新入部員騒動があってから、梅雨もそこそこに夏が始まった。

「あっちぃ……。」

 夏。シノはこれが凄く嫌いだ。何せ、文芸部の部室には――エアコンが無いのだ。

「……駄目だ死ぬこれ。」

 いつも下ろしっぱなしの癖のある黒髪を、暑さ故にを高めに括って、首に垂れた汗を拭う。とうとう送られてくる風がそよ風にも満たなくなった扇風機を睨み付け、括っていた髪を下ろしてから立ち上がると、シノは図書室に向かった。

『何かねぇ、みんなプールサイドに座ってさ。足濡らしながら授業受けるの流行ってるみたいでさ。私も誘われたから行ってくるね。』

 朝方、莉羅りらが嬉しそうに言っていた言葉が脳裏に浮かぶ。この頃はプール開きが行われて、生徒たちが自由に行き来できるようになっている。本当に一瞬だけ莉羅が居るプールへ行くか迷ったが――直ぐに結論が出た。

「いや、阿保くせぇ。」

 パソコン水没させたらどうすんだよ。というか何故進んで日の下に出ようとしてんだよ。馬鹿だろ。という偉く捻くれた考えのもと、シノは冷を取りに図書室へと向かった。

「失礼します……。」

「あ、シノちゃん。」

 図書館司書の小鳥遊たかなし涼香りょうかが嬉しそうな顔をしながら、カウンターの中からシノに手を振った。シノは軽く会釈を返してカウンターに近づいて、中に入った。涼香も拒むことなく、当たり前の様に微笑むだけ。というのも、シノが文芸部を立ち上げる前はこうしてよく、涼香の手伝いをすることが多かったからだ。シノは今更気づいた様に黒い長袖のパーカーを脱いで畳んだ。それをつぶさに見ながら、涼香が口を開く。

「久しぶりじゃない?あぁ、倉庫はどう?」

「暑すぎて死にそうです。何ですかあのサウナみたいな部屋。」

「はは、やっぱそうだよねぇ。私も絶対夏は行かない様にしてるから。」

 ベージュ色の髪を緩い1本の3つ編みにして、パステルカラーのワンピースとカーディガンを羽織った、何処をどう取っても優しそうな涼香の事を、シノは殺意ともとれる感情の籠った眼で睨んだ。

「何で……何であそこエアコン無いんですか。それ以外は好条件なのに。」

「そうだよねぇ、先生方がケチってるんだよねぇ。」

 そんな殺意をものともせず、涼香はおっとりとした口調で言った。シノは涼香の後ろの方にあった丸椅子に座ると、軽く溜め息をついた。それから、部室から持ってきていた自前のパソコンを開く。

「あれ、学校の奴はどうしたの?」

「もう今日分の課題終わったので。娯楽に勤しもうかと。」

「へぇえ、シノちゃんって頭良いよねぇ。」

「そうですかね。」

 朝、生徒が持っている学校支給のパソコンに、1日分の課題が送られてくる。それをこなすことによって成績に入るわけだ。最近は夏休み前であることもあり、ほとんどがレポートなどではなく、プリントなどの簡単なものが多い。パスワードを打ち込んでいると、涼香がカウンターに突っ伏して溜め息を付いた。

「……もう、運動部ってどうしてこうもお金の使いが荒いのかしら。」

「どうしたんですか急に。」

「いやさぁ、何か唐突に部活動の総括任されちゃって。部費の管理とか、日程の調整とか、こういうの司書にやらせないのが普通なのにさぁ。」

「へぇ……。」

 シノは涼香のパソコンの画面を覗いていたが、ゆっくりと目線を涼香に移した。それから嫌そうな顔をする。

「……シノちゃん。助けて。」

 縋る様な目で見てくる涼香。シノは軽い溜め息をついて、椅子を涼香の隣に移動させてマウスを奪い取ると、かなりの速さで操作し始めた。

「……おぉ、やっぱり頼りになるねぇ。また頼んじゃおうかな。」

「いや頑張って下さいよ。」

 それから5分ほどして涼香のパソコンの画面には、バランスよく振り分けられた各部活動に対しての活動費が表にまとめられていた。シノは椅子をもとの場所に戻すと、自分のパソコンを開いてブログサイトを起動させる。チャット欄に目を泳がせて、少しだけ目を細めた。

「……居るな。」

 シノは最近ブログサイトで繋がった、〈しま〉というユーザーがオンライン表示であるのを見て、チャット欄にとんだ。

「……おやぁ、シノちゃん。新しいネットの方?」

「何勝手に見てるんですか。そうですけど。」

「ふぅん、男の子かな?」

「まぁ、恐らく。」

「ははぁ、シノちゃんモテるねぇ。」

「……眼科行って来たらどうですか。」

 ニコニコと嬉しそうに笑う涼香を横目に、シノはキーボードの上でカタカタと指を動かした。

『よっす』

――『珍し。なに、学校サボったのお前。』

『違うわ。授業無くて暇だったから。』

――『なんか本当望月って変わってんだな。』

『まぁ、自由で良いぜ。』

『お前は何。サボり?』

――『違いますー。今日は振替で休みですー。』

『地味にウザいの辞めてくれ。』

 至極どうでも良いことをやりとりしていると不意に涼香が立ち上がった。

「シノちゃん、カウンター任せても良いかな。」

「良いですけど、何処行くんですか。」

「ちょっと職員室まで。30分ぐらいで戻るよ。」

「分かりました。」

 シノはまた目線をパソコンに戻した。それからチャットを続けていると、カウンターに人の気配があった。目線だけ正面に向けると、そこには黎介れいすけが困り顔で立っていた。

「何してんのシノ。」

「ネッ友と喋ってる。」

「へぇえ。」

「なんかあったか。」

 黎介は長めの前髪をかき上げて額の汗を拭うと、少しだけ微笑んだ。それからカウンターに正面からもたれかかってシノに近づいた。

「……どうしたんだよ。」

「いやぁ……部室が大変なことになってるからさ。」

「あぁ、あの極暑疑似サウナ状態のことか?」

「何それ。あー、まぁそれもあるんだけど。――これ。」

「……果たし状?」

丁寧な白い縦長の封筒に、恐らく筆ペンで書いたであろう達筆な4文字。――果たし状、と書かれたそれを右手に持つ黎介は、絵に描いた様な困り顔になっていた。

「これ……何処にあったんだ?」

「部室。テーブルの上に置かれてた。」

「というかお前、部室に何か用でもあったのかよ。」

「あぁ、本忘れてたから取りに行ったの。……まさかとは思うけどシノ、そのカッコで部室にずっと居たんじゃないよね?」

「ん、いや。午前中だけだ。昼食べた後は流石に暑くて居られなかった。」

「へぇ……。ん、ということは午前中は居たってこと……。はっ、馬鹿なの⁉」

「……うるせぇよ。図書館で大きな声出すな。」

 シノは男子用の制服に、黒いパーカーを羽織っているのがデフォルトだ。夏はパーカーを脱いだり、袖を捲り上げたりしているのだが、インナーとしてきているのが黒いハイネックなので、基本的にいつでもクソ暑そうな恰好をしている。それを踏まえた上で、黎介は心底呆れた顔になった。

「ねぇ、シノ。さっき携帯で確認したんだけど、あそこ普通に36℃あったよ?」

「……え、室温か?」

「そう、室温。多分午前からそんなに変わってない。」

「……あれ、もしかしてもう私は死んでいるのか?」

「そうであってもおかしくないね……。こわ。」

 シノは膝の上で畳んで置いていた黒いパーカーをゆっくりと見た。流石に午前中これを着た状態で部室に居たなんて言ったら、黎介に殺されるだろう。

「で、これ。開けてみようよ。」

「まだお前も中は見て無いのか?」

「うん。一応報告しとこうと思って。」

 そう言いながら封をべリベリ破く黎介。シノは中身が破れないか心配になりながらもそれを見ている。中からは1枚の便箋が出てきた。黎介は封筒をシノに渡して便箋を開く。シノは上側がビリビリになったソレを訝しむ様な目で見ながら裏を見た。と同時に黎介が便箋の内容を読み上げていく。

「文芸部の皆さんへ。

 こんにちは、毎日暑いですね。文芸部の皆さんも、屋内での活動とは言え、体調はいかがでしょうか。

 さて、本題に入りますが、今年新入部員が報告されていなかった部活は1つだけでした。そうです、文芸部さんだけです。この様な事態に何故なったのかは知る由もありませんが、このままだと部費の削減が考えられますので、新入部員の勧誘を強くお勧めいたします。

 ですが恐らく文芸部さんの事、意地でもやらないのかと思いますので、こちらでとあるクイズをご用意させて頂きました。次の暗号を解かれて、この果たし状の送り主に辿り着いて頂ければ新入部員についてのお咎めは無しに致します。また、辿り着く速さによりましては、文芸部さん方の願いを望月校総出で叶えさせていただきます。 では、検討をお祈りしています。」

 黎介はそれを読んだ後、少し便箋を睨んでからシノに渡した。シノはそれを受け取り、黎介に封筒を返す。便箋の1番最後には短く文章が書かれていた。

『鷹の居ぬ間に遊びませ。』 

「……鷹の居ぬ間。」

「何のこと?これ。」

 黎介は首を傾げてシノを見た。シノは少しの間考えていたが、ニヤリと笑って黎介を見上げる。

「黎介、鷹が居ない状況を喜ぶ動物はなんだ?」

「喜ぶ?えぇ……、兎とか、鳥とか?」

「案外良い所突くな。それが遊ぶんだ。字に直してみろ。」

 シノはもう興味が薄れたらしく、後はお前がどうにかしろと言わんばかりに黎介に便箋を返した。パソコンの電源を落として、今度は読書をし始めるシノ。黎介は不満を漏らしながら便箋に向き直る。それから5分、10分と経過していく。

「……だぁっ!もう、ギブ!ギブギブギブギブ!」

「はぁ、うるさい黎介。」

「逆にさぁ、なんでシノは分かる訳?意味不明にも程があるんだけど。」

 シノは読んでいた文庫本を閉じて、カウンターの1番正面の、いつもは司書である涼香が座っている椅子に腰を下ろすと、ゆったりとした動作で足を組んだ。黎介はカウンターの向こう側で、シノの一連の動作をただ見ていた。

「この暗号、最大のヒントは『鷹』だ。」

「タカ?」

「『鷹』が居ない状況下で遊ぶ動物は、さっきお前が言った様な小動物だ。」

「それでも範囲が広いよ?」

「あぁそれはだな……この場合、鳥、ひいては小鳥が正解になる。」

「小鳥?え、なんで?」

「まぁそれは、そう考えると辻褄が合うからだな。小鳥は、鷹が居ない間は遊ぶことができる、という訳になるんだ。これを文字に直す。」

「文字に直す……、小鳥が遊ぶ?」

「小鳥が遊ぶ。それを更に縮めるとだ。」

 シノはボールペンを取り出して、暗号の書かれた便箋の1番下に3文字の漢字を書いた。

「――小鳥遊、になる。」

「あぁ、なるほどー。」

 黎介はシノが書いたその苗字を見て、納得した様に頷いた。それからシノを見て、したり顔になったかと思うと、1人の名前を告げた。

「じゃあ送り主は、小鳥遊――小鳥遊涼香センセ。」

「そういう事だな。」

 果たし状の中で「願いを叶える」という大口を叩けたのは、送り主である涼香が部活についての全ての権限を持っていたからか、とシノは自分の中で結論を出してから黎介に便箋を返した。黎介はそれを封筒の中に戻すと、また本を読み始めたシノの事を不服そうな目でねめつけた。

「……何でそんな怖い顔で見られなきゃいけないんだ。」

「俺1人だけクソ暑い校舎内に放り出すつもり?」

「はぁ?職員室まで行って小鳥遊先生探して詰め寄るだけだろ?大して時間もかからないし、それに私が同行する意味が無い。」

「1人だけ涼しい思いをされるおつもりかい、って言ってんだけど?」

「……はいはい。分かりましたよ。付いて行きます。お供させて下さい。」

「うむ、素直でよろしい。」

「……ちっ。」

「え、シノさん?今舌打ちしました?え?」

「してない。うるさい。行くぞ。」

 それから馬鹿かと思うほどに暑苦しい校内を練り歩いて、結局涼香が居たのは――件の極暑蒸し風呂サウナ状態になっている、文芸部部室の図書倉庫だった。

「……小鳥遊センセ?」

「……。」

 いつからそこに居たのかも分からないぐらいに汗だくな上、カーディガンを着たままの涼香。いつもの優し気な笑顔を張り付けたまま微動だにしないその姿に、本気で驚いた黎介が恐る恐る名前を読んだが、返答がない。シノは今日1番深い溜め息をついた。暑い廊下からクソ暑い部室に入って、涼香の前に立つと、顔のすぐ近くで思い切り手を叩いた。パチン、という軽快な音がして、涼香の体がビクリと跳ねた。

「ふえ、へ?あれ?――わぁ、シノちゃんと黎介君。いつ来たの?」

「つい今しがたです。……大丈夫ですか、というかいつから居たんですか。」

「んー……シノちゃんとネッ友さんの話した後からここに居たから……。」

「馬鹿ですかアンタ。」

「え、酷いなぁ。」

「はぁ……とりあえず図書室戻りますよ。黎介、そっちから支えろ。」

「うーい。……わ、小鳥遊センセめちゃくちゃ熱い。ほんとに大丈夫?これ。」

「大丈夫じゃない。最悪脳まで沸いてる可能性がある。……もとからか。」

「あれぇシノちゃん。悪意は隠す努力ぐらいはして欲しいなぁ。」

「ん?何のことだい小鳥遊先生。熱中症でやられたみたいだな。色々と。」

「はは、やっぱり君のそういうとこ面白くて好きだよ。」

 そう言って涼香は、シノと黎介に引きずられながら図書室に戻された。


「――ん……。」

「あ、起きた。」

 涼香が起きて直ぐに、目の前に黎介の顔が飛び込んできた。少し面食らってからゆっくり体を起こすと、黎介が涼香の体を支えて座らせた。

「シノー。センセ起きた。」

「ん、分かった。」

 図書室のカウンターの中。シノが座っていた丸椅子の隣にあった、埃をかぶっていた長椅子に涼香は寝かされていた。勿論軽い掃除がされていて、かなり快適な環境で眠っていたらしい。

「ごめんねぇ。2人は直ぐあそこに来るかと思ってたから。」

「いや、誰も進んであんな暑い所最初に行こうとは思いませんよ。」

 黎介が苦笑いで涼香を見る。涼香は少し照れた様に笑った。シノがゆっくりと涼香の目の前にあの果たし状を突き出す。

「あ。やっぱりもう解けたんだね。」

「えぇ。という訳なので。」

 シノはもう片方の手に持っていた新しい手紙を涼香に渡した。涼香はその封をゆっくりと開けて、中身に目を通した。

「……はは、やっぱりこういうところが君らしいね。」

「お褒め頂き光栄ですね。」

 シノは、まるで思っていなさそうな顔でそんな台詞を抜かした。涼香はニッコリと嬉しそうに笑って、シノを見上げる。

「私の負けです。ふふ、ありがとうシノちゃん。楽しかった。」

「はぁ、良く分かりませんが、それなら良かったです。」

 黎介は涼香から手紙を貸してもらい、文面を呟くように読んだ。

「……小鳥遊涼香様。

 あなたがお察しの通り、文芸部は新入生を入れるつもりは毛頭ありません。

よってこの暗号を解き、あなたが提示したクイズに正解したという事で条件一致により、「望月校総出で文芸部の願いを叶える」という代償を手に入れる権利を得ましたので、書面にてご報告を。

 なお、文芸部からの願いは「部室である図書準備室にエアコンを設置する」というもので宜しくお願い致します。現状、教師が1人熱中症になった上に、夏場と冬場の活動が困難になりますので、早急の設置を要求致します。

 これによって、あなたの果たし状の効果はここまでとなります。ありがとうございました。」

 懇切丁寧な文章に、お手本の様な綺麗な字。黎介は今目の前に居る、この目付きの悪い奴がこれを書いたという事を少し受け入れられなかったが、シノが横目で睨んできた様に思えたために考えを改めた。

「まぁ、こちらこそ楽しかったです。久しぶりに頭を使いました。」

「はは、またご冗談を。簡単だったでしょ?」

「えぇ。」

 シノは口角をいつもの笑顔より少しだけ上げて微笑んだ。涼香はそれを見て一瞬だけ驚いたが、ニッコリと笑ってから目を閉じた。また眠ってしまったらしい。

「ふぅ……。」

 その時にシノの体から力が抜けたのが見て取れた。その場で軽く体を伸ばしながら首を鳴らすシノを見ながら、黎介は手紙を封筒にゆっくりと戻した。

「……シノ。」

「あ?」

無言で満面の笑みを浮かべて、手を出す黎介。シノは一瞬理解が出来ないという顔になったが、直ぐにその手を叩いてハイタッチをした。

「いやぁ、部室にクーラー付いたのは嬉しいね……。よくやったシノ。」

「お前が私に対して何目線で話をしているのかが知れないが、これは確かに祝杯ものだな。」

 シノは脳裏に、莉羅が驚く顔を浮かべて少し微笑んだ。黎介はただ嬉しそうに鼻歌を歌った。


「……で、部室にエアコンが付いたと。」

「まぁそういう事ですね。」

 その日の放課後、事の顛末を杏平に説明しに行ったシノは話しながら、終始嬉しそうな顔をしていた。

「へぇ……良かったね。」

「えぇ。良かったです。」

 杏平は、顧問である自分が置いてけぼりで色々進むことに若干の悲しさを覚えていたが、それでも、部長のシノがここまで嬉しそうにしているのを初めて見たことに驚いていた。相変わらず部活動日誌はありきたりな事が書かれている。杏平はまた当然のごとくシノを靴箱へと送るために立ち上がった。

「あ、そうだ弓塚さん。」

「はい?」

「今日は花火大会らしいよ。」

「へぇ、そうなんですね。……円先生見に行くんですか?」

「んー、見回りはあるかもね。弓塚さんは?」

「家から見えるので行きませんね。暑いし。」

「確かにね。……じゃ、また週明けね。」

「えぇ、どうも。」

 シノはいつも通り暗くなった空を見ながら校門から出てきた。いつもなら1人なのだが、今日は珍しく黎介が待っていた。

「どうかしたか。」

「いや、せっかくだから待とうかなって。今日は莉羅、委員会終わってそんまま帰ったみたいだし。」

「あぁ、お前らいつも一緒に帰ってんだっけか。」

「まぁね。シノ出てくんの遅いんだもん。」

「仕方ないだろ。これでも部長なんだから。」

「はは、そうだね。」

 軽口を叩きながら、シノは暗い道を黎介と歩いていた。途中で黎介は家族と合流して花火大会を見に行ったため、直ぐにシノは1人になった。

「……あー疲れたー。」

 家に着いて、制服から部屋着に着替える。ゲームをしようかと思ったが、杏平と黎介が言っていた花火大会を思い出したため、パソコンを閉じた。

「……せっかくだし。」

 小さめの盆に冷たく冷やした麦茶と、親戚からお中元で送られてきていた水ようかんを乗せて縁側に運んだ。それから、小さく残っていた蚊取り線香に火をつけて盆に押し込む。全部準備し終えてから縁側に腰を下ろして、花火が上がるのを待っていた。ぼんやりしていると、正面にある花壇から何種類かの虫の鳴き声が聞こえた。もう季節は秋に片足突っ込んでんのか、何て思っている時だった。唐突にシノの携帯が鳴った。盆の傍に放っていた携帯の画面には――『天野あまの凛子りこ』という表示が光る。シノは少し取るか迷って、携帯を持ち上げて、応答ボタンをゆっくり押した。

――『――やぁ。』

「番号間違えてるんじゃないか?」

――『いや、私は確かに「ピアス野郎」で登録した君の番号に掛けたけど?』

「いい加減その呼び方やめろよ。」

――『じゃあ私の事を駒って呼ぶのもやめてくれない?』

「お前は自分の名前も忘れたのか。あのりだろ?」

――『それ以前に凛子っていう名前があるんですー。』

「お前の可愛い黎介っていう友達が付けてくれたあだ名だぜ?」

――『黎介もセンスが無いっていうかなぁ。もっと他にあるでしょ。』

「はは、案外呼びやすいんだなこれが。」

――『嫌なあだ名だよ本当。』

「――で、何か用か?」

――『つれないなぁ。用が無いと電話しちゃいけないの?』

「いや、お前から掛けるなんて珍しいなと思っただけだ。」

――『ふふ、まぁね。今日そっちは花火大会でしょ?どうせ君は1人なんだろうなって思って。揶揄いのお電話ですよ。』

「はぁ、また趣味が悪いな。」

――『否定しないんだね。』

「事実だからな。だがまぁ――私と縁を切りたいって言って上京した奴が、そんな理由で唐突に電話を掛けてきたのかと思うと泣けてくる。」

――『うるさいなぁシノちゃん。久しぶりに掛けたら更生してないかなー、って思ったんだけど。』

「やかましい。――そういや新天地で友達はできたのか?」

――『はは、台詞が親みたい。』

「嫌なこった。そんなのは願い下げだ。」

――『それはこっちもだからね?あー、友達なら一応できたよ。』

「ふぅん。一応ね。」

――『しましま君、っていう同じクラスの人。』

「……ついに存在しない何かを友達って言いだしたのか、お前。」

――『違うったら!私が勝手にそう呼んでるだけ。』

「センス……。」

――『ひっどー。その人、苗字がマジマって言ってさ。あ、間に縞々の縞で、間縞。だからしましま、ってこと。』

「あぁ、なるほどな。随分洒落た苗字だな。」

――『だよねぇ。今のところはその人が1番仲良いよ。シノちゃんと同じノリで話せる人だから凄い面白いし。』

「……はぁ、多分私はその人と仲良くなれるだろうな。可哀想な事よ。」

――『なんか遠回しに失礼な事言ってない?』

「な訳ない。まぁ、お前が相変わらずそうで安心したよ。」

――『はは、そりゃどうも。黎介とか、莉羅ちゃんとかは今一緒に居ないの?』

「あぁ。花火を会場で見るらしい。屋台とかも周るとか何とか。」

――『えぇー、行きなよシノちゃん。夏祭りの屋台巡るのって凄い楽しいんだよ?』

「え、お前行ったのか?あんなクソ暑くて人だらけの所に?」

――『……くっ、あはははははっ!』

「……なんだ。怖いぞ。」

――『いや、いや。案外本当に、君としましま君は気が合うかもなって思ってさ。』

「はぁ。……まぁ、花火は家から見えるから行く意味がねぇんだよ。」

――『確かにね。つか、シノちゃんまだあのお家住んでんだ。』

「ここ以外いけるとこが無いんだよ。上京したくもないし。」

――『へぇー。その内こっち遊びにおいでよ。』

「あぁー……。まぁ、行ったとしてもお前には言わない。」

――『なぁんで。』

「面倒臭い。」

――『薄情な。』

「まぁ、お前が行った学校に私のネッ友も通っているらしいからな。オフ会がてら冷やかしに行くかもしれない。」

――『え、マジで?凄いねそれ。』

「教えないけどな。絶対。お前の顔だけは拝むことなく行って帰ってくる。」

――『はは、なにそれ。』

 そんな下らないことを話しているうちに、1発目の花火が上がった。シノの目に赤い光が飛びこんでくる。眩しさに目を細めながらも感嘆の声を上げた。

「……おぉ。」

――『上がった?』

「上がった。今年は何かデカいな。」

――『ふぅん。そういえば私も花火最近見たんだよね。』

「そっちの夏祭りは少し早いんだな。」

――『まぁね。すっごい綺麗だったよ。』

「へぇ。」

 電話越しに新天地の様子をとめどなく話す自分の親友(という名の何か)に、シノは自然と口角を吊り上げていた。

「……なぁ、駒。」

――『だから私は天野凛子だってば。』

「悪い、癖で。」

――『酷いなぁ。……で。何?』

「お前はいつもお前であれよ。」

――『はぁ、そう?言われなくともそのつもりだけど。』

「ならいいんだ。それと……あんまりその、しましま君とやらを泣かせるなよ。」

――『大丈夫だよ。強いから。』

「……本当に可哀想な人だな。」


 夏が始まり、8月も下り坂に差し掛かってやっと望月学園は長期休みに入った。全国的な夏休みよりも始まるのも終わるのも遅いという休み。まぁ、日数的には大して変わらない。文芸部はその長期休みで1泊2日の課外活動、という名の旅行をしてきたのだが――道中の空席だらけの電車の中で、3人は気ままに喋っていた。

「――ふふ、ねねぇ、シノ。」

「あ?」

「久しぶりに俺らの事見たら、コマッチ何て言うのかな。」

「……帰れ、って言うんじゃねぇか。」

「流石にそれは……、って思ったけどありそうだね……。」

「莉羅は歓迎されるとして、俺はわかんないけど、シノはどうだろうね。」

「さぁな。まぁ私はアイツに会うためにここまで来たんじゃねぇからな。」

「あぁ、オフ会するんだっけ?今日会うの?」

「その予定だ。……駅で待ってくれてるとか、何とかだけど。」

「へぇ、良いね。とりあえずその間に俺と莉羅で、コマッチに会いに行こうかな。」

「好きにしろ。……合流は夕方だったよな。」

「シノちゃん、宿の場所忘れないでねー。ちゃんと時間までに来てよー。」

「分かってるったら。」

「自覚無いけど、シノちゃんほんとに方向音痴なんだから。気を付けてね?」

「はいはい。」

「……ねぇねぇ莉羅。」

「ん、どうかしたの?」

「シノがネッ友とオフ会しようとするのって、珍しくない?」

「あぁ、言われてみればそうだね。……上手くいくのかな。」

「どういう意味だ。」

「いや、違うよシノちゃん。決してコミュ障だからとかそういう訳では――。」

「……誤魔化すの下手過ぎるだろ莉羅。地味に傷つく。」

「ご、ごめん。」

「良いじゃん事実だし。」

「なっ……。」

「……黎介、言いたいことはそれだけか……?」

「わー、お助けをー。」

「死ね。」

「――うっ、ごはっ。」

「ちょっとシノちゃん!やめて!」

部室でのバカ騒ぎの時と、まるで変わることの無いテンションで事が進んでいた。シノは溜め息を付きながら、今しがた思い切り殴りつけたせいで目が虚ろになっている阿保面を見下した。莉羅はおろおろしながら黎介とシノを交互に見ている。

「おーい、黎介ー。」

 シノは棒読み口調で黎介に呼びかける。黎介は時折呻くだけだ。

「……へんじがない。ただのしかばねのようだ。」

「あぁ……シノちゃん……とうとうやっちゃった……。」

「……いや、生きてんだけど。」

「おぉ。そうか、ならもう1回死ぬか?」

「ちょ、シノちゃん!」


――まぁその課外活動がどうなったのかは、また別の話だ。

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人嫌いとメモワール 卯月ななし @Uduki-nanashi

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