部室.1
部室、という物とはほとほと縁遠い学生生活を送ってきた。こう言葉にすると、ある種の語弊を生みかねない為、予め訂正しておく。今まさに、そうした学生生活の只中にある、が正しい。巡り合わせか、多くの学生らが辿るであろう道筋を悉く踏み外しているあたり、中々に惨憺たる十代を過ごしている様な気分にならないでもない。
…巡り合わせの所為、は無理があるか。現実は単に、そうした道の一切を自ら拒み続けた…その積み重ねが顕現しただけの話なのだから。
校内にご大層な部室棟がある事は把握していたが、前述の理由故、自らそこに足を運ぶ機会というのはこれまでとんと無かった。基本自身の学生生活は自身の教室と特別教室、それと体育館と校庭のみで完結していた。そうした自らの身を置く環境起因と言うわけでもなし、単にこちら側からの見え方の問題ではあるのだろうけれど…周囲を行き交う生徒等の様子は、やはりどこか、常日頃教室で目の当たりにしているそれとは異なって見えた。活気や熱気…健全なエネルギーがそこかしこから熱風吹き荒ぶ様に荒れ狂うのを肌身に感じる。無論、全員が全員とはいかないのだろうが。
そんな生徒たちの目線が、往き違う度こちらへと向けられる。
一様に懐疑的。あるいは侮蔑、嫌悪の気配を伴いながら無遠慮に投げつけられるそれらは、情報としてしか理解していなかった事件の重大さを体感させるには余りある物だった。八木詩葉の校内での知名度を、自身は明らかに測り違えていたらしい。
入学して間も無いながら。八木詩葉が演劇部期待の星なんて大それた肩書を背負うに至ったきっかけは、春先のオリエンテーションでの事であった。
本来上級生が勧誘を目的として執り行う部活動紹介のその壇上に、既に演劇部入部を決めていたらしい八木詩葉が特例的に上がったのが事のきっかけ。簡単な自己紹介と、新入生目線での演劇部勧誘という中々斬新なアプローチの成果がどの程度であったかは定かで無いが、少なくとも…八木詩葉という特例が校内全域の注目を集める契機としては十二分であったのだろう。
そして。これは本当に、本当に何の他意もなく…まさしく字面の通り額面そのままの事実として。校内での知名度という一点において、久世阿儀人は八木詩葉と比肩している。勿論、大凡好まれざる感情の下ではあるのだが。
当事者は特例二人、被害者と加害者。
そんな二人が連れ立って歩いているのだから、それは周囲の眼差しが皆々疑心に染まるのも無理からぬもの。とは言えここ数日の内、そうして突き刺さる視線などにもいい加減慣れたもの。見る者の疑念を苛む事への申し訳なさこそ感じつつ、自身の思考はついに辿り着いたその先へと向かう。
「しつれいしまーす!」
活気ある声と共に、八木が扉を開け放つ。それはそうだろう。彼女にとっては正しくテリトリー、いっそ無遠慮にすら見えるほど無用心に室内へと進んでいく。
今更尻込みしても仕方ない。意を決して、その後に続く。
———
「おー、詩ちゃんおつかれー…す…」
広い室内には六名ほどの生徒。その視線が一斉に八木へと向けられる。そのうちの一人…ガタイの良い男子生徒が声を掛け…そして、押し黙る。
ほんの一瞬。瞬きよりも短いその間に、室内には異様な緊張が充満する。張り詰めた空気感の只中、水を打ったような静けさ。八木へと向けられていた全ての視線が、その後方に佇む異物…久世阿儀人へと向けられる。
男子生徒が四人。女子生徒が二人。素早く視線を振りその姿を確かめながら、出方を伺う。最悪、いきなり怒号が行き交っても仕方がなさそうな程に緊迫したその沈黙を、八木の朗らかな声が打ち破る。
「おつかれさまでっす!飯村先輩!見学者をつれてきました!」
…中々の強心臓をしてるじゃないか。
「……見学者?そいつが?」
飯村と呼ばれたガタイの良い生徒が、露骨に不審を顔に出す。これについては、もう本当に仕方がない事だと思いつつ、さりとてこちらとしても今更引くわけにも行かないわけで。膨張した不審感の際限が無くなるのを黙して待つならばいっそ、と。軽く背筋を正し、腰を折る。
「一年三組の久世阿儀人です。本日は演劇部活動見学を希望してきました。お邪魔にならない様にしますので、よろしくお願いします」
飯村が呆気に取られた風を見せる。周りの生徒たちも大体似た様なリアクションである。
…久世阿儀人の噂話を耳にしてるんなら、このテの挙動は想定していなかったはず。そもそも学生とは言え、彼らもある程度歳を重ねた真人間共。先回りで礼を尽くせば、衆人環視の渦中で真っ向から見学者を無下にもしにくいだろう。
この目論見は概ね成功し、突如混じり込んで来た異物を排斥したい気持ちは山々であろうに、各々がそれを言語化しあぐねていた。ここまでは予想通り。唯一その範疇から逸脱したものといえば
「え、凄い賢そうに話してる」
心底驚き…かつ、興味深そうな眼差しをこちらへ向けながら放たれた八木の言葉位のものか。要らん事を言うな。…というか馬鹿だと思われていたのか、俺。そっちのがしんどいわ。
飯村が周囲の生徒たちと目線を交わす。対応を決めあぐねているらしい。
本来的に本校の部活動見学に制限は存在しない。特殊な事例を除けば、この状況で久世阿儀人が排斥される道理はないのだが、勿論それは常ならばという前提条件ありきの話。彼らの心境を察するに、叩き出される可能性も否定はしきれない。こればかりは彼らの対応に任せるしかないのだが、さて…。
「良いじゃない、飯村君」
と。女生徒の一人がツカツカとこちらへと向かいながら口を開く。
鋭く伸びる吊り目に、高い目鼻立ち。系統はだいぶ異なるが、八木と同じく随分整った顔立ちの生徒の胸元へ、刹那視線を向ける。名札に書かれた苗字を確認し、気付かれぬ内に視線をその表情へと振り戻す。
「はじめまして、久世君。三年の村瀬です。今年度からこの部の部長を務めてるの。よろしくね」
にこりと。…真偽はさておき…表面上和かに自己紹介をしてくる。それに倣い、こちらももう一度頭を下げる。
「久世です。演劇についてはズブの素人なもので、この見学を通して少しでも理解を深められればと思っています。ご迷惑ではないでしょうか」
「迷惑だなんてとんでもない!今日は通常練習だから、見た目には地味な練習ばかりになってしまうかもだけど、それでも良ければ是非見学していって」
…これはちょっと予想外だ。ここまであっさり許可されるとは思っていなかった。
「おい、村瀬。いいのか、こいつは…」
飯村が村瀬の言葉に意を唱えるべく声をあげる。しかし、村瀬はといえばそんな飯村の言葉に耳を傾けるつもりは既にないらしい。
「ホントかどうかもわからない噂話を理由に、こんなに礼儀正しい子のお願いをだめです、とは言えないでしょう?面識はなかったけれど、少なくとももう私はこの子の事気に入ったもの…
言葉に。もう一人の女子生徒が、棚から一冊のファイルを取り出し、それを村瀬へと手渡す。
「見学者に記入してもらう決まりになってるんだ。お願いできるかな?」
断る理由は微塵もない。村瀬の気が変わる前に既成事実を作ってしまった方が良いだろう。
「勿論、わかりました」
ファイルを村瀬から受け取り、自身の名を記入し、矢継ぎ早村瀬へと返却する。
「へぇ、綺麗な字書くんだね。いいね、益々気に入ったよ」
「ありがとうございます」
言葉に頭を下げる。
「ちょっと待ってて。椅子持ってくるよ」
言いながら村瀬が部室の奥へと向かう。
「ね、ね」
と。隣からヒソヒソと八木が耳打ちを。
「部長すっごい綺麗でしょ。今度の舞台のヒロインも部長なんだよ」
言葉にふむ、と。
彼女からは外観の美しさに加えて、凛とした力強さを感じた。あの姿が舞台の上でどれほど映えるか、想像するのは酷く容易いものだった。
「確かに、そうだな」
特段の意識もなく、ただ歩くその姿を視線で追う。目線を惹きつける、というのはああした人種のためにある言葉なのだろう。
「………」
がすっ。
「んん?」
背中に軽い衝撃。見やれば八木の表情が険しい。…今度はなんだマジで。
「久世君」
「なに」
「…すけべ」
「えー……」
どうも怒られたらしい。ひどい言いがかりである。
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