第7話 雪の日、未知との遭遇

 どうしてこんな事に。

 俺とアキラくんは吹雪のように吹き付ける雪の中で呆然としていた。既に数センチは積もっている。

 雪国ならばどうという事は無いのかも知れないが、何せ例年は殆ど雪など降らない地域なので、たまに通る車も恐る恐るまごつきながら走っている有様である。スタッドレスタイヤに履き替えているかも怪しい。

「ごめんね、俺がご飯なんて誘わなかったら……」

「いやそれは良いんですけど、……すんません、俺、これじゃ山登って帰れないです」


 今から遡ること二時間前。

 俺は上機嫌でバイトに励んでいた。と、言うのも、今月末で俺が退職するので、その前に少しでも話さないかと、カナタさんがご飯に誘ってくれたのだ。

 カナタさんは休み、俺の仕事は二時から六時まで。学校は土曜日で休みだった。

 テキパキと納品された荷物を品出ししていると、お客さんの声が耳に入ってくる。友達か知り合いらしいおばちゃん達がばったり会った様で、通路で話していた。ちょっと邪魔だが仕方ない。

「外、みぞれみたいになってきたわ」

「雪になっちゃうかしらね」

 天気は生憎と良くなくて、朝から霧のような冷たい雨が降っていた。自転車だと雨よりも雪の方が寒くないから、出来れば帰りまでに雪に変わって欲しい。この辺りは雪が積もるような場所じゃないし、たとえ降ったって直ぐに溶けてしまうだろう。


 バイトを終えて着替えると、事務所の隅で私服のカナタさんが待っていた。

「お疲れ様です。外どうですか?」

「おつかれ。ちょっと雪降ってるよ。帰り平気そう?」

「積もんなきゃ平気ですよ」

 カナタさんは事務のお姉さんに軽く声をかけて、俺と連れ立って外に出る。

 頬を刺すような三月の夜の冷気。やはりさらさらと細かい雪が降っていた。濡れたアスファルトに当たると瞬く間に溶けるような、淡い雪だ。もう春なのに。早咲きの桜には雪が積もっているかもしれない。

「近くにうどん屋さんあるの知ってる? 美味しいんだって」

「ちょっと行ったとこのですか? 入ったこと無いなあ……自転車置いていこうかな」

 どうせ歩くし邪魔なだけだろう。帰りも店の前を通るから、その時回収すれば良い。カナタさんが黒い傘を開いて、俺を入れてくれた。

「これ、水通さないんで大丈夫ですよ。雪だから払えるし」

 アウターは登山用品を扱うアウトドアメーカーのもので、撥水加工がされている。フードを被れば殆ど濡れないから、雨の日は重宝しているのだ。兄から誕生日祝いで貰ったものだった。

「足が濡れちゃわない?」

 傘の中だと、声がより鮮明に聞こえるような気がする。雪のせいか、何時もよりもずっと静かな夜だった。

「じゃあ、俺が持ちます」

 ズボンも雨に備えた撥水の物なので濡れはしないのだが、カナタさんは俺ばっかり濡らすまいとして、自分の方が雪を被っている。あと、身長は俺の方が高いので、カナタさんが持っていると傘に頭がぶつかるのだ。

 ひょいと取り上げると、なるべくカナタさんの方に差し掛けた。

「濡れちゃわない?」

「大丈夫です」

 別に傘に入らなくても良いのだが、何となく近くに居たくて、そのまま二人で歩いた。寒さのせいで、白い頬と鼻先が赤く染っているのが新鮮だった。

 こういうのも、バイト辞めたら中々見れなくなるんだなあ。そう考えると寂しいが、兄との約束もある。

「次のお仕事は何するの?」

 林檎ほっぺのせいか、普段より幼く見える顔が首を傾げる。女の人と歩いていると大人の男性という風だが、俺とだとちょっと子供っぽく見えるのは何故だろう。 

「二番目兄ちゃんが家電配送の会社に勤めてて、そこで。春休みって人が凄い動くんで、仕事やばいらしくて」

 春は新生活の季節だ。一人暮らしを始める学生や社会人の需要で、家電配送や引越し業者は最繁忙期となる。兄の所もてんやわんやになるらしい。

「そっか、皆卒業して一人暮らしとかするから……」

 酷く近くにいるせいか、柔らかくて甘い匂いがした。Ωの匂いだ。コンテストの時、食堂で感じた香り。

 見れば見る程不思議だった。

 女の子では無いのに、身体の奥に子供を作る器官があるらしい。この人はいつか子供を産んだりするのだろうか。良い相手が居れば……

 あれ?

 なんか嫌な気持ちになるなあ。

 この人もいつか、誰かと結婚したりするのだろうか。βベータの女の人とか。そうしたらパッと見はβふつうの夫婦みたいになるんだろうか。

 αの女の人と結婚したら、カナタさんが産む方に回るだろう。お腹が膨らんだカナタさんと、横を守るように歩く女性の姿が浮かぶ。もしかして、例の彼女さんもαだったりするのだろうか。

 後は、αの男か。

 途端、胸の奥がズンと重くなる様な嫌な気持ちになって、戸惑う。

「ここだよ」

 はっとして顔を上げた。普段は通り過ぎる店で、紺ののれんが出ている。民家と店舗が一緒になっているような個人経営の店だ。

 のぼり旗に、「うどん、ほうとう」と書いてあった。

「……ほうとうって何ですか?」

「わかんない、けど美味しいみたい」

 傘を傘立てに立てて、ガラスのはまった引き戸をガラガラと開ける。

「いらっしゃいませー」

 店内の温かな空気が、雪で冷えた身体を包んだ。生憎の天気なので店内は空いていたが、案外広い店だ。十五卓くらいはあるだろうか。

「お好きなお席にどうぞー」

 二人顔を見合わせて少し迷って、一番奥の方の座敷に座ってみる。六人がけの広い席だがこの天気だ。店内もガラガラだし、問題無いだろう。

「畳って久しぶりな気がします」

「俺もかも。居酒屋とかもあんまり行かないし」

 座布団に座ると、間もなく温かいお茶とおしぼりが出された。年季の入ったメニューを捲ってみる。カナタさんも一緒に覗き込んだ。

「武田信玄……山梨の方の名物ってことかな?」

「そうみたいですね。味噌煮込みうどんみたいな感じかなあ……」

 戦国武将が描かれたメニューの一番最初に、「かぼちゃほうとう」なるものが掲載されている。お店の一押しという事か。

 具材は豚肉、カボチャ、玉ねぎ、他色々。どうやら味噌味。大きく切ったかぼちゃがドンと乗っている。

 冷たいほうとうもある様だが、それはまた全然違う物のようだ。ざるうどんみたいな感じか。

「あったかいもの食べたい……俺これにしようかな」

 メニューを一通り見てから、カナタさんは結局最初のページを指差した。

「じゃあ俺も一緒で」


 そうして出てきたものに俺たちは目を見張った。

「おっきい……!」

 そう、カナタさんがびっくりするくらいの大きさの鉄鍋に、グツグツと煮えた太いうどん。奥深い味噌の香りがふわりと香り、一気にお腹がすいた。

「めっちゃ美味そう」

 俺たちは未知との遭遇に顔を見合わせてから、二人で割り箸をパキンと割った。

「いただきます……!」

 

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