【うそつき人形】と朝の道中

 ちらりと、正門の方を盗み見る。タイミング的に幸いにも、教職員他生徒などの姿は見受けられなかった。

 どう足掻いたとて。今この状況を誰一人にも目撃される事なく難を逃れるというのは…不可能だろう。いくらなんでも虫が良過ぎる。だったらせめて、追求のタイミング位はこちらで決めさせていただきたいというのが、今時点でのせめてもの望み。少なくとも、これから一日が始まろうというこの場面で執拗な言及に晒されるというのは…想像だけで辟易とする。

「…なぜにそんな隠密行動を」

 …想像より余程不審な挙動をしていたらしい。後方から不思議そうに突っ込まれた。恥。

「そら、あれだ。いらん噂が立っても困るからな」

 げふんげふんと、咽せ返るような咳払いをしてから。思春期男子みたいな言い訳を口にする。…思春期男子ではあるのだろうが。実際のところはそんな甘酸っぱい話ではなく、より一層の風評被害の回避というのが大きな理由であった。

「…久世君てば」

「ん」

「…うぶちゃん?」

「…そういう話でなくてだな」

 にまにまと底意地の悪いにやけ面をひけらかす。どうせこちとらネンネだ、ほっとけ。というか真意の方がまるで伝わっていない。誰がつまらない色恋の話なぞするものか。

「俺は現状、この件の最有力容疑者のまんまなんだよ。熱が喉元すぎてもいない時分に、当の被害者と連れ立って歩いてるところなんか見られて気持ちの良い噂が流れる訳ないだろ」

「そう!それ」

 食い気味。ただし言葉の意味が分からず、眉を顰める。

「どれだ」

「最有力容疑者のとこ」

「それが?」

「久世君と私ってさ、あんまり話した事なかったじゃん?今まで」

だいぶ控えめな表現をしたな。実際には一度たりとも、だ。

「それにほら、クラスでもあんまり喋んないじゃん。他の人とも、久世君」

「…そうさなぁ」

 気にした事もないが。何故にぼっち気質を詳らかにされ塩を塗られているんだ、今。

「要は、普段から付き合いがないから、余計に疑われてしまってるんじゃあないかと思うのですよ、私は」

「えー…」

 賛同しかねる。

 嫌疑の根拠の一端として事実関係が存在している事自体はあながち否定もできないとは思う。とは言え、今日日隣人を愛せよなんて時代でもなし。慣れ親しんだ知人が突如牙を剥くなんてのは、そう珍しい話でもないように思うが。尤も八木はそうとは思っていないらしい。

「私と久世君が仲良いってのがちゃんと知れ渡ればさ、今流れてる嫌な噂話が嘘だったんだってなると思うんだよね」

 立ち止まり、振り返る。

 真っ直ぐに視線を。目線がぶつかると同時に、得意げな笑みを浮かべる。

「中々名案だと思うんだけど、いかがでしょうか」

…よくぞこんなペラい提案でドヤ顔出来たな。太い奴である。

「…言いたい事は幾つかあるけど、とりあえずその提案は前提条件で破綻が一つあるな」

「と、いいますと?」

「俺と八木さんが、現実問題まるで親しくないってトコ」

 同じ学校の、同じクラス。でありながら、八木詩葉と久世阿儀人の生きている世界はあまりに隔絶されている。それは最早断絶と言い切って差し支えない程に。

 獣と親交を深める虫などない。友好とは同じ立ち位置の存在同士でしか成立しない。そうした真実を誰しも心の底で熟知しているからこそ、身分違いの恋を取り扱ったフィクションが時折世で流行るのだ。詰まるところ、どうせ有り得ぬ絵空事の夢想として。

「第一不自然だろ。これまでまるで交流のなかった連中が急につるみ始めるなんて。それこそ違和感だらけじゃないか」

 発端すら不穏当。その当事者二人がいきなりあけひろげ友人になりましたなんて荒唐無稽、どこの誰が聞いて納得するというのか。

「あれ、知らないんですかお兄さん」

 これもまた。えらく得意げで…それでいて嫌味を感じさせない、まさに会心の笑顔を浮かべてみせる。


「親友も恋人も、最初は他人なんですぜ」


「——何を当たり前な話を…」


 それはそうだろうよ。運命なんて大仰なものがこの世にありはしない以上、人との繋がりはすべからく、おしなべてゼロから始まる。それは確かに、例えば八木詩葉と久世阿儀人…互いの間に横たわる無関係についても同じ事は言えるだろう。

 だが、所詮それは詭弁だ。


「友達じゃないなら友達になればいいじゃない、って事だよ。ね?全然おかしな話じゃないでしょ?」

 全部おかしな話である。

「友達100人って歳でもないだろうに。示し合わせて友人関係なんて、やっぱりおかしな話じゃないのか」

「え、じゃあ——」


 ととん、と。松葉杖を大きくついて。八木がこちらとの間合いを潰す。そして、真剣な表情で


「私と友達になってくれないの?」


言葉にするのも気恥ずかしいような台詞を、あっさりと言ってのけた。


 昨日の確信に箔がついた。順当にいけばやはり、こいつは幾人もの人間の人生を引っ掻き回しかねない。面と向かってこれを言われて「嫌だ」といえる奴が、果たしてどの程度いるのだろうか。一先ずは


「お生憎だ。間に合ってるよ」


とりあえず、一人。


「え、なんで」

 これだけの容姿と人柄。加えて生粋の人好かれな性質の諸々に全くの無自覚、なんて事はいくら何でも無理がある。それは別に性格の悪さなどではなく、真っ当な自己分析に基づく評価であるだろう。根拠なく自己評価が低いばかりの人間などよりは余程健全であるとも思う。無論、故にこその心底からの疑問の言葉であった事は想像に難くない。この言い方は、八木の人格が疑われかねないだろうが…恐らく、断られるとは露とも思っていなかったのだろう。

「間に合ってるからだよ」

 一方。ままごとみたいなその提案を受け入れない明確な理由というのは、実の所特に存在しない。仮に受け取ったとて、薄っぺらな口約束が互いの関係性の楔になり得るでもなし。契約不履行で訴えられる訳でもなし、適当に二つ返事で流してしまうのが本当は一番気楽なのだ。

 それでも律儀に断りを入れたのは。今後もしこのやり取りが他の人間へと漏洩した際の面倒事を事前につぶしておきたかったからに他ならない。

「私は間に合ってないんですが」

 不服も露にむくれてみせる。溜息、はいくらなんでも失礼すぎるかと。一拍間を取る。


「俺の評判は耳にしたことあるだろ。本当はこうやって一緒に歩くのだって止めとくに越した事はないんだ。鞄のくだりがなかったら、実際連れ立ってなんかなかったし」

 真偽も理由も不明だが。昨日、今日の彼女の応対を鑑みるに。どうやらこちらに対しての敵意や侮蔑の念なぞはない、らしい。だから…考えが変わった。負目故、多少の傍若無人には目を瞑る心積りだったのだが、この際はっきり明言しておいた方がいいだろう。

「俺とつるんでも八木さんにはデメリットしかないよ。きっと、どうせ碌な事にはならない」

「…友達は選びなさい、みたいな話?」

 偏見重めな親みたいに言われた。ただまぁ遠からず。

「そんなところ。それに……」

げふん、と。再びの咳払い。油断が過ぎ、言わなくて良いことまで口走りそうになった自身を呪いながら「とにかく」と、話を纏めにかかる。

「昨日承諾した手前、犯人探しには付き合う。話し合いがしたいってんなら、それにも参加する。けど、そこまでだ。それとは関係ない場面で話しかけたりってのは、出来ればやめて欲しい」

「んー、なるほど」

 熟考、なのだろうか。

 取り立てて落ち込んだ様子をみせるでもなく。さりとて楽観的になっている風もなく。沈黙をやんわりと解く様に、八木が頷く。

「ムリに、とはいえないもんね。ごめんね、変な事言い出しちゃって。もう言わない」

 その顔に、一抹の淋しさの様な気配を感じた気がして…けれどそんなものは気のせいだ、と。断じて、首を振る。

「いや…こっちこそ…」

申し訳ない、と。謝りそうになって、けれど寸での所で踏み止まる。一方的に拒絶の意を示しておいて、不意に向けられた表情が痛ましいからと謝罪を放つなど、余りにも手前勝手過ぎる。ほんの僅か己が救われるためだけの謝罪などするべきではない。

「…ここら辺でいいだろ」

 持っていた八木の鞄を、持ち主へと差し出す。それを受け取りながら、最後にもう一度。八木が、一際淋しげに笑う。

「ありがとう。持ってくれて」

 少し悩んで。けれど、これ以上手厳しく辛辣な言葉の刃を振りかざす事はいくらなんでも憚られて。それでも、無愛想な事には変わらなかったが、一言。

「気にすんな」

出来るだけフラットに。感情が乗らない様細心の注意を払った一言を。告げて一人、足早に教室を目指した。




———



 幸い。奇怪な取り合わせでしかなかった、連れ立った朝の道中を直に見合わせた生徒はなかったらしい。入室の時間が妙に近しかった事に若干の不審こそ漂えど、面と向かっての言及というのは終ぞなかった。例の作戦会議が実行に移される事も、また同じく。それはしかし、全く当たり前の話ではあったのだが。

 あやふやな態度では無く。面と向かってはっきりと交流を拒絶した相手と「あれとこれとは別の話だから」などと話し合いの場を設けるなんてのは、まともな神経をしていればまぁ不可能だろう。結局、犯人探しの件については最早明言を以て拒否するまでもなかったのだ。自然消滅した同盟の短命に気を病むことなどなく、不通はつつがなく放課後まで継続した。


「う、た、ぁぁぁ」

 帰り支度の最中。少し離れた、教室の端。廊下から声をかけられ、八木がそれに応える。

「はやちゃん…ってうわぁ」

 廊下から姿を現した女子生徒の手には、大凡女子供に持たせるには過剰なサイズ感の段ボールが。よたよたと教室内へと歩を進め、息も絶え絶え女子生徒が、それを八木の机の上に降ろす。どすん、と。中々重量感に富んだ着地音が、荷の見た目とのギャップがない事を如実に物語っていた。

「これ、新しい、チラシ、と、台本、と、衣装」

 疲労困憊。肩で息を、女子生徒が八木に伝える。恐らく演劇部で使う代物なのだろう。

「中々にボリューミー…一人で持ってきたの?」

「足立先生が、部室に持ってけって…薄情者どもがそそくさ逃げてったもんで、私一人よ…」

「わ、私も持つよ」

 慌てた様子で八木が声を掛ける。とは言えこれには女子生徒がきっぱりと断りを入れる。

「怪我人に手伝わせようとは思ってないよ。ただ、私の心が折れない様に応援して欲しくて…」

 大分呼吸が落ち着いてきたらしい。女子生徒がにやりと笑ってみせる。足らない腕力をメンタルで補おうと言う話らしい。…使える男子生徒はいなかったのだろうか。


 と。どちらにしたって己には関係がない話に変わりはない。準備を整え、がたりと席を立つ。

「!そうだ———」

 そんなこちらの姿を、ぱっと振り返り見やり。大きな笑顔を浮かべながら




「久世君!手伝って!」



殊更にでかい声で言ってきやがった。

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