【KAC20246】とりあえず、その手を

赤夜燈

先輩と俺の、青春と言えなくもない話


「おい一年、とりあえず手ェ出して」


 そう言って煙草を吸う文芸部とは名ばかりの形だけの

 部活の部長である先輩の横顔は絵画みたいに美しくて、俺は思わず両手を差し出した。その両手に、先輩は容赦なく煙草の先端をグリグリと押し付けた。


「……ッッッ!!!」


 俺は間抜けた顔のまま灰皿になってじゅうじゅう焦げる手のひらをしばらく見たあと、熱さと痛さのあまり悶絶した。


「こぼすなよ、灰」


「……わかり、ました」


 理不尽にもほどがある先輩の命令に俺は素直に従う。


 虐められている、のとは違う。


 脅されている、わけでもない。


 ただどうしようもなく、俺は先輩が好きなんだと思う。


 灰皿にされていることに、特別を感じるくらいには、俺は先輩に心底いかれてしまってるんだと思う。



 先輩が男だとか、不良だとか、そもそも未成年は喫煙しちゃいけないとか、人を灰皿にしたらいけないだろうとか、そういうのが全部どうでもよくなるほど、俺はこの人に恋をしている。


「一年、もっぺん灰皿-」


「はいっ!!」


 俺はもう一度、手のひらを灰皿にした。


 二年間、ずっとそんな調子だった。


 俺の普通だった手のひらは、みるみるうちに火傷と水ぶくれで酷い有様になり、こっそり薬局でオロナインを買って塗った。怪しまれると嫌なので、先輩のいるとき以外は手袋をした。


「アレルギーで、蕁麻疹がひどくて」


 そう言えばみんな納得してくれた。


 家族も俺にそんなに関心はなくて、ふーん、くらいで済まされたのはラッキーだった。両親は俺の成績にしか興味はなくて、全教科学年一位をキープし続ければなにも言ってこないのだった。


 だからひたすら勉強した。


 そんな風に、月日は流れて。


 俺の手は日に日にズタボロになって、それでも俺は先輩が好きで好きで、卒業式の前日になった。


「なあ二年」


「なんすか先輩」


「お前、痛くねえの。灰皿これ


 うっわ、グロい。とか、先輩は染みひとつない白い手で、俺の手をとって言う。


 それあんたが言うんすか、とか思ったけど、出てきたのは全然別のことだった。


「先輩が好きだから痛くないです」


「はは、ウケる」


 ウケた。嬉しい。


「なあおい、明日海行かね?」


「海、すか。先輩、卒業式は――」


「行かねえよ面倒くせえ」


「じゃあ行きましょう、海」


「お前ノリノリだな」


「海だけに、っすね!!」


 ひっぱたかれた。


 思いっきりひっぱたかれた。


 翌朝、俺たちは待ち合わせして海に行った。


「寒っ!! てか磯臭え!!」


「海ですから……」


「こんなんじゃ泳げねえじゃん」


「泳ぐ気でいたんですか!?」


「当たり前だろ。ほら入れ入れ」


 先輩は靴も靴下も脱ぎ捨ててズボンを上げて、ざぶざぶ海に入っていく。俺の襟首を掴んだまま、である。


「待って待って先輩、靴脱がせてください今脱ぐんで」


「うるせえおらー、食らえ海水フラッシュ!」


「うわっ!! 冷たっ!! やりましたね、お返しです、よっ!」


 学ランが濡れるのも構わず、俺たちはざっぱんざっぱんと容赦なく水をかけあった。


 そんなことをしていたら寒くなるのは当たり前で、俺たちは同時に盛大なくしゃみをして、馬鹿みたいに笑いあった。


 あるもので適当に作ったたき火で靴やらズボンやらを乾かしながら、先輩は言う。


「なあおい。お前、俺が死ねっつったら死ぬか」


「はい」


 即答した。


「じゃあ、俺が一緒に死のうっつったら、どうする」


「死んでも嫌です」


 またもや俺は即答した。


「先輩に、生きていてほしいので」


 その答えに拍子抜けしたのか、かははと先輩は笑ったあと、そのまま浜辺に倒れて「あ〜〜〜〜〜〜〜……」と頭を抱えた。


「俺さ、馬鹿なんだわ」


「知ってます」


「んで、大学全部落っこちて。それで、卒業式出れねえから死のうと思ってこうしてお前連れて海来たんだけど」


「だいたいわかってました」


「ならなんで来んだよおめーはよ!!」


「先輩が好きだからですよ。死ぬつもりなら止めるし、泳いで気が済むならそれで」


 他の三年生なんて心底どうでもいいですし、と俺は言った。


「なー……なんで俺のことそんな好きなわけ? 怖いんだけど。俺男だけど。ついてんだけど」


「いや俺にもわからないっすね。ついていようがいまいが、先輩のことは好きになってたと思います」


「マジかー……そうかー……」


 俺は頭を抱えたままの先輩の顔を覗き込む。



「ねえ、先輩。俺、成績学年一位なんですよ。全教科。それで、提案なんすけど」


「……なに。ロクなこと言われる気配がしねえんだけど」


「ええ。契約しましょう、先輩。?」


「お前……ほんっとマジでやべぇな……」


 先輩は引きつった顔で、やるよ、と小さく言った。



「んじゃ、先輩。とりあえず手ェ出してください。握手と自己紹介、しませんか?」



 先輩は目を見開いたあと数度まばたきをして、それから盛大にため息をついた。


 先輩が、こちらに手を伸ばす。先輩のその手を、俺はずっと取りたかった。


 やっと、やっと掴んだ。



 先輩は俺のボロボロの手を握ると、二年間教えてくれなかった自分の名前を発音するために息を吸った。




 幕

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