【うそつき人形】と『舞台の少女』.2

———


「おはよっす」

「………」

 絶句。中々普通に生きている限り使う機会の乏しい言葉。指し示す意味がこれ程適切な場面というのも、そうそう無いのではなかろうか。

「…?お、は、よっす」

 無反応なこちらを訝しんだでもなかろうが。パタパタ手を振りながら、一語一語を強調しつつ再度呼びかけられる。

「……おっす」

 思う所がなくも無いが。それら一切はひとまず、挨拶を返さない理由にはならない。言いたい事の全部をとりあえず呑み込んで、軽く手を挙げて応える。

 言葉を受け。僅かな不審を含んでいた渋い表情を放り投げ、笑顔を浮かべる。そんな八木詩葉やぎうたはの姿に、最早溜息も出ない。だから、なぜ、いる。



———


「昨日は荷物ありがとね。いやー、助かっちゃいまして」

 たははと頭を掻く仕草をしながら、八木が頭を下げる。…その日の朝、俺が口にした言葉の一切をぶっちぎった事についての言及がない辺り、マジで人の話を聞いてやがらん奴である。

「…荷物持ち程度、気にするほどの話でもなし。別にいいって」

 さりとて。今更一度言った言葉をほじくり返すのも大人げなく思われたもので。話題の俎上に載せる事はしないでおく。


 …それと。

 或いは、あの会話の内容というのは…今この時点に於いては存外好都合かもしれない。加えて、この状況についてもまた同じく。但し、これらを有効活用する為には…久世阿儀人の自助努力が必須となる。


「……え、体調不良?」

「え」

 若干心配している風なその様子に。自身が想定していたより苦々しい表情をしていた事に気付く。

「罪でもおかしそうな顔をされておりましたわよ」

「さいですか…」

無茶苦茶言いやがる。だが、恐らくある程度的を得た表現なのではあろうと思う。…こちらの内心は正しくそんなところだから。

 葛藤。躊躇。大凡常ならば感じる事のない類の思考に具合が悪くなりそうになる。これなら脳死状態で退学勧告を受け入れた方がまだ気楽だった。勿論その選択肢は引き続き手札の一つとして残してある訳だが。


 現状の必須命題。自らのくだらぬ妄想が、文字通りの絵空事であるか…それとも忌むべき現実なのかの調査。その為には少なからず、演劇部という閉じたコミュニティに接近する必要がある。

 これに関して、違和感の一切を払拭する様な妙案は恐らく存在しない。タイミング、状況、そして人物。自然さを演出する要素は何一つ存在しない。これらの違和感を完全に排除するというのは、現実的ではない。

 とすれば、後はもう程度問題。どんな選択肢を選ぼうと拭えぬ猜疑の付き纏う事が前提ならば、より高効率な道筋を選び取るべきだ。べき、なのだが。

 その為には。現状唯一の取っ掛かりである八木詩葉との接点を増やす必要性が出てくる。



 …心底嫌だ。



「あー……」

 そもそも一体どうやって。

 先日から繰り返し認識しているところではあるが、改めて。八木詩葉と久世阿儀人に、共通項は存在しない。今回の一件がなければ、本来決して交わらない人種。そんなお互いが交わせる有意義な会話なんてものあるはずも無く。見切り発車で開いた口から漏れ出た声を、ええいままよと、力任せに言葉に変換する。




「どんなのやるんだ?その、舞台」


 …いやこれは地雷か?言った端から後悔の念に襲われる。だが


「——え、え。興味あるの?ねぇ!」

 驚いた様子も瞬きの時間。大きな目をこれでもかと輝かせながら、ずずいと身を乗り出して距離を一歩寄せてくる。

「おぉ、おう、まぁ、おう」

 半歩身を引きながら、吃りつつ応える。とりあえず、話題選びに関してはある程度の正解を引いたらしいので、その一点については安堵する。

「[グライダー]ってタイトルの舞台で、恋愛がテーマのお話なんだよ。昨日も申し上げました通り、ヒロインの恋敵役を勝ち取りました、わたくし」

「そらおめでとうございます…というかあまり聞き馴染みのないタイトルだな。有名な作品なのか?」

「有名ではないと思うよ。先輩が書いたお話だから」

「…ほぉ」

 舞台という界隈の事情について、自身は全く詳しくない。勝手なイメージで、原作ありきだと思っていたが、存外そんな事もないのだろうか。

「恋敵…って事は三角関係の恋愛ものなのか。健全な学生に演じさせるには幾分センシティブな気がするが…」

「偏見が重いって。内容はそうだけど、ドロっとしたお話じゃないんだよ。どちらかと言えば爽やか…カルピスソーダみたいな」

 商品イメージ損ないまくりだろ、それは。

「三角関係モノをカルピスソーダに例える奴初めて見たけど」

「いやホントに。久世君も話読んだら納得するって。うわ、カルピスソーダ!って」

 観劇感想が炭酸飲料って事あるのか。

「そしてわたくし、なんと、ヒロインの恋敵役を勝ち取ってございます」

「……………」

 え、マジでこれ何回言うんだコイツ。いくらなんでもしつけぇ。

「いやだから、おめでとうって言ってるじゃねーか。すごいすごい」

 八木の表情が若干厳しくなる。

「いやぁ、昨日からイマイチこの快挙が伝わっていない気がして…私が!いかに!すごい事を成し遂げたかと!言う事が!」

「わかった!わかったけど、だからわかんねーっつってんの!演劇の事も、演劇部の事も、八木が演じる役がどんなのかも知らねーもんよ」

 互いに存外声を荒げて…とまではいかないながらに、そこそこにはっきりと主張を放つ。

 当たり前だが、八木に対しての敵愾心の様なものは何一つない。しつこいとは感じつつ、言葉には何某か期待される返答があって、それに応えられていないのであろう事の裏返しであると理解は出来ている。

 だが、そんなこちらの心の内など、八木からしてみれば関係ない話。下手に機嫌を損ねてもつまらない。謝罪を挟もうと口を開きかけて

「それは確かに、そうなんだけど。なんだろ、あぁあ、歯がゆいぃ」

悶絶していらっしゃるその姿に、止めることにした。杞憂も杞憂であったらしい。

「いや、まぁ。競争がある只中で掴み取ったっていうなら、それは勿論もうそれだけですごい事だってのはわかってる…とまで無責任に言いやしないが、理解はしてるつもりだ」

 言い訳じみた此方の言い分に一定の理解は示しつつ、それでも尚やはり不服ではあるらしい。…既に多くの人間から一定以上の評価を勝ち得て尚、俺一人からの賞賛を今更求める理由がさっぱりわからん。表現を志し、そこに努力を重ねる人種というのはやはり、得てして承認欲求強めの傾向にあるのだろうか。…いや、これこそ偏見重めか。


 だが。これはやはり都合が良さそうだ。どちら道綱渡には変わりないが、根拠の一つもない中を突っ切って進むよりは、此方の心理的にもだいぶ楽だ。気づかれぬ様に軽く息をつく。

「…そしたら、って話でもないんだけど…」

「え?なになに?」

 先程までの渋い顔もどこへやら。弾ける様な笑顔を向けてくる。…初めて言葉を交わした日から気になっていたが、とにかく目まぐるしく表情の変わる奴である。

 …容姿で差別意識を持つほど下品な品性ではないつもりだが。それでも、対面で話をする場面に陥ると、思わずにはいられない。八木詩葉の面が、もう幾分美醜の醜に寄っていてくれれば、こんな不要な緊張も或いは抱かなくて済んだのではないだろうか、と。

「いや、無理なら構わないんだが…見学、とかって可能だったりするの、か?」

 八木が、キョトンとする。唐突な言葉の意味を理解しきれていないらしい。心底不思議そうに首を傾げた。

「見学って?ごめん、なんの?」

 ——絶妙に察しが悪い。ただ、要の伝える側たる俺の言葉自体が言葉たらずであった感は否めない。意を決して、もう少し噛み砕いて。

「演劇部の、練習とか、活動を、見学する事ができるのか、って話」



———

 部員名簿のお陰で所属生徒のクラス・氏名については全て確認が取れた。ただ案の定というか…全体の総数的には二年生以上の生徒の比率の方が圧倒的に高く、掲載情報だけで各人の人となりを調べる事は不可能。

 【嘘】は複数人を欺くのには向かない。マンツーで情報を聞き出すなら、対象が普段から信を置く人間に擬態しての情報収集が鉄板だが、上級生連中の交友関係がそもそもわからない以上この手はイマイチ旨くない。どう動くにしろ、彼らのテリトリー内に侵入しての調査は必要になってくる。

 真っ当に考えるなら現状、演劇部に所属している生徒連中が久世阿儀人に対して忌諱感を抱いている事は想像に難くない。脈絡なく立ち入ったとて、門前払いを喰らうのが関の山。

 故に、利用する。

 八木詩葉の善意につけ込む形での打診。拭えぬ違和感はそのままに、最大限自然な流れを演出できる唯一の取っ掛かり。

 つい今し方までの会話で、八木の内心にある程度の自己顕示欲がある事は確認が出来た。間隙を縫うなら、まずここだろう。


———


 数瞬、沈黙が流れる。

 …動くのを急ぎすぎたか。そもそも昨日の冷遇に続け様、此方の言い分はどう控えめに見積もっても都合が良すぎる。最悪、かなり手厳しく断られても仕方がない。その場合はまた別の方法を探すと「もちろん!もちろん!」



「……ん?」


 思考を断つ、威勢のいい声。

 見やれば八木が、大きく眼を見開いている。驚嘆と歓喜…その二つがない混ぜになった様な表情であった。


「なんだー!久世君演劇興味あったんなら先に言ってよー!ほら、昨日もちょっと誘おうかと思ったんだけど演劇の練習って横から見てると意外と地味だったりするから、興味ないのに引っ張ってっても申し訳ないかなーって思って!」

 身じろぐ。圧力が凄い。

「したら、今日放課後とか早速どう?予定は!?」

「予定は、ない、が」

 つつがなく。想定される最も高効率な筋を引いた…筈なのだが如何せんリアクションが想像の遥か上空を飛行していた為、ぶっちゃけそれどころではないのだが。

「そしたら放課後また声掛けるからね。とりあえず学校に行こうっ」

 パチンと会話を〆、ひょっこひょっこと歩き出す。…想定よりも自己顕示欲が強かったらしい。


 ——ともかく。一先ずこれで演劇部に接近する口実は出来た。部内での八木の立ち位置が不明瞭なだけに、どこまで探りを入れられるかは未だわからないが、それでも大きな前進である。


 とりあえず当座の目標は部内の人間の観察。並行して各々の人間関係の調査。

 言ったところで相手は学生。繊細な建前で相関図を書き換える程の小賢しさを誰も彼もが有しているとも思えない。八木詩葉に接続する対人関係、そこに現れる解れを見付けることが出来れば、或いは。


「———」


 自己嫌悪に蓋をする。

 今そんなものを感じたとて、意味はない。

 この嘘は、必要なものであるのだから。

 第一、この嘘が詳らかになるとして…状況次第だが、それもまた予定調和に過ぎないのだから。心を痛める事に意味はない。そんな動作に、意義はない。



 今考えるべき事はといえば。





 ばさり。




「…………」

「…………」



 どうやってコイツに、リュック通学を定着させるかくらいの話だろう。

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