第4話

 たっぷりとカフェラテを味わい、申し訳程度のクッキーで小腹を満たしてからコーヒーチェーンから出た後、僕らはバスに乗って地元に戻ってきた。

 バスから降りた雪乃は、僕の手から荷物をとろうとしたが、僕はそれを躱す。なんだかんだ言いつつも、僕は雪乃といる時間が好きなのだろう。

「別に、近くだから家まで送っていくよ」

 バス停から雪乃の家まで、そこまで遠くないとはいえ僕が持っている荷物と雪乃の荷物も合わせればそれなりの重さだ。大丈夫だとは思うけれども、雪乃に何かあっても嫌だし、どうせ暇なんだから送るぐらい大したことじゃない。

 けれど、それを聞いて雪乃は一瞬だけ驚いた後に嬉しそうな笑顔になった。

「おぉ~優くんも大学生になって女の子をエスコートできるようになったんだねえ」

 それくらいで喜んでもらえるなら安いものだと思う。雪乃といるのは楽しいし、もうだいぶん慣れてきたおかげで昔のように緩い感じで話せている。

 雪乃を家まで送り届けた頃には、既に夕日が山にかかるほどだった。赤い日が雪乃の白くてきれいな肌にぶつかって、綺麗に照らしている。昔より女性らしくみずみずしくなった雪乃の笑顔は、それによく似合っている。

「綺麗だ」

 僕の口からは自然とそんな言葉が出ていた。

「へ? 綺麗?」

「ああ、うん。なんか夕日が雪乃の顔に当たって雪乃がすごい綺麗だったから」

 普段ならそんな言葉は出てこないだろうけれども、今だけは素直に出てきたけれども、口に出してから考えてみるとかなりまずいことを言っているかもしれない。

「ん、うん。まあ、ありがと……」

 雪乃も、照れているのかこちらから顔をそむけてしまっている。互いに何も話さないまま、時間だけが過ぎていく。雪乃は夕日に照らされているからなのか、それとも照れているのか、顔が赤い。そういう意味はなくて、確かに自分は飯生さんを好きでいるのは間違いではないのに、照れた雪乃は珍しくて魅力的で惹かれてしまう。

 静かに歩いていると、すぐに雪乃の家についた。

「ありがとう。荷物、持ってくれて」

「うん、これ」

 僕は自然と手渡したつもりだったけど、雪乃の手が触れたところで変に緊張してしまい、紙袋を落としそうになった。なんとか雪乃が拾ってくれたおかげで助かったけれども、まだ心の中にある不器用な気持ちは消えない。

「じゃ、今日はありがとう。またね~」

 ぶんぶんと手を振る雪乃に、僕は手のひらを少しだけ左右に揺らして答えた。

 このまま帰っても特にしたいことも思いつかなかったので、僕はいつもの公園に向かう。この変な感情を、どこかで消化してから帰りたかった。


 その持っていきばを思いつかないままにぼんやりと歩いて与国公園についた僕は、何をするわけでも無くぼうっと過ごすだけ。ただ、それも明日からは難しくなる。大学生活は当然のことながら初めてなので、どれくらい余裕があるのかはわからない。高校の先輩に話を聞くと、毎週末に旅行に泊まりに精を出しているが、学部によって自由な時間はかなり差があるらしい。

 高校時代の化学教師が言っていたのは、実験結果を観察するために泊まり込みで観測しないといけない場合もあるらしい。僕は理系ではあるが、主に学ぶのは主にパソコンやその機能に関する事なので、時間的な制約は少ないだろう。

 ただ一つわかることは、今日よりは忙しくなることだけだ。


 昨日と同じベンチに腰を下ろし、コーヒーをすする。雲間から差し込むわずかな夕焼けが、なんとなく公園を幻想的に見せているのは間違いない。

 薄暗い公園で、心地よい風に当てられていると瞼が重たくなってきた。雪乃に付き合わされたのが、かなり疲れているらしい。あれくらいの荷物と時間で疲れていると、自分の運動不足を感じる。だんだんと瞼が重くなってきて……ああ、ダメだ。

 そこで僕の意識は途切れた。


 音がするほどの風がびゅうと吹いて僕の意識は覚醒した。

 右の側頭部にほんのりとした温かさを感じる。エアコンやヒーターのような機械的に体を温めるのではなく、こたつのように心まで温まるような。ぼんやりと記憶が戻ってくる。確か、雪乃を家まで送り届けた後に公園に向かったはず。いつものようにコーヒーを買って、いつもの青いベンチに座ったところまでは覚えている。

 その時に睡魔に襲われたのだ。つまり、僕がいる場所は公園になる。眠い目を擦り、体を起こそうとすると、目元に寄せた右手が何か柔らかいものに触れた。

「ひゃあ!」

 その声が僕の左耳届くと同時に、僕も驚いて飛び起きた。

 まだ、目は冴えない。眠っている間に夜が訪れたようで、視界はよりぼんやりとしている。僕が座っている隣には、どうやら人がいるらしい。

「び、びっくりしたあ」

 僕はどんどん意識が覚醒していく間に、脳みそをフル稼働させていた。

 僕が側頭部に感じた温もりと、ベンチで隣に座っている人。僕の肩にかけられた身に覚えのないカーディガン。そして、この高くて甘い声。これらが示すものは……

「もう、こんなところで寝たら風邪にかかっても知らないよ」

 ベンチで眠ってしまった僕を、この女性が膝枕で眠らせていてくれたのだ。

 おそらく、その女性が羽織っていたカーディガンをかけて、丁寧に僕の眼鏡まで外してくれていたのだ。彼女は僕の眼鏡を両手に包んでこちらに差し出すようにしている。意識がハッキリするにつれて、声もはっきりとする。この声は綺麗なだけじゃなく、なんだか聞き覚えがある。どこか懐かしさを覚えるような。

「すいません、カーディガンまでかけてもらって」

 受け取った眼鏡をかけてその人の顔を直視したその瞬間、僕は雷にうたれた。大袈裟な表現だと思うかもしれないが、本当に体中を隅々まで電気が駆け巡ったような感覚があったのだ。その感覚を上手く伝えようと思えば、雷にうたれるという表現がもっとも適切である。それ以外の表現が稚拙と思えるほどに。

「久しぶり、城戸くん。三年ぶりくらいかな」

 そこには僕の思い人。僕の記憶より三年分の成長を遂げた飯生若菜が座っていた。

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