第2話

翌日、静かな朝を迎えた公爵家に、騒がしい記事を載せた新聞が届いた。

普通の新聞からゴシップ用の新聞まで幅広く取り寄せているが、どの新聞も昨夜の学園パーティーでの大惨事が取り沙汰されている。

一部はクローディアの手回しによるものだが、ゴシップ記事の内容はクローディアの予想を遥かに超えていた。


「あら、まさか王弟殿下にまで手を出していたなんて。あと、マティアス商会のご子息とも懇意だったのね」


「やり手じゃないか。学生の坊や達だけが相手じゃなかったのか?」


新聞を手にクローディアが驚くのを見て、楽しそうなエスティーダが口を挟んだ。


「ええ、そうらしいですわね。マリアンヌ様の行動にも驚きましたけれど、これは王妃殿下の直属の諜報部隊よりも優れた誰かが裏にいるという事ですもの。帝国も一枚噛んでいるのかしら?」


クローディアは眉を潜めて、優雅に紅茶を口に含む。

春摘みの薫り高い紅茶が口の中で芳香を放ち、喉を潤してくれる。


元々、マリアンヌが近づいてきた時点でクローディアは警戒していたし、他国の間者ではないかと王妃に調査を願い出ていたのである。

公爵家の諜報員も張り付かせてはいたのだが、マリアンヌは異様に活動的だったし、ロドリック王子のお陰で王宮にも出入りできたので、さすがに王弟との密会までは耳に入らなかったのである。


(もしかしたら王妃様はわたくしに伏せていただけで、王弟殿下の事はご存知だったのかもしれないわね……)


王太子は王妃の生んだ一番目の息子のロドリックになっているものの、王妃の息子は更に二人、側妃にも息子がいる。

だが、王弟達も王位継承者であることは変わりない。

排除する理由を押さえていたとしてもおかしくはないのだ。


「王太子殿下は廃嫡されるのでしょうか?」


弟のミルファスが可愛らしく首を傾げるのを見て、クローディアは苦笑を浮かべる。


「国王陛下は殿下に甘いからどうでしょうね?そう決断できるのが正しい判断だと思うけれど」


姉の言葉に、ミルファスはこくこくと頷いて、それからうーん、と更に疑問を口にした。


「父上はどうされるのでしょうか?僕は姉上を蔑ろにされた事だけでも許せないですし、婚約破棄の慰謝料だけでは納得いきませんが」


「まあ、ミル。貴方の言葉だけで、わたくしの心は癒されましてよ」


明るい青の巻き毛の可愛い弟をクローディアはふんわり抱きしめる。

抱きしめられたミルファスはえへへ、と嬉しそうに顔を綻ばせた。


「王命で結ばれた婚姻が幾つか無効になるんだから、王家の賠償金も馬鹿にならないだろうし、対応によっては国が滅ぶ事件だな」


次兄のローティスの言葉に、ミルファスを抱きしめたままクローディアが頷く。

特に婚姻関係を渋っていたアンリエッタの家柄は、武門の家であり騎士団より上の将軍を輩出する家柄だ。

武門の家柄同士、丁度いいだろうという国王陛下の思い付きによるものだったらしい、とアンリエッタは言っていた。

部下と上司の関係は良かったとはいえ、可愛い娘の嫁ぎ先として男爵家というのは公爵家にとっては良い相手ではない。

何れ陞爵をするか、アンリエッタの配偶者になるヴァルカスに新たに叙爵する事を考えてもいただろうが、今回の件で全て無に帰しただろう。

結婚に反対だったのは主に母親の公爵夫人だったとも聞いている。

アンリエッタも最初から嫌だった訳ではないが、粗暴さや短絡的、直情的な所も自分には合わないと思っていたらしい。

マリアンヌの登場で、その溝が更に深くなったのだ。

ヴァルカスの求める天真爛漫で素直で大らかな女性というのは、貴族にはほぼ存在しない。

というのも、淑女教育でそれは良しとされないからだ。

なるべく感情は表に出さずに、一歩下がってお淑やかに過ごすのが基本である。

貞淑な妻などつまらないという男達が、妻に求めている規範なのにも関わらず、だ。


「少なくともブローズ公爵家の将軍は今日の国王陛下の一番の敵におなりあそばすでしょうね。ですから、我が家は後回しにされるでしょうし、下手をしたら婚約継続という話も持ち込まれるかもしれないのが頭痛の種ですわ」


「それは我が母上が激昂するだろうな」


エスティーダが思い浮かべて、やれやれ、というように肩を竦める。

王妃の親しい友人でもある公爵夫人、ルイーゼは王妃の公務の手伝いで王都を離れているが、両陛下と同じく本日戻ってくる予定だ。


「どうしたものかしら?……あら?」


食後の歓談に、家令がやってくるのは珍しい、とクローディアが目を丸くすると、老練な家令は慇懃に頭を下げた。


「お嬢様にこれから賓客が来られますので、どうぞご用意を」

「貴方がそう言うという事は断れないお客様という事ね?まさか王子殿下では?」

「流石にその様な無恥な振る舞いをされる方でしたらば、力づくでも追い払って差し上げます」


(王子ではない賓客、誰かしら?)


漸く弟のミルファスを解放してクローディアは立ち上がった。


「それを聞いて安心致しましたわ。用意を致しましょう」


侍女達にドレスを着付けて貰いながら、クローディアは思いを巡らせていた。


「誰がいらっしゃるのかしら?」


誰にとも無く呟いただけなのだが、侍女のメイが静かに答える。


「旧友、とだけお伝えしてよいと言われております」

「まあ……旧友、旧友……どなたかしらね」


幾つか浮かんでいたのは、王都に残っている有力貴族の人々だったのだが、旧友ではないのでそれが全部消えた。

旧友なら貴族子女だが、令息も令嬢も翌日尋ねてくるような間柄が思いつかない。

しかも断れない相手、となると高位貴族であり、身分を隠して通っている場合である。


「特進科に通われていた方かもしれないけれど、お手上げね」


近しい生徒は通り一遍調べてはあるものの、それにひっかからないのでは分かりようがなかった。

それに秘匿されていても、王子はさておき王妃や国王は周知の事実だろう。

伝えられていないものは知る必要がないのだ。


用意を終えて、客人の待つ応接室に向かう。

従者が扉を開けた向こうには、見知った顔が二つあった。


「あら、貴方がたは……」


***


その頃、ブローズ公爵家ではクローディアの予想通り、大変な事態になっていた。


「だから、散々、申し上げたでしょう!何処の馬の骨とも分からぬ輩に、愛しい娘を下げ渡すことなど相成りませんと!」


アンリエッタの母親、ヘンリエッタの怒号が食堂に響いていた。

貴族の作法、淑女の振る舞いなどとはこの際言っていられないのである。

髭を蓄えた巨体を縮こまらせて、将軍が俯いて悲惨な記事を見つめている。


「俺も最初は反対まではしてなかったけど、学園に通い始めてからの話は親父にもしてただろう」


次兄のウォルターが口を出し、アンリエッタも頷いて加勢する。


「わたくしの事も家の事も軽んじられたのです。わたくしの事はまだ良いです。目の前で他の女性と仲良くされようと、別に痛くも痒くもございません。けれど、わたくしの家族や家門を踏みつけにされることは我慢なりません。解消していただけないのであれば、わたくし、修道院に参ります」


「まあ、何て事……!」


夫人がアンリエッタをひし、と抱きしめた。


「アンリエッタ……貴方の気持ちが何より大切なのです。ねえ、あなた。貴方は国を守れるのに愛しい娘を守れないと言うのなら、わたくしを離縁してくださいませ。ええ、娘と何処へなりと参りましょう。この家に縛り付けておくよりは余程マシですわ。さあ、わたくしのアンリ、参りましょう。わたくしは婚約解消の書面を頂いてくるまで実家に戻らせていただきます。勿論、アンリをこんなくだらない政治に利用して踏みつけになさるなら、わたくしとの離婚の書面でも結構」


「お待ちください、母上」


止めたのは長兄のギュンターだった。

筋骨逞しく、王都の騎士団に勤めるエリートである。


「私も父も、怒りは同じです。こんな裏切りはございません。本日中に国王陛下にも男爵家、いや騎士団長に抗議に参りますし、婚約解消を必ず成し遂げます。ですから、早まらずにお時間を下さい。辺境までは道のりが長い。それだけ吉報が遅れるというもの。せめて別邸で心を静めていらしてください」


「すまない、ギュンター……それに、ヘンリエッタ、アンリエッタ、不甲斐ない父を許してくれ」


やっと重い口を開いた父が初めて口にする謝罪に、アンリエッタは母を宥めた。


「お母様、わたくし、お兄様とお父様のお言葉を信じます。ですから一緒に別邸でお待ちいたしましょう。わたくし、傷ついた心を癒すのに、甘い物を頂きたいわ。お母様と一緒に楽しく過ごしたい」


甘えるようにアンリエッタに言われ抱きつかれて、夫人は眉を下げて娘をぎゅっと抱きしめた。


「ギュンターの申し出とアンリエッタの希望を受け入れましょう。わたくしも頭に血が上って言い過ぎました。ねえ、旦那様。わたくし達は十分譲歩したのに、この有様ですわ。どうか、これ以上足蹴にされる事のないようにお守りくださいませ」


「……分かった」


公爵夫人ヘンリエッタの実家は辺境伯家である。

辺境に嫁いだヘンリエッタの母親は侯爵家令嬢であり、今回の婚姻については一昔前にそちらも巻き込んだ騒動に発展した事もあった。

身分社会である貴族にとって、恋愛事情ですら格差は中々埋められないのに、一方にしか得の無い政略結婚など上位貴族からすれば以ての外である。

公爵家の人間だけでなく、ヘンリエッタの泣きついた辺境伯家も侯爵家も同じくこの婚姻には反対の意を示していた。

にも拘らず、王の意向に従った結果がこれだ。

重々しく妻の願いに応えたブローズ公爵、ヴェルターの目は怒りに満ちていた。



***


王都に程近い町で朝を迎えた国王は、帰途に着く馬車で丁寧に銀盆の上に載せられて献上された新聞を目にして、顔面蒼白となっていた。

それもそのはず、記事の一面には昨夜の酷い学園パーティーの紙面があったのだ。


男爵令嬢マリアンヌによる、破廉恥な行状。

まずは、王太子の婚約者である公爵令嬢を蹴落とす為に、自作自演の事故を装い、冤罪をかけた事が綴られている。

パーティーに出席した多くの人々が、嘘をついたと認めたマリアンヌを目撃し、事故のあった当日は王妃と公爵令嬢は共に過ごしていた事が決定的な証拠となり、冤罪が確定した。

元平民の男爵令嬢という危うい立場の身分の者が、無実の公爵令嬢を陥れるなど有り得ないことである。

しかも、公爵令嬢のクローディアは王妃と共に、慈善事業も積極的に行っていて民の人気も非常に高い令嬢だ。

対して男爵令嬢のマリアンヌは、男達に囲われて城下を練り歩くなど民にも顰蹙を買うような行動しかしていない。

愛らしい容姿に目立つ行動で、最初は嫌われてはいなかっただろうが、人の婚約者を奪うという噂が広がり、素行も宜しくないとあれば、段々に人々が白い目を向けるようになる。


マリアンヌにとってはただのモブどころか背景にすらならない人々に、その行動は見られていたのである。

だからこそ、醜聞はいくらでも新聞社に寄せられた。

騎士団長の息子、宰相の息子、法王の息子、大商会の息子、王弟。

彼女が苛められていたと吹聴していた、それぞれの婚約者もまた無実だと新聞は報じている。

そもそも婚約者の多くは特進科に属しており、マリアンヌとは接点が無い。

婚約者のいる男性に近づかないようにという真っ当なお叱りは彼女の主張するような苛めではないのだ。

周囲から避けられているという彼女の言い分も然り、他の生徒からすれば高位貴族の令息にしか愛嬌を振りまかない女性と仲良くする切欠も理由も無いのである。


わなわなと、国王の手が震えた。

だが、隣に座している王妃はちら、と目を滑らせただけで、興味なさげに澄ましている。


「王妃、そなたは知っていたのか」

「存じておりますとも。陛下にも再三申し上げましたけれど?学園生活を楽しませてやれと仰せでしたわね。わたくしが幾ら息子に言おうとも、陛下の言葉でひっくり返されては息子を正すことも叶いませんわ」


何度苦言を呈しても、でも陛下がと息子に夫の意見を盾にされればため息を吐く他無い。

王妃が正論を言えば、ぐ、と国王が言葉を詰まらせる。


「ここまで酷いと思わなかった、などと仰いませんよう。クローディアは本当に美しくて優しくて良い子でした。わたくしの娘にしたかった。親友の娘というだけでなく、素晴らしい娘でしたもの。彼女に公務を全て押し付けて遊んでいた我が息子は、彼女の手助けなしに業務をこなせるのかしら?遊ばせた貴方が責任をとってくださいませね」


「婚約を破棄しなければ良いのだ、このまま」


苦し紛れに口にした言葉に、王妃はため息を吐く。


「大勢の貴族の子女達の前で王太子が公言したことを取り下げろと仰るのなら、それこそ国の威信に関わるとお分かりの上で仰ってるの?それにわたくし、娼婦の教育はした事がございませんの。あの子のお相手には別の教師をご用意下さいね。ああ、お義母様でしたら引き受けてくださるかしら?」


王妃に厳しく教育を施したのが国王の母である前王妃である。


新聞によると、マリアンヌとの婚約もロドリックは公言してしまっている。

結婚の約束であり、破棄の余地はあるものの、二度目の破棄というのは致命的だ。

とはいえ、このようなふしだらな女性を国の母とする事は避けたい。

一番良いのはマリアンヌとの婚約を破棄した上で、クローディアと復縁する事だが、新聞の内容を見れば側妃として召し上げられるのも断って退場しているのだ。


(次善の策としては、マリアンヌと婚姻の上廃嫡、だろうか)


ちらりと王妃を見るが、王妃は廃嫡について切り出しては来ない。

あくまで第一王子であり、王太子であるロドリックが次代の王となる前提の話しか出て来なかった。


「とにかく、わたくしは王妃教育から降りさせて頂くので、よろしくお願い致しますわね」


***


ロドリックは頭を抱えていた。

ヘンリーの提案を受け入れて、卒業パーティーの事件の対策を練ろうと、王城に一行は集まっていた。

そこに参加すると言い張るマリアンヌをどうにか男爵家に送り返したのは良いが、気まずい空気は払拭できないまま、何も話し合いは進んでいなかった。

そこに、空も白み始めた頃、届いた新聞により、全員が衝撃を受けて固まった。

昨日の今日である。

新聞となって配られるのだから、夜の内に全ての記事が書かれたのだ。


(手回しが良すぎる……!)


クローディアを疑ったが、あの可憐な姿を見てしまったらそれも疑問に思えたし、何より会場を出た途端気を失ってしまったという。

その事にも罪悪感を覚えていた。


(本当は繊細で可憐でか弱い女性だった彼女の強がりを見抜けなかったのではないか?)


というロドリックの希望に満ちた夢想は留まる事を知らない。

何故なら天真爛漫で可愛いと思っていたマリアンヌの、激しく怒る姿に愛情が冷めるのを感じたからである。

ついでに自分の見る目にも自信がなくなっていた。

更に言えば、マリアンヌが他の異性に身体や唇を許していたのも許しがたい事実として圧し掛かっていた。


「……騙されていたんですね、僕達は……」


力なくぽつりと言ったのはイザイアだ。

法王の息子とはいえ、伯爵家であり、婚約者のナタリア・リンゼイは侯爵家の令嬢だ。

彼女も昨日、婚約解消を願って会場を後にしていた。

今まで地味に装っていたのでロドリックの印象は薄かったが、昨日は清楚な水色のドレスに身を包んだ白銀の髪の美しい少女だった。


「彼女のエスコートはしなかったのか……?」


ロドリックの問いかけに、イザイアは苦笑する。


「しませんでしたよ。マリアンヌにどうしても側に居てほしいと乞われてましたので。マリアンヌと仲良くなってからは一度も。それに彼女にドレスも贈ってなかったので、夜会に参加すらしていなかったと思います」


家柄が良いからって下に見るのは違うわ、釣り合わないのは彼女の方よ、貴方の方がずっと素敵だもの、とマリアンヌが言った言葉がイザイアの頭を過ぎる。

だが、冷静になって思い返してみれば、ナタリアが身分を鼻にかけることは一度も無かった。

イザイアの美しい容姿を褒めることもなければ、擦り寄ってくることもなかった。


(だけど、それが最初は新鮮で、心地よかったのではなかったか)


遠い日を思うように、イザイアは窓の外を見た。

清廉で慎ましい彼女に、愛情を表現してほしい、嫉妬してほしいと思ったのか、何故マリアンヌを愛したのか、そもそも愛だったのかも分からない。


「ただ、言えるのは、僕達は皆間違えたという事です」


その言葉に沈黙が降りたが、その場に居る誰も否定は出来なかった。

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