第7話 素直な良い子になりたかった、杏仁豆腐はもっちりしたやつが好き


 杏仁豆腐はツルツルの方じゃなくてもっちりした方だった!

「俺絶対この店通おう……!」

「ね、杏仁豆腐美味しい……おれも軽いヤツじゃなくて濃いヤツの方が好き」

 八代さんは満足そうに言った。結局餃子は二、三個しか食べなくて、後は全部俺が食べてしまった。

 比較的小食、甘い物は別腹って感じだろうか。女のコみたいですねなんて言ったら失礼になるだろうが、やはりなんとなく中性的な感じは否めない。

 あの、ヒートの時に一緒に居た女の人はどういう関係なのだろう。流石に職場でいちゃついていた訳は無いだろうけど。食堂でも違う女の人と一緒に居たし、やはり異性愛者なのだろうか。

 だったら、友達みたいに付き合えないかな。

『志津くんは素直で、良い子だね』

 そんな事言ってくれる人は居なかった。

 つるんでいる友達は、俺を皮肉屋で何を考えているか分からない奴だって言うし、母親でさえ、

『どうしてあんたは私の言う事が聞けないの!』

 悲鳴の様な母の声が脳裏にこだまして、俺は慌ててそれを振り払う。

「あ、八代さん、連絡先交換してくれませんか?」

 そう口に出してからしまった、と思った。また食事を集るつもりかと思われたら流石に悲しい。

 恐る恐る表情を伺うと、八代さんはぱっと表情を明るくして、黒いスマホを取り出した。

「しようしよう!またどっかご飯食べに行こうよ」

 幸い嬉しそうに返してくれたが、内容はちょっと問題である。

「今度は俺が奢りますんで」

「何言ってんのさ、若いんだから遠慮しなくて良いのに。学生さんに奢らせたら俺が変な感じになっちゃう」

 そこまで言われて、違和感を感じた。明らかな子供扱い、この人、そう言えば何歳なんだろう。予想ではギリギリ十代か、行っても二十歳くらいだと思うんだけど。

「あの、八代さんって歳いくつなんですか……?」

「二十二だよ」

 ちなみに早生まれだよと、どうでもいい情報が追加された。

 二十二歳。

「……え!?俺より六歳も上なんすか!?」

「え、いくつに見えたの?」

 ヘラヘラしているが、結構とんでもない。何で若く見えるのか、強いて言うなら透明感みたいなものだろうか。外見と表情に幼さが残っている。なんというか、子供を無理やり大人に仕立てあげたみたいな違和感があった。

「じゅ、十九とか?」

「はは、子供っぽいって良く言われるんだよねー」

「子供っぽいのとも違う気がするけど……」

「志津くんは幾つなの?」

「十六……もうちょっとで十七です」

「若いなあ」

 八代さんは腕時計を見た。気がついたら八時を少し過ぎたところだ。随分長居してしまったが、居心地が良くてあっという間に感じた。

「……そろそろ出ようか二十分のバスがあるから。早く来ちゃうこともあるし」

「そうですね……あの、今日はご馳走様でした」

「また一緒にご飯食べてくれる?」

 伝票を取りながら、八代さんが控えめに、ちょっと強請るみたいに言った。ご飯も魅力的だが、この人と居ると自然な気持ちで居られるような気がした。

「是非。八代さんが良ければ」

「ほんと?ありがとう」

 なんでこの人は、こんなに嬉しそうなんだろう。

 それで、どうし俺はこの人と一緒に居たいんだろう。例えるなら、小さい時、まだ母親が大好きだった頃、ずっとそばに居たいと思った様な感情に似ていた。


 バス停で五分くらい待っただろうか、街灯はあるが人通りも少ない道は、一人だったら随分心細かっただろう。志津くんはバスが来るまで、自転車をロックして待っていてくれた。

「じゃあね、今日はありがとう」

 バスが止まって、油圧の音を立ててドアが開く。

「ご馳走様でした、あの、」

 ステップに足をかけて振り返ると、志津くんはちょっと躊躇ってから、

「ほんと、また会ってくれますか?」

 そう言った顔があんまり必死で、なんだか抱き締めたくなってしまった。もちろんそんな事はしない。気持ちだけ。

「うん。またどっか行こうね。おやすみ」

 プシュー、と音を立ててドアが締まる。色の薄い唇が、「おやすみなさい」と動くのが見えて、バスは走り出した。

 席はガラガラだ。駅まで10分くらい。歩いても20分。ちょっとしか違わないのは、バスが市役所を通るのに少し迂回するからだ。

 バスの外の道は暗い。俺は身震いして、明かりを見つめる。

 ずっと昔、まだ高校生だった頃、人気の無い暗い道で、死角に引きずり込まれて乱暴された事がある。

 俺はそれ以来、とても弱くなってしまった。

 暗い道も怖い。逆に人の多い所も怖い。何もかもが恐ろしくて、それでも生きるために人生にしがみついている。

 志津くんの言葉を思い出す。

『女の子に乱暴な事するやつは最低です』

 どうか彼がずっと、そのまま、真っ直ぐで清潔な心のままで居てくれます様に。

 もうすぐ大人になる彼が、あの綺麗な目のままで居てくれますように。

 


 俺は走り去るバスを見送って、マウンテンバイクのロックを外した。ポケットからスマホを取り出す。バスは時間ぴったりに来たらしい。道が空いているからだろう。

 メッセージアプリの通知が溜まっている

 ついさっき1番上にあった八代さんのアイコンが、随分下に追いやられている。

 メッセージはルームメイトの友達と、後は一回か二回、ホテルに行った女の子。が、……何人か。

「……バイト無い日ってバレてんのかな?」

 大方暇だから連絡を寄越すんだろう。返信は面倒なので、帰ってからにしよう。

「めっちゃ食べたな、腹いっぱいだわ……」

 満ち足りた胃と、楽しかった余韻が心地よくて、俺はマウンテンバイクに乗って、ゆっくりと漕ぎ出す。

 バスはもうとっくに見えない。

 また近いうちに、八代さんに会えるだろうか。

 寮は山の上、心臓破りの坂を、今日はゆっくり歩いて登ろう。

『素直で良い子』の気分に、もう少しだけ浸かっていたいのだ。

 俺はあの人が思っている様な可愛い高校生では無い。人も殴るし、女の子と適当に遊ぶし、愛想も悪ければ口も悪い。

 でもずっと、『素直で優しくて良い子』になりたかった。

 そうしたらきっと、母はあんなに俺に怒鳴らなかっただろう。母を苦しめるのは辛かった。でもどうしても、良い子で居られなかった。

『あんたがちゃんとしないから、お母さんまでちゃんとしてないって叔父様達に怒られるの!』

 違うの、母さん。俺はね、親戚のおっさん共がΩの母さんを馬鹿にすんのがどうしても許せなかったの。

 母を泣かせない、優しくて良い子になりたい。でもどうしても、俺は良い子になれない。

 散々色々あった結果、家を追い出される様に、遠く離れた寮付きの学校に押し込められたのだ。

 俺はどうやら、あの家で要らない子。

 無性に寂しくなって、そうしたらまた、八代さんに会いたくなった。

 都合がいいと思われるだろうが、ただ子供扱いして「良い子だね」と言ってくれる、それだけの事が、どうしようもなく寂しい気持ちを温めた。 

  

 

 

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