推理の向こう側

やざき わかば

推理の向こう側

 田所警部補に呼ばれ現場に向かったのは、探偵、天王寺京介である。


 彼は、小さい探偵事務所を経営しているのだが、元刑事課所属だったこともあり、たまにこうして捜査の手助けとして呼ばれるのである。


 そんな彼が、今回挑む事件。これがまた、不可解な現場であった。


 まず、被害者の様子がおかしい。死因は縊死。被害者は、首にロープを巻き付けた格好で倒れており、そのロープの先端はちぎれている。天井には、ロープをかけられそうな場所はない。


 自殺ももちろん疑ったのだが、警察の捜査によると、被害者は数日後に新しいビジネスを起こすと、意気揚々と周囲に語っていたと言うのだ。自殺をするほどまでに追い詰められた人間が、到底とる行動とは思えない。


 綺麗に整頓された部屋に、綺麗な衣服を着た、首にロープの死体がひとつ。


「これは明らかに殺人ですねぇ…」

「やはり天王寺くんもそう思うか。だが、そうなると…」


 そう。殺人だということになると、その証拠となるものが乏しいのだ。まず、この部屋は密室だった。鍵がかかっており、また、誰かが入った形跡も、争ったような跡もない。窓もきちんと施錠され、カーテンもかかっていた。


 テーブルには飲みかけのブランデーとハードカバーの小説。被害者は酒が好きだったようで、家に帰ると必ず晩酌をしていたようだ。もちろん、飲みかけの酒は成分分析にかけている。結果はシロ。何も出てこなかった。


「酔って眠った被害者の首にロープをかけ、力任せに引っ張った挙げ句ロープが切れた…?」

「天王寺くん。それだと、犯人が首にかけたロープをそのままにしていく理由がない。それに鍵もかかっている」

「合鍵などは」

「チェーンもかかっていたんだぞ。合鍵だけではどうにもならない」


 天王寺は天井を見回す。


「点検口から屋根裏に潜んで殺害したとしても、密室は破れませんねぇ」

「窓から出て、なんらかの方法で鍵をかけたとしても、この高さから降りるのは現実的ではないな」


 そもそも、被害者宅は高層マンション最上階の角部屋である。警備会社が詰めており、自動通報装置もある。怪しい人間の侵入自体が難しい。


 とりあえず、天王寺は現場の写真をひととおり撮影し、一度事務所に戻った。


 ダージリンティーを飲みながら、入手した資料をまとめる。その過程で、いつもは事件について考えるのだが、どうにも今回は、理解不能なことが多すぎる。


 考えろ。

 思い出せ。

 何か違和感はなかったか。

 何か怪しいところはなかったか。


 今日は諦めて、明日、周囲へ聞き込みをすることにした。何もわからない。何もわかっていないのだ。今は。


 次の日。


 天王寺はまず、犯人の動機について考えてみた。一番有り得るのは、怨恨である。物取りでないことは、部屋のきれいな様子を見れば明白だ。物色されたあともない。そのあたりを重点的に調べるとして、聞き込みを始めた。


 被害者の知人などへは、警察で聞き込みを進めているはずなので、後で確認する。


 隣近所に聞いてまわって、わかったことがいくつかある。まず、被害者は人格者であり、誰にでも優しく朗らかで、基金を作って教育を受けられない子供たちや孤児に莫大な支援をしていたそうだ。動物愛護や環境保護についても熱心で、夢想家でありながらリアリストであり、夢物語のようなことは言わなかったという。


 町の人々は口を揃えていう。「彼は絶対に、人に恨まれるような人間ではなかった」と。


 田所警部補にも確認したが、やはり知人たちも同じようなことを話していたそうだ。彼に恩返しをしたいという意見は多かったものの、仕返しがしたいという人間は皆無だった。


 殺された前日から当日にかけての、被害者の行動を追ってみる。アウトドアが趣味な被害者は、朝から近場の山を登りに出かけていた。登山計画書が提出されている。


 下山し、近くの温泉施設でひとっ風呂浴びてから、自宅ではなく事務所に向かい、従業員にお土産を振る舞ったあと、数人の従業員から相談を受ける。それが終わると、管理や支援をしている孤児院や支援施設などに顔を出し、不足しているものや、働いている人々が何か困っていないかを確認。それから自宅へ戻る。


 ここまでは、証言と防犯カメラの映像で確認済みだ。


 帰った彼は、自分で作った夕食を食べ、読書をしながら晩酌を始めたと予想される。これが、殺害される前日の被害者の行動である。


 完全に行き詰まった。調べども調べども、被害者がどれだけ立派な人間だったか、いかに周囲に好かれていたかしか出てこない。なぜ「殺されなければ、ならなかったのか」が、一切わからない。


 一度、現場に戻ってみよう。天王寺はそう考え、田所警部補と再度、事件現場を調べてみることにした。すでに鑑識や捜査員が洗いざらい調べたあとだが、まだ何か見落としていることがあるかもしれない。


 二人で徹底的に調べた。窓の縁、天井裏、カーペットの下、湯船の下。一度調べられたであろうところも、くまなく探した。すると、くしゃくしゃになった、妙なメッセージの書かれた紙が、ゴミ箱の下から見つかった。ゴミ袋の隙間からこぼれ落ちたのか、影になって見えていなかったようだ。


 「悪人滅殺 急急如律令」という文言と、妙な文様が描かれている。直筆のようだ。これは警察で筆跡鑑定にかけるということで、田所警部補が持っていった。


 後日、筆跡鑑定の結果が出た。さらに田所警部補の言うには、犯人を名乗る男が現れたとのこと。急いで警察署に向かった。


 取調室の中にいたのは、最初の通報者で、二十代後半の、「井上 康隆」という男性だった。職業はなんと、呪術師であるという。


 呪術師が言うには、被害者の隣に住む男が結構なクズで、女性を取っ替え引っ替えしては貢がせていたという、結婚詐欺すれすれのことを日常的に行っていたという。


 警察に訴えてもおそらく取り合ってもらえない。取り合ってもらえたとしても、大した刑罰にはならないと考えた被害者女性数人が、呪術師に呪殺を依頼。


 徹底的に男を調査した呪術師は、依頼を了承。強力な呪符を作り、男のポストに投函した。次の日、様子を見るため宅配業者に成りすまし、男宅のインターホンを鳴らす。すると、だらしない格好の男が出てきた。


 狼狽した呪術師は、「部屋を間違えた」とその場を逃れ、もしやと思い、隣の角部屋…被害者宅のインターホンを鳴らす。反応がない。だが部屋の電気は点いているようだ。そこで匿名で、管理会社と警察に通報をした。


 そして、今に至る…とのこと。


「田所さん。筆跡鑑定はどうだったんですか?」

「確かに、この井上さんのもので間違いない。だが…」


 田所警部補が呪術師に話しかける。


「井上さんはつまり、自首しに来た。そういうことで良いですか?」

「ですから、先程から何度も言っているでしょう。被害者を殺したのは、僕なんです」


 田所刑事は頭をかきながら、こまった表情をしている。


「ですがね…、いくらなんでも荒唐無稽すぎる。呪いで殺したなんて」

「本当なんです、信じてください。僕を逮捕してください」


 呪術師は天王寺を見て言う。


「探偵さんもわかるでしょう。警察が捜査したところで、解決しない。だって、誰も部屋に入っていないんですから」

「しかしですね…。警察は証拠がなければ動けないんです。今、その証拠は出てきていない。出てきたのは、あのメッセージのみ。そしてこれが人を殺したとは…とても」


 田所警部補が、消沈する呪術師を立たせながら、優しく諭す。


「まぁまぁ。とりあえず、こうなった以上、井上さんにも捜査の手が及ぶことになると思います。それで決定的な証拠が出て来さえすれば、晴れて貴方は犯人だ。とりあえず、今日のところはお帰りください」

「それにね、井上さん。例えそれが事実だったとしても、今の日本には、呪殺を罰する刑法は存在しないんですよ」


 愕然とした顔で、取調室をあとにする呪術師を、玄関まで見送る二人。その二人を沈痛な面持ちで振り返り、呪術師は言った。


「刑事さん、探偵さん。僕はターゲットを徹底的に調べることにしているんです。なぜだか、わかりますか?」


 二人は顔を見合わせる。


「徹底的に調べて、本物の悪党でないと、僕は依頼を受けない。そうしないと、呪殺したことを後悔してしまうんです。後悔をしてしまうと、同じ呪いが僕に返ってくることになる。今日の夜、僕は死ぬでしょう。僕が死んだなら、せめて信じてくださいね」


 とぼとぼと帰っていく呪術師。天王寺は田所警部補に聞いた。


「彼に、俺が探偵だって話しました?」

「いや? 話してないよ」


 果たして、呪術師はその日の夜に、被害者と全く同じ状況で死んでいるのが発見された。


 天王寺は、世の中には理屈の通らない、人間の常識では測れない事件が存在することを思い知らされた。自分の頭脳の敗北を知った、苦い事件だった。


 余談だが、被害者の隣に住む男は、複数の詐欺行為を働いたかどでその後、逮捕された。その悪どい手口に泣かされた者も多く、余罪もかなりの数が出てきているため、短くない刑期を食らうことになるだろう。


 少しは、呪術師の弔いになっただろうか。

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