8.「未熟な精神が早すぎる投了を惹起」
二年に進級してからの一年間は、これまでの私の囲碁人生にとって非常に大きな意味を持つ期間でした。
詳しいことは、自作小説『半笑いの情熱』に――多少の脚色こそあれ――記しているのでそちらをお読みになってください。
……と、これだけではさすがに不親切極まりないので、改めて綴っていくこととしましょう。
二年生になり、私は上智囲碁研究会の部長になりました。
それだけ聞くとたいそう凄いことのように思えるかもしれませんが、
先輩方は相変わらずたまに部室にいればラッキーというぐらいに出現率は高くなかったですが、新入部員が二名も入ったことは朗報でした。男女ひとりずつ、ひとりは
Aさんは級位者で十九路盤で打ち切ることはできるものの、東洋囲碁の棋力に換算すると五級にも満たないくらいだったのではと思います。
Iくんは棋力が高く、東洋囲碁や野狐囲碁の基準では五段程度と思われる実力でした。これは部員全体の中でも相当高い部類で、五月の団体戦で彼はいきなり副将で参加していたと記憶しています。
二人ともなかなかに熱心で、部室にも高頻度で足を運んでくれていたのでそれなりに対局を重ねました。
Aさんとは置碁でなければさすがに勝負にならないものの、Iくんと打つときは互先でした。当時の私は東洋囲碁三段で、四段にタッチした経験すらない程度でしたのでやや荷が重かったのですが、三段と五段ならそこまでかけ離れた棋力というわけでもないため、毎局互先で打っていました。
Iくんは厚みよりは実利派ですが、基本的にどんな碁でも打ちこなす本格的な棋風です。対する私は、それまでの実利主体の碁のみならずいろいろな打ち方を試していた時期で、両目外しや二連星など、それまであまり打ってこなかった布石も時折用いていました(目外しについては一年次の秋頃からかなり時間を割いて勉強していましたが)。
彼と初めて打った時の碁はぼんやりと覚えています。
https://24621.mitemin.net/i831398/
リンク先の盤面のように、黒番でタスキ小目の布石で打ちました。
黒5のカカリ一本で黒7と中国流風にヒラくのは、当時のプロの対局でわりとよく見る打ち方だったように思います。
本局は布石段階で――大失敗とまではいかないものの――今ひとつな形を作ってしまい、その後も思わしくない展開が続いて早い段階で投了しました。
しかし、どこかの大石が取られたとか地合いで大差がついているとか、客観的にみて投了に値する明確な理由を見つけにくい時点での降参だったため、Iくんは拍子抜けした様子で驚いていました。
もともと、特別に投了が早いタイプというわけではありませんが、対局中の彼の自信たっぷりと言わんばかりの手つきや石音に動揺したのかもしれませんし、あるいは、当時の私のレパートリーになかった巧みな手筋や打ち回しを目の当たりにして戦意喪失していたのかもしれません。当時は技術面のみならず、精神面においても現在とは比較にならないほどに未熟であり、粘り強く打って少しでも差を詰めたいという気持ちよりも、これ以上失敗して恥をさらしたくないという気持ちのほうが
前頁で触れていませんでしたが、大学時代には年二回、春季と秋季に団体戦がありました。通称“関東リーグ”と呼ばれるそれは、関東の大学囲碁部が集結する大規模な大会です(詳細はまた次のエピソードにて)。
春の大会は五月の大型連休中。それまでにIくんとは何局か打ったものの、いずれも敗れています。
まるで勝ち目がないというほどの大差負けではないものの、自分の中で何かひとつ壁を越えなければ勝てない。そう感じていたのです。
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