舞った。大きな水しぶきをあげて、再び水中に潜っていく。

「わあ~すごいすごい」

 彼女は、両手を叩いて喜んでいた。この光景を見られただけでも水族館に来たかいがあったというもので、彼女の友達にはどんな感謝の言葉を述べればいいのかわからない。

 結局、彼女はイルカの一挙手一投足に反応して喜んでいた。イルカに手があるかどうかなんていう無粋な事は、今は気にしないでおくことにする。


 それから僕たちは、ペンギンの餌やり、カワウソとのふれあいコーナーを楽しんで、チケットを譲ってくれた友達ようのお土産を買っていた。

 彼女はキーホルダーを用意するらしかったけれど、見知らぬ異性からもらうキーホルダーは不適切だと思ったので、僕は形に残らないように水族館内にいる生物がプリントされたクッキーにしておいた。

「今日は楽しかったね。ありがと」

「こちらこそ」

 帰りの電車では、今日の思い出話と、他に行ってみたいところで話題が尽きなかった。

 どうやら彼女はこの後に友達と会う約束があるらしく、手前の駅で降りるらしい。その友達というのがちょうどチケットを譲ってもらった相手だというので、僕はクッキーを彼女の託し、お礼の言葉を代わりに告げてもらうように頼んだ。

 彼女が電車を降りる寸前に、しっかりと僕の手を握った。

その温もりは、当分の間消えなかった。


 家に帰ると、僕はすぐさまベッドに飛び込んだ。

漫画や小説でよくある描写で、あくまで創作物だと思っていたけど、実際に同じ状況になってみると気持ちがよくわかる。

必死に枕を口元に押し付けて声を押し殺し、叫びだしたい欲求を無理やり沈めた。

 いまだに現実の事とは思えない。彼女が他の人からは見えないように手をそっと触れ合わせてきたのが、僕にとってはたまらなかった。

 その手は僕よりも少しだけ小さくて、熱を帯びていた。

 アイドルの握手会に出た後、ファンが一生手を洗わないという表現をするけど、その気持ちを少しだけ理解できた気がする。この温もりを忘れないうちに眠れば、きっといい夢を見られるのだろう。

 そんな事を考えていると、だんだん瞼が下がってきた。どうやら、緊張のあまりに疲れていたことにも気が付かなかったみたいだ。

大学への初登校と人生で初めてのデート。緊張するなという方が無理である。

僕は、その日、日を越すまで目を覚ますことは無かった。

『明日は、ちゃんと遅れないように学校へ行ってね』

 なんてメッセージも、見ることができなかったんだから仕方ない。

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