道すがら—八木詩葉と日野速音

学校の生徒が、荷を持ち連れ立って廊下を歩く。何等変哲の無いありきたりな日常。全国津々浦々どこに行ったって見れる風景。とは言え。その道すがら、歩みを同じくする者共の間にこんなにも地獄の様な空気が漂っているのは、古今東西見回したとて恐らく此処の他にはないだろう。

「いやぁ、役立たずで申し訳ない」

 松葉杖を突きながら、運搬出来ない事を詫びる八木詩葉。その隣を徒手空拳…空手で歩く女子生徒。そんな二人を二、三歩後方から追従する、自分。腕の中には先程まで女子生徒が抱え込んでいた段ボールが。持ってみて改めて、これは女子供に持たせる重さではないなぁ、などと酷く他人事の様に考えてみる。実際のところ、そんなものは丸っ切り大した問題でもない訳だが。

 軽く視線を振り、女子生徒の表情を盗み見る。そこには様々な感情、思考が絡まり合っている様子がありありと浮かんでいた。一言で言い表すことは難しいが、しかし。困惑。混乱。そして…侮蔑と嫌悪。一つ間違いがないのは、それら一切が久世阿儀人に対して好意的なものではないと言うこと。

 責めたりごちたりするつもりは全く無い。女子生徒の反応は至極当たり前のものであるし、並び立たせてしまった事への申し訳なさやある種の同情こそあれ、こちらから向ける悪感情なんてのはまるで存在しない。だから、それは別に問題では無い。

 問題なのは。


「………おい」

 僅かに歩を早め、前方との距離を詰める。不自由さに敏捷性を奪われながら、それでも依然見た目軽やかに進む八木に耳打ちする。

「?」

歩みは止めず、軽く振り返りながら八木が不思議そうにこちらを見返す。その様子に、思わず顔が引き攣る。隣を歩く女子生徒の手前、大きな声を挙げるわけにもいかず。引き続きか細い声で抗議を。

「…朝俺の話ちゃんと聞いてた?」

「もちろん」

「…なんでこうなってんの?」

「…?」

 不思議そうにするな。

「…隣の子、仲良いんだろ?」

「はやちゃん?小学校から一緒だよ」

「見てみろ。あの苦虫味わい尽くしたみたいな地獄の様な表情を。あれを見てどう思う」

「………………お腹空いてるのかしら」

 駄目だこれは。根本的な認識の差異を感じる。最早溜息も出ない。


「…あのさ」

 ぴた、と。つつがなく進めていた歩みを唐突に止め、はやちゃんと呼ばれた女子生徒がついに…剣呑極まる視線をこちらへと突き刺しながら、口を開く。

「ウチら、なんでこの人に手伝ってもらってんの?」

 …大分言葉を選んでくれたものだ、と。内心で少々感心する。本来ならばもっと…筆舌に尽くしがたい罵詈雑言を投げ付けられても仕方ない身としては、申し訳なさすら感じてしまう。そんな女子生徒の言葉に、八木もまたその歩みを休め、視線を同じくこちらへ。ただし、その表情は女子生徒とは対照的にひどくあっけらかんとしたものではあったが。

「それはあれだよ、ほら…久世君暇だったから」

 断定された。間違ってはいないのだが。

「それに、はやちゃんには言ってなかったけど結構仲良いんだよ、私と久世君」

 『はやちゃん』の表情を、更なる険しさが彩る。恐ろしい程いらん事を言うな、こいつ。そしてマジで朝の話は何処へ吹き飛んでしまったのだろうか。

「………そうなの?」

 声色が一段低く、温度感を喪失する。問い掛けは八木ではなく、この身へとむけられていた。

「……どうなんでしょうか」

 正解が分からず、我ながら意味不明な問い返しが口を吐いた。当然、『はやちゃん』の表情はより一層の不信を湛える。いくら何でもその様子には気付いたらしい。八木がやや慌てた様子で取り繕おうとする。

「いやほんとに!つい最近仲良くなったんだよ!ね、久世君」

同意を求めるな。三者三様な気まずさと沈黙を破ったのは『はやちゃん』だった。

「だってコイツ、詩の事を——」



「はやちゃん」




 ほぼ怒号に近い響きを有した女子生徒の言い終わりを待たず、八木がその名を呼び、言葉を切らせる。

 続き放たれた言葉に。傍観者たるこちらですら、少なく無い驚愕を覚える。


「久世君は、違うよ」


 言葉はゆったりと、穏やかに。ただし、そこに疑念を挟み込む余地の一切を剥奪するに足る恐るべき圧力を孕んで、放たれる。


 その存在を知り。奇縁に依って邂逅し、幾つかの言葉を交わした今日まで。抱いていた印象を大きく覆すには十分すぎる、それはまるで別人の様な存在感を放つ言葉だった。

 この身を案じる余り滲み出していた、昨日までの弱さなどは一片も介在しない。気高く強く、揺るがぬ意志を感じさせる凛々しい響きの言葉。その言葉に、響きに。久しく身に覚えの無い、同世代の人間に対しての感情が湧き立つ。


「……ごめん。もう言わない」

 女子生徒に動揺の色はない。…八木のこうした姿を目の当たりにするのは、初めてではないのだろう。驚愕の代わりに簡潔な謝罪を述べ、続けて再びこちらへ視線を戻す。

「でも、一回だけ直接聞かせて。久世君、だっけ……


詩を突き落としたのは、君?」


 ——一瞬だけ、答えに躊躇する。それでも、誠意を持って投げかけられた言葉を徒に煙に撒くことは確かに憚られた。


「……違う、な」

 噛み締める様な言葉を、数秒反芻して。女子生徒が腰を折り、これもまたやはり簡潔な謝罪を。

「嫌な態度とって、ごめん」

「いや、全然…」

清々しい潔さに、言葉を向けられたこちらの方が恐縮してしまう。そんなこちらの機微すら感じ取ったのか。未だ固さは抜けきらぬまま。それでも大分柔らかくなった声色で、女子生徒が自身を名乗る。

「1組の日野速音ひのはやね。…詩の友達、って事でいいんだよね?」

 相変わらずの疑問形。…これに関してだけは、多分俺のせいではないと思うのだけど。

「…久世。一応、そんな感じ、らしい」

正味のところはわからん。

「…久世君、頑な」

ジロリと。言葉の主たる八木を睨め付ける。申し訳ないがお前のお陰でこんなややこしい事になっているのだがしかし。視線に、戯けたように笑いながら、せかせか一人再び歩き始める。そんな姿にすっかり邪気を祓われてしまい、再び大人しくその後に続く。

 本当に。一体俺は何をしているのだろうか。


———



「じゃあ、次の舞台には間に合いそうなんだ」

「うん、不幸中の幸いってやつですな」

 先を行く女子二人。和やかに弾む会話に聞き耳を立てるでもなく、特段意識せずとも耳に入ってくる諸々に仄かな罪悪感を感じつつ。さりとて他にする事があるでもなし、思考の行く宛てがその内容へと向かう事もやむを得ないだろうと、半ば無理矢理自分自身を納得させる。

 どうやら。直近で演劇部の舞台公演が予定されているらしい。その舞台に、入学して間もない一年生ながらも八木は演者として出演するのだそうだ。それも端役ではなく、構成上中々に重要な配役との事。

 貴重な役を手にした、そんな矢先に起きた先日の事故…否、事件か。傷を負いながらも無事が確認できた友人の、予定されている晴れ舞台を日野は案じている様子だった。

「楽しみにしてたもんね。どうなったか気になってたから、安心したよ」

「ご心配おかけしまして」

へへへと笑う八木。その表情に目線を向けながら、穏やかに微笑む日野の姿を見て、二人の間に横たわる信頼関係が垣間見えた気がして、こちらまで和やかな気分になる。

「折角オーディションで勝ち取った役だもん。ちょっとした怪我ぐらいで諦めるなんて、やっぱり悔しいもん」

 八木の瞳に、ちらりと強い意志の火が灯るのを目の当たりにする。芯が強い、というか。学生の部活とはいえ、かける情熱はやはりひとしおなのだろう。


 ただ。己の興味は、そうした彼女の内面では無く。それを取り巻く現実の方へと傾いた。


「…なぁ」

 終始無言を貫いていた久世阿儀人の、唐突な呼びかけ。日野の方は、単に何かと視線を向けるのみ。八木はと言えば、若干驚きの表情を作ったのち、ぱっと大きな笑みを浮かべる。

「なになに、どうしたの?」

問われて、「無知で申し訳ないのだが」と前置きを入れる。

「この学校の…というか学生の演劇部事情というのに明るくないのだけど、オーディションなんてやるのか?なんか勝手に、教員連中の采配次第で割り当てられるような印象があったんだが」

「それは勿論、あるよ。やりたい役のセリフや動きを練習して、やってみせて。他の部員全員と先生と、皆でそれを採点して役を決めるの。——ちなみに私はヒロインの恋敵なんですぜ」

ふふーん、とドヤ顔をされたものの、それが凄いのか否なのかの正確な判断は俺にはつかない。薄いリアクションしか返さなかったのが不満だったらしく、八木が若干むくれてみせる。

「ウチの学校、演劇と陸上が結構強いってんでそこそこ有名なはずなんだけど、知らないの?」

 日野の言葉に。そういえば校舎にでかでかと垂れ幕が掲げられていたなぁ、と今更になって思い至る。部活動の一切に興味が無いとは言え、母校についての恥ずべき無知に居心地の悪さを感じる。感じながらしかし、思考はやや別の方向へと向かっていた。


「日野さん」

 演劇部の部室前まで辿り着いた時点で、声を掛ける。振り返ったその顔に、軽く頭を下げる。

「少し用事を思い出した。申し訳ないのだけど、後を頼めるか?」

特段疑問を挟むでも無く、段ボールを受け取ってくれる。

「寧ろここまで持たせちゃってごめん。ありがと」

気にしないでくれ、と首を振る。

「用事あったの?もしかして付き合わせちゃった…?」

 八木が申し訳なさそうに顔を歪める。

 現実として。半ば強制的に付き合わされたのは確かだが、それを口汚く罵る程腐っている訳でもなく。

「大した事じゃ無い。気にしなくていいよ」

言って、その踵を返す。


 内心に。一抹、淀みのような嫌な予感を抱えながら。

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