調査.1…職員室にて

 八木詩葉は善い人間なのだと思う。

 久世阿儀人の無実を盲目的に信じている理由こそ結局分からず仕舞いだが…彼女は本気で、自身が信じたその真実を周囲にも認めさせ、ただの事実にしようと奮闘していた。

 いっそ辛辣なまでに突き放したこの身を、何故にあそこまで案じようとするのか…それはわからない。ただ一つ確かな事は、そんな彼女の気遣いが有り難くない訳がないと言う事。

 彼女の善意を受け取る資格は俺にはない。受け取れぬ以上、その心配りに返礼などしようがない。だからこそ、そもそもこの身に余る善意なんてものは仕舞い込んで、無関係な何者かのままでありたかった。そんな本心は、今もなんら変わりない。


 犯人探しの提案をされてから、考えていた事がある。すなわち、その犯人像について。

 学校なんてのは陸の孤島と変わらない。内外の世界は隔絶され、生徒たちは閉ざされたコミュニティの中で生活を送る。その代償としての庇護により、健全な環境を保障されている。そう容易く、外界からの侵入者など許される訳がない。

 ——犯人は九割九部学校内の人間。加えて極めて高確率で——八木と面識がある人間。


 想像力が欠如した、幼稚な学生。

 最初に思い浮かんだ犯人像は、そうしたものだった。本人としては悪ふざけのつもりが、思ったよりも事態が深刻化して名乗り出るにも出れなくなった…そんな人物像と顛末をぼんやりと思い描いていた。

 そうした人間が犯人ならば、当初の目論見通り…例えば久世阿儀人の退学なんていうのも一つ、抑止としては十全の効果が期待できるはずだ。欠如しているのは想像力であって、倫理観では無いはずだから。その擦り合わせもまた成長の一端ならば、起こしてしまった事実が無条件に許される訳でこそなくとも、過程そのものはある意味健全ですらあると思う。


 だが。欠けているのが想像力ではなく、倫理観であるならば。これは話が変わってくる。


 利己的に。

 恣意的に。

 主目的が別にあって、傷付ける事がその遂行の手段であったならば。恐らくそれは、極めてタチが悪い。何故なら、その動作には想像力が伴っているから。

 無論、結局のところその想像力は稚拙であり、正しく現実を推し量る尺度としては機能していないだろう。だが故にこそ。


 階段から落ちたとて大怪我をする事はないだろう、という想像力のなさと。という想像力は、大きく異なる意味合いを持つ。主に、内在する悪意において。



 現実は複雑だ。

 数多の人間が同一の時間の内を群がりながら…であるにも関わらず各々がそれぞれの意思で往来している。切り取った事実が脳裏を掠める妄想通りに推移するなら、この世界に警察はいらない。単純な事実一つの証左にすら、人は悪戦苦闘するのが常なのだ。

 だから。こんなものは妄想だ。ありえる訳がない。調べる意味なんてのは丸っ切りないし、そもそもそれを俺がやる必要なんてのはない。


—折角オーディションで勝ち取った役だもん。ちょっとした怪我ぐらいで諦めるなんて、やっぱり悔しいもん—



 有り得ぬ妄想。くだらぬ空想。だがもし万が一、億が一。脳裏によぎるこの絵空事が現実と遠くない場所にあると仮定した場合、考えられる、最悪。


 つまり、


 躊躇う。

 特別に何かを深く考えるでもなくここまで来て、次の一歩が憚られる。

 誰かに強要された話でもなし。いっそこのまま素知らぬ顔で立ち去って、明日以降も適当に話を合わせ、ほとぼりが冷めるのを待つ。はっきりと、それが一番正しいと思う。それ以外の道を選ぶ道理などは——



—だって久世君じゃないじゃん。絶っ対—



「……クソ」



 辿り着いた職員室前。音を立てぬ様に戸を僅か開け、室内を覗き見る。そもそもが人手不足…部活動も始まっているこの時分、職員室に滞留している教員の姿は見受けられなかった。これは正直予想外だったし、好都合だった。

 記憶を漁る。回想するのは入学直後の部活動オリエンテーション。各々の部活動の顧問紹介。演劇部の顧問は…。


「……足立教諭。二年四組の担任。デスクの位置は…」


 思い出せるだけの情報を思い出し、それらを何度か反芻する。そして意を決して、扉を開け放ち、室内へと侵入する。

 

 室内は事前の確認通り、無人。記憶を辿り足立教諭の職員机へと歩を進める。




 考えられる最悪。それは、犯人が演劇部の人間であるケース。とは言え、仮定の根拠はかなり弱い。

 入学から間も無い一年である八木が、凶行の引き金を引かすに足る程の恨みを今日までの短い期間で買うというのが、そも物理的に困難であるのでは無いかという点。同じ中学出身の人間も少なからず在学してはいるだろうが、そうした人間が環境が変わったばかりのこのタイミングで凶行に走るというのは…些か不自然な感は否めない。

 八木が実際にはとんでもない奴で、中学時代買った恨みを今日まで持ち越した、なんてのも考えたには考えたが。八木本人のプライベートに関して悪い噂というのはとんと聞いた事がないので、可能性としてはまぁ低いだろう。他校間とのトラブルという線も薄い様に思う。

 基本的には消去法の発想。こんな程度の根拠で嫌疑をかけられたとあっては、演劇部の連中もたまったものではないだろ。それは、俺も十分理解しているつもりだ。

 主目的は無実の証明。何事もないのだと言う事を確かめるための行動。だが、動作の起こりに際して一つ、大きな障害が立ちはだかる。…八木詩葉だ。

 演劇部の人間の中に犯人がいた場合。八木が受ける衝撃というものを、簡単に思い描く事は出来ない。青春の一端を強く傾けるその所在の只中に、自らを傷付ける事すら厭わない何者かが混在する。それを思い知らされる時が来たとして、その時の彼女の胸中なぞ…想像もしたくなかった。

 知人が犯人、と言うパターン自体は初めから想定していた。だからこそ、名乗り出る事がないのなら…それはそれで構わないと思っていた。

 だが、事情が少しばかり変わった。

 犯人が演劇部に在り、動機が、先に話題にあがった公演・オーディションと絡んだものであった場合。


 八木は、もう一度狙われる。

 それも、極めて近い将来。


 ——やっすいミステリーに感化されすぎだろ、と。自前の思考ながら、陳腐と断じて差し支えないその妄想に辟易する。そんな妄想を否定するための手掛かりを探しに来ているあたり、思考の主たる自身も大分ヤバいという自覚はある。

 だがもし。この妄想が正しかったとして。犯人探しは止めておこう、なんて悠長な事を言っている余裕はない。その後の処遇は一先ず棚上げに、その素性にだけは早急に辿り着いておく必要がある。それも誰よりも早く——最低でも八木よりも先に。



 ——そして。

 これは、幸か不幸かわからないが。


 真実へのショートカット。真相に至る迄の道筋の簡略化。常の人等には大凡不可能なそれらの術を、久世阿儀人は持っている。



 足立教諭のデスクを漁りながら、うんざりとした心持ちで眉を顰める。

 今更を使う事に、さしたる罪悪感がある訳でもない。忌むべき物だろうが、嫌悪される対象であろうが。利用できる内は利用すべきであると思うし、実際今日までそうしてきた。とはいえ、では能動的に『使いたいのか』と問われれば、勿論答えは否。職員室に足を踏み込むと決めた時点から腹は決めていたものの、使わずに済むようならそれに越したことはない。




「おい、なにしてるんだ」


 だが。そうもいかないのが世の常。

 侵入の際にしっかりと閉じたはずの扉を開け放ち。こちらの姿を確認するや…ここ数日ノイローゼになるほど目にした顔が。担当教諭が真っ直ぐにこちらへと視線を向けていた。


 …使わなくて済むなら、それに越したことはない。そう思った矢先にこんなだもんで、担当教諭の間の悪さに内心ごちる。尤も。彼には何の罪もないのではあるけれど。




 脳裏に言葉を。

 思い描いた紛いごとを言語化する。

 言語化された嘘を現実へと持ち出す。

 ぶつかった視線。混じり合ったその眼から流れ出す嘘が、担当教諭の現実を侵食する。



———





【立っていたのは、足立理沙だった】

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