第5話 シュラスコってなんですか?

 肉だ。

 洒落たカウンターの奥では、肉の塊、他にも違う部位の肉、ずらっと並んだソーセージなどが、各々長い串にぎゅうぎゅうと刺されて、オーブンらしきケースの中でゆっくり回りながら炙られている。

「シュラスコは食べた事ある?」

「無いです、初めて来ました」

 そわそわとテーブルを見てみる。メニューは食べ放題のコースだけで、八代さんがテキパキと予約のコースを確認している。二時間の、ノンアルコールのコースを二人分だ。

 飲み物はセルフサービスで、カウンターに色々なドリンクのピッチャーが並んでいる。炭酸飲料はスタッフさんにに言って出してもらう、との事。

 店は駅近のビルの三階で、良く通る道にあったが入った事は無かった。カジュアルな店だが、高校生だけで入れる様な店構えでは無い。席からは繁華街が良く見えた。

 「どんどん来るから、おなかいっぱいになったらそこのコースターみたいなやつひっくり返してね」

 プラスチックのコースターのようなものは、表が緑、裏が赤になっている。緑にしておけば持ってきてくれる、という事みたいだ。

 システムが全然わかんないんですけど……?

 さっき注文を取りに来たスタッフさんが「当店は初めてですか?」と聞いてくれたのだが、八代さんは初めてでは無いらしく、説明は大幅に省かれていた。

「先に飲み物持って来るね」

「あっ俺持ってきます!」

「主役なんだから、ゆっくり座ってな」

 そう言って、立ち上がろうとする俺の肩にそっと手が置かれた。座っていなさいという事みたいだ。

 丁寧に扱われるのが、なんだかくすぐったい。

「ありがとう、ございます……」

「志津くん何飲む?」

「あの、じゃあ、オレンジジュースで」

「はいはい」

 ほんの数メートル先の背中を目で追う。グラスをケースから出して、ピッチャーから優雅にジュースを注いでいる。八代さんのは烏龍茶だろうか。

「セットのサラダです」

 いつの間にか来ていたスタッフさんが、サラダと大きめの取り皿をテーブルに置いて、ありがとうございますと軽く会釈すると、笑顔で厨房に戻っていく。

 ふと、外を見て気が付く。そう言えば窓際の奥の席に座らされていた。所謂上座ってやつだ。本来年齢からして八代さんが奥なのだろう。

 そういう所なんだよなあ……と思う。大人の気遣い、優しさ、大事にされる感じ。本人はなんて事ないんだろうが、どうしても慣れなくて、なんだか照れくさい。

「サラダ美味しそうだね。はい、志津くんの」

 そう言って、コースターの上にジュースを置いて、ちょっと得意気な笑顔を向けてくれる。

「あの……」

「何?」

 俺はどうにかして、もうちょっとこの人と仲良くなりたい。

 なんとなく目を逸らしたくて、サラダをトングで取り分けたりしてみた。全部分けたら変だよな、なんとなく、一山くらい……こんなもんか?わからん。ひよこ豆をちょこんと上に載せる。

「志津って呼ばれるのあんまり好きじゃなくて、下の名前で呼んでください、暁です。アキラ」

 ちょっと勇気を出して、相手の顔色を伺う。八代さんは猫みたいな黒い目をキラキラさせていた。

「アキラくん!」

「はい」

「じゃあ俺の事も奏多カナタって呼んでくれる?」

 なんだかとても嬉しそうに言うので、俺もほっとして、

「カナタさん」

と口に出してみた。ふにゃ、とカナタさんが笑う。と同時にギャルソンの黒いエプロンをしたスタッフさんが、焼けた肉を串ごと持って席に来た。

「ハーブチキンです」

「お願いします」

「……お願いします?」

 言うが早いか、持っていたナイフで手早く鶏肉が串から外され、サラダと一緒の皿に一切れ取り分けられる。

「へえ、こんな感じなんですね」

「どんどん来るからいっぱい食べてね。あ、お腹空いてる? 先に遊んでたんだよね」

 食べたと言えば食べたが、なんかもう見てるだけでお腹空いてきた。生憎、昼の分なんてとっくに消化している。

「あっそうだ!」

 カナタさんがいそいそとグラスを手に持って促す様に俺を見る。俺もそれに習って、オレンジジュースのグラスを持った。

「乾杯! アキラくん、お誕生日おめでとう!」

 カチン、とグラスを軽くつけて、二人だけの誕生会は幕を開けた。

 自分の為だけに、この人が色々してくれる。なんだか凄い優越感だ。どうしよう。ちょっと頬が熱い。赤くなってないだろうか。

「ありがとうございます」

「ソース二種類あるよ、和風と白ワインビネガーのと……」

 言っている間に、次のメニューが来てしまう。

「リングイッサ、グリルしたソーセージです」

「お願いします」

「俺も」

 ボリュームのある白っぽいソーセージが皿に盛られた。

 いざ! とばかりにナイフとフォークでアツアツのソーセージを切る。パリッとした皮が食欲をそそる。まずはソースを付けずにそのまま。

 口に入れると、予想通り、芳醇な肉汁が弾けた。

「あっつ!美味!」

「あはは!」

 カナタさんは俺が食べるのを嬉しそう見るから、なんだかもう、余計にお腹が空いてきた。


 とんでもなく良い。

 ちょっとした繁華街にあるシュラスコレストランは、以前エナが教えてくれた店だ。値段はそこそこするが食べ放題の上、串で焼かれるシュラスコの性質上、余分な油が落ちて、素材の旨みが凝縮されている。

 俺とエナは一巡食べるのが精一杯という感じだったが、他の席の男性客はそれこそ時間いっぱいまでしっかり食べていて感心したものだ。

「オンブロ・デ・ボイ、牛肩ロースです」

「いただきます」

「俺も」

「二枚にしてもらう?」

「じゃあ俺は二枚で」

 スタッフさんが焼けた表面を削ぐ様にナイフで切り落とすので、端っこを小さなトングで摘み、切り離してもらうのだ。切ってる側から肉汁が出るのを、アキラくんはキラキラした目で見ていた。

 焼き目の着いた外側は旨みが詰まって、中の方は綺麗なピンク色。すっかり慣れた手つきで和風ソースをかけたアキラくんは、二枚取り分けられた良質な肉をきちんとナイフとフォークで切り分け、極めて礼儀正しく、そして美味しそうに噛み締めて食べた。

 なんて幸せな光景だろう。

 服装は今時のちょっと派手な子なのだが、育ちが良さそうというか、所作に品がある。αだし、きっと良いお家の生まれなんだろう。

 でも俺はその話題を絶対に振らない。自分自身が実家と縁を切っているから、会話に困りそうなのだ。ちょっと卑屈な事を言いそうで怖い。

 俺はぼーっ考えつつ、その妙に癒される食事風景を見ながら、ラーメンの時と同じく、心のギザギザが滑らかに修復されるような癒しを感じていた。

「好きなのあったら言えば持ってきてくれるよ」

「んー……まずは一通り食べてからかなぁ、でもイチボ美味しかった」

 そんなに表情が豊かな訳では無いのだが、それでも凄く美味しそうに、丁寧に食べるのだ。でも結構ペースが早い。不思議な光景である。だがそれが良い。

「俺はズッキーニが好き。先に呼んじゃおうかな」

「ズッキーニって俺食べた事無いかもしれないです?」

 一見大人びた少年だが、きょとんと首を傾げる仕草は年相応で可愛い。雛がご飯を強請るのを見るような、そんな気持ちだ。

「えっほんと?パスタとか入ってない?」

「……無意識に食べてるかも知れない?です?」

「すいませーん、ズッキーニお願いします」

 近くに居たスタッフにそう言って、程なく輪切りのズッキーニを持ってきてくれた。塩が振ってあり、焼かれることで旨みが凝縮されている。

 とりあえず二つずつ取り分けてもらった。

「見た事ない気がする……えっこれ美味い!」

 びっくりしているアキラくんを見て満足しつつ、俺も切り分けて食べる。ザクッとしたあとにジュワッとくるこの感じ! 旨味というか甘みというか。

「やばい超うまい……アキラくんこれ何の野菜の仲間か当ててみて」

「え? なんだろ、食べた感じが何にも似てない気がする……」

「考えてる間に焼きチーズ頼んじゃお」

 ぐぬぬ、とアキラくんは唸った。

「焼きチーズが気になって考えられない……!」

「あははは!」

 ちなみに、ズッキーニはかぼちゃの仲間だ。


 「カケルくん、また遊ぼーね」

 バイバイと手を振って、女のコ達は駅に向かって帰って行った。これから女の子だけでまた何処かに寄るのかもしれない。

 カラオケも適当に終わって、それなりに楽しめた。可愛い女の子と連絡先も交換したが、今日は皆と一緒に帰るとのこと。

 ならば仕方ない。深追いは禁物。セフレとはいかないまでも、いずれ一回くらいえっちできたら上々。その後良い距離を保ちつつ、お互い楽しく気持ち良い関係になれたら最高。

 そんな事を思いつつゲーセンで楽しく遊んで、その後は解散となった。

 女の子達を名残惜しく見送って、さてどうするかと言う話である。

「これからどーする? 帰る?」

 主催の奴はアキラが帰ったのを良い事に、お目当ての女の子とそれなりに仲良くなったみたいでご機嫌である。まあそれで良かったんだろうか。

 どうしようかと思った所でスマホが鳴った。見ると、リョージさんからのメッセージだ。

『今何処だ? 飲んでるから来いよ』

「俺呼ばれちゃったから抜けるわ。寮監にリョージさんに呼ばれたって言っといて」

 リョージさん、と名前を出すと、一緒居た友達等は一様に表情が曇った。

「カケル、……あのさ、大丈夫なん?……怖い人でしょ?」

 皆が心配するのは分かる。でも俺としては、怖い人でもあり、強い人でもあり、憧れの人でもあった。そこら辺のチンピラとは違う人間としての重さみたいなものに、どうしても惹かれてしまう。世間的に良い人では無いが、裏通り特有の鋭い魅力がある人なのだ。

「まあ、でも大丈夫。行ってくるわ、じゃあね」

 まだ何か言いたそうな友達にバイバイをして、俺は歩き出した。呼ばれた居酒屋は隣の駅だ。と言っても、ちょっとした繁華街とは言え片田舎なので「一駅くらい歩こうか」という距離では無い。必然、駅に向かう事になる。

 信号待ちでなんとなくキョロキョロしていると、ビルに入ったレストランに見知った後ろ姿を見つけた。

「アキラ……」

 例のバイト先の人と居るのだろう。

 三階に入っている店だ、アキラは窓際に居るから見えるが、相手の姿は伺えない。

 ふと、横を向いたアキラの顔が見えた。照れたような、困ったような、控えめだが楽しそうな笑顔。良い空気感を感じて、思わず眉根を寄せた。

 カラオケの時と全然違うのだ。それだけでは無い。俺と話してる時も、あんな顔はしない。

 大抵は斜に構えていて、何でもそつなくこなすアキラは掴み所が無い印象が強い。

 ……いや、前はもっと自然に笑ってたんだ、例えば、今年四月に同室になって、仲良くなって、俺はアキラを、中学から入ってるダンスのチームに誘って。それで。

『アキラってさ、ほんと何でもすぐ出来て良いよな、やっぱαはすげぇよな、正直羨ましいわ』

 その時、アキラは何とも言えない悔しそうな、寂しそうな顔をした。どうしてだよ、だってβふつうの俺が一年頑張って繋いだ技を、αのお前は一ヶ月でやっちゃうんだから。

『悪いけど俺抜けるわ。練習ももう行かないから』

 それから、アキラの屈託の無い笑顔は見ていない。

 多分俺が悪い。でも、謝る気にもならない。

 そもそも生まれ持ったベースが違うのだ、あいつの人生は常にイージーモード。ちょっとくらい嫉妬したって良いだろう。

 人気の無い夜のオフィスビルを鏡に見立てて、練習したロックダンス。気が付いたら、俺もここ最近全然行ってない。

 アキラが楽しそうに笑っている。奥にいた相手が立ち上がり、一瞬、顔が見えた。

 二十歳くらいだろうか、割と綺麗な顔をした男の、Ω。


「お客さま、お好みのものがあればお持ちしますよ」

「ああ、じゃあ俺は……焼きパイナップルお願いしていいですか?」

 八代さんはほぼ満腹らしく、回ってくる肉類はもう大体断っていた。俺はまだ入りそうだが、2時間コースなので、ラストオーダーもそろそろ近いかも知れない。

「アキラくん何食べる? 時間近いからいっぱい頼んじゃいな」

 スタッフさんも笑顔でオーダーを待っていてくれている。俺は慌ててメニューを見た。

「ピッカーニャとアルカトラと、ガーリックステーキ……あとズッキーニお願いします」

「かしこまりました」

 オーダー入りまーす、と元気に言いながら、キッチンに戻っていく背中を見送る。

 ピッカーニャはイチボ、アルカトラはランプ、ガーリックステーキは何処なんだろう。何にしても、今日だけで一ヶ月分位の牛肉を食べた気がする。

「ほんと気持ちいいくらいよく食べるね、俺もうおなかいっぱいだよ」

「んー……でもそろそろ俺もおなかいっぱいかなあ、さすがに。めちゃくちゃ美味しかったです」

 カナタさんは薄くスライスされる焼きパイナップルを受け取りながら、店員さんに何か耳打ちした。

「なんかありました?」

「ん? まあ、頼んだの食べてからね」

 イタズラっぽく笑う優しいお兄さんは、何処までも俺に甘い。一体何処を気に入ってくれたんだろうか。

 そう言えば、今日は出てくる食事が楽しすぎて、あんまり話が出来なかった様な気がする。

「カナタさん、今日はありがとうございました……あの、なんで誘ってくれたんですか?」

「え?」

 かくんと首を傾げる。

 だってわからないのだ。俺に会いたい理由はなんだろう。

 女のコ達は俺と付き合ってみたいとか単に連れて歩きたいとか。

 男友達はどうだろう。

 今日みたいに下心がある日もあれば、単に遊ぶのに誘ってくれる時もあるから、一応一緒にいて楽しいと思ってくれてると思う。

 俺だって同年代の友達とくだらない話で笑うのは楽しい。あんまり大きい声で笑うタイプじゃないけれど。

 ああでも、カケル達とダンスの練習をしてる時は、自分らしくなく大声出して笑ってたな。

 盛大にすっ転んで、コンクリートが固くて馬鹿みたいに痛くて、無様だけど自分でなんだか面白くなっちゃって、そうして皆で笑って。

 そんなのも、ずっと前の話だ。

「うーん……単に会いたかったからかなあ、たまたま誕生日だったから、ダメ元で誘っちゃった」

「あ、ありがとうございます? おれそんなに愛想ないし、大丈夫なのかなと思って……」

 あっさり会いたいと言われてちょっとドキッとした。でも、何で俺なんだろう。

 αの見ててくれの良い男、という評価はいつでもついてまわる。

 優秀と言われるが単に小器用なだけで、実際は努力しないとすぐ振り落とされそうなのが現実だ。

 βは俺に夢を持っているが、その実、何もしなかったら残る強みは暴力性しかない。

 自分で思って、少し怖くなった。俺も威吠グレアが使える。あの日、会議室でドアを蹴っていた男と、根っこの部分では同じ攻撃性を持っている。

 この人はΩだ。俺の事が怖くないのだろうか。

 何より俺は場合によっては暴力を振るっている。例え怖い先輩のお誘いとは言え、俺が手を下している事実はそこにあるのだ。

 そんな事、この人には絶対に言えない。

「愛想はあるでしょ、いっつもにこにこしてるよ?」

「えっ、そうですか?」

「うん、食べてる時はとっても幸せそう。俺、それ見るのが楽しくて。ふふ、ごめんね、実はさ、なんか見てて癒されるんだよね」

 俺はつい自分の顔をぺたぺた触った。そんなにニヤニヤしてるんだろうか。大分恥ずかしい。

「ええ……なんかそれは恥ずいかも、ちょっと気を付けようかな」

「えーそんな事言わないで!ほらお肉来たよ! 」

「あっはい!」

 スタッフさんが二人来て、オーダーしたものを取り分けてくれる。目の前の肉汁したたる肉と、美味しさを知ってしまったズッキーニの炙り。

「ほら、可愛い顔してる。あ、セクハラじゃないよ?年相応で可愛いって事だよ」

 カナタさんこそにやにやしているが、俺は諦めて、ナイフとフォークを取った。食事も終盤、ソースは白ワインビネガーとオニオンでさっぱりいただくことにする。

 ナイフを引くと、やっぱりちょっとニヤニヤしているのが自分でわかる。気持ち悪くないか、俺?

「綺麗に食べるね」

「からかわないでください、食べにくいって」

「ホントだよ?」

 まったくもう、と思いながら見たカナタさんは、何故か一瞬、寂しそうに見えた。口元は笑っているのに、眉を少し寄せて。

 しかし、本当に一瞬だった。

 気になりながらも、目の前の皿を味わう事に集中せねばならない。折角食べるなら、温かいうちに食べなくては、提供してくれる人に失礼な気もする。

 昔の彼女を思い出す。食べる前に満足いくまで料理の写真を撮って、それをSNSに上げるのが生き甲斐みたいな子だった。

 ちょっと良いバーガーレストランに行った時も、やたらでかいプレートを頼んだと思ったら、食べ切れないと言って半分も残した。

 俺は写真に付き合わされてちょっと冷めたハンバーガーを食べて、ついでに彼女が残したのも平らげて、その日帰り道に彼女と別れた。

 色々言われたが、こんな事されてたらこの先耐えられないと思ったのだ。

 温かい料理は温かいうちに。だって、料理をする人は、一番美味しいタイミングで持ってきてくれるんだから。

「ランプ、うま……」

 しっかりとした噛みごたえがあるのに柔らかくて、噛むたび旨みが溢れる。

「あんまり可愛いって言うと嫌われちゃう、もう言わない」

 カナタさんはすっかり皿を空にして、俺が食べるのを寛いで見ている。

 多少恥ずかしいけど、もういいや。肉が美味いしズッキーニも美味い。

「俺の事可愛いっていうのはカナタさんくらいです」

「うそ」

「ほんとです。俺は無愛想で何考えてるかわかんないって言われてるんです。これでも」

「えーほんと?」

 俺はすっかり皿を空にして、ナイフとフォークを皿に並べた。

「ごちそうさまでした」

「足りた?」

 カナタさんがまた小首を傾げる。そういう仕草をすると子供っぽい人だ。なんというか、幼い瞬間がある。

「おなかいっぱいです」

「えー困る」

「……困る?」

 店内がふっと暗くなる。

 え、と思ってキョロキョロしてみると、他のテーブルもザワザワしていた。

 厨房から明かりが見える。

 ロウソクだ。

 ハッピーバースデー トゥーユー ハッピーバースデー トゥーユー

 スタッフさんが歌いながら、ロウソクの点いたプレートを運んでくる。周りの客も、ノリで一緒に歌い始めた。

 カナタさんも一緒に歌っている。

 ハッピーバースデーディア

「アキラくん」

 コトン、と俺の前にプレートが置かれた。皿にチョコレートで、Happy birthday と描かれた、デザートプレートだった。

 ハッピーバースデートゥーユー

「消して?」

 カナタさんが小声で言うのを聞いて、慌ててロウソクの火を吹き消した。店内に居る人がささやかに拍手をしてくれる。

 パチンと電気が点いて、スタッフさんがご協力ありがとうございましたと一声かけると、店内はすぐ、元の穏やかなざわめきを取り戻した。

 目の前には、幾つもの小さなケーキとフルーツ、ホイップクリームが盛り合わせになった、俺の為のプレート。

「顔真っ赤」

「ずるいです、こんなの」

 恥ずかしいから真っ赤なんだと言うことにして欲しい。自分の為に丁寧に用意された優しさに、少し涙が出そうになったなんて言えない。

 カラオケで出てきたハニートースト、ほとんど食べてないけど、結局誰が食べたんだろう。別に独り占めしたかった訳じゃない。ただ、ほんの少しだけ、大切にして欲しかった。

「……一緒に食べましょう?」

「じゃあ、少しだけもらおうかな、味見くらいね」

 フォークを取る手は、多分俺より小さい。でも、この人は俺の何倍もオトナなのだ。それがなんだか、とても嬉しかった。

 小さなチョコレートケーキを、更に半分にして、フォークで刺す。

「美味しい。今日すごく楽しかった。ねえ、またどっかご飯食べに行こうよ」

「……カナタさんが良いなら行きます」

「じゃあまた誘っちゃうよ?」

 俺は、この人に甘えたいのかも知れない。


 呼ばれた先は、焼き鳥の美味い、ちょっとオシャレな居酒屋だった。

 この辺りはリョージさんの居る組のシマ、らしい。あんまり突っ込んだことは聞かないが、どうしても耳には入ってくるものだ。

「アキラってば酷いんですよ?俺たちと遊んでたのに、途中で抜けて年上のおにーさんと飯食ってんすよ、酷くないっすか?」

「お前レモンサワー一杯で良くそんなに酔えんな」

 高校生が酒を飲んでいるのはまずいが、個室なので咎められることも無かった。

 リョージさんはタバコに火をつけながら、何ともない顔で俺に話を合わせている。別に用事があった訳では無く、連れが先に帰って暇だったから呼んだらしい。

「アキラなんかもうしらねえんだから!いつもスカしてんのになんか嬉しそうにしちゃって、ぜってーヤってますよアレは!」

「おにーさんとはやんないでしょ、アキラってバイなん?」

「だって、そのおにーさんΩなんっすよ!?」

「へえ」

「ぜってー俺にも紹介させますから!おれもΩのおにーさんにベッドでヨチヨチされたい!」

 リョージさんは、煙を吐くと同時に、小さく言った。

「俺も紹介してもらおうかな」


 続 

 

 

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