第3話 抗いたまえ、本能に
表彰も終わり解散となって、俺はと言えば噂通り、自由に持って帰って良いと言われた菓子類やデザートなどの食品を、意気揚々とバックパックに詰めていた。
競技は主に陳列の為大量の商品が会場に持ち込まれるが、それらは全て、参加者で好きなように持って帰って良いという事になっている。
勿論食品ロスを出さない為で、それを楽しみに参加しているパートさんなんかも多いらしい。ちなみに、当日の持ち物にも「お土産があるのでエコバッグを持ってきてください」なんて書いてある。
会場近くに住まいがあれば精肉類も持って帰れるのだが、流石に電車で二時間はキツそうなので、菓子類やらデザートやらをたらふく鞄に詰め込んだ。
一緒に参加した他店のアルバイトも、雑談しながら楽しそうに土産を選んでいる。
帰ったら同室の奴に自慢して、ついでにちょっと分けてやろう。
アルバイト部門ながら三位入賞という事で寸志も出たし、面倒だったが案外楽しめた。
気がつけば、土産の置いてある一室の近辺以外は人もまばらだ。
俺もそろそろ帰ろう。今の時間から帰れば、寮の食事に間に合うかも知れない。しかし、
「……なんか喉乾いたな、自販機どこだっけ」
思い返すと、作業室のあった上の階の隅で見たような気もする。
俺は殆ど人気のない階段を登って、自販機を目指した。
二階から四階へ登っていく。もう競技も終わって、かなりの人数が帰路に着いている筈なのだが、上の階に行くにつれてなんだか騒がしい。
なんだろう、怒鳴り声?
踏み出した所で違和感を感じた。
「臭い……」
ガンッ!
聞こえていた音の主は、作業室の先、一番奥の小さな会議室の前に居た。
一目で分かった。さっき八代さんにちょっかいを出していたαだ。
「は?何してんのあいつ……」
ガンッガンッ
力任せにドアを蹴り、時たまドアノブをガチャガチャと脅すように鳴らす男は、おおよそ正気には見えない。
無意識に
見れば他に二人、壁際に据えられたソファーに座り込んで、ゼイゼイと荒い息を吐きながら、扉を睨んで居るのが居る。
「まさか……」
嫌な予感がした。まさか、八代奏多が中に居るのか。
そして。
「……あっ……? え、なに?」
どくんと胸が跳ね上がった。目がチカチカする。呼吸が苦しい。なんだこれ、あちらに、あっちに、あの奥に、
発情した、Ωが居る。
匂いだ、αの腐った様なフェロモンの臭いに混じって、果実の様な甘い香りがする。
ヨダレが口を伝い、目の動向が開いていく。眩しい。欲しい。あれが、あの人の、
Ωを犯したい。
「おいそこのガキ!お前αだろ!?一階の事務室から401の鍵もって来い!」
大きな声で怒鳴られて、ぎくりと我に返った。いつの間にか自分は部屋の前に居て、その奥からは誘惑の匂いが漂っている。
「とっとと行けっ!俺らが終わったらお前にも回してやる!」
だから黙って持って来いと、そう言っているのだ。
そうしたら、彼を、八代奏多を犯せる。
Ωを犯したい、Ωを孕ませたい。下半身が、ズキズキする。
でも、……
ドアの向こうから、か細い、震えるような声がした。
「……どなたかお心のある人が居ましたら、番のいるαの方を呼んできてください」
怯えているのだろう。涙がまじるような、息を飲みながらやっと出るような、低い声だった。
「ゾーンマネージャーの中澤さんか……すみません、あとは知らないのですが、どなたか……」
否定を込めて、奴がガン、とドアを蹴った。よく見れば大して頑丈そうな扉でも無い。このまま痺れを切らせばいずれ三人がかりで壊しかねない。そうしたら、鍵なんてあってもなくても同じ事だ。
「誰か、助けてください……!」
きっと、彼には俺しか居ない。
俺は踵を返して、走った。背後から嘲笑が聞こえた。
本能が責め立てる。鍵を持って来い。そうしたらおこぼれにありつける。あいつらが彼を蹂躙するのに混じって、発情したΩの中にその滾りを注げるのだ。Ωを抱きたい。抱いて、孕ませて、自分のものにしたい。
そんなこと、できるわけがない……!
「誰か……っ!」
2階まで降りると、まだまばらに人影があった。
片付けで残っている実行委員の社員以外は、もうほとんど居ない様だ。
「君、どうしたの?」
近くに来た壮年の社員に声を掛けられる。が、息が上がって上手く伝えられない。昂る本能が抑えられない。
「中澤、中澤さんに……っ、はぁっ……」
「ゾンマネ?おい、ゾンマネの中澤さんまだ居るかー?君、名前は?」
「志津暁……です……!」
立ち上がったら走り出してしまいそうで、なんとか膝を抱えて蹲る。落ち着け、鎮まれ、冷静になれ、急げ!
あの人を助けないと。
「中澤ゾンマネに志津暁が呼んでるって言ってー! なんか分からんけど大変そう!」
ザワザワとする社員の中から、スーツ姿の初老の男性が人をかきわけるよえにして現れた。
「どうした、何の用だね」
身体を屈ませ、黒い縁の眼鏡の奥から、ギラギラとした瞳がじっと見下ろしてくる。
ゾーンマネジャー、県内の店で一番偉い人だ。この人が番の居るαだろう。
俺はほっとして泣きそうになった。
「八代さん、……八代奏多さんが、多分ヒートを起こして四階に居ます……! αが、出て来いって、……脅して……」
一瞬目を見開いて、その顔が険しく歪んだ。
「もういい、分かった、……誰か、この子を静かな所へ隔離してやれ。抑制剤は持ってるか?」
「あ、あります……」
抑制剤の事なんてすっかり忘れていた。入学の時に親に持たされて、財布に入れっぱなしになっているはずだ。
「後は何とかするから、飲んで少し休んで落ち着いたら帰りなさい」
すると、少し後ろで見ていた社員が手を上げてくれた。
「あっ俺方面一緒だから乗せて帰りますよ!
頷くと、とりあえず手洗いに連れて行かれた。私物なのか、封を切っていないミネラルウォーターも渡してくれる。
「あ、ありがとうございます……」
鞄を漁ると、財布の奥から抑制剤が二錠だけ出てきた。パッケージが少し傷んでいるが、中身は平気そうだ。
水と一緒に飲み下す。ほっとしたが、効果が出るまで少しかかりそうだ。
「俺βだからよく分からんけどとりあえず一発抜いてこい。あっセクハラとかじゃなくてだな!?」
「わかってます、お気遣いありがとうございます……」
恥ずかしいが流石にあんなに昂ったままでは帰れない。車に乗せてもらう前に処理した方が良さそうだ。
「ありがとうな、俺、カナタ昔から知ってんだ。見つけてくれて本当に良かったよ」
そう言って、その人は手洗いから出ていった。俺も個室に篭って、処理に集中する。
八代奏多さん、……カナタさんは、無事に助けられただろうか。
「貴様らぁ! そこで何してやがる!!」
ドア越しに、聞き覚えのある怒号が響き渡った。
ガンガンと蹴られていたドアがスンと静かになり、代わりに「中澤さん!」と悲鳴のような声が聞こえる。
ほっとして床にへたり込むと、横に居た四方さんが左手をぎゅっと握ってくれた。
不思議なもので、このほんの数十分で、俺は彼女と少しだけ仲良くなっている。
「良かった、四方さん、たぶんもう大丈夫だよ……」
「うん。私ちゃんと説明するから」
「……いい。黙ってて」
暫くして、ドアの外から声がかけられた。
「八代くん、こっちはもう私だけだが、自分で開けられそうかい?必要なら落ち着くまで待っているよ」
優しい声をかけられて、もうそれだけで泣きそうになってしまう。今の一言だけで、中澤さんがどれだけ自分の番を大切にしているかわかる気さえした。
「大丈夫です、……出ます」
慎重に鍵を開ける。そっとノブを引くと、中澤さんが、ゆっくりと入ってきた。そして、俺と四方さんを見て訝しげに首をかしげる。
「カナタくん……?ヒートなのかい?」
そりゃそうだろう。確かに怯えて疲れ切っているが、どう見てもヒートには見えない。むしろその逆だろう。
「あの違うんです、私が……!」
「貴女は誰ですか?」
「――人材サービスの四方清華と申します」
「……俺の友人です、たまたま仕事で来ていて、業務後に少し話す時間が取れればと思ったんですが、急にフェロモンが出てしまって、巻き込んでしまったんです……日中もあのαの人に声をかけられていましたし、抑制剤の効きが甘かったのかも知れません。申し訳ございません」
中澤さんは少し周囲をキョロキョロして、訝しげに、すん、と鼻を鳴らした。
中澤さんには番が居るので、本来他のΩのフェロモンは分からない筈だ。中和剤を随分吹いたが、人工的な匂いなら逆にわかってしまうかも知れない。
「……香水は付けていますか?」
「は、はい!」
慌てて四方さんが頷く。
「食品を扱うので、弊社にいらっしゃる際にはご遠慮ください」
「申し訳ございません……!」
四方さんが深々と頭を下げる。
本当に香水だと思ってくれたのか、または取引先の手前あえてそう取ってくれたのか分からないが、中澤さんはそれ以上何も言わず、俺と四方さんを家まで送ってくれた。
「カナタも平気だったってよ」
さっき水をくれた社員さんは宮崎さんと言って、聞けば、当時カナタさんをアルバイトで採用した人らしい。
やっと帰り支度を済ませると、残っていた社員が聞きつけてきて、「あれも持っていけ、これも持ってけ、どうせ車なんだから」となんだかさらにお菓子やら果物やら野菜やらを箱で持たされた。
おじさん社員さん達にぺこっとお辞儀をして礼を言うと、皆カラカラと笑う。
「派手な見た目なのに礼儀正しい子だなあ」
「うちの社員になんな、可愛がってやっから」
「おいおい、前途ある若者にこんなブラック会社勧めんなって!」
そんなやり取りをしていたら、中澤ゾーンマネージャーに伴われて、八代さんもやっと降りてきた。知らない女の人も一緒だ。
中澤さんが俺を指差して何か言うと、八代さんはハッとして、パタパタとこちらに走ってきた。
ヒートの影響は感じない。抑制剤が効いているんだろうか。
「やっぱり君だったんだ……ありがとうございます。本当に助かりました」
深々と頭を下げられる。やっぱりってなんだろう。
「お店とお名前を教えてください」
「……新田店の志津暁です」
「ありがとう、近日中に必ずお礼に参ります」
もう一度頭を下げて、さらりと黒い髪がゆれる。よく見ると目は真っ赤で、反対に顔は真っ青だった。それでも笑顔で礼を言われて、なんだか酷く罪悪感を覚える。
俺だって、一瞬あんたの事めちゃくちゃにしたいって思ったんだ。
色々あり過ぎた一日がやっと終わった。寮の門限には間に合いそうだったが、夕食には間に合わないと言ったら、宮崎さんにファストフードで夕食までご馳走になってしまった。
とりあえずナマモノだけは寮の冷蔵庫に袋ごと入れて、整理するのは明日ということにする。
野菜や果物は寮母さんに渡したらとても喜んでくれた。
『近日中にかならずお礼にまいります』
目を真っ赤にした、彼の笑顔を思い出す。
「ほんとに来んのかな」
お礼なんて何回も言われても困るけど、何となくあの人にまた会いたい様な気もした。
続
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