第5話 先週のヒーローと食べる味噌ラーメン

 木曜日。まだ夕日の遺る山道を、マウンテンバイクで駆け下りた。時刻は6時少し前。蛇行する坂道を猛スピードで下る。もうすぐこの山道も燃えるような紅葉に染まるだろう。ちょっと前まではそれはもう虫だらけで、生きた心地がしなかったが、段々生き物の気配も無くなってきている。

 山道を降りきって、突き当たった大きな道路を10分ほど走ると、道沿いにある大きめのスーパーがバイト先だ。

 マウンテンバイクを停めて、スマホで時刻を確認する。6時ピッタリ。丁度八代さんもタイムカードを切った頃だろうか。

 5分程待っていると、従業員通用口からスーツ姿の従業員が飛び出してきた。

 紺色のスーツ、黒い艶のある髪はほんの少し長めだが、襟足をスッキリと刈り込んであってさっぱりしている。すらりと手足が長い。身長は俺と同じくらいか、少し小さいだろうか。

 スーツが思ったより板に付いていて、少し面食らった。歳はそんなに離れていないと思うが。

 マスクをしているので表情はうかがえないが、こちらに気が付くと、慌てた様子で走ってきた。

「ごめん!待たせちゃって!」

「あ、いえ、どもっす……」

 マスク越しに、ニコリと笑ったのがわかる。目は口ほどに物を言うというか、大きな黒い目がまるで猫みたいで、それが表情豊かに細められて優しい笑顔を作るのだ。

「この間は本当にありがとうございました」

 ペコッとお辞儀をするのに連られて、俺もついペコペコしてしまう。

「いえ……あのほんと気にしないでください」

 八代さんは困ったように首を傾げたが、それでも優しい顔をしていて、なんだか戸惑ってしまう。本当に身近に居ないタイプだ。

「どうしてもお礼したくて。あ、この道ちょと歩いたとこにラーメン屋さんあるでしょ?美味しいかな」

「あるのは知ってるんですけど、行ったことないですね」

 実はこの通り沿いは、バイト先以外よく知らない。こちらは学校から見て駅と反対側で、友人と何処かで遊ぶとなるとまず駅方面に降りていく。

 最寄り駅は駅ビルと、駅前にショッピングモールや飲食店もあり、通常行くならそっちなのだ。もちろん電車に乗って繁華街まで出たりもする。

「レビュー見たらけっこう良さそうなんだ。味噌ラーメンがメインみたいなんだけどどうかな、好きじゃない?」

 どうやら事前に調べてくれたらしい。

「ラーメンめっちゃ好きです」

 あれ?なんだか俺、とってもスマートにエスコートされてないか?

「じゃあ行こう、お腹すいちゃった」

 八代さんはへらっと笑った。ちょっと砕けた調度良い温度感と、好感の持てる優しい口調。それでいて計画に隙のない感じで、妙に居心地が良い。

 俺はマウンテンバイクのロックを外し、八代さんと歩き出した。

「木下さん元気?俺ちょっとだけ一緒のお店だった事あるよ」

「あー……なんかふわふわしてますよね」

「優しいよねー」

 少し話してみると、他愛の無い会話が心地いい。フィーリングというかテンポが良いというか、感じの良いお兄さんだ。

 ……そういえばΩなんだった。全然意識してなかった。そのくらい普通の男の人だった。

 そうだ、このまま、あの時の気持ちは忘れよう。この人をめちゃくちゃにしたいなんて思ったのは、フェロモンから誘発された催眠みたいなものだ。忘れてしまえばいい。


 ふと、足を止める。何かと思ったら八代さんはバス停の時刻表を確認していた。

「今6時過ぎでしょ、お店混んでるかな…7時20分か、50分のバスが良いかな……流石に6時50分のじゃ食べきれないかな」

「あんまり時間ないんですか?」

 何かこの後予定があるのだろうか。八代さんは一瞬、翳りのある目をした様な気がした。

「バス、あんまり待ちたくないからぴったり間に合う時間に出たくて」

 言っている事は分かるが、内容の割りに声が沈んだような気がした。気の所為かも知れないが、言い淀む様な間が一瞬空いたのだ。

 なんでだろう。

「待つの面倒なら駅まで歩いちゃっても良さそうですけど、……こっから20分くらいだからあんまり変わんないかな」

「うん、でも駅までバス乗って帰るよ、もう暗いし……」

 八代さんはバス停の時刻表をパシャッと写真に撮る。 

「ご飯食べたら何分のにするか考えるよ」

 そう言って振り向いたのは、さっきまでの人好きする笑顔だった。

「俺バス来るまで一緒に時間潰しますよ」

 そう言ったらびっくりした顔をして、ちょっと照れくさそうに、

「ありがとう、本当に」

 と言われてしまった。たかがバスを待つだけの時間だ。なんでこの人はこんなに嬉しそうなんだろう。


 幸い、直ぐに席に通された。

 事前にリサーチしていたから分かってはいたが、店内は時間帯もあって少し混み合い始めていた。レビューサイトの☆3.8、流石に不味いという事は無いだろう。

 少し先にイタリアンもあったが、この年頃の男の子だからラーメンの方が良いかと思いこのチョイスである。吉と出るか凶と出るか。

 年頃の男の子こと志津暁くんは、通されたボックス席でメニューを熱心に見ている。

 目がキラキラしているのを見逃さない。どうやら当たりだったらしい。内心ほっと胸を撫で下ろす。

 なんせ、自分は高校には殆ど行かず退学してしまったものだから、高校生の男の子が何に喜んでくれるか、けっこう真面目に悩んだのである。

「なんでも好きなの食べて?」

「……俺この北海道味噌のチャーシュー麺にしてもいいですか?」

「いいですよ」

 大きなチャーシューがドンと乗った、けっこうボリュームのありそうなメニューである。流石。俺は多分食べきれない。

「俺餃子食べたいな、志津くんも食べる?」

 なんだろう、可愛いなこの子。餃子、と聞いて本当に子供みたいな目で頷くのだ。会場で見かけた時はクールな正義漢だったのに、今はお腹がペコペコな様子で、一生懸命メニューを見ている。可愛い。なんだこれ。何だこの気持ちは。バチッとハマる言葉が脳裏に閃く。

 ……これは庇護欲か!

 合点がいった。

 

 八代奏多23歳、実は7歳の娘が居る。最も諸々の事情で育てられず、今は特別養子縁組をしたご夫婦から、たまにお写真をいただいているくらいしか接点が無い。一応毎年、税金がかからない範囲で送金だけさせてもらっている。

 そう、俺は庇護欲を持て余していた。

 娘の代わりにする様な失礼な真似はしないにしても、ご飯をいっぱい食べさせるくらい許してもらえるだろうか。


「餃子2枚頼んじゃおっかな」

「……」

 嬉しそう。どこか西洋的な雰囲気がある、色白で綺麗な顔立ちの少年なのだが、その子がオネダリしたくてもちょっと恥ずかしくて出来ない、みたいな顔でうずうずとメニューを見ている。視線を辿ってみる。

「ミニチャーハンもつける?ラーメンも大盛りにしちゃう?」

 ハッとした顔。その後にちょっとバツが悪そうな、恥ずかしそうな顔をして。

「……大盛りにしちゃいます」

 わー!可愛い!

 すっかり楽しくなってしまって、目につく所にいた店員に手を振る。

「餃子二枚と北海道味噌のチャーシュー麺大盛りと、ミニチャーハンと、あと九州味噌ラーメンお願いします。あっ志津くん、飲み物は?」

「……水で大丈夫です」

 なんか恥ずかしそうなんだよなこの子。いっぱい食べるからか、俺の奢りだから遠慮してるのか。

 店員がオーダーを持って行ったあと、俺は内緒話の大きさで、志津くんに問いかけた。

「ねえ、食べ終わって余裕あったら最後に杏仁豆腐食べる?」

 そう言ったら本当に恥ずかしそうな、照れくさそうな顔をするので、俺はもう、この可愛い男の子に夢中になってしまった。


 それはもう、もちろん恋愛的な意味では無くて、ただ、思い切り可愛がって、おなかいっぱい食べさせたい存在として。

 

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