5.「そんな心理状態では勝てるほうがどうかしている」

 中学二年生になってからは、有村教室を卒業してひとつ上の教室に移りました。

 桂篤かつらあつし先生が担当する上級・有段向けのクラスは、下のほうは三級ぐらいから、上は忘れましたが四・五段ぐらいの人までいたのではないでしょうか。


 正直なところ、桂教室時代のことは有村教室時代に比べてそこまで鮮明に憶えていないので書きづらさもあるのですが、最初のうちは引き続きモチベーションを保ちながら善戦していたように思います。引き続き小目の布石を中心としながらも、日々の勉強の中で覚えた打ち方を試すなどは継続していました。

 有段者との対局が中心となりさすがにレベルの高さを実感したものの、まるで通用しないということはなく、ほどよく勝ったり負けたりしながら教室に順応していきました。


 桂教室で最終的に何段ぐらいまで上がったのか、また、いつ頃まで教室を続けていたのかもはっきりと憶えていません。ただ、途中からなかなか勝てなくなってきたため、高くても二段程度だったのではと思います。


 全体的に記憶がなさすぎる桂教室時代において、はっきりと憶えていることがひとつだけあります。


 Y君という男の子との対局でした。

 段位は確か同じぐらいで、以前に一度打った時には私が勝利しました。対局後、彼が別の生徒に「圧倒的な差で負けた」と話しているのが聞こえました。そこまで圧倒的な大差勝ちだったか――実際はそれなりにいい勝負で、彼の謙虚さがそのような発言を引き出した可能性も大いにあり得ると思いますが――、その点についてはまるで記憶にないものの、ともかく当時は私のほうがいくらか実力が上であったことは間違いありません。


 しかし、二度目の対局。初手合わせからどのくらいの期間があいていたか定かではないものの、今度は私が負けました。しかも、わりとあっさり。いいところなく負けたような気がします。

 その一局を碁盤に再現することはできませんが、当時私はどこかしらの隅を小目に打っており、一間高ガカリされた時に下ツケの定石で応じました。部分的に最もよくみる定石と言えますが、ここで問題だったのは、ことです。


 むろん、定石選択は周辺の状況により異なります。それを理解し、あまつさえ不適であると認識もしていたのに、打った。理由は明確には憶えていないものの、「下ツケ以外の定石に自信がなく、それでいて下ツケを打ちづらい現況における代替手段を考えることが億劫おっくうだったから」であると思います。


 このような心理状態では勝つことはおろか、まともな碁にすることすら到底叶いません。

 Y君が努力を重ねて実力を伸ばしていたことは間違いないにしても、以前に「圧倒的な差」――かどうかは神のみぞ知る――で勝利した私が、二戦目の時点で本当に彼に完璧に追い抜かれていたのかどうか。有村教室時代のような意欲を以て挑んでいたら結果は違ったのかもしれない。そんなふうに考えるのは不遜でしょうか。


 Y君とのエピソードから見て取れるように、次第に囲碁へのモチベーションが下がっていったことや、中学三年になって受験勉強に本腰を入れ始めたことなどがあり、三年次からはあまり教室に行かなくなってしまいました。


 なお、桂先生の名誉のために付け加えておきますが、桂先生の教え方に不満があったなどではまったくありませんので念のため。

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