第3話

「ちょっと~優くん。お金が足りなかったから貸して~」

 レジの方から、既に店の外に出ていた僕に向かって雪乃の声が届いてくる。どうしてそうなるんだろうか。服を買いにいたのなら、お金は持ってるんじゃないのか。

「なら、どっちか諦めればいいんじゃないか」

 できることなら、あまりこういうお店にいたくはない。特に、雪乃がレジに行ってから居心地が悪くてすぐさま外に出てきたのだ。別に何か悪いことをしているわけでもないし、付き添いという明確な理由があるのに居辛さがすごい。

「どっちも似合うって言った男の責任は重いよ」

 この瞬間は、やれやれというセリフが世界で最も似合う男だった自負がある。

 自分で自分の首を絞めるとは、こういう事だ。もっとも、この場合は僕が両手を首にあてているのを、雪乃に無理やりな理屈で強く押さえつけられていると言った方がいいだろう。結局、僕は時間にしておおよそ二時間ほど、店舗数にして七軒も雪乃に連れまわされた。

 しかも、途中から不要だというのに僕のコーディネートまで始めてきた。

「着ている上着と、このデニムを合わせれば大学生っぽくなると思うよ」

 そう言いながら少し濃い色のデニムを持ってきたかと思えば、

「そしたら、こういう色のバッグがあれば統一感が出ていいと思うよ」

 カバンをどこかから持ってきたりと僕を着せ替え人形にして楽しんでいるようだ。

 しかし、明日から着る服にこまっている僕に、いくつか服を見繕ってくれたので、素直に文句が言えなかった。

「よし、こんなかんじかな。じゃあ、おなかも空いたしご飯に行こう。と思ったけど、なんか時間が経ちすぎて食べる気がしないね」

 それは僕も同意だった。時刻は二時を過ぎて、空腹のピークを過ぎている。それに、この時間だともうフードコートも休憩時間に入っているだろう。

「じゃあ、カフェでいいね。大学生活を迎える優君に教えてあげる!」

 僕の全身コーディネートを終えて、またも僕の手を引いて連れ出した。


 荷物持ちのお礼として、僕たちは某有名チェーンのカフェに来ている。どうやら会計は雪乃がしてくれるらしい。この後も荷物持ちをしないといけないことを考えると憂鬱だが、これでチャラということにしておこう。

 文句を言っても、結局は荷物をおいて帰ることはできないのだから。

「ほら、そんなにそわそわしないの。大学でそんなんじゃ女の子に笑われるよ」

 そう言いながら、注文を受け取ってきてくれた雪乃は向かいの椅子に腰かける。

「そうは言ったって、慣れてないんだから仕方ないだろ」

 このどうして英語で統一しないのかわからないサイズの指定や、周りにいる座るのがほとんど同年代の女の子ばかりだから幸せなんて思うことは無くて、ただただ肩身の狭い思いをしている。おかげで、なかなか素直に雰囲気を楽しめない。

「ほら、カフェラテ。どうせ季節限定のを飲んでもあんまり優君は好きじゃないだろうから。サイズは適当に決めておいたよ」

「ああ、ありがとう」

 雪乃がオススメしてくれたカフェラテは、有名チェーンらしい味がした。具体的に言えば、子供からお年寄りまで誰の口にでも合うだろう。その程よい甘さが、久しぶりに荷物を持って疲れた体にしみわたる。

「いや~ありがとね。優くんがいてくれて良かったよ」

 雪乃は満足気な顔で、期間限定のフロートをすする。まあ、この笑顔を見られたのなら、別にそれでいいかと思えるほど雪乃の笑顔は魅力的だった。

「どういたしまして。雪乃はこんなに服を買ってどうするんだ?」

 雪乃は僕と出会う前にも服を買っていたらしい。その服は見せてもらえなかったが、いつも雪乃が着ているブランドの物とは少し違っていた。

「どうするって、明日から着るに決まってるじゃん。大学デビューはしっかりしないと! 優君も、選んであげた服をちゃんと着ていくんだよ!」

「はいはい。雪乃はお母さんかよ」

 雪乃は、僕にとって唯一の気兼ねなく接することのできる異性だ。

 趣味も性格も真反対なのだが、まるでパズルのピースが合うようにそれが逆に居心地を良くしているのかもしれない。雪乃も同じ気持ちだろう。異性でこういう友人がいる事は、かなり恵まれているように思う。

「雪乃はどこの大学に受かったの?」

 大学生が昔の同級生に出会って最初に聞く質問を、僕はそのままコピーすることにした。こんな言い方をしているが、純粋な興味が無いわけでは無い。これでも十年以上の付き合いがあった相手だから、三年離れて興味はある。

 雪乃は中学時代もかなり勉強が良く出来ていた。部活に友達付き合いに忙しいはずだが、それでも安定して成績を残していたのが印象的だ。典型的な天才肌なのだろう。昔は努力せずに何でもできるように見えて羨ましかったけれども、ちゃんと見ればこうしてお洒落にも気を使っていろいろと頑張っているのだろう。

「私は永生大学。教師になろうと思って」

「そういえば中学校の卒業文集には作文で教師になりたいって書いてたなあ」

 思えば、小学生の頃からそのような事を言っていた気もする。雪乃の見た目は派手な格好をしているが、授業にも行事にも積極的に参加するタイプなので、先生を嫌う事も無かったのだろう。まことに健全な学生生活である。

「高校の卒業文集にもちゃんと書いたよ。なんだかそっちの方が叶いそうだし」

 彼女のポリシーは『願いは口に十回出せば、必ず叶う』らしい。まあ、流れ星の言い伝えよりはよっぽど筋が通っている。こっちはただの言葉遊びだけど。

「優くんは、どこの大学?」

「僕は霧島大学だよ」

 その返答を聞いた途端、雪乃は机を叩かんとする勢いで立ち上がる。僕や他のカップルで来ているようなお客さんは良いが、読書や仕事をしている人に申し訳ないので、そこまで目立たないで欲しい。

「霧島! ほんとに?」

 雪乃はその勢いで立ち上がらんばかりに驚く。

「ここでウソをつくわけがないだろ。信じられないかもしれないけどほんとだよ」

 霧島大学は僕自身で言うのもなんだけど県内最高の偏差値を誇る名門大学である。有名人も多数輩出しており、例えば僕たちが現在進行で利用している有名コーヒーチェーン店の会長は霧島大学出身だ。

「すごい! すごい! でも、中学時代からそんなに頭が良かったっけ?」

 雪乃の両脚は宙に浮いてぴょんぴょんと跳ねる。その足が、僕の足にぶつかっていた。そんなに喜ばれると恥ずかしいけれども、少しだけ嬉しい。

「高校で猛勉強したんだ。いや、させられたんだ」

 僕が通っていた高校は朝の八時半から授業が始まり、夕方の五時までが全コース共通の通常授業。この時点で公立高校に進学した学生たちからすれば十分に厳しいのだが、そこから更に特進コースには三時間の自習時間がある。

 自習とは言っても勝手に帰ったりしても良いわけでは無い。一日では到底終わらないような量の課題が毎日のように出るから、それをこなすのに必死だった。

 しかし、そんな環境に身を置けば、否が応でも学力は向上する。

 進学実績では元々が出来ている最難関高校の方がいいのは事実だが、中学時代と比較した偏差値の伸び幅などが、最近になって徐々に評価されてきている高校だ。

「へ~やっぱり大変だったんだね。それで霧島大学にした理由は?」

「僕はプログラミングに興味があるから、県内で一番有名なとこにしたってだけだよ。まあ、大学の名前とかも考えたら一番いいのはそこだと思うし」

 大学の学部を選ぶうえで、将来どのような職に就きたいかというのはかなり重要である。ただ、僕にはこれと言ってなりたい職業は無かったので、とりあえず手に職をつけておこうという我ながら、かなり安直な考えだ。これから情報社会になっていく中での需要もあるだろうけど。

「へ~私はてっきり花山院からの進学実績が最も良い霧島大学だからかな~って」

 隠しきれないニヤニヤを、手でごまかそうとしているが残念。開いた指の隙間から整った白い歯が見えているから、冷やかしているのはわかっている。


 花山院とは、県内最高の偏差値を誇る女子高の花山院学園の事である。

 私立で学費も高く、お嬢様学校として有名で、服の華やかさや、ネームバリューなどの面でほとんどの女子中学生の憧れとして様々な場所で話題にされる。そんな学校からの進学実績を僕が気にする理由。飯生さんが花山院の生徒だった事。

 まあ、それも霧島大学を選んだことと全く関係がないと言えば嘘になる。

「でもさあ、若菜が霧島を受験してるかなんてわからなくない?」

「いや、そもそも別に飯生さんのことは……」

 僕が言い返そうとしたところで、先に雪乃が話す。

「どうせまだ好きなんでしょ。中学の頃からずっと」

 そう言われて僕は顔を赤らめて黙ることしかできない。

「まあ、一緒の大学に行けるといいね」

 確かに雪乃の言う通りではある。単に進学している生徒が最も多いだけで、その中に飯生さんがいるとも限らない。だけど、もしかしたら飯生さんと同じ学校に通えるかもしれないという事をモチベーションに三年間も耐えてきたのだ。男子高校生の馬鹿力をなめてはいけない。

「へぇ~これぞ純愛だねえ」

 雪乃はまた、僕を茶化す。まあ、青春の全てを捧げていると言っても過言ではないので、恋愛話が大好きな女子大生からすれば、茶化さない道理は無いだろう。甘んじて受け入れるしかできない。そもそも、口で雪乃に勝てるとは思えないし。

「そういえば、連絡はとってないのか?」

 雪乃と飯生さんは、中学時代だけでなく、小学生時代からの仲良しだ。特に電子上でのつながりを大切にする女の子同士なら、今なお連絡を取り続けていても不思議ではないはずなのだが。

「……あ~最近は大学の準備とか、受験とかで忙しかったから、どうしてるんだろ」

 一瞬だけ、逡巡するような間があった。もしかすると、二人の間に何かあったのだろうか。

 ただ、受験シーズンは友達と連絡を取らないようにする学生も一定するいるのは事実なので、理由付けとしてはしっかりしている。そもそも、二人の間に何かが起こっていたとしても、僕が介入するような問題ではないはずだ。

「まあ、飯生さんと同じ大学って可能性は別に高いわけでは無いけどさ。偏差値のいい大学に進んでおくことは悪くないだろ。将来的にも」

「まあ、入れるって事は凄いけどね。若菜がいてくれるといいね~」

 同じ大学に入ったところで、飯生さんと上手くいくかもわからないし、高校時代にできた彼氏がいるかもしれない。飯生さんほどの美貌なら男には困らないだろうし、彼氏の一人や二人くらいなら……

「はいはい、優くん。そんなに落ち込まないの。女子高なんだから大丈夫だって」

 長い付き合いなので、雪乃は僕の表情から推察するのが異様に上手い。

 そのせいで、中学時代には夫婦漫才とか、熟年夫婦とはよく言われた。

「俺ってそんなにわかりやすい?」

「うん、若菜に関してはね。こんなにわかりやすい人はいないよ」

 そう言って雪乃は、また僕を茶化して笑う。

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