第6話 良いところはバカな所、悪いところもバカな所
店を出て、俺たちは駅まで一緒に歩く事にした。電車の方向は逆だが、改札を通るまでは一緒だ。
「次は俺がご馳走します」
俺がそう言うと、カナタさんは困ったように笑った。
「学生さんに奢ってもらう訳にはいかないからね」
「だって……」
だってそれじゃ、俺から誘えない。
俺は何とか糸口を探す。まるで女のコをデートに誘う口実を探すみたいで、傍から見たらさぞ滑稽だろう。それでも、この人と一緒に居たい。
そうしたら、俺はこの人の言う通り、良い子で居られる。そんな気がする。
「そうだなあ……」
カナタさんは困ったように首を傾げて、うーん、と何か考えている。お断りの言葉を考えているんだろうか。
ふと、カナタさんは何か思いついた顔をした。
「じゃあ甘えちゃおうかな。行きたい所があるんだ」
ふふっと笑ったその顔は、何か企んでいるように見えて、それでいて悪意みたいなものは感じない。猫のような瞳が、悪戯っぽく輝いていた。
俺たちは来月の日曜日、またこの駅で待ち合わせをして別れた。プランはカナタさんが持っている様だが、当日まで教えてくれないらしい。
気が付けば駅に着いて、改札を通る。
「カナタさん何駅っすか?」
返ってきた返事の駅は、ここから8駅くらいだろうか。
「ちょっと遠いですね、来てもらってすみません」
「いや?二十分くらいだよ」
じゃあね、と手を振って、カナタさんと俺は別れた。エスカレーターの前で一度振り返ると、向かい側のエスカレーターの手前で振り返ったカナタさんと目が合った。
お互い照れ臭い空気が漂って、俺は俯いてもう一度手を振った。カナタさんが手を振り返してくれたのを上目遣いに見て、今度こそ、エスカレーターに足を掛けた。
昼の記憶はなんだか遠いものとなり、夜の記憶ばっかりが鮮明で温かい。俺は満腹感と幸福感で満たされた気持ちのまま、シャワーだけ浴びて早々にベッドに潜り込んだ。
あんまり人に話さずに、自分だけの思い出にしておきたいと思った。
チョコレートで、Happy birthday と流麗に描かれたデザートプレート。半分こにしたチョコレートケーキのほろ苦い甘さが、胸を温めている。
幸せな気持ちのままぼうっとしていると、ガチャっとドアが空いてカケルが帰ってきた。
「ただいまぁ……」
「おかえり……なに、お前飲んでんの?」
「うーん……リョージさんに呼ばれてさぁ……」
一瞬、脳裏がピリッとした。幸い俺は呼ばれなかったらしい。
「…………へえ?なんか言ってた?」
カケルはグダグダとゼブラ柄のアウターを脱いで、ボスッとベッドに倒れ込む。
「言ってたっていうか、ツレが先に帰っちゃったからって、なんかもう少し飲みたかったみたいでー……あ、そうだ!」
急にデカい声を出すな。思わずビクッとしてしまってイライラと睨みつけるが、カケルには全然効かない。
「お前あれだべ!パチ屋の向かい側の店にいたべ!窓んとこ!」
見られてたのか、窓際の席だったから、まあ知り合いならわかるだろう。
「居たけど良くわかったな、店三階だったろ?」
「ヘッヘッヘ、俺視力2.0だからさ」
カケルは得意げに金髪をかき上げるが、ボサボサなので全然様にならない。
「アレ何屋なん?」
「シュラスコ」
「何?シュラスコて?」
「んー……串焼きのでかい肉の焼けたところ切り落として食べる、みたいな」
「ケバブ的な?」
「ケバブじゃない……ヘルシーな焼肉みたいな」
「焼肉!良いなあ!キレーなお兄さんの奢りで焼肉」
適当に喋っていた会話に違和感を感じて、俺は少し張り詰めた気持ちで聞いた。
「何?相手も見たの?」
「チラッと見えた。黒髪の人でしょ?いいなあΩのオニーサンと絡めて」
「Ωとか関係ない、仲良いだけ。友達」
カケルはごろんと転がって、こちらに背を向けた。
「俺は友達じゃねえの?」
「は?カケルも……まあ友達だろ」
目の前で言うのは何だか照れくさいが、友達には違いないと思う。
「何か間があるじゃん」
「なんなんだよさっきから」
「俺達と居る百倍くらい楽しそうだった」
「はあ?」
「あっそうだ!」
カケルはまた寝返りをうって、こちらに向き直った。顔はいつも通り。何か気に触っている風も無い。
「リョージさんが、あのオニーサンに会いたいって言ってた」
「は?……何?どゆこと?」
「アキラがΩのオニーサンとつるんでるって言ったら、リョージさんが俺も会いたいって」
ガバッと布団を跳ね上げる。数歩で近付いてカケルの肩を掴んで、睨み返してくるのを至近距離から怒鳴った。
「なんて事してくれたんだよ!?あの人に何かあったらどうするんだ!」
「何かって何だよ!」
カケルも喧嘩慣れしている。この程度では動じない。
「お前なあ!……あの人がどういう人だと思ってんだ、ヤクザだぞ?暴力団、わかるか?何したっておかしくないんだよあの人は!」
「だから!リョージさんだってカタギに手ぇ出したりしないだろ!」
イライラする。どんだけおめでたいんだこいつ。ヤクザは
実際、この間呼び出された時だって、ヤクザでも何でも無いチンピラをボコボコにしてたじゃないか。
「理由が無きゃしないだろうが、理由があれば手だって出すんだよ!お前どんだけバカなんだ!」
「はあ!?お前なんなんだよ!」
言い合いになった所で、ドン!と隣の部屋から壁を殴られた。
「……ごめん」
カケルにではなく、壁に向かって謝る。返事は無い。
頭を冷やさないといけない。俺は乱暴に手を離して、自分のベッドに座る。額に手を当てて、冷静さを取り戻そうと試みるが、うまくいかない。
カケルがボソボソと言う。
「……リョージさんのこと信用してないんだな」
「……信用できる訳無いだろ、お前も止めとけ、なるべく早く離れろ」
「……俺はお前と違って、家柄も無きゃ勉強も出来ないの。わかる?俺を認めてくれる人は滅多に居ないの」
カケルにはダンスがあるじゃないか。そう言おうと思って、やめた。
俺にそれを言う資格は無いのだ。
「……もう寝る」
返事は無い。俺は一体、どうしたら良いんだろう。
翌月。また同じ繁華街で、俺たちは約束をした。時間は十一時。ランチを一緒に食べようと言ったのはカナタさんだ。
俺は控えめな色のヒョウ柄のブルゾンに、黒のロングTシャツと黒のデニム。友達と遊びに行く様な格好だが、ちょっと派手だろうか。
改札を出た所でまっていると、階段を降りて来たカナタさんがこちらに気がついて、パタパタと走って来た。改札にスマホをかざす。
この間会った時とちょっと雰囲気が違った。
「アキラくん、待たせてごめんね」
「いや、待ってないですよ」
カナタさんがふへ、と笑う。待ち合わせまではあと五分ほどあるし、俺の方が少し早く着いただけだ。
何となく、服装をチラチラと見てしまう。
黒のフード付きのパーカーに、紺のシンプルなカーゴパンツ、靴はスポーツブランドの、白いスニーカー。
シンプルで、当たり障りが無い服装だが、年齢からすると少し幼い格好で、童顔なのも相まって、随分若く見える。
厚手のオーバーサイズのパーカーが、良いアクセントになっていた。長めの袖がちょっと女の子みたいだが、流石に言ったら失礼だろう。
髪もいつもはセットしていたのか、ラフに下ろされているのが新鮮だ。
「何時もと雰囲気違いますね?」
何時もの彼はスーツだったり、大抵は襟のある服をピシッと着ているイメージだ。
カナタさんは照れたように、恥ずかしそうに笑った。
「行きたいとこがあって!」
そう、今日のプランはカナタさんが持っている。俺が奢る約束なので、あんまり高いと困るけど大丈夫だろうか。
そうして二人でトコトコ歩いた先は、ごくごく見慣れた、良く来る場所だった。
「いやファミレスじゃないすか!」
「サイゼ行きかったんだ」
「えええ……? いや流石に他んとこにしません?」
流石に高校生に気を遣った結果だろうと思ったが、カナタさんは譲らない。
サイゼリア、言わずもがな、安くて美味しいイタリアンレストランだ。所謂ファミレス。言わずもがな、高校生だって散々溜まり場にしている。俺も良く来る。
「なんでサイゼなんですか?」
「…………ないしょ」
「入ったこと無いんですか?」
「あるよ、あるけどさ……」
モゴモゴ何か言っているが、正直ここでモゾモゾしていても埒が明かない。今十一時過ぎ、これからどんどん混む時間だ。入るなら早めに入りたい。
「ほんと良いんですね?」
念を押すと、カナタさんは相変わらずのキラキラした目でコクコク頷いた。一瞬後輩か何かかと錯覚しそうになる。今日はあんまりお兄さん感が無いのだ。
俺は観念して、扉を押す。見慣れた広い店内を、カナタさんはソワソワと見回していた。
そりゃもう、俺はメニューなんか覚えるくらいに頻繁に来ている。
ミラノ風ドリアとチョリソーとマルゲリータ、サラダはどれにしよう。カナタさんは熱心にメニューを捲っている。
「こんなに安かったっけ……」
「この辺のファミレスでも一番安いんじゃないかと思いますけど」
「昔家族と一回だけ来たけど、全然覚えてないや……」
ふと、その言葉に引っかかる。
「一回だけですか?」
「うん……」
カナタさんはエビのドリアにするらしい。
俺はボタンを押して、注文をする。最後に
「あとドリンクバー二つ」
と言うと、カナタさんがなぜかとても嬉しそうな顔をした。
「飲み物持ってきますけど何が良いですか?」
「俺も行く」
すぐそこのドリンクバーに行くだけで、カナタさんはワクワクしていて楽しそうだ。どこにでもあるファミレスに一度しか来たことが無いって、どういう生活をしているとそうなるんだろう。
「こういうとこ、中学とか高校の時に友達とかと来ませんでした?」
「中学の時は親が結構厳しくて、友達遊びに来るとかはあったけどあんまり遠出はさせてくれなかったかなあ。俺ん家の近くサイゼ無かったんだよね。ガストはあったけど」
中学生だと小遣いもそんなに貰えないし、遊びに行くのはせいぜい友達の家というのは何となくわかる。
「高校の時は?」
「俺高校中退しちゃって全然行ってないの」
あっけらかんと言われて、安易に聞いてしまったと少し後悔した。少なくとも今のカナタさんは、何か問題を起こして中退する様なタイプには見えない。
「……何かあったんですか?」
「うーん……色々かなあ。ナイショ」
歯切れが悪い。言いたくなさそうだ。せっかく楽しみにしていた休日が、気まずい雰囲気になったら堪らない。
俺は氷をグラスに入れて、マシンでジンジャーエールを注ぐ。結構な勢いで泡が出るのを、こぼさないように慎重に。
ナイショ、……チープな言葉だが、彼はいつでもΩの十字架を背負っている。その手のトラブルを想像するが、口に出すのは良くない。
「俺コーラにする」
「……レモン入れると美味いですよ」
「そうなの?」
カナタさんは何事も無かったかの様に、ポーションになっているレモンをグラスに注いだ。
「あっ!やばい……!」
そして勢い良くボタンを押して、案の定コーラが溢れた。
あたふたしているのを見ると、やっぱり幼く見える。ビッグシルエットのパーカーが効いていて、それこそ高校生くらいに見えた。
「ちょっとずつ押すと零れないですよ」
「まって、俺下手かもしんない……!」
真剣にそんな事言うから、さっきの気まずさも忘れて笑ってしまった。
「高校辞めちゃったからさ、ファミレスとか来る機会もあんまり無かったんだよね。同期の友達はファミレスって感じじゃなくて」
「大人になるとファミレスとか行かないもんですか?」
カナタさんはうーんと首を傾げた。
「たぶん行くと思うけど、久しぶりに会う友達だとちょっと良いお店にしたいって思うかなあ。会えて半年に一回とかだし。俺の友達って皆女の子だから、やっぱりキレイめなお店のが喜んでくれるし」
ちょうどサラダが来たので、小エビと野菜を綺麗に取り分けてくれる。
友達が殆ど女の子って凄いな……
「男友達って居ないんですか?」
「うーん……俺男の人あんまり得意じゃなくて、仲良い同僚とかは居るけど友達かっていうと違うかなあ。遊ぶのはアキラくんくらい。ホントに」
男の人は得意じゃなくて、俺とは遊ぶ。それは一体何だろう?
「オレは大丈夫なんですか?」
「アキラくんは男の人ってより男の子じゃない?」
「えっめっちゃ子供扱いするじゃないですか!」
「だって子供だもの」
カラカラと笑うカナタさんは楽しそうだ。別に良いんですけどね。子供扱いされるのは嫌じゃなかった。
「えー……じゃあ俺子供なんでちょっと相談に乗ってくれます?」
「ん、良いけど俺で大丈夫かなあ?」
カナタさんは大人だ。大人だけど何か違和感がある。子供っぽい時と大人っぽい時のギャップばっかり目について、その中間が無いというか。
「……なんていうか、友達が悪い先輩に懐いちゃって困ってるんです。止めても聞かなくて」
俺は席に届けられたマルゲリータをピザカッターで切ろうとしたが、カナタさんがやりたいと言うので皿ごと渡した。キコキコやっているのを見ながら、話を続ける。
ふんふん聞いてくれていて、話を遮るような感じは無い。
「いわゆる反社っていうか……あんまり良くなくて、でもそいつは、……なんて言ったら良いんだろう……気持ちの拠り所になっちゃってるって言うのかな……」
「その子が大事なんだ?」
そう言った声は、やはり落ち着いた、大人の人の声だ。ピザを切る手つきは思ったより慣れていて、女の子とイタリアンレストランにでも行っているのかな、と想像する。
「……大事です、……友達だと、俺は思ってるから」
同室になったのは、跳ねっ返りで、バカで、でもダンスが出来る格好いい友達だった。出会った頃は先輩に呼ばれたりもしてなくて、夜に抜け出してダンスの練習をしていた。
屈託の無い笑顔を思い出す。あいつの大切なものを俺が奪ってしまったのかもしれない。大切なものが欠けた隙間に、魔が差した。
田舎の学校のダメな所は、悪い先輩に呼ばれると中々逃げられない所だ。そのままズブズブと飲まれる奴もいる。
「……その子の気持ちがどうしたら変わるのか、会ったこと無い俺には分からないけど」
「はい」
「アキラくん、その子が大事な友達だって、本人にちゃんと伝えてる?」
「……いや、無いです」
カナタさんは一口コーラを飲んで、ニコッと笑って言った。
「まずはちゃんと伝えて、もっと仲良くなって、それでもう一度話して、それでもダメならまた考えよう。頭ごなしに伝えても反発されるだけだよ。まずは親身にならないと」
俺はちょっと面食らった。親身にならないと伝わらない、という発想が無かったのだ。
「そういうもんですか?」
「アンガーマネジメントとかで検索してみると良いよ、相手が話を聞いてくれるようにするには、怒るんじゃなくてまず共感すること。みたいな感じだよ」
全然聞いた事の無い単語に面食らっていると、カナタさんはぱちんと手を合わせて、
「いただきます」
と言った。
そうだ、ピザは熱々がいちばん美味い。
「……いただきます」
俺も律儀に言って、チーズが糸を引くマルゲリータを一口食べた。
トマトソースの酸味にチーズのまろやかさが追いかける。クリスピータイプの生地は軽くて香ばしい。
美味い。いつも通りの安定した美味しさ。サイゼリヤにハズレ無しである。
「美味しいね」
カナタさんはサラダを食べて、なんだか懐かしそうに笑った。
カケルの事を相談して、ちょっとほっとした。
まだ俺に出来ることがある。
少しづつでも時間をかけて、話をしていくしかない。
言われた通り、カケルは俺の友達だ。指摘されて初めて、自覚することもあるとあると驚いた。
カナタさんはチョリソーをフォークで刺して、パリッと齧る。
「美味しい、でも結構辛い」
なんだか大変ご満悦だ。
確かに美味いし俺も大好物なので頼んだのだが、先月のシュラスコに比べたらやはりちょっと安っぽい味なのは否めない。
熱々のミラノ風ドリアを、俺は火傷しないように息をふきかけてから一口食べた。
ホワイトソースとミートソースが、ターメリックライスに良く合う。相変わらず美味い。なんでこれ三百円で食べれるんだろう。
「前に来た時は何食べたんですか?」
一回だけ来た、とさっき言っていたので、そこから話題を広げてみる。
自分の話ばかり聞いてもらうのは悪い気がした。
「んー……なんか小さい時お父さんに怒られてさあ、べそべそしてたら、お母さんが『ちょっとお出かけしよう』って、車で連れてきてくれたんだよね」
「カナタさんも親とケンカとかします?」
一瞬、カナタさんがふと目を逸らした。本当に少しだけ。そして、苦く笑う。
「するよ、……ずっとしてるかな」
小学校低学年の頃だ。
父に怒られてわあわあ泣いて、見かねた母がサイゼリヤに連れてきてくれた事がある。
多分お子様セットみたいなものを母が頼んでくれて、他にも食べたいものは無い?と優しく聞いてくれた。
「コーラがのみたい」
炭酸飲料は虫歯になると言って、父は俺にコーラやサイダーなんかは絶対飲ませなかった。
友達の家で初めて飲んで、びっくりするくらい美味しかったのを覚えている。
その日、父に怒られた理由は詳しく思い出せない。でも、多分将来の夢に関することだったのは、なんとなく覚えている。
小学校低学年くらいだったから、それこそ他愛無い、思い付きの様な夢だったんじゃないだろうか。
父はそれを聞いて、厳しい顔をした。口を引き結び、真っ黒な目がぎゅっとしかめられた。
「お前にはできないんだ、家の中でできる仕事じゃないと」
今にして思えば、Ωだからと言って在宅勤務じゃないと仕事につけない訳では無い。
一応、
ただ、Ωである父は完全在宅で書き物の仕事をしていたから、そういう考えになってしまったのだろう。今とは法律も少し違ったかもしれない。
結局俺はわあわあ泣き、泣きわめく俺に雷親父が更に怒った。
「もう止めなさい。たっちゃんもそんなにムキになんないでちょうだい。かなちゃん、お母さんとちょっとお出かけしよう」
見かねた母は、そう言って、まだグズグズ泣いている俺を連れ出した。
母が存命だった頃は、そうして父との間に入ってくれたから何とかなった。
でも、亡くなってからは、父が言う事は絶対になってしまった。そうして俺の世界はどんどん狭くなった。
お父さんの言う通りの学校。
お父さんの言う通りの将来。
そうして高校生になった俺に、あの身の毛もよだつ事件が起きる。
帰宅途中に初めてのヒートを起こし、
ぶるっと背筋に悪寒が走った。嫌な事を思い出してしまった。努めて笑顔を作り、アキラくんに気が付かれないよう、エビの入ったドリアをスプーンですくう。
手は震えていない。
大丈夫、大丈夫だ。
一口食べる。ホワイトソースの味は優しい。でも、胸がザワザワするのをなだめてはくれない。
乾きを覚えて、コーラを飲み干す。レモンが効いたそれは記憶とは違うが、さわやかな酸味を伴って喉を潤した。
「カナタさんなんか飲みます?」
自分もジンジャーエールを飲み干し、アキラくんが席を立つ。
まだ足が震えるような気がした。なんで今思い出してしまったんだろう。
誤魔化さなければ。
「えー、じゃあおまかせで」
幸い接客業のブロである。笑顔を作るのは得意だ。
「じゃあ俺のオススメで」
軽く笑って席を立つ。アキラくんは異変に気が付かなかったらしい。内心ほっと胸を撫で下ろした。
大丈夫。落ち着け。ここは明るい。まだ昼間だ。
アキラくんも居る。大丈夫だ。
“彼もαだろ?”
胸の内、自分自身の声がした。
何を考えている。相手は子供だ。変な関係になんてなる訳が無い。
「はい、どうぞ」
思わずギクッと顔を上げたが、幸いアキラくんはこちらを見ていなかった。
新しいグラスには、氷と一緒に赤っぽいジュースが注がれている。見た目では何かわからない。アキラくんのも同じものの様だ。
「これ何?」
「当ててみてください」
アキラくんは、いたずらっぽい笑顔を見せながらソファーに座る。
その顔が年相応に幼くて、俺は一瞬でも「あの男」と目の前の子を重ねてしまった事を恥じた。
頭を切り替えろ。
「いただきます……?」
一口飲んでみる。葡萄だ。葡萄の後に、キリッとした後味がある炭酸飲料。
美味しい。
「何だと思います?」
楽しそうに問う目は優しい。少し垂れ目で、色の薄い綺麗な目だ。気持ちがゆっくりと、撫でられるように落ち着くのを感じる。
この子の不思議な所だ。子供なのに、人の心を癒す穏やかな空気を纏っている。
「葡萄……と、なんだろう、トニックウォーター?」
「葡萄は合ってますね」
「じゃあコーラ?」
「ハズレ」
得意気に笑ってくれて、怖い気持ちはフッと何処かに行ってしまった。
「……ジンジャーエール?」
「あ! 当たりです!山葡萄とジンジャーエール半々です」
「やった!」
俺は大人気なく嬉しくなって笑い、アキラくんも笑う。
ドリンクバーで遊ぶなんて、学生みたいで楽しい。そういう学生生活を送る前に退学してしまったのだ。
高校生みたいに遊ぶのは、ちょっとした夢だった。
だからこうして、普段よりちょっとラフな格好で、「サイゼリヤに行きたい」なんてごねたと言ったら笑われてしまいそうだ。
ずっとこうして、たまにご飯を食べれる様な仲になれたらいいのにな。
でもそうはいかないだろう。
彼は高校二年生、もう数ヶ月で受験生になる。
続
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