第8話 さあ、未来の話を真剣にしよう

『次会えるとしたら年明けてからだね』

 カナタさんはそう言っていた。スーパーってのは、年末年始馬鹿みたいに忙しいので予定が立たないらしい。

 俺はあれから、カケルとちゃんと話すきっかけを掴めないでいた。

 親身になって、カケルの立場になって、ちゃんと友達だから大切だって伝える。

 中々出来る事では無いし、何よりカケルもバイトがあり、遊びにも行っている。

 居酒屋でバイトをしているカケルは、俺より後に帰って来る。

 俺は俺で疲れてしまって、待っているうちに寝てしまったりもする。流石に朝から話す暇は無い。

 どうしたもんかと思いながらゴロゴロしていると、バタンと音がして、慌ただしくカケルが帰って来た。

 見れば、明らかに変な汗をかいて狼狽えている。

「……おかえり、なんかあった?」

 もう十一月なのに、顎を汗が伝うのが見えた。俺を見るなり、泣きそうな顔をする。こんなカケルは初めて見た。

「女のコ、妊娠させちゃった……」

「はあ!?」

 

 とりあえず、狼狽えているカケルのスマホをぶん取って、送られてきたメッセージを確認する。

 生理が来ない、妊娠した、堕ろすから十五万寄越せ、というのが大筋の内容だ。

 詳細が分からない。

「お前ゴムしたか?」

「してない、安全日だって言うから……」

 頭が痛くなってきた。こいつ、本当にバカすぎる。大方、保健体育の授業でエロい事ばっかり考えて、大事な所は何も聞いてなかったのだろう。

「危険日はあっても安全日なんてもんは存在しねえの!バカじゃねえか!…………」

 もっと強く怒鳴ろうとして、ぐ、と一度飲み込む。

『頭ごなしに伝えても反発されるだけだよ。まずは親身にならないと』

 そう耳元で囁かれた気がした。一度深呼吸して、ファミレスで聞いたカナタさんの言葉を反芻する。

「……アンガーマネジメント」

 ざっと調べたその言葉は、怒りをコントロールする、そうして、共感することで自分の意思を人に伝える。そういう内容だった。

 一方的に怒って怒鳴ってしまうと、内容が正しくても相手に伝わりにくいという事らしい。

「何? ハンバーガー?」

 バカをジトッと一瞥して、俺はもう一度、妊娠したという相手からのメッセージを辿った。スマホを上にスワイプする。

 スタンプだらけの、スカスカのメッセージの中にそれはあった。

『きょう、たのしかったよ』 

 前に会ったのは二ヶ月以上前だ。カケルにスマホを見せる。カケルも涙ぐんだ目で画面を覗き込んだ。

「お前この日この子とヤッた?」

「ヤッた。この日しかしてない」

「……」

 違和感がある。生理が来ないとしたら、もっと前に連絡が来ても良さそうなものだ。それに、違和感は他にもある。

「カケル、これ……ちょっと本人に確認したい事あるから呼び出せるか? 友達何人連れてきても構わないからって言って」

「聞いてみる……」

 メッセージを送ると、直ぐに返信が来た。翌日の土曜日の午前中に約束を取り付ける。

「……俺の事怒んないの?ゴムくれたのに」

 おずおずとカケルが言う。しょぼくれた犬みたいだ。

 同じ部屋で生活してるのに、こんな風に近い距離で話すのも久しぶりな気がした。

「怒ってる。……でもお前は友達だから、できるだけの事はしてやる」

 友達という言葉に、カケルは一瞬目を見開いて、それからちょっと照れたように俯いた。

「でも、……実際妊娠してたらお前が自分で何とかしろ」

 ちょっと厳しい口調になるのは仕方ない。カケルは叱られた犬みたいな顔をしたが、その後首を傾げた。

「妊娠してないって思ってるって事?」

「……相手の話も聞かないと分かんねぇよ。とりあえず明日だ」


 俺はカケルが寝静まってから、スマホでカナタさんのアイコンを探した。

 丸く切り取られた写真は、何故か男性のアイドルグループのツアーグッズだ。好きなのだろうか。

 俺は迷って、スマホのキーボードを打つ。

『遅くにすみません。今日友達とちょっと喋れました。ありがとうございます』

 向こうもスマホを触っていたのか、直ぐに返信が来た。

『起きてたから大丈夫だよ。落ち着いてお話できた?』

『たぶんできたと思います』

 【良いね!】

 とパンダのキャラクターのスタンプが送られて来て、ふふっと笑ってしまう。自分もスタンプを返した。

 【がんばる!】


 翌日、俺とカケルは薬局に寄った。目当てのものを買った時、レジのおばさんが何とも言えない顔をしたが、気にしてはいられない。

「考えてみたら、俺のゴムじゃ使えないよなあ」

 俺がそう言うと、カケルは一瞬考えて、合点がいったらしい。

「α用だもんな!返すわ」

「……お前ほんと普段から使ってねぇだろ」

「ごめんて……いや女の子が使ってって言ったら使ってるから……」

「クズ野郎」

 ちょっと人目を気にして柱の影に入り、カケルは自分のリュックを下ろしゴムの箱を取り出して、俺のリュックに押し込んだ。

 そういや最近ヤッてないなあ。念の為持っているゴムも、ずっとカバンに入れっぱなしだ。

「行こう、ぼちぼち時間だ」


 待ち合わせをしたのは駅ビルの中、地下のトイレの前だ。建物のなかでも奥まった場所。エステやカルチャースクールが入ったエリアで、人通りは殆ど無い。

「カケちゃん、待ってた!」

 そこに居たのは女のコが四人。あからさまに媚びた表情で手を振ったカワイイコ以外は、皆無表情でこちらを見据えている。

「みーちゃん久しぶり、体調どお?」

 カケルはちょっと泣きそうな顔をして問いかける。みーちゃんとやらは俺をチラッと見て、笑顔を向けた。

「たまにちょっと気持ち悪くなっちゃうけどへーきだよ!でも早くびょーいん行かなきゃなって、……お金持ってきてくれた?」

 元気そうだなあ。

 まあでもまだわからんし、とりあえず俺はみーちゃんとやらに、ドラッグストアの袋をガサッと突きつけた。

「とりあえずチェッカー買ってきたから今やって見して。一応二本入ってるから」

「え?」

 後ろの女のコの中でも気の強そうなのが、ガッと袋を掴む。

「なに!?ゴム付けないでやっといて疑ってんの!?どんだけクズなんだよ!」

「それはほんとごめんなさい」

 素直に深く頭を下げたカケルに、女のコは一瞬たじろぐ。

「十五万、友達に借りて掻き集めて来た。ちゃんと結果見たら今渡せるから」

 カケルは俺と、何人かの友達に頭を下げて、現金を用意した。

 もちろん妊娠していたらこの場でみーちゃんに渡して解散、カケルはバイトを増やして返済に追われることになる。

 リョージさんに相談する前に俺に言ってくれて良かった。ヤクザに金なんか借りたら人生潰しかねない。

 みーちゃんはあからさまに嫌な顔をした。

「えー……それ今日じゃなきゃダメ?」

「ダメだ。今すぐ。じゃないと信じない」

 俺がそう言うと、さっきまでの媚びた態度とは一転して、俺を睨みつける。カケルはバカだからつけ込めると思ったのかも知れないが、生憎と俺は甘くない。

「友達さん達もそれで良いだろ?こいつが謝り足りないなら素っ裸にして土下座でもなんでもさせるけど」

「……恥ずかしからそんなんやんなくていーよ。みー、早くトイレ行ってきなよ」

 お友達のキツそうなコは、まだ話が通じそうだ。しかし、多分みーちゃんを信じている。

 他の二人も、急かすような視線を送った。

 みーちゃんのくちびるが震えたが、また底の見えない笑みを浮かべる。

「家でやってそれでまた見せるよ」

 ああ、やっぱりクロだ。

「時間経ったらどっちにせよ両方の線出るんだよ、知ってんだろ?」

 俺は冷たく言い放つ。もう容赦はしない。

 女のコの一人がおずおずと言った。

「ねぇ、妊娠してるって言ったよね?一人じゃ心配だからわたしら着いてきたんだよ?」

「やだ、待ってよ!」

 明らかに狼狽えている。

 俺は内心、心底ほっとした。妊娠した女のコも居ないし、お腹に子供も居ないのだ。あまり考えない様にしていたが、腹の中の子供も命なのだ。お腹に居なければ、命を奪わないで済む。今更ながら、微かに脚が震えた。

「……ねえ、嘘なんだったら俺らこのまま帰るけど良い?」

 カケルは緊張した面持ちで言う。

「カケちゃんまでなんなの!?わたしとえっちしたじゃん!」

「自分で安全日だからゴム要らないって言ったでしょ?俺ゴム持ってたよ、何で?」

 女のコ達は信じられないという目でみーちゃんを見る。

「相手が付けてくれなかったって言ってたじゃん!」

「私には途中で外されたって言ったよ!?」

 修羅場って来たな。こういうのは、俺なんかより女のコ達のがずっと怖い。そして、今までそれを静観していた最後の一人が、口を開いた。

「……あんた、コンカフェの代金払えなくて友達に借りたって言ってたよね?」


 その後はもう目も当てられなかったので、お友達さん達にお願いして俺たちは撤収した。

 俺たちは今更朝飯も食べていない事に気がついて、その辺にあったマックに入っていた。

 大きく一口齧ると、食べ慣れたビッグマックが胃に染み渡る。

「バカうまい」

 しっかりしたパティは安っぽいが、それがいいのだ。切り口を軽く焼かれたバンズと、ピクルスの酸味がたまらなく合う。

 カナタさんもマックとか行くのかなあ。サイゼの感じを見るに、案外あまり食べた事が無いかも知れない。今度誘ってみようか。 

「アキラほんとありがと……なんかめちゃくちゃ詳しくなかった?何で?」

 カケルもほっとした面持ちで、てりやきマックバーガーを持ったまま言った。

 俺はナゲットにマスタードソースを付けて、一口で食べる。安心感のある鶏肉の香ばしさと、マスタードの香りと辛み。

 飲み込んでからゆっくり話し始めた。

「αに産まれるとさ、ああいう変な女って幾らでも寄ってくるから、母さんからその手の知識を叩き込まれた。他所は知らんけど、俺はそんな感じ。……聞くの嫌だったけど、やっぱ役に立つ時もあるんだなって思ったわ」

 性的な話題を親からされるのはやはり嫌なもので、人間の汚さを語る母の声は思い出したいものでは無い。しかし、やはり必要な事だから、口を酸っぱくして言われたのだとも思う。

「……αも大変なんだな、良いとこばっかり見えちゃうけど」

「どうかなあ……結局αだとか言ってもただの人間だから、皆なんかしら大変なんじゃないかな。俺の兄ちゃんも一人はαだけど、やっぱ学校行ってた頃はめちゃくちゃ勉強してたし」

「αでも頑張って勉強とかすんの?」

「俺もしてんじゃん」

 カケルはちょっと言い淀んで、小さな声で言った。

「……ごめん」

 今日の事では無い。ダンスの練習をしていた頃の事だろう。カケルだって練習していたが、俺も痣をいっぱい作りながら練習していたんだ。

 元々の身体の作りの違いはあっても、βの世界的なダンサーだって沢山居る。

「良い、俺はへーき。楽しいから齧ってたけど、そろそろ受験でそれ所じゃなくなるし、……それで良いと思ってるし」

 俺は身体の限界に挑戦するのが楽しいからやってただけで、プロになりたいとか、そういう情熱は無い。カケルはどうだろう。

「……俺は、大学とか行ってもきっとダラダラしちゃうだけだし、……ダンス続けたい。バイトしながらでも大会とかオーディションに出て、大きいハコで踊れる様になりたい」

 ああ、今日話せて良かった。

 カケルの表情は未来を語るにはあまりに曇っている。コイツだって分かってるんだ。甘える相手が欲しかっただけだって。

「……じゃあ、暴力団とこれ以上関わったらダメだ。お前、明るい場所で踊りたいんだろ?」

 カケルは息を飲んだ後、苦しい表情で一度、ゆっくり頷いた。

「リョージさんと話さないと……」

 そうだ。俺もカケルも、あの人に気に入られている。恐らく、フェードアウトは出来ない。

 きっちり話をつけないといけない。


続 

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