【うそつき人形】と『舞台の少女』.2

 校庭から聞こえる、運動部生徒達の活気に満ちた声。斜陽に照らされる廊下に人の姿はなく。そう言えばあの日もこんな茜色の只中であったなと、うすらぼんやりと回想する。しながら、やはりと言うか。他人のコミュニティに介入するには不適当過ぎる自身という存在に思いを巡らせて、殆呆れに近い気疲れを感じる。我ながら、全くらしくない事を敢行したものである。


 村瀬、飯村、岩動さん…そして、八木。皆の顔を脳裏に浮かべながら、申し訳なさで息が詰まりそうになる。こんな顛末に陥らぬ様気を回してくれていたであろう八木と村瀬に対しては、一際。

 そう考えると、あのタイミングでの柴家竜胆介入は僥倖だったかもしれない。彼が大っぴらげに久世阿儀人を糾弾してくれなければ、それこそ村瀬辺りは最後まで俺の扱いに注意を払い続けなければならなかったであろうから。…タイミングは良かったのかもしれない。


 ——それと、もうひとつ。これが一番の僥倖だったのだが。柴家のお陰で、明確になった事実がある。


——詩ちゃん突き落としたのもこいつなんでしょ?なんのつもりか知らねーけど、一体どの面下げて入り込んできたんだか。なに?なんか弱みでも握られたの?——


 暗黙の内、話題に上らなかった事案が突如浮上した事に対しての油断。柴家の唐突な乱入。複合的な理由から、油断が生まれたのだろう。終始一貫して表立たなかった、明らかな動揺を見せた人物が、一人いた。


 直接的な何かなのか。それとも単純に事の重大性に対しての何らかの怯えなのかまではわからない。ただ少なくともあの瞬間、挙動に嘘が紛れ込んでいた。


「………」

 演劇部部員の中に、事件に関与している人間が存在する。荒唐無稽な自らの見立てが正しかった事を、しかし。誇るつもりには、到底ならなかった。

 願わくば、全ては妄想。三文小説が如き妄言ででっちあげ、全部久世阿儀人の思い過ごしであったならばどれ程良かったことか。既に消え失せた淡い期待を振り払う様歩を進める。

 叶わなかった事柄に執着している余暇などありはしない。今考えるべきは、そんなことではない。


 ——先程の顛末から、これ以上『久世阿儀人』として探りを入れるのは、まぁ無理だろう。ここから先は『嘘』を使っての調査が主体となる。となれば必然、これ以上演劇部と接点を持つ必要性は無い。

 知りたかったのはおおざっくりとした部内の人間関係。欲を言えば各人の挙動言動に内包される癖。幸いな事に、短時間ながら最小目標はクリア出来た。…これ以上の介入は、蛇足でしかないだろう。





「待って待って待って!」


 良く通る声。そこに含まれる切迫した感情を感じ取って、思わず足を止める。振り返ったその先に、八木詩葉の姿があった。

 見開かれた目。対して眉尻は下がり、一目見て、まるで泣く寸前の様な心許ない表情。差し込む茜に照らされたその顔は、苦しげに歪む表情を伴いながら、それでもやはりハッとするほどの綺麗さだった。

 肩は僅か以上に上下に揺れる。松葉杖を突き、思い通りに動かすことすらままならないその足で、退室したこの身を追いかけてきたのだろう。出来るだけ急いで、息まで切らしながら。

「あの、えと…」

 八木が口籠る。それもまた、致し方のない事だろう。


 柴家の糾弾に動揺こそすれど、あの瞬間、八木に驚愕の色は見受けられなかった。つまり、彼女はやはり知っていたのだ。久世阿儀人に纏わる、幾つかの不愉快な伝聞を。

 知って。知りながらそれでも、その事実をまるでおくびにも出さずに。不快感の一つも示さずに、関わってきたのだ。

 それが果たして善意なのか。それともよもや、なにかしらの責任感故なのかはわからない。ただ一つ確かなのは、そんな彼女の気遣いを利用して、彼女のコミュニティに接近を図ろうとした事実。そしてその果てに、それら一切の配慮を無碍にしてしまったという結果。


「悪かった」

「——え?」


 彼女がここにいる理由。それに思い至らぬ程には、いくらなんでも愚鈍ではない。責任を感じ、後を追いかけてきた彼女に手ずから口火を切らせるのはどうしたって憚られる。

 だから、こちらから。経緯は未だ不明瞭な、けれど確かな心遣いに対して謝罪を。併せて、彼女に伝える必要はないであろう…彼女の善意を体よく利用した事に対してのそれも含めて。

「こんな事になるんじゃないかってのは最初からわかってたし、もう少し考えて頼むべきだった。わざわざ案内してもらったのに、本当に申し訳ない」

 そう。これは初めから分かりきっていた顛末。故にここまでの推移は原則予定調和の内。

「演劇部にはもう近寄らない。今更俺が顔出して謝罪しても迷惑になるだろから、申し訳ないついでにそれだけ、岩動さん達にも伝えておいてくれると助かる。何から何まで迷惑かけっぱなしで申し訳ないけど、すまん」


 『嘘』を使って演劇部への介入を行うならば、『久世阿儀人』本人と演劇部の関与は薄いに越したことはない。これに関しては幸い、柴家のお陰で大部分既に完了している。とは言え、縁が残ればどんな機会にボロが出ないとも断言できない。不安要素を潰す意味でも、ここで八木との縁は完全に絶っておきたいところだ。最も、これについてもそれほど憂慮する話でもない。…そう考えると、いよいよ柴家には金一封でも贈呈して差し上げた方がよろしい様な気がしてきた。

「迷惑かけた。それじゃ」

 また、はない。踵を返し、その場を立ち去ろうとした背中に



「嫌だ!」



子供の駄々みたいな、抜けた言葉をぶつけられた。


「……嫌だ?」


 …これはちょっと、正直想定の外側の言葉だった。我ながら間抜けにも、鸚鵡返しに吐き出された言葉を口にしてしまう。

「——っ」

 続け様何かを言おうとして、八木が口を噤む。何かしら自身の内、吐き出す言葉を探している様子に。まるで無意味と思いながら、しかしそれでも馬鹿みたいに黙って、次の一言を待ってしまう。そんなこちらの姿に対してやがて、意を決した様に八木が言葉を。

「ごめん!!」

 泣き出す寸前の表情を伴った、簡潔な謝罪。彼女の善性を鑑みるに、ここまでは想定内。但し、その言葉の指し示すところ…理由は、俺の想像とは大きく乖離していた。


「中学の頃の話は、何が本当なのかわからないから何も言えなかった。けど、私を突き落としたのは久世君じゃないって、ちゃんとすぐに言わなきゃいけなかったのに…すぐに言葉が出なかった。ごめん、本当に、ごめんなさい」


 また、だ。

 ここまで来ると、もう耳を疑う事すら馬鹿らしいほど実直で、裏表の無い…根拠不明な確信。


「………聞いてもいいか?」

「…!なに?」


 理由のない事柄というのは、この世に極めて少ないと知っている。理由があって、動機があった、意味があって、意義があって。そうした諸々の源流の一切を喪失した信用、信頼、疑念、確信などとは、とんと出会った事がない。なんの根拠もないように思える何某かも、思い至れば納得できるだけの理由が存在するというのが常なのだろう。


「なんでそこまで俺じゃないって断言出来るんだ?根拠なんかどこにもない、ほとんど見ず知らずの俺が犯人じゃないって、どうしてずっと言い切り続けるんだ?」

 だから、聞いてみたくなった。どうしてもわからない、その理由。積み重ねられた信頼の一片もありはしない俺を、直向きに信頼するに至った、その理由を。彼女が一体、久世阿儀人に何を見出しているのかを。


「……それ、もしかして本気で言ってるの?」

 対する八木が、酷く不思議そうな表情を見せる。言葉に…我ながら間抜けだとは思いながら…小さく一つ頷いて見せる。


「んー」


 八木が少しだけ考えるフリをして。はっきりと。


「人を見る目には自信がありまして」


 強がった笑顔で一言。相変わらず何の理由にもなりはしない言葉を言ってのけた。

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