部室.3

「よし、じゃあ各員休憩!水分補給しっかりね」

 村瀬の号令に、場の空気が弛緩する。結局二十分近く黙々と続けられた筋トレの強度は本当に中々のもので、部員たちの額には大粒の汗が滲んでいた。悪く言うつもりはさらさら無いが、これは確かに何の見学をしに来たのかわからなくなりそうだ。

「いやぁ、ごめんね久世君。言葉通り退屈だったでしょう」

 そんな只中に同じく在って、さりとて息一つ乱さぬ辺りは流石と言うべきか。依然一切乱れる事なく凛と立つ村瀬の姿に、否定の色味を示してみせる。

「とんでもありません。ただ確かに、想像していた以上にハードな練習だったので、少し驚いています」

「あー、それ結構言われるんだよね。文化部ってイメージが強いからなのかな、結構ストイックでしょ」

言葉に頷く。華やかでありながらも豪快な笑顔がしかし、突如として意地悪めいた鈍い気配を纏う。

「うちの新米お姫様も随分面食らってたものね。誰とは言わないけれども」

「あれ、突如として矛先がこちらへ」

 八木がおどけてみせる。入部当初へばっていたと言うのは事実であったらしい。

 とはいえ、それらを咎めるわけでもなく。寧ろ気落ちする八木を慮ってか、敢えて茶化した口ぶりで言葉を紡ぐ村瀬の声色には、確かに労りの気配があった。故にそれを受け取る八木自身も変に謙るでもなく、少しばかりのドヤ顔を交えながら抗議の言を挙げる。

「最近は随分体力が付いてきたと自負しております」

「それは結構。腕立てでひちゃぶれてた頃が懐かしい事で」

…村瀬の方が数段上手だな、これは。八木が僅かばかり頬を羞恥に赤らめ、ばっとこっちを向き直る。

「最初!最初の頃だけだから!最近は本当にちゃんと出来る様になったんだよ!」

矛先を此方に向けるなよ。

「いやぁ、惜しかった。苦悶に歪む詩ちゃんの様を拝み損なってしまったね、久世君。いやぁ、残念だ」

ぺろんと舌を出して、村瀬が動物の様に浅く呼吸をする真似をしてみせる。煽り散らかすなこの人。

「そんななってないですよ!なってないからね!」

最早着火しそうな程に赤味を増した顔色で猛抗議する八木の姿を見て、村瀬が豪快に笑う。どうも、見かけよりも随分男前な方らしい。

「と。そう言えば一つ聞き忘れていた。久世君」

 未だ羞恥の気配を引き摺る八木を他所に、話題変えの言葉が向けられる。

「見学だけど、君は演劇部の中で何に興味があるんだい?演者か、それとも裏方?」


 予想外、とまでは言わないが。これは少しばかり自分の中で軽視していた事項であったため、返答迄の刹那に思考を要した。

 元より自身にそのつもりは全く無い。だが本来、部活動の見学を願い出る動機の根底には当然、自らが入部するか否かという選択が存在して然るべき。

「裏方です。ただ、先程申し上げました通りそもそもがズブの素人なもので、自分に何が出来るかがわからない様な有様ですが」

 しかしながら。自身の見学理由は、そうした一般的なものとは動機の源流が異なる。言ってしまえば、完全な冷やかしなのだ。そうと悟られてしまうのは話にならないが、さりとて自らの身に置き換えてやりたい事なんていうのは初めから何も無い。故に言葉はとにかく無難に、当たり障りのないものに終始する。


「え、キャストじゃないの?」

 …八木が口を挟んでくる。それも若干、驚いた様子で。なんでだよ。

「てっきり舞台にあがりたいんだと思ってた」

「一言たりともそんな事言ってないだろ。第一、人には向き不向きってのがあるんだよ」

「えー、一緒にキャストやろーよー」

 ダル絡みである。誰も彼もがそうひょいひょい人前に立てると思うなよ。

「自分の適性の種を早々に摘んでしまうのはあまり感心しないな。…というか私もてっきり演者志望だと思っていたよ」

 村瀬が八木に同調する。根拠が分からず眉を顰めるこちらの顔をじぃと見つめ、村瀬が顎に手をやり、考えている風な姿勢をつくる。

「顔立ちは良いし、声も良く通る。初見の人前で物怖じする様子も見受けられないし、自分で思っているよりも向いているんじゃないかな?」

「ありがとうございます。ですが申し訳ありません、やはり自分は裏方の仕事に興味がありますので」

 年長者の言葉を軽んじるつもりもないものの、そこはそれ。凝り固まった考え方を覆すだけの膂力が内在する訳でもなく、軽く頭を下げて話題を絶つ。

「そうか。まぁ確かに、表に立つ事だけが舞台ではないものね」

 上っ面などではなく、心底からそう思ってるからこそなのだろう。自身の言葉を真っ向から否定されて尚、村瀬に不快の兆しは一片も見受けられない。そんな様子に胸を撫で下ろしていると

「……やはり、すけべ」

苦言を呈された。だから、なんでだよ。

「けど、適正の花がどう咲くかは誰にも分からないのも確かだろうって事で…みんな、注目」

 ぱぱん、と。二度、高らかに打ち鳴らされた拍手の音を受けて、各々寛いでいた部員たちの目線が一点へと注がれる。全員分の視線を確認した後、村瀬が口を開く。

「やる事は変わらない…とは言っても余りにも普段通りというのも味気ない。今日は折角見学が来てくれてるし、少しばかり趣向を凝らそう。久々に〝ゲーム〟をやろうか」

 部員たちが俄かにざわめく。各々の表情に滲む感情は僅かな興奮、細やかな緊張…一貫性があまり見受けられ無い上〝ゲーム〟の詳細が分からない故、こちらとしては首を傾げる他ない。

 そんな疑念を…珍しく…八木が的確に解説してくれる。

「インプロ?だったっけ…テーマに沿って即興で演技するゲームがあるんだよ。公演が近付いてくるとその練習が優先になるからあんまりやらないらしいんだけど」

「なるほど…部員の方々に少し緊張してる感があるのはなんでなんだ?」

「緊張?あー…もしかしたら、だけど。ゲームでの出来が良かったりすると、思わぬ大抜擢があったりするからかも」

 抜き打ち、とまではいかないまでも。美味い配役を目指せる抜道の様な側面があると言う事だろうか。だとすれば彼等を覆うじんわりとした緊迫感にも合点がいく。


「見学者への解説ありがとう、詩ちゃん。それじゃあ今日の〝ゲーム〟は…あれにしようかな。〝好き嫌いゲーム〟」

 …の、割に随分とポップなネーミングだ。

 こちらの脱力を察してか、先ほどの八木の説明を村瀬が補足する。

側面がある事は否定しないけど、メインはあくまでも練習だからね。コミュニケーション力の向上プラス自然な演技力を鍛えるっていうのが主目的。だから出来るだけ肩肘張らず、リラックスして取り組んでもらうのが肝要なんだよ」

 …なるほど、と。何となく納得がいく。

 〝ゲーム〟自体、部員達は初体験という訳ではもちろんないのだろう。にも関わらず、各々の気配の温度感が明確に異なるのは、彼の訓練に対する習熟度に起因しているという事らしい。

 人前で臆さぬ事。

 評価に晒さられるを戸惑わぬ事。

 実際の経験数だけでは測れない…そうした、ある種の胆力の様なものを兼ね備えた者ほど、訓練への緊張は軽微であるのだろう。

 視線を軽く泳がせて、改めて各員の顔色を窺う。大部分はやはり緊張優位。岩動さんに至ってはその内にぶっ倒れるんじゃないかと心配になる程の様子である。…適正の花とは、とんだ脅し文句もあったものだ。

 一方明らかなまでに緊張の色が見えないのは、やはり村瀬と飯村。ここら辺はそもそも常の舞台でも主役級の配役をこなしている人材。流石と評するべきなのだろう。


 と。それともう一人。


「部長!私も参加したいです!」


 躍動感たっぷりに挙手。宣誓の如く名乗り上げる八木詩葉。興奮や期待など、ポジティブな気配を燦々と周囲にばら撒くその姿は、緊張などとは全く無縁の位置にあった。


 村瀬に刹那、逡巡の気配が漂う。負傷欠席者である八木を不用意に参加させる、その是非についてを自らに問うているらしい。だが、これもまたここまでのイメージ通り。いっそ豪胆なまでの快活さを以て、承諾は下される。

「まぁ、身体を使う内容でも無し、いいよ。折角だから参加していきな」

「やった!」

 楽しげである。なるほど、これは期待の星だ。……。……特段に深く考えていないだけの可能性がなくもない気はしなくもないが。


 ふと、八木の視線がこちらへ。不穏当かつ失礼千万な思考を透かされたかと一瞬身構える。勿論そんな筈もなく…だが、どこか悪戯っぽい、含みのある笑みを浮かべてくる。

「……なに」

 ……実の所、八木の表情の理由については若干察しがついている。やにわに否定したい心持ちこそあれどしかし、視線を戻した先の村瀬が、八木と同じ表情を浮かべてこちらを見ている辺り、嫌な予感が確信に近い質感を帯びるのを感じる。そして、次の村瀬の一言で


「さて、久世君。勿論君にも参加してもらうよ」


確信は現実へと変質する。


 …そう来るか。

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